今日は、朝から地区の水利組合にる水路の堰さらいに出労。 水路は、農家の農業用水であるとともに、地域の防火水路としても機能しているので、この春の堰さらいは農家/非農家に関わらず参加する。
2年前に大雨で取水口近くの崖が崩れて、長いこと補修工事をしいてた場所にはじめて行ったけど、すっかり綺麗な新しい水路になっていた。 それでも、山からの落石や倒木などが、一部水路に入っていて、こういのを取り除く作業や、それ以外の箇所も砂利が溜まるので、これを取り除いて管理維持をする。
作業中、今日作業した場所の少し上流には、かつて小さな水力発電所があったという話を、村の先輩から聞く。 大手電力会社の発電所ではなく,地域の自家発電施設だったとのこと、ちょっとネット検索したけどそれらしい記録は見つからなかったので、かなり小規模だったのかもしれない。
しかし、今回の震災や計画停電の状況を考えると、日本の場合豊富な水路があるのだから、大型ダムを伴わない小型水力発電を分散配備することが、見直されるかもしれない。 確か、数年前にマイクロ水力発電は、それなりに話題になって、ニュースでも取り上げられていた。 昨今の技術改良で、効率的な水車で、低落差でもそこそこに発電できるものが開発されているとのことだった。
ところで、地域のこういうエコシステム的生活習慣は、今日の水利組合の水路管理でもそだけど、そこに根ざす人達の自助的維持管理に依存することになる。 都会に住んででいて、地方の村社会や旧泰然とした地方自治に厳しい意見を持つ人も多いけど、実際のところ都会が都会だけで全てを賄えるものではなく、かつその不足分が必ずしも経済行為だけで交換できるものではないことは、今回の計画停電や物資の不足などでも多少理解されたかもしれない。 もちろん、どちらに生活するかは自由な選択だけど、都会=合理的=正、田舎=非合理的=負 のような論調で、自分が選択していない方の生活習慣やシステムを批評するは、聞き苦しいものだ。