Wi-Fi AllianceのBarcelona meetingでは、2015年に向けたWi-Fiの戦略を立案するというミーティングが行なわれた。
これは、普段の標準化会議の進め方とは異なり、ブレストをしてトピックスを出して、それを整理し、さらに参加者が興味のあるトピックスに投票(複数)するというプロセスで進めた。
こういう、戦略立案手法って、とても典型的だし良くやるんだけど、日本の会社ではあまりポピュラーじゃない。
僕は、もう25年くらい前に務めていた会社で、製品のコストダウン合宿があって、ブレストやって、KJ法で整理するというの手法を最初に教わったけど、それは普遍的な手法として、とても役に立っている。 だいたい、KJ法は日本人の川喜田二郎さんのイニシャルなくらいなのに、特定の分野でしかされていなのは、普遍的な技術や仕事の進め方を特定の条件化の手法としてしか伝承しないという、パターン認識的教育の性ではないだろうか?
こういう、思考整理や議論のトレーニングを、どんどんしていかないと、世界で戦えなくなっちゃうよなと、いつも不安になる。
ツイッターのアクティブな人で、「xxは、yyであるべき」ってべき論なつぶやきを良く見かける。 ツイッターに限らずBlogとかも含めて、こういう表現の人はよくいる。 しかし、それはあまりにも、狭窄的視点だったり、根拠が限定的だったりすると、あーあーなんかステレオタイプだよなと感じる。 同じ表現でも「私は、xxは、yyであるべきだと思っている」という表現になると、この人はそうなのねで、スルーできるんだけど、主体が不明で、普遍的定義のように表現されると、ぼくはへそ曲がりなので、なんかカチンと来ちゃう。(笑)
ネットに氾濫しているお店とかの評価でも、主観的な評価を、あたかも普遍的な一般評価的に表現する人がいるけど、そういうのも、僕は信用しない。
僕は、仕事とかで、どちらかというと、べき論をする方なんだけど、あくまでそれは自分の意見として、I think...., My understanding is...とかが最初につくわけで、これは自分の発言や表現に責任を持つことでもあると思っている。
経験的には、「xxは、yyであるべき」とかって表現する人て、「それは貴殿の主観的評価だよね?」とか突っ込んでも、聞く耳を持たない原理主義的な人が多いと感じていて、自分にその考えを押し付けられない限り、スルーする事にしているんだけど、それって歳をとったからなのかしらん?
バルセロナ発は、午後なので午前中は、昨日使ったバスで、市内散策。 知り合いのバーのマスターが、サグラダファミリアの近くの金物屋で、小型のスコッチの蒸留釜が売っていたというので、昨日も探したけど無かった。 今朝は、とりあえずエンカンツという蚤の市によってみた。 もうここはほとんど昔の秋葉原のジャンク屋街と浅草の伝法院あたりの混ざった感じで、まったく収穫無し。 その後、サグラダファミリアのバス停まで歩き、金物屋を一軒発見したけど、そんなものありません。 しかたないので、諦めてバスでParc Guellに行く。 ガウディっていうひとは、本当にスケールが大きい。 フランクロイドもそうだけど、建築家って、やはりその足跡がこうやって残るのが羨ましいな。 お約束のトカゲとかみてから、バスでCasa Milaの前を通り、ホテルに戻る。
海外で金銭トラブルとかにあったことはなかったのだが、今回は二つばかり遭遇。
サグラダファミリアの近くで、シャッターを押して欲しいというイタリア(ギリシャ?)人に声をかけられ、携帯のシャッターをおしてあげた。 その直後に、警官が2人搭乗。 さくっとパスをみせて、パスポートを見せろと言う。 イタリア人がパスポートを見せて、僕にも見せろというので見せる。 そしたら、今度は、薬物の取り締まりをしているからと、財布を見せろ、クレジットカードを見せろと言う。 イタリア人が素直に応じたら、僕にも同様にリクエスト。 どうみても、インチキ警官だろ,警官が財布見せろとか言わないし。 ということで、No!といってその場を去った。 あとで、ネットでみたらこの偽警官犯罪多発地域らしい。
もうひとつは、故意じゃないんだけど、チェツクアウトで、ミニバーの清算をしたら、ラムが90eになっている。 おいおい、いくら何でも、そりゃ無いだろう。 レセプションの女の子は、バカルディラムはそれしかない言い張る。 あのね、それしかないとしたら、そりゃあんた価格が間違ってるぞと言ったら、周りのスタッフに確認して、やっと間違いと判る。 結局10eだったけど、まぁこれだって決して安くはないよね。
と言うわけで、バルセロナに行く人は、偽警官に気をつけてください。 あと、バルセロナに限らず、お会計は要チェック。
バルセロナからフランクフルト経由で無事に成田に到着。 スカイライナーと山手線で新宿にでて、18時のスーパーあずさにのって山梨へ。 ちょっと遅れのあったものの、順調に進んでいると思ったら、塩崎〜韮崎間で、貨物列車が小動物をはねて故障し、線路を防いでるため、甲府の一つ手前の酒折駅で停車して、運転見合わせに。 時間が立つに連れて、社内も騒がしくなり、車掌に詰め寄る人もで出来た。 後から来た、各駅停車がとりあえず甲府まで運転するというので、そちらに乗り換えて、1時間以上の遅れでとりあえず甲府に到着。
甲府の駅は、かなり殺伐とした雰囲気で、駅員が対応に迫られ、かなりの数の警官も出動していた。 とりあえず、家人が甲府まで迎えに来てくれることになったので、どうにか山梨に家に無事に帰宅できた。
長旅の最後に、こんなことが待ち構えているとは....
