山梨の家は、二つの公道に挟まれていて、一つの市道に通じる方は、赤線(馬入れ)と言われる畑へのアクセスだった土地で、私有地ではない。 この部分が、六月の大雨のときに山からの水で、大きくえぐられてしまっていた。 幅1mもない道で、途中に二カ所ほど下水のマンホールがあり、そのうちの一つはマンホールの構造物が露出してしまい、もうひとつも、横20cmくらいのところが大きくえぐれている。 近所の方が回覧板をもってきたり、子供が通ったりするので、さすがにこのままでは危ないので、市役所に相談にいった。
とりあえずマンホールなので下水道課に行ったところ、マンホールの維持管理は下水道課なので、構造体が露出しているほうのマンホールの周辺は、下水道課で埋める事ができるが、もうひとつのマンホール周辺を含む道路部分は、用地課に言ってほしいとのこと。
1mにもみたない公用地の道で、その真ん中付近がえぐられていて、下水工事の施行は、全部市が行っている。 しかしも、マンホールが露出していないといっても、わずか20cmくらい横が大きくえぐれているのだ。 僕の感覚なら最終的に予算や費用負担は、用地課と振り分けるにしもて、人が来て砂利を埋めて作業するなら、一度にしたほうが自然だろうと思うし、そもそもどこまでがマンホールに影響するかの判断基準も明確ではないのだ。
まぁ、あまり拉致が空かないので、とりあえず用地課にいって、同じ話しをしたら、赤線部分は各地区に管理委託しているので、区の役員さんに陳情して、申請すれば砂利などの資材は市が提供しますとのことだし、さらには合併前の旧町役場側の用地課が対応しますとのこと。
それにしても、見事にたらい回しだし、まったく市民に対して、なんとかしようとか、助けようという意識の欠片も無い。 民間だったら、仮に二つの課にまたがる部分に疑義があったとしても、とりあえず市役所内で協議しますとか、現場をみて判断しますとか言って、窓口も一本化するだろう。 まぁ、そんな裁量がないにしても、せめて用地課に行けというならば、同じ説明を最初からさせないように、電話の一つでもして、誰のところに行けば良いか、その人が在席しているかくらい確認するだろう。
とにかく、なんとか仕事を背負い込まないようにしようという姿勢しかなくて、市民のために自分が何を出来るかなんて、まったく考えていないのだ。
僕は、仕事柄いろいろな役所の人との付き合いが多いけど、これほど旧態依然とした、お役所仕事対応を受けたのは、実に久しぶりで、むしろ稀少品種に遭遇したような感激を覚えてしまった。
仕事をしていると、直接向き合ってる懇意のお客様やパートナーの言う事、あるいは上司の言う事を、慣れれば慣れるほど100%鵜呑みにしてしまう人が多い。 大抵なにか問題が起きるのは、こういう慣例的な状況だけで判断を下した場合で、きちんと状況確認を第三者にしたり、調べたり、別な角度から情報収集をしていれば、避けられる問題が多いのだが、それをしない人が多くて、とても気になる。
特に、いままで崖っぷちを見ずに、そこそこに順調だった人って、なにかのアイデアに周りが懸念を示すと、「いやxxxだから大丈夫です」とか「いままでも、これで問題なかったから心配なく」という人が多い。 こういう人って、ちょっと正論で突っ込まれると、「それはそうなんですが...もにょもにょ....」って感じで、反論もしない代わりに、是正もしない。
確かに、仕事って想定範囲で進んでくれれば楽だし、自分の考えだけを見つめていれば楽だ。 しかし、あえて不安や懸念材料を拾いだして、いろいろと熟慮することで、仕事の質が上がり、もっと嬉しい結果を得られるということを、経験していないのは、なんか勿体ない。 物事が順調な時は、そんなにいろいろと懸念することもないし、まさに老婆心でしかないのかもしれないけれど、日頃から必ず一つくらいは、反証的な見方を意思決定時に加える努力をしておく方が、僕は好きだったりする。 プログラムや設計も、自分の作ったものを、これでもかといじめない人の製品は、だいたい大きなトラブルになるのだ。
例えば、とても関係の強いお客様が、新しい仕事等を依頼してくれるという場合でも、僕はxxさんが言ってたから大丈夫とは片付けないし、その会社の意思決定フローや周りの状況から、裏をとるように気をつけている。 これは、公的仕事などでも、そうだ。 予算を付けるとか、これは間違いないとか言う話ほど、僕は裏をとるようになっているけれど、これって猜疑心ってやつなのかしらん。
