夏の日差しが、ブラインドの隙間から真っ直ぐ差し込んできて、僕はその光に肩を叩かれるようにして目を覚ました。まるで、「そろそろ起きたらどうだい」とでも言うように。外はまだ静かで、蝉の声が遠くから薄く届いていた。
とりあえず、まずは風呂に入ることにした。昨夜、少しばかり飲みすぎてしまった感覚が、まだ体の奥の方に残っていた。湯にゆっくりと身を沈めると、アルコールの名残がふわりと肌から抜けていくような気がした。僕は湯気の向こうでぼんやりと天井を見上げながら、「これが僕なりのリセットなんだ」と小さく思った。
それから、バスに揺られて駅まで行く。バスの座席はいつも微妙に湿っていて、それが僕にとって一日のはじまりに必要な「違和感」のような気もする。中央線快速は時間通りにやってきて、僕は東京駅まで運ばれていく。最近はグリーン車に乗ることにしていて、仕事ができるという点では確かに便利だ。でも、果たしてそれが嬉しいことなのか、少しも心を休める余白がないということなのか──そんな問いが、無言のまま僕の背中をトントンと叩いてくる。
それにしても、もう梅雨明けでいいんじゃないかと思うほど、日差しが鋭く僕の首筋を刺してくる。でもそれは、火の熱さのように苛烈ではなく、むしろ、何かの予兆のような痛みを伴わない熱さだった。
昼間はひたすら案件の説明と質疑応答の繰り返し。ネットワークの向こう側には人がいて、その声はときどき震えたり、消えかかったりして、まるで洞窟の奥で誰かが助けを求めているような、そんな奇妙な残響を伴っていた。僕はその音を聞きながら、なんとなく現実の質感がぼやけていくのを感じていた。
夕方、霞ヶ関を出て、青山へ向かう。銀行で一件処理を済ませる。Fさん──事務の女性が、体調不良で二週間休んでいる。彼女が不在だと、僕の体のどこか重要な部品がごっそり抜け落ちてしまったような、そんな感覚になる。でも昨日の午後、彼女からの電話があって、「少しずつよくなってるんです」と言った声は、風のように軽やかで、夏の終わりに似た、ほっとする響きを含んでいた。
帰り道、渋谷の駅前では参議院選挙の街頭演説が始まっていて、スピーカーからは正義感の塊のような言葉たちが、遠慮というフィルターをすっかり通り越して、無造作に空気を裂いていた。耳に突き刺さるその音は、もはや「訴え」というより「音響兵器」と呼んだほうが正確かもしれない。僕はその場を小走りで通り過ぎた。政治も大事だけれど、鼓膜の安全もまた大事だ。
ようやく駅に着いて、いつものバスに乗ろうとしたときのことだ。バスは停まっていて、車内をちらりと見る限り、まだ十分にスペースがあった。でも運転手は「満員です」と言って、すぱっとドアを閉めてしまった。その瞬間、後ろにいた青年が小さくため息をついたかと思うと、ポケットからスマートフォンを取り出して、次のバスの時刻を確認しながら「苦情入れときます」と宣言した。しかも妙に冷静な声で。運転手の名前、問い合わせ先、すべてを確認してからのきっちりとした予告だった。まるでコンビニでアイスコーヒーを買うようなテンションで、彼はクレームを用意していた。
夜は家で国際会議。再びネットの向こうにいる人たちと話す。言語が違うのか、思考の基盤が違うのか、とにかく会話がすれ違う。違う山を違う方向から見ているという比喩では、到底追いつかないレベルで、根本的に風景そのものが違っている。そんなふうに感じるとき、僕の精神は、そっと小さく悲鳴をあげる。
だから、今夜も二時間の会議には耐えられそうになくて、そっと時計を見て、一時間ちょっとで抜け出した。まるで誰にも気づかれないように、夜の出口を探す猫のように。
久しぶりに村上春樹を堪能、僕の中では僕本三部作やハードボイルドワンダーランドなど、ノルウェーの森より前の作品が好きなので、とても楽しかったわ。というわけで、今日の日記は、AIさんが校閲者。