仕事柄、いろいろなところで、マッピングとかスタックとかという図にお目にかかる。日本ではポンチ絵というのもあって、まあわかりやすく可視化することは、訴求する事柄の理解を助けるし、課題を明確にするのにも役立つ。
でも、どうも一部の人は、そういう絵に必要以上のというか盲信的な価値観を抱くみたいで、時に絵を描くことが目的となっている作業もあったりする。つまり、描く方も、見る方も図示化されているという表面的な部分に酔いしれて、その表面的なとこを見ても、意味するとこの理解は二の次だったりする。ちょうど、最近はいろいろと関係の深いアーキテクチャ論などでも、こういう傾向が強い。
とある案件の資料を精査していてわかったことは、いけていないというかダメな図示化というのは、軸や項目の定義が不明確なやつだ。また、全体での抽象度や粒度がバラバラなのも痛い。
普通に論文などでは、グラフなどを書く時には、その軸の単位と意味を明確にすることが求められるので、それなりに学界三銃士に鍛えられた人は、比較的この辺りを意識しているはずだ。
それなのに、パワポのスライドとかにかかれるマッピングみたいなのは、どうも未定義な用語や基準で描かれていることが多い。"書く"と"描く"の違いがあるわけでなく、多分に言葉を大事にしたり拘りがあるかの違いな気がする。
たとえば、複数の人間で報告書などを作るとしたら、何を軸に、どの抽象度でというのは、最大限に熟慮を重ねて決めるべきなんだけど、その辺りの議論をすっ飛ばしてしまうのは、日本のハイコンテクストな文化なのかもしれない。
加えて、図示に限らず、チャットにせよ、メールにせよ、何かを議論する時に、言葉というか用語を大事にしないというのは、だいたい表面的で薄っぺらくて、テーマ対する理解や自己の信念のようなものが弱いと思うことが多いので、そういうのは戯言としてスルーしないと、無駄にエネルギーを消費してしまう。
まぁ、この日記みたいなのは、戯言の典型ではあるから、誤字脱字は多い。