今日の午後に学術系のボスとテレカンを始めようとしたら、直前に首相辞任のニュースが飛び込んできて、テレカンの向こうからニュースの音声が....
たった半日だけど、このニュースに対するコメントというか反応というのは、なかなかに人間観察という視点では興味深い。
野党の党首クラスでも、ベテランの政治家でも、一個人の病気による辞任という状況に対して、仮に信条がちがっても、またその実績の功罪に対する意見があろうとも、お見舞いの一言や慰労の一言があり、そこには相手に対する敬いというものが見えるのは、流石だなと思う。
でも、悲しいかなSNSとかには、こういう感覚のない、溺れるものを叩くというか、品のないコメントも多い。やれ、投げ出しだ、敵前逃亡だとかもあるし、なかには首相動静で会食が続いてたから仮病じゃないかなんていうのもある。こういう品のないコメントの多くは、その論拠となるファクトがなくて、エモーショナルに見える。
でっ、こういうエモーショナルなものほど、感情の発露だから、その人の人となりが迸るわけだ。
そして、これは極めて僕の主観的感想だけど、どうもそういうコメントをしてる人は、自分は何も悪くないのに世の中が悪い、政治が悪い、会社が悪い、親が悪いみたいに、なにかしら社会や境遇に対して拗ね続けている傾向に見える。
拗ねたっていいじゃないか人間だもの って、相田みつおさんが 書いたかは知らないけど、一時は拗ねるのもいいけど、ずっとそれを引きずって拗ね続けていたって、それだけではどこにも行けないし、何も変わらないのになぁ....可哀想に。
夕方に甲府から知り合いが仕事の相談に来て一献。彼は、昔某ホテルのメインバーでバーテンダーの仕事をしていた経験がある。というわけで、食事のあとはBar ルームで、腕を振るってもらった。夜、奥様とお嬢様が迎えに来て、ノンアルなドリンクも出したり。
そのあとは、日米の標準化仲間とのZoom飲みで、いささか飲み過ぎだ。