立ち上げ中のコンソーシアムは、出ばなから規則の中身などで、議論が続いている。 そこにもってきて、事務局が電子メールやインターネットによる議論や調整の経験がほとんど無いようで、なかなか収束しない。 インターネットリテラシーの差なのかと思っていたけれど、ふと先日同僚の言った意見を思い出した。 それは、おそらくはこの類いの事務局とかって、いままではほとんどしゃんしゃん会議で、あまり大きく議論が起こる事が無く、そういう会合の仕切りしかしていない人々には、かなり大変なんじゃないのかという事。 確かに、今回のメンバーは、標準化の国際舞台を経験している人達で、きちんと文言の細部までコメントを入れてくれるし、手順や進め方にも意見がある。 これは、僕からみたら当たり前だし、むしろそれだけ時間と労力を費やしてくれているのだから、ありがたい事だけど、果たしていまの事務局はどこまで対応できるのだろうか? コメントが沢山よせられたら、それをどうしきるのかなどは、もちろん議長の仕事だけど、事務局が知験をもっていないとならないし、良く注意していないと、とんでもない事をしてしまいそうで怖い。
この前も書いたけど、バルセロナの市内観光では、イヤホーンをもらって、バスの座席にあるオーディオガイドにつなぐと、日本語での案内が流れる。 この日本語は、この系列のものにしては、とてもまともで、普通の日本語に近い。 (もちろん、細部には痛いところがあって、原稿読みなので、ちょっと前に説明したことを、"前述のxxは、..."なんていう文語べた読みがあったりする。)
でも、一番悲しいというかなんというか、きっとこれは日本語じゃなくても一緒なんだろうけど、とにかくガウディの話をするときに、"1926年に路面電車に轢かれて死亡する迄....云々"とか、"彼が1926年に路面電車に轢かれて死亡したあとも...云々"とか、彼の死と死因が、やたらセットで語られる。 確かに、路面電車に轢かれて他界したことは、ショッキングだけど、そんなに何度もいろんなところで、いちいちその説明付にしなくてもいいでしょうにと思ってしまった。 これって、バスのオーディオツアーだけじゃくて、ちょっとした説明リーフレットとかにも、書かれていたりする。 なんか、路面電車に轢かれた死因というのも、十分に普通じゃなけいど、この調子じゃ他のもっと変な死に方でも、あっちこっちで後生ずっと"xxxで死んだ"って解説されのかと思うと、有名人ってつらいなと思ってしまった。
明日閉め切りの公募研究の提案書の作成をしていたら、ぎりぎりになって研究分担をお願いする予定の人から、先方組織の都合で、研究分担になれないことが判明した。
こういう事は、十分に予測できることなので、かなり早い時期から再三にわたり内容に対するコメントと組織内の確認などをするようにお願いしていたのだが、結局ギリギリになって、申し訳程度のコメントとともに、こういう結果を連絡してきた。
僕も、夏休みの宿題を夏休み中に計画をたてて、きちんと終わらせるなんて事は、絶対に出来ないタイプだったけど、さすがに人との協業でこういうことはしていないつもりだ。 こういうのって、ギリギリになって言われると、もうリカバリーが出来ないから困る。
僕の周りの研究者には、やはり似たようなタイプの人が何人かいて、国際会議の発表資料とかも、結局現地入りしてから、付け刃のような資料をだしてくる。 はっきりいって、こういう人は、やはりこういう人の領域から脱しないようで、それなりの立場や成功している研究者の人には、こういうことはない。
しかし、小説家とかは、いつも原稿締め切りに追われているし、表装とか雑誌なんかなら編集とかの共同作業者が沢山いるなかで、きちんと仕事をこなしているんだから、凄い。
仕事の打ち合わせで、世界最大のネットワーク機器ベンダーであるCsicoのCBC(Customer Briefing Center)を訪問。 かつて、サンノゼにあるEBC(Executive Briefing Centers)に訪問したことはあるが、日本のCBCは初めて。 ここには、同社の全ての機器が動的に展示されているうえ、Use Case 毎に、コンパクトに利用シーンが再現されるブースが用意されている。 たとえば、医療系であれば、小さなベッドとベッドサイド機器などがあり、実際にナースコールや診察室での利用シーンなどが、再現されている。 さららは、ヤフードームに導入されているCiscoシートも動的体験ができるように設置されている。
欧米の企業で、とても参考になるのは、Use Case Scenarioが描けていて、そこにきちとん製品やサービスが当て込まれているところだろう。 ただ単純に、箱物の動的デモや、導入事例の紹介ではなく、顧客、市場の課題を明確にし、それに対するソリューションを、シナリオで示すというのが、大きなビジネスの創出には不可欠だし、イノベーションの源泉というのは、こういうところにあると感じた。
とあることで、インターネット業界で懇意にしていただいている先生と急ぎ連絡をとる必要に迫られた。 ところが、互いに携帯でコミュニケーションしたことがないという事実に気付く そこで、周辺で携番を知っていそうな人に、携帯やスカイプなどで聞いて回ったけど、以外とみんな知らない.考えたら僕たちは頻繁に仕事であったり、連絡をしているのに、ネット業界の人とは、携帯を普段使っていないわけだ。 一応、今回は他の先生が携番を知っていたのだが、おそらくは電源を入れていないだろうということで、メールで折りテレをお願いすることになって、それが一番素直早く連絡できる方法だった。
まぁ、かなりの頻度で、普段メッセンジャーとかメールに依存しているわけですね、ネット業界的には。
今夜のフライトでシンガポールに行く予定が、地震で結局羽田空港に行けなかった。 社員や家族、知り合いとの連絡は、携帯が使えなかったけど、スカイプで、全て済んだ。 欧米の知人達からも、次々にスカイプで安否を聞かれた。 東京の家にいる次男とは、Skype outで固定電話にかけてつないだ。 山梨の家は停電で固定電話が使えなかったらしい、深夜になってやっと家人の携帯に電話が通じた。
夜、羽田に向けて同僚の車で移動したのだけど、都内の渋滞で結局あきらめて、戻って来たのだが、その間もイーモバイルは、安定して接続できて、SKYPEやUstreamを使っていた。 特に、ニュースは、中学生がNHKをフォワードしてくれたUstが初期にとても良いニュースソースになった。
9・11の時にも、パケット交換の方が、リーチアビリティが高かったけど、今回もつくづく通信の選択子の多さとインターネットの強さを実感する結果になった。
東北等で被災された方には、本当に言葉が無いが、お見舞い申し上げます。
昨夜は、結局家に帰れずに、会社の椅子で朝まで寝たり起きたりを繰り返していた。 朝になって、航空会社に連絡をいれて、今日の夕方の便に振り替えができたので、一旦家にもどって、状況を確認。 TVの上に置いてあった置き時計が落ちて壊れたくらいで、大きな被害はなかった。
そのあと、成田にむけて移動開始、日暮里から京成の各駅停車で八千代台まで行き、そこで成田〜八千代台間の折り返し運転の各駅に乗り換えて成田へ。 電車は、運転本数が少ない上に、一部徐行運転区間もあって、大混雑。 八千代台の乗り換えも、ホームに人が溢れて、入場制限をしている状態。 結局、 新宿を12:00前に出発して、成田空港に着いたのが16:00過ぎだった。
成田空港は、昨日足止めされた人や、今日も欠航があったりで、かなり混雑していて、飲食店などは閉店しているところも多く、ラウンジも一部しか開いてない。 予定のフライトもギリギリまで飛ぶかどうか調整していて、チェックインを受けつけた時点で、予定出発時刻30分前だった。 その後50分遅れのアナウンスがあって、搭乗したけど、今度は離陸待ちで、結局2時間近く出発が遅れで、最終的に2時間半くらいの遅れで、ようやくホテルにチエックインできた。
深夜3時にホテルにチエックインし、一旦就寝。 今回の会場は、Marina Bay Sundsという新しいホテルで、カジノで有名なSundsの系列。 見た目は、もの凄ーくゴージャスなんだけど、防音とかはかなり低く、上の階の音や、水道の音がやたら響く。
遅めのブランチをとり、部屋でNHKの衛星をつけて、日本のニュースをみているが、色々な面での被害の後遺症が露呈しはじめているのが気になる。 こっちで会う、各国の連中が皆心配して、暖かい声をかけてくれるけど、僕もうまく状況把握ができてないところが、辛い。
夜会議終了後、こちらに駐在しているグループ会社の社員らと、ダウンタウンで夕食。 1人は元部下で、去年の暮れから赴任していて、先週家族がこちらに来たところ。 これから、いろいろと海外生活がはじまり、生活面などでは大変な事もあるかと思うけど、長い目でみると大きなキャリアステップになるだろう。
夜、ホテルに戻って、計画停電等の状況で、当面の行動を家人と電話で打ち合わせ。 先週末に山梨で同居している義母の調子が悪くなり、いろいろと緊急対応しないといけないことがあるが、地震の関係で、思ったように動けないので、頭が痛い。
今日から802.11aiのセッションがスタート。 ご多分に漏れず、TGになるといくつかのプレゼン申込がでてくる。 TGになるということは、それまでのStudy Groupでの議論で、問題の明確化をし、PAR&5Cが承認されているのだが、途中から参加する人には、その理解が十分でない場合もある。 このため、どうしても議論が、初期にもどってしまったりするのは、しかたがないが、そこをなるべくコントロールしなくてはならないが、一方で機会は均等に与える必要があるところが、議論運営の難しさだ。
今回のPlenaryは、地震の影響で日本からの参加者が少ないかと思っていたのだが、いつも参加している人はほとんど来ているのに驚いた。 連日の日本からのニュースをみると、何も出来ないことに歯痒さを感じるが、冷静に自分のフィールドで出来る事を続けるしか無い。
先週の土曜日に離日したため、災害の報道はシンガポールで放送されているNHKの海外放送と、現地の新聞などでモニターしている。 このなかで、現地の新聞に掲載される写真は、かなりストーレとで、日本の新聞には掲載されないであろう写真などが使われている。
また、ネット経由で、日本のテレビ番組もみているので、日本にいる人と情報量は変わらないだろうけど、この数日復旧、復興のニュースよりも原発の事故の拡大に関するニュースが日々入ってくるのが辛い。
そんななか、元部下が立ち上げた会社が、被災地の外国人に対して無料で電話通訳を提供 というニュースが流れて来た。 彼らは、日本に住む外国人の人に、ありがとうと言ってもらえるサービスを目指して起業したのだが、こういうとき、それぞれが出来る事をというのを実践しているのが頼もしく感じる。
シンガポールで開催中のIEEE802.11Plenaryで、今日で僕の担当の11aiの会合のスロットが終わった。 仕方がないことではあるが、face to face 会合だと、いつも初参加の人がいるので、ある程度同じことを毎回しなくてはならない。 しかし、少なくとも投票権を行使するような参加者には、きちっとそれ迄の議論や、会合の内容を勉強してきてほしいものだ。 僕たちは、2ヶ月に一回の実会合の間も、毎週電話会議で議論しているわけで、しかもその議事録も会合冒頭で、承認しているくせに、まったくその流れを読まずに、自己満足のための発表をしたりする輩には、本当にうんざりさせられる。
特に、欧米からの参加者にはいない研究所系の人は、結局なにかをしたいのではなくて、自分が発表したりする足跡を残したいだけとしか思えない。 例えば、普段の議論に参加し、時間を割いて、それでも審議時間が不足だとかいう意見を言うのは正当だけど、いままで何も参加せずに、いきなり出て来て意見が繁栄されないから、審議を引き延ばすというのは、そこまで時間を割いて来た人達に対する暴挙でしかない。 さらに、もっと酷いのは、会議中内職をしていて、投票になったら知り合いの同国人が投票したほうに、意味もわからず投票する人までいる。 欧米の参加者は、少なくとも判らなかったら、棄権票を投じるか投票に参加しないという責任ある行動をとるのだが、どうもそういう文化は特に日本人にはない。 そして、自分の発表が終わったら、全体会合には参加しない人が多い。
こうやって、いたずらに権利行使だけして、全体に貢献しないから、いつまでたっても、日本人が嫌われるんだろうな。
参加しているIEEE802.11Plenary Singapore会合も、今日の昼で終了。 Closing Plenaryで、会期中に寄せられた励ましの言葉に対して感謝の意を表明し、九月の沖縄での成功を誓う発言をする。 こういう発言に対して、拍手をもって評してくれる人達がありがたい。 正直、沖縄会合は、無責任な人の提案の尻拭い的で、台風シーズンだし、ひたすら気が重いけど、日本人としては成功してほしいので、出来ることを努力するしかない。
昼は、タスクグループのバイスチェアをしてくれているドイツ人の研究者と屋上のプールで、ひととき日光浴。 しかし、こんな派手なカジノ付ホテルを誘致して、景気がいいのは、都市型国家のなせる技だろうな。 東京も頑張れば、こうなるのかしらん。
夜のフライトまで時間があり、たまたまグループ会社の執行役員の人がこちらに来ているとのことで、夕食を一緒にする。 普段、なかなか話をする機会がないので、こういうタイミングは貴重。 彼もアマチュア無線をしているとのことで、そんな私的な話から、仕事の話まで、話は尽きないのだが,帰国日なので早々に空港に移動。 これから,羽田に帰る。
早朝羽田に定刻より若干早めに到着。 始発バスで新宿まで行き、7:00のスーパーあずさに乗れた。 このスーパーあずさは、韮崎停車なので、乗り換え無しで韮崎まで来れた。 韮崎の駅から北杜市の巡回バスが連絡していて、須玉の町中にでて、そこからタクシーで帰宅。 なんだかんだ、9:30前に帰宅できてしまった。 東京の街は、外観的には大きな損傷もなく、一見平穏に見えるけど,ニュースだとガソリンや食品の不足が続いているとのことだが、山梨はまだかなり良い状況のようだ。
実は、この前の月曜日に山梨で同居している義母が、硬膜下血腫で、急遽入院した。 土曜日くらいから、急に認知症的な症状がでて、老人性痴呆かと思った家人が一度病院でみてもらうことを考えていたら、隣人が一月くらい前にに階段で転んだという話を思い出して、急ぎその日のうちに病院に連れて行った。 CTスキャンなどの結果、硬膜下に出血があり、すぐに甲府の県立病院への紹介手配をしてくれて、月曜日に入院出術となった。 外科手術で硬膜下の血腫を除去した結果、後遺症も無く、認知症的な症状もなく、順調に回復しつつある。
今日は、昼から病院にお見舞いにいったのだが、当人は認知症的症状の発症していた時のことは、記憶が無いらしいが、すっかり普通になっている姿に一安心。 それにしても、人間の脳と言うのは、圧迫から記憶が断片的になり、その圧迫を取り除くと復帰するというのだから、不思議な物だ。
今日は、暖かくて計画停電もなかったので、家の横で蕗の薹を少しだけつんだので、明日天ぷらにしよう。
今回の震災の報道を通じて、被災地における避難所での被災者情報の流通の重要さと、ICT社会といいながら、日頃の研究や技術が活かしきれていない事を再認識している。
丁度、この3月まで3年間に渡り、自律的無線ネットワークによる被災情報提供システムの研究開発というプロジェクトに参加していた。 これは、災害時に避難所にパッケージ化した無線装置とDB等を配置して、自営通信網で避難所間を接続するとともに、各避難所で収集される被災者の情報を避難所間で逐次同期させる仕組みを研究し、実際に避難所になりうる場所を使った実証実験なども行なった。
元々,僕は1996年くらいからスペクトラム拡散の無線装置を開発し、これにIPルーティング機能を搭載した無線ルータを開発して、自律分散、自営網での運用、構築を沢山行なって来た。 このような、通信事業者に依存しない自営通信は、災害時にはとても有効で、さらに画像、音声、データーを問わない、IP網の汎用性は、様々な利用形態に適応できることから、災害時の通信として、自営無線+インターネットは有効な手段として、いろいろと取り上げられて来た。 僕も、1999年から2002年頃までには、Wide Projectの人達と、IAA(I am alive)等で、防災訓練等にシステムを提供したり、訓練にも参加してきた。
また、ここ数年は、飛行船やアドバルーン等をつかって、臨時に無線通信網を構築する研究や、無線メッシュネットワークなども、沢山研究されてきた。
しかしながら、今回の震災に伴う、報道をみている限り、そのような研究が、被災地で実用的に貢献されている姿は、残念ながら見受けられない。
一方、通信各社の提供する安否確認ダイヤルや掲示板は、各社各様で、こちらも効果は大きいけども、まだまだ被災者情報や安否情報の流通が十分でないことが見て取れる。
しかしながら、情報量といい、フラッティングに許容されるレイテンシーといい、各種通信機器の性能といい、今日の枯れた技術で対応できないようなハイテクが必要な課題では無いと感じている。
これは、プロトコルとか日頃の支援体勢の問題で、事故があったら110番、救急の時は119番みたいな社会インフラとしての認知と、備えがあれば、解決することだと、つくづく感じている。 例えば、IPヘッダーに、緊急情報のTOSタグがついて、ペイロードに氏名、住所、所在地等が入るパケットが投げられたら、それを分散DBに格納するみたいなお約束が成立して、PCにも携帯にも、ボタン一つで、GPSがある場合にそのデータも付して、送出できる機能を具備することは、直ぐにでも実現可能だろう。
日頃、ICT推進とか国際標準化推進とかの研究開発の一旦にいる人間として、今回の震災で、いままでの研究成果が、果たして被害の拡大阻止や復興支援の一助に、直接、間接に関わらず、少しでも役に立てたのか? また、今回だめでも、今後役に立てるための何かを得たのかは、真摯に受け止めたい。
大手通信事業者の方と電話で話していたら、先方の会社は、今週も引き続き原則自宅待機となるとの事。 本社ビルは、就労人口も設備も大きいので、節電に配慮して、不要不急な出社以外は、在宅、リモート勤務ということらしい。
通信事業者なので、被災地復興、復旧は、最優先で稼動しており、その管理部門等も当然ながら、不眠不休に近い状況だろうが、その他の部門は、節電に配慮というわけだ。
このような状況がいつまで続くのか判らないけれど、こんな話を聞くと明日都心に出社するのに、いささか躊躇してしまう。 僕の場合も、決裁、報告、決定等、基本的にリモートでできる体制と仕組みを、日頃から構築しているので、電車を使って職場にいって、電力消費をする必要はないので、果たしてどうしたものか悩んでいる。 とはいえ、地震直後に海外出張に出てしまい、一度も職場に行ってないので、やはり明日は出勤しよう。
今回の震災で、山梨の家は地震直後から翌朝まで停電だった。 このため、何度東京から電話をしても、"ネットワーク機器の故障により繋がりません"というアナウンスが流れていた。 これは、ひかり電話にしているため、結局ONUの電源がなければ電話もつながらないからだ。 1年くらい前の光の道論争で討論会をしたが、その時にSBMの松本氏は、"停電なんて今はほとんどないから、ライフラインとしての電源の問題云々を言うのはナンセンスだ"と言ったけど、これは事実誤認だし、今回のような大震災じゃなくて、停電はかなり発生しているのだ。 だから、"停電なんてほとんどないから大丈夫は"は、ご都合主義の暴論だけど、技術的にバッテリの小型化ができていることと、停電の平気時間が短くなっていることを考えると、これは十分に克服できる問題だというのは事実で、光化の排除要因にはならないと,僕は思っている。
もうひとつ、山梨の家はオール電化なので、停電するとなにも出来なくなる。 暖房は灯油のストーブがあるのだけど、これが電気がないと点火しないのだ。 昔の灯油ストーブは、マッチさえあれば点火したんだけど、最近のは電気ファンと組み合わさっていて、電気がないと使えない。 大昔に、実家から離れて生活を始めた時、最初に買ったのは、ベッドとアラジンのブルーフレームだった。 他のストーブと違い、天板でお湯を沸かしたり、煮物をつくったりできるのがよくて、ブルーフレームを選んだのだった。 少なくとも、五年くらい前まで所有をしていたのだけど、山梨の家を新築した時に処分してしまったのか、最近みていない。 もういちど、倉庫を探してみると家人が言っていた。
電波時計も標準電波が止って使い物にならないし、やはりプリミティブでシンプルなアナログ機器は強いなと、再認識。
それにしても、東京の街は、なんだか暗い...
今日も朝から何回も、体感する地震があった。 震源地近くでは,震度5とか4というレベルで、東京でも震度3くらいが、連日続いている。 ネットにある地震情報のページをみてみると、とにかく1時間に平均三回くらいの地震が発生していることがわかる。 しかも、震源地がかなり広範囲で、福島沖から茨城、千葉、神奈川、岐阜、長野などに分散している。
専門的知識がないので、わからないのだが、こういうのも余震というのだろか? 群発地震というのもあるけれど、それはどう違うのだろうか?
いづれにも、この決して普段ならは小さいとは思えない地震が、均衡、安定に向けての経過途中なのか、より大きな地震へのステップなのかが、とても気になる。
コーヒーは、昔からかなり飲む方だけど、フレーバー系とかだと基本的にはカプチーノ好き。 昔と違い,今はスタバやタリーズなどの展開で、かなりの頻度で、カプチーノが飲めるのが嬉しい。 でも、自宅とか職場だと、なかなかそうはいかない。 というわけで、随分前に、エスプレッソマシンの付いた、コーヒーメーカー(まだ、こんな呼称だった)を購入して、しばらく使っていたけど、掃除やらミルクのスチーマー作業の手間とかもあって、だんだん使わなくなってしまった。
ところが、最近はネスカフェのバリスタとか、ネッスルのネスプレッソとかが登場してきて、とても購買欲が掻立てられていた。 たまたま、この前バルセロナで泊まったホテルには、ネスプレッソが部屋にあり、コーヒーブレイクもネスプレッソの大きい奴でサーブされたりで、飲む機会があったのだが、これがかなり美味しかった。
というわけで、ネスプレッソのラティシマを、買ってしまいました。 ちょうどキャンペーンで、カプセルは100個ついて来たので、早速カプチーノを試飲。 と思ったら、牛乳が入手できませんでした。 (^x^);; なので、とりあえず普通にレギュラーとエスプレッソ、簡単で美味しい、ランニング的には、75/杯なので、スタバの1/4か。
震災に伴うTV広告の自粛に伴い、ACの広告がいろいろと話題になっているが、今週からは電車の吊り広告や壁広告に空白がかなり目立って来た。 でも、こういう吊り広告やポスターには、ACの広告での穴埋めがないみたいだ。 山手線や中央線のトレインチャンネルは、いまのところ普通に企業広告がながれていて、まだ♪ポポポポーン♪は、流れていない。
知り合いの某大手通信事業者の広告担当者に聞いたら、こういう自粛はやはり横並びだそうだが、クライアントが再開したいと言えば、TVなんかは一応再開せざるを得ないらしいので、どのタイミングで再開するかが悩ましいところらしい。
それにしても、いまのACのGRPって、どのくらいあるんだろう。 費用換算したら、とんでもない数字だろうな。 一方で、避難所に避難している人との情報流通が、決して十分じゃないんだから、TV局は合同で、そういう人達の声や、メッセシーをライブしたらいいのになと思う。 いまは、だいぶ通信回線が普及しつつあるので、ユーストリームと3G回線を使えば、いたずらにフィルタリングされたワイドショー的ドキュメントではなくて、被災地からの本当の情報発信ができるのにと思うけど、それは無理なのかしらん。 民放は、オリンピックとかの時は、一斉共通番組とか作るのにね。
通勤鞄は、すっかりイメージが定着していたキャリーバッグが壊れて、ショルダーバックにし、そのショルダーバックも壊れて、久しぶりにバックパックにしてみた。 今度の震災をみていて、いざという時に両手が使えるメリットは大きいのではと思ったのも一つの選択理由だ。 最近は、常時持ち歩く荷物を少なくと思ってるのだけど、それでもある程度の重さにはなってしまうので、バックパップは姿勢が崩れないで歩けるのも嬉しい。
だからという訳じゃないけど、今日は韮崎から増富温泉行きのバスに乗って、最寄りのバス停から歩いてみた。 時間的に20分なので、郊外の住宅などでも、このくらいは毎日徒歩で駅にいってる人もいる距離だろう。
それにしても、今日は歩いていたら、なんと雪が吹雪いて来た。 もう3月の終わりなのに.....:確かに寒かった。
3月20日の日記に書いたけど、本当にICTに関わる研究って、社会基盤になるのかと、いささか無力感を感じているのだが、一方でインターネットが社会基盤になっていることを、再確認している日々でもあったりする。
今回、震災の直後かなら、かなりの情報がインターネットのHPで配信されている。 計画停電や列車の運行情報等も、TVなどでも報道されるけど、詳しくはHPでということが多い。 こういうのをみていると、インターネットは本当に社会基盤になったように思う。
逆に、この計画停電の告知なんて、インターネットがなかったらどうだったんだろうか? 高齢者、中山間等を中心に、まだまだインターネットの利用度の低い世代、地域はあるので、インターネットで全ては賄えないわけだが、最強の補完ツールであることは間違いないだろう。
山梨の家では、新聞は朝刊しかないから、新聞による情報伝達は、かなり遅くなるし、TVはその瞬間にみていないと意味がない。 また、防災有線放送も、その放送の時に聞いていないと駄目。
随分前にも書いたけど、都市部より田舎のほうが、ネットの重要性は高い。
今回の震災による福島原発の事故で、想定外の天災なので、事故も止むなしという事を言う人が沢山いる。 また、これに反論する人もいる。 しかし、この議論は、風が吹けば桶屋が儲かる的に、想定外の津波/地震ならば、全てが想定外であるというように感じる。 確かに、10mを越す津波というのは、想定外だったのかもしれない。 しかし、冷却システムが何らかの原因で,全てダウンすることは、想定外なのだろうか? あるいは、電源系統が同時に全てダウンすることは、想定外なのだろうか?
システム設計をするものにとって、フェールセーフやリダンダントというのは、常に重要な課題だ。 例えば、サーバーのバックアップは、レイドやミラーディスク、外部媒体に対するバックアップというレベルもあれば、サーバーの二重化もあるし、電源の二重化、離散したデーターセンターでの分散、など各レイヤーで、それぞれに何重にも冗長設計をする。 この想定は、こちらが駄目でも、こちらが的なわけで、その多重率によるシステムの複雑さの増加とカバー率で、システムの信頼性を評価し、システム設計しているわけだ。
原発にしても燃料格納容器から、圧力容器や圧力調整室等の遮蔽に関する多重化同様に、冷却システムも電源周りもフェールセーフなシステム設計があるだろうし、事故時の対応でも、現場の初動以外に、二次、三次の対応、リモートの対応、陸、海、空からのアクセスなど、いくつかのバックアップシナリオがあったのではないだうろか?
結果からは、ありとあらゆるものがNGという、最悪の展開なのかもしれないが、これらを十把一絡げに想定外の津波という言葉で片付けてはいけないと思う。
個々のシステムや、対応方式において、想定内なのに不具合で機能しなかったもの、本当にそもそも想定していない事象とを、きちんと精査していかないと、今後への教訓にはならないだろう。
情報支援プロボノ・プラットフォームの会合に出席。 IT業界が、災害時の情報支援になにができるか、クロスオーバーに集まって、それぞれのスキルを活かして、横串な連携プラットフォームを作ろうという趣旨に賛同した人が、60人以上集まった。 それぞれ、いろいろな思いで、いろいろな活動をしているのだが、比較的問題意識は、共有しているようだ。
ここで、今回の被災者に対する、今今の支援として何ができるかという話と、今回の災害を教訓にに今後どうするべきかがあるのだが、もちろん、どっちをじゃなくて、両方必要なことだ。 多くの人が参加するということは、それぞれが自分の分野に注力したとしても、ポートフォーリオの厚さから、両方がカバーできるという期待がある。
僕は、情報救急箱のようなものを作って、それを全国の公的機関、民間、個人などに、地理的、論理的に分散配置して、災害がおこったら、まずそれをもって避難所に最寄りの人が駆けつけることで、情報経路の確保と状報(情報じゃない)の発信ができる仕組みが作れればと思っている。 救急箱には、被災後72時間くらいの間(インフラが復旧しない間)でも、情報を蓄積できる物をいれて早期に情報収集を開始し、携帯、ネット、無線LANなどの何らかの情報網ができたら、こんどはネットワークで伝達するなどの最低限必要なものを用意しておいたらと思う。
そして、大事なことは全国どこでも、ほぼ同じ救急箱があり、それを操作する人を講習などで、最低限のスキルを育み、全国に分散しておいたら、初動からの情報確立に役立つのではないかと思っている。
それから、僕らは事故や病人をみたら#119番するし、犯罪をみたら#110番する。 これと同じように、避難所にいったら#xxx番するみたいな、プリミティブな情報発信を、啓蒙することも大事だろうな。
福島原発の事故は、その収束にまだまだ時間がかかりそうということだ。 政府、東京電力、原子力安全委員会が個別に記者会見をしているのは、おかしいのではないかという指摘が外国の専門家からあったそうだが、まったくそのとおりだろう。
普段なら権限の分散は、良い意味でのガバナンス機能を実現するし、特定の組織の暴走に歯止めをかける効果がある。 しかし、今回みたいに、重大な危機に面している時に、お互いが非難合戦をして、自己防衛に走っているのは、とても情けないし、不安でしょうがない。
こういう、重大な危機に面したら、原子力非常事態宣言を発令して、指揮権を一カ所に集中し、現場や専門家のレポートラインとコマンドをラインを一本化するべきじゃないだろうか?
こういうのは、もちろん安易に発動するべきものではないだろうが、例えば危険レベルが5を越えたら、こいう発令をする権利を首相に与えておくことが必要なんじゃないかな。 もっとも、今の首相に指揮権を与えるのは、とても不安だけれど、そういう権利を与えると言う事は、それに見合った重責を負うわけで、そうなるとお気楽首相交代というのも減るかもしれない。