お取引先各位
会社合併のお知らせ
さて、弊社は、平成23年8月23日開催の臨時株主総会において、平成23年10月1日をもって株式会社アライドテレシス開発センター(東京都品川区、社長 杉原 智行)と合併して解散し、株式会社アライドテレシス開発センターは弊社の権利義務の全部を承継して存続し、弊社は解散することを決議いたしました。
このたびの合併は、通信関連機器等の開発事業を行う両社のノウハウを共有し、アライドテレシスグループとしての経営資源の効率的運用と開発技術の向上を目的に実施するものです。
今後は、両社の総力を結集し、皆様の期待に添えるよう、より一層社業の発展に邁進いたす所存でございますので、何卒倍旧のご支援ご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。
ルート株式会社 代表取締役 真野 浩
一週間ほど前に、スティーブンジョブスは、「残念ながらその日が来ました。」という、例の手紙で引退を表明したけれど、僕はの場合には、残念というよりは、ようやくその日が来ましたという感じ。
先の投稿のように、10月1日に1993年に僕が起業したルート株式会社は、同じグループ会社の株)アライドテレシス開発センターと合併して、法人としては解散、消滅します。
2005年にルート株式会社をアライドテレシスに株式交換で売却した時に、重複部門である営業、バックオフィス、製造などは、社員の転籍などにより解消したのですが、開発、研究部門だけは、諸般の状況からルート株式会社として併存してきました。 しかし、グループのCTOとして経営に参加していた立場からすると、効率的経営のためには、いち早くこの日が来るように努力をするべきだったのに、力不足でいままで時間が過ぎてしまいました。
もちろん、自らが起業した会社が消滅するということは、それなりに感慨深いものがない訳ではありませんが、感傷的なものは特にありません。 それは、なぜかというと、そもそもルート株式会社を設立した時の目的であり,経営方針である、以下の二つの事に一定の達成感があるからだと思う。
問題解決型の技術提案で社会に貢献する。
独創力豊富な技術者を育て将来にわたり、有意義な人材を育む。
ルート株式会社の現社員もOB達も、一廉の社会人として、多方面で活躍しているし、その人達が時期や時代に限らず、ルートの社員であった事にいささかの誇りをもって、ルートの卒業生と言ってくれることが、僕にはとてもありがたい。
今後は、業務はそのまま移管されるので、僕はアライドテレシス開発センターの取締役として、引き続き無線やインターネットの研究開発の推進に従事するけれど、ルートの足跡については、読み物ネタとしてこのブログに少しずつ書いていこうと思う。
昨日のルート解散の記事に対して、TwitterやFaceBookで沢山の方から「お疲れ様でした」とコメントをいただいた。 また、感慨深いものがあるというご意見もいただいて、とてもありがたいことと感じている。
まぁ、想定の範囲では有りますが、それでこれからどうするの的な疑問の方も、結構いるようですので、ちとあらためてご説明。
昨日の日記にも書いたけど、あくまで会社合併で、事業は継続ですので、まだまだちゃんとお仕事します。 もちろん、代表取締役と取締役は大きく責任範囲も異なるけれど、持ち株会社の100%子会社なので、雇われ取締役というところに差はありません。 まぁ、真野=ルート といのうのが定着しているので、ちと暫くは説明がつきまとうかなとは思います。
いずれにしても、まだまだ専業農家に転出するとか、学生100%とはいきませんので、皆様引き続きよろしくね。
我が家の横には、山側からの雨水が流れるU字溝があるんだけど、これが枯れ葉で詰まっていて、山に水が漏れている。 このためか、市道側の小道に山からの水が沢山でてきて、砂利がえぐられている。 この部分は、赤線といって、公共用地なのだが、その整備手入れは、地区の自治に委託されている。 ということで、今年の梅雨時にえぐられた部分は、市から砂利が提供されて、地区の役員の人達と明日の朝に補修することになっている。 しかし、この台風と雨で、またしても水が溢れているので、今日の昼前に小雨になった間隙を狙って、すこしU字溝をさらったら、ヤブ蚊に大量に刺されてしまった...orz
その後も晴れ間が少し出たので、昼前に畑にいって、野菜を収穫。 ちょっと収穫してなかったら、茄子もキュウリもえらい事になっていた。 これで、当分茄子だらけになりそう。
昨日とちょっと前にも書いたけど、我が家へ市道から入る小道が、山からの雨水でえぐれてしまっていた。 この部分は、農地への馬入れ(エントランス)で公用地(市有地)なんだけど、家から市道に出るには便利で、基本的に我が家の専用裏口的な場所。 こういう共有地の管理維持は、行政区(班)に管理委託されていて、市は砂利等を無償提供してくれて、あとは班の人達で修繕する。 今日は、朝7時から班の役員が7名ほどあつまって、修繕に出労してくれた。 皆、手慣れたもので、えぐれたところを埋めるだけではなくて、雨水を逃がす側溝を掘ったりして、一時間半くらいで,綺麗に修復。
そのあと、役員さん達は、防災訓練を公民館で行って、さらに同じ組の人は、そのあと隣家の法事をお寺で行い、法要の会をセレモニーホールでと、昼過ぎまでかなり忙しかった。
台風の影響はあったけど、朝の修繕工事中もお寺にいる時も、さほど大降りにならなかったのは、幸いだった。 そして、ちょうど今週読了した「愛しの座敷わらし」に出てくる田舎のおつきあいの有り難みがとても良くわかる日だったな、座敷わらしはいないけど...
修繕後の写真は、今度UPするけど、被害状況はこんな感じ。
実験に使うために、Androidのタブレットを借りたのだが、Google 認定品じゃないので、マーケットプレイス等がなくて、必要なソフトが直接入手できないとのことで、目的に合わなかった。 もちろん、他のデバイスとか連携させれば、出来ないことじゃないけど、さくっとという訳