お世話になっている歯科医の先生は、礒谷療法と言う股関節矯正でも有名で、数多くの著名人の治療を手がけている。 論理的には、体の前後左右の歪みを矯正することで、血流やリンパ腺の流れが良くなり、諸々の病気が治癒するということだ。 僕は、基本的に洋の東西を問わず、医者というか体を触られるのも、薬、サプリメントの類も苦手なので、いままではこれを施術してもらうことを避けてきた。 ところが、最近僕の紹介した元部下とかその同僚や知人達が、ここで治療をうけて、皆評判が良い。 僕は、とにかくここ半年くらい足が張ってしょうがなく、かなりつらい日々が続いていて、まぁ僕の周りでそんなに皆が評価しているならと思い、ついに今日施術してもらった。
結果はというと、僕には著しい変化を実感するには至らなかった。 この先生が日頃から言ってるのは、この療法は、合わせて日常生活でのケアが必要で、夜寝るときにも矯正(足とかを縛る)して、なるべく体が歪まない状態を心かける必要があるということだ。 また、お腹の余分な脂肪も股関節を開かせてしまうので、まず痩せなさいということで、この二つは、僕には残念ながらかなりハードルの高い要求なので、ちとこれは続けられないかもしれない....でも、明日の張りも治したいし....
今年は、とうもろこしの多くが虫にやられてしまっている。 全体として密接して定植しすぎたせいで、背が低く、実のつく位置も低かったのと、三週間来れなくて周辺の雑草が伸びたこと、湿気が高かったことなとが原因なのかもしれないけれど、このあたりはまったく推察。
それでも、綺麗そうなのを数本ずつ、先週、今週と収穫して,茹でる。 とにかく、もぎたて、湯でたては、甘さが段違いなので、それを楽しめるだけでも幸せかも。
今日は,朝に畑をすこし鋤いたりとうもろこしを収穫したりしたけれど、昼からやたら雷が鳴っていて、注意報もでているので、家でゆっくり。 しかし、雷が凄いわりには雨はそんなでもなかった。
九月に開催されるIEEE802の沖縄インターリムに際して、日本への入国ビザの必要な人達から招待理由書などの必要書類の作成依頼があり、その処理を進める。
こういうのをしていると、つくづく日本のパスポートの強さというか、信頼を感じる。 裏返して日本が、外国人の渡航に対して、まだまだエントランスが高いという見方もあるかもしれないが、僕の知る限りでは、諸外国と比べてもそんな事はないだろう。
僕が初めて海外渡航したのは、32年前にインドネシアにアマチュア無線のDXペディ(大義名分は、VUHF帯の伝播調査)に行った時だ。 この当時は、インドネシア大使館にビザの申請をするのに、預金通帳の写しだとか、航空券の写しだとか提出したり、予防接種も天然痘となにかで数種類してその証明書も必要で、えらく大変だった。
その後、仕事で訪問した中国やベトナム、カンボジア、南アフリカなども、けっこうビザの取得は手間と時間と費用がかかった。 しかし、ここ十年くらいの間に随分と変って、いまは渡航前に日本でビザを申請、取得することは、まったくと言って良いほど無くなった。
一方で、まだまだきな臭かったり、外交の火種がくすぶってるところもあるわけで、なんだかんだパスポートというのがアイデンティティのよりどころのシンボルであることには変らない。
今日は、仕事で関係するとある三つの組織間の打ちあわせが、とてもスムーズにいった。 じつは、指導的立場にある組織では、いままでの責任者が基本的に他組織との連携に消極的であったため、本来連携すべき組織間の連携が無く、仕事を進めるのにその調整にとても難航していた。 しかし、人事異動があって責任者が変ったことで、一気にこの展開が開けて、今日の打合せになった。
どこの組織でも、中間管理職の裁量判断は、人的感情に左右されることが多い。 このような非合理的なマネージメントは、内部統制ルールやワークフローの整備、第三者チエックなどで軽減することは出来るが、無くす事は出来ない。 なぜならば、感情は仕事のブロセスの初期段階から介入し,以後の道筋を根本的に変えてしまうからだ。 ということは、人によって構成される組織である以上、避けて通れない障害なのかもしれない。
こういう人的障害を減らすには、人事異動が変化をもたらす手段であることが判ったけど、でもくだんの管理職は新しい異動先で新しい問題を生じさせる可能性があるとなると、これまた解決ではない。 ということは、やはり人事効果、査定でいかにそういう感情的裁量をする資質のある人材を主要なデシジョンメーカーにしないようにするかだけど、これにはやはり360°評価とかが有効ではないかと感じた日だった。
携帯電話シェアNo1の某メーカーの現管理職と元OBの知人らと一献。 メーカーOBの知人とは、28年の付き合いだし、現管理職の知人とも20年くらいになる。 彼らとは、初期の留守番電話やコードレス電話からPHS、携帯と長いこと開発業務でおつきあいしてきた。 僕は、ある時から無線LAN関係の独自仕事に軸足を移したことから、仕事での付き合いは減っていたのだが、昨今のスマートフォンの普及、Wi-Fiと3Gの連携で、最近また情報交換をすることが多くなり、一緒に仕事をすることが出てきた。 今夜も二次会から部品メーカーの方が合流して紹介され、新しい出会いがあったけど、一期一会って大事にしていかなきゃね。
僕は、いくつかの研究会とかワークショップ、雑誌、国際会議に論文投稿をしたことは有るけれど、基本的に学術研究者じゃなかったので、いままでちゃんとした査読らしい査読を受けたことが無かった。 一応,査読付の会議とかあったんだけどね。
逆に学会誌の特集の編集を頼まれたり、たまになぜか査読依頼されたり(こはれ全部断った)はあったけど、とにかく査読課程をよくわかっていなかった。
この四月からは、山梨大学の社会人博士課程にお世話になっていて、とりあえずまずは一本ということで、某ワークショップに投稿した論文の査読コメントが今日届いた。 内容については、まぁまぁなコメントをいただいたけど、もともと、文法が苦手な上に推敲をちゃんとしていなかったので、英文についてエディトリアルなコメントがしっかり付されていた。 ^x^;;
そんなわけで、この論文を修正して、ちゃんとカメラレデイを出すのが、夏休みの宿題になってしまった。
枝豆は、比較的つくるのが簡単と言われているけれど、なぜか僕は実なりがうまくいったことがなく、いつも薄っぺらかった。 しかし,今年はうまく育っていた。 今日は、集落の夏祭りで枝豆もふるまわれるのが判っていたので、来週末に収穫をしようと楽しみにしていた。
でっ.....集落のお祭りに行く前に、ちょろっと畑を見に行ったら、トマトが倒れていて????な感じ。 最初はなぜとおもっていたのだが、人参も抜かれているし、ネギも数本抜かれている。 もしかして、久しぶりの猿の襲撃? とおもって、点検したら、なんと枝豆は全部抜かれて食い荒らされていた...
今年は、猿が来ないからネットも張らずにいて、コヨーテの尿の粉末も、先月買ってきた分は撒いてなかった。 鹿が来てるから猿が来ないのだらろうと安心していたら、お盆に先祖じゃなくて猿が戻って来てしまった....orz
トウモロコシは、もう収穫済みだったのだが、抜いて捨てた不出来の実とかがあったためか、ネットも見事に破壊されていた。
眼鏡の度数が今ひとつ合わなくなってきた感じがするのと、近い字が読みづらいのと、ちょっといまの眼鏡に飽きてきたので、眼鏡を新調した。 特別な理由がある訳じゃないけど、なぜかやたらと丸眼鏡が欲しくて、先週いつもの眼鏡屋さんを覗いた。 そしたら、ひとつだけポツンと典型的な丸眼鏡が、なんだか周りから取り残された感まるだして、陳列されていたので、即断で選んでしまった。 レンズが出来たので今日取りに行って、早速交換。 しかし、これだと眼鏡がレトロなせいで、僕まで一気にレトロになってしまったみたい。 ちょうど、この時期なので、なんだか終戦記念日特別バージョンな自分になったようで、髪の毛は別に切っていないんですが...髪の毛も切ったのかという指摘まで... 慣れるまでは まだかかりそうだなこれ。
どうも、火曜日はテレカンの日になってしまった。 今日も、朝と夜に二つのテレカンファレンス。 両方とも、1時間の会議なんだけど、時間が足らなくて困る。
特に、IEEE802.11aiのテレカンは、最近常連参加者も増えて、活発になってきて、プレゼンもそれなりにあって時間が足らないのは、とても良い傾向で嬉しいのだけど、こうなってくると二時間はやりは欲しくなる。 でも、日本時間の23:00からなので、それはそれでキツイし.....
ところで、MacOSをLionにしたら、どうもWEB-EXとの相性が悪いのは、なんとかならんだろうか....
お世話になっている歯科医のH先生の紹介で、在日フランス人の方と三人で食事。 彼はフランス籍のイスラエル人だそうだけど、日本に38年も住んでいて、日本語はぺらぺら。 たまたま、彼がいま手がけてる仕事が。僕と同じドメインなので、協業出来るのではということで紹介された。 仕事の話の段階で、既に共通の取引先の名前や仕事の話題が沢山で、改めてH先生の慧眼に驚く。
しかし、話は彼がなぜ日本に来たかという話題になったら、さらに驚く展開に。 彼は、もともと空手の勉強で若い頃日本に来たそうだ。 僕の大学の時の恩師が空手世界では有名な方だったり、以前に仕事を一緒にした事のある方達が空手関係だったのだけど、その関係で共通の人の名前が飛び出した。 僕自身は、まったく空手とは関係ないのだけど、数少ない御つきあいの中に共通の知り合いがいるなんて、まったくびっくり。
ネットワーク業界以外でも、1hopの法則が続いている。
今日のとあるミーティングでの話、こちらは話すべきことを三つくらいに絞って、それぞれ順にと思っていたのだが、相手の琴線に触れるキーワードが出た瞬間から、ひたすら話しはそっちに拡散。
まぁ、それはそれなりに対応しながらも、途中で「ところで、話は戻りますけど.....」と何度か軌道修正をしたのだけど、結局は当初の予定の話はなにもできずに、拡散したままなし崩し。
国際会議ならWe are getting a little off track...なんて言って、軌道修正できるけど、one by one のミーティングで、しかも80%を喋ることに費やす相手だと、もう何も出来ない。
僕も、はっきりいって かなり話してる時間が長いほうだけど、何かを議論する時には、聞き上手にならないと、建設的な結果にはならない。 いまや、すっかり日本を代表する企業経営者である某通信キャリアのTopは、かつて毎晩僕らとミーティングをしていたけれど、とにかく聞き上手だった。
とある公募研究の評価結果が届いた。 今回は、ある事情で急遽単独の申請になってしまったことから、恐らく厳しいだろうと思っていたら、実際に体制の弱さを指摘するコメントが沢山ついて不採択となった。
付された評価者のコメントの中に、"特許申請予定が0なのは、技術的に新規性がない"という、とても短絡的なコメントがあった。 これは評価者個人の質でもあるが、特許というものについての幻想がまだまだ強いというのを感じた。
以前にも書いたけど、企業にとって特許の効果は、
1)他社から特許の使用料収入を得る
2)他社特許への使用料支払いを抑制/相殺する
3)他社の参入、あいるは競合事業を抑制する
4)他社から特許による事業抑制を回避する
などが主なところだが、こういう効能がその出願や維持のための費用と比して語られることが少ない。
青色ダイオードとか、スーパーヘテロダインとかのように、とても基礎的な特許で、請求項の少ない良質な特許であれば、その特許が単独で上記の効果を発揮できるし、十分に費用をかけるに値する。 しかし、現在の技術の多くは組み合わせであり、特許といっても請求項の多い限定されたものが実に沢山有る。(ゴミ特許と僕は呼んでる) こういう特許の場合、塵積戦略でとにかく数をもつしかない。 先般のグーグルによるモトローラーの携帯事業買収は、モトローラーのもつ膨大な特許取得が目的というのなんかは、この戦略だろう。 数が膨大なら武器になるわけだが、当然ながらその維持には膨大な費用も発生する。 従って、零細企業でこの戦略をとることは、費用対効果の面からも、決して良い戦略とは言えない。
しかしながら、レガシーな金融系の人や学術畑の人の多くは、まだまだこいう視点で特許を評価せず、盲目的にその効能だけを信じている人が多いようだ。
一方、特許に頼らずに自分の革新的なアイデアで事業を進めるに上記の中の4)を何とかしないとならない。 つまり、自らが発見、発明した事が、後発の他社から阻害されることは避けたい。 僕は、この部分については、基本的に公知化の推進に頼っている。 つまり、論文や雑誌投稿等で、他社が出願する前にどんどん公開していくのだ。 公開したら真似されるという懸念はあるかもしれないが、字面から真似できるものだとしたら、所詮革新性のないものなのだ。 もちろん、請求項が少なくてシンプルな強い特許なら、真似も簡単だけど、逆にそれは単独でも出願するに値する価値のあるものだから、費用対効果的にも出願する。
要するに、ゴミ特許を沢山取得する戦略は、小規模事業者にとって、必ずしも経営的に優位な戦略ではなく、費用対効果をちゃんと見極めて対応する事が必要だと思う。 実際に僕も特許(PCTだった)を取得して維持していたが、数年前に維持を放棄した。
いよいよ、来月にはIEEE802ワイヤレスインターリムが沖縄で開催される。 僕は、なぜか途中からLAぽい事になっちゃって、スポサー集めやら会場のネット接続の調整から、来日する研究者のビザ申請のサポートまでしている。 そんな関係で、来月は事前準備にも行かないとならない。
今日はは、別に真面目に考えた訳ではないけど、本屋に平積みされていた「テンペスト」が目に入ったので、購入して読み始めた。 まだ,最初の方だけど、改めて沖縄というのは、文化的にも歴史的にも独立国なんだなと認識することが沢山ある。 お話的には、出足の設定などは浅田次郎の蒼穹のスバルを彷彿させる予感で、ちと楽しみ。
そういえば、本屋に並んでいた「アントキノイノチ」を、「アントキノイノキ」と空目してしまった.....(^:^);;
諸々の関係で、甲府の駅はとても良く利用する。今日も、午前中は甲府で打合せをし、大学にも寄ったあとで、甲府駅から中央線で、東京に戻った。 甲府駅のホームの待合室で電車を持っている時に、駅の南側にあるタリーズのMzoneなWi-Fi APがあって、下りホームだと電波強度が十分なのだが、上りホームだとかなり厳しい。
ところが、最近は上りホームで、APメーカーの社名なESSIDのAPが見える。 しかも、WEPもかかっていない。 さすがに怖いけど、ちょっと気になるので疎通確認したら、どうやインターネットにつながってるぽい。 こういうのは、本当に危険で、ベンダーとしては出荷時にデフォルトでWPAとかにしておくべきでは無いだろうか..
今日の午後、急にMacBookAirの画面右1/5くらいの表示が同期がとれずにぐしゃぐしゃになった。 以前のBookの時には、DDRのメモリ相性問題で、全体がぐしゃぐしゃになってハングアップすることがあったけど、Airでは初めて。 Lionにしたからせいなのか、ハードのせいなのか、はたまたメモリ? 一旦シャットダウンして再起動しても治らない。
とりあえず、Apple StoreのGenius Barを予約して、客先訪問のあとに寄る事にした。 でも、仮に修理に出してもその間仕事にならないから、これはもう、新しいAirをもう一台買いなさいという物欲の神様の啓示じゃないかしらん。 ちょうど、このタイミングでApple Storeの近くに行くというのも縁だしね。
ということで、電車で外出したんだけど、地図の確認をするために電車のなかでAirを開いたら.....がーん 液晶なおってるじゃん。 残念... まぁ保証期間中なので、暫く様子をみるか。
スティーブジョブスの引退ニュースが今朝は世界中に配信された。 ジョブスやゲイツに限らず、本田宗一郎や松下幸之助、井深 大等々、カリスマ経営者と言われる起業家は、沢山いる。
近年のベンチャー企業やIT企業にも一代で財を成した人達は沢山いるけれど、経営者としての評価は、私財や収入の多寡ではなくて、経営者として社会にどういう影響を与えたかが大きい。
評価される経営者とは、単に社長として企業を一定の規模にしたというのではなく、コーポレートカルチァを創造し、社会にその潮流や文化を根付かせた人達のように思う。 HPのHPウェイにしても、ホンダのホンダイズムにしても、経営者が引退したあとに、それが企業のカラーとして脈々と継承され、またその示した道が社会の中で持続的に価値創造をしているところが、共通している。
残念ながら創業者の引退により事業は継続しても、企業文化や持続的創造が途絶えるケースも多々有るし,場合によっては企業そのものが消滅するも場合もあるけれど、後々にその社会的役割が評価される足跡を残す事が経営者にとっては、大事なことなんだろう。
今年の味噌の天地返し。 去年の蔵出しの時に、一樽を三年味噌にした。 二夏越すのでどうなるのかドキドキものだったのだが、実に芳醇で色合いも良く、滑らかなのには驚いた。 さすがに、今年仕込みのものと違って、溜まりが多く、こちらもどうみてもお醤油状態。
味噌を保管してある床下は、なんだか完全に味噌蔵として馴染んで来たのか、どの樽も黴がなくて、とても順調に熟成している。
床下スペースは、かなり広くて、低温が維持できるので、整理してワインセラーとかにもなる。 前からセンサーをつけて、温、湿度を記録しようと思っているのだけど、なかなか進んでいないので、そろそろ考えるかな。
ということで、毎年お味噌を頒布している皆様、今年も予約受け付けますよ。 今年は、三年味噌限定50個もあります。
グループ会社の同僚とフリーディスカッション。 多角的かつし真摯に会社の課題や仕事の課題について向き合ってることが、ヒシヒシと伝わってくるのが嬉しいし、とても楽しい時間を過ごした。
たまたま、社員教育の話になったのだけど、僕は若手の教育は、体系的なカリキュラムを作って、それを若手に教えることは賛成だけれど、教育で習得した知識や技術を彼らが職場で活かせるかがとても気になるという意見を述べた。 慣習的に仕事をしているベテランは、技術であれ営業であれ、部下が自分の知らない理屈(たいていは正論)や知識を使うと、それを疎ましくおもったりすることが多い。 素直に部下の技量や知識に対して、自由にそれを駆使させたり、褒め称えたりするような器量がある上司だといいんだけど、そんなに器のでかい人は少ない。 このことは、スキルアップした部下が、そのスキルを発揮する機会を失い、仕事のモチベーションを下げる。
だとすると、細かい事は別にしても、理論や技術の骨子は、まず管理職層に教え込んで、それを体系的に理解させる事で、上司が知らないけど部下が知ってるという状況を減らす事も必要だろう。
昔から、「やって見せて、やらせて、褒める」とよく言うけど、上司がやって見せれないのは、救い用が無い。 親の背中じゃないけど、やはり教育は先人が背中で語るのが一番なんじゃないだろうか。
グループ会社の経費精算業務の合理化に伴い、指定銀行/支店での普通預金口座を開設する必要があるとのことで、今日はその説明と手続きが会社であった。
昔と違って、諸々の違法、脱法行為を防ぐために、最近は口座開設も簡単には出来ないそうで、既に当該銀行の他支店に口座のある人は、そちらの届出印なども含めた照合が必要となるそうだ。
今回は、みずほ銀行だったのだけど、僕もみずほ銀行の他支店に口座をもってたので、これに該当する。 しかし、この口座って、思い起こせば30年前に富士銀行で開設したものだという話をしていたら、周りにも同様の人が数人(皆さん年配)いた。
いまやメガバンクが数行しかないのだが、どの銀行がどこと合併したかとかって、いまとなっては結構トレビアネタかもしれないな。
25年くらいつきあいのある知人の息子さんと一献。 彼は,21歳の大学生なのだが、バングラディッシュのグラミン系のプロジェクトに参加したり、ボストンに短期留学したりしているそうだ。 最近、若者が海外に行きたがらないとか聞くけど、ちゃんとこういう若者もいるのは頼もしい。
話をきていると、とてもしっかりといろいろな事を考えていて、今後の進路などについても、いくつかのオプションを検討している
グラミンは、もともとグラミンバンクがスタートで、いまから15年くらい前に僕が発表した無線による地域情報化の構想論文をヒントに、知り合いの先生が経済学の観点から地域セル的なマイクロデジット経済の論文を書かれたりしたこともあって、僕もそこそこに知っていた。
数年前に、そのグラミンがWI-MAXによるFWA事業等に進出して、そこには、日本人投資家のファンドが出資していたりするもの不思議なものだ。
日本には、昔から無尽という仕組みがあるけれど、この前読了したテンペストには、沖縄にも模合という同様のものがあることが書かれていた。 セルとかモジュールとかの概念って、いろいろなところにあるものだ。
さて、今日 会った彼のような若者が世界で、小さなセルをどんどん活性化していくとしたら、応援したいものだ。