立ち上げ中のコンソーシアムは、出ばなから規則の中身などで、議論が続いている。 そこにもってきて、事務局が電子メールやインターネットによる議論や調整の経験がほとんど無いようで、なかなか収束しない。 インターネットリテラシーの差なのかと思っていたけれど、ふと先日同僚の言った意見を思い出した。 それは、おそらくはこの類いの事務局とかって、いままではほとんどしゃんしゃん会議で、あまり大きく議論が起こる事が無く、そういう会合の仕切りしかしていない人々には、かなり大変なんじゃないのかという事。 確かに、今回のメンバーは、標準化の国際舞台を経験している人達で、きちんと文言の細部までコメントを入れてくれるし、手順や進め方にも意見がある。 これは、僕からみたら当たり前だし、むしろそれだけ時間と労力を費やしてくれているのだから、ありがたい事だけど、果たしていまの事務局はどこまで対応できるのだろうか? コメントが沢山よせられたら、それをどうしきるのかなどは、もちろん議長の仕事だけど、事務局が知験をもっていないとならないし、良く注意していないと、とんでもない事をしてしまいそうで怖い。
この前も書いたけど、バルセロナの市内観光では、イヤホーンをもらって、バスの座席にあるオーディオガイドにつなぐと、日本語での案内が流れる。 この日本語は、この系列のものにしては、とてもまともで、普通の日本語に近い。 (もちろん、細部には痛いところがあって、原稿読みなので、ちょっと前に説明したことを、"前述のxxは、..."なんていう文語べた読みがあったりする。)
でも、一番悲しいというかなんというか、きっとこれは日本語じゃなくても一緒なんだろうけど、とにかくガウディの話をするときに、"1926年に路面電車に轢かれて死亡する迄....云々"とか、"彼が1926年に路面電車に轢かれて死亡したあとも...云々"とか、彼の死と死因が、やたらセットで語られる。 確かに、路面電車に轢かれて他界したことは、ショッキングだけど、そんなに何度もいろんなところで、いちいちその説明付にしなくてもいいでしょうにと思ってしまった。 これって、バスのオーディオツアーだけじゃくて、ちょっとした説明リーフレットとかにも、書かれていたりする。 なんか、路面電車に轢かれた死因というのも、十分に普通じゃなけいど、この調子じゃ他のもっと変な死に方でも、あっちこっちで後生ずっと"xxxで死んだ"って解説されのかと思うと、有名人ってつらいなと思ってしまった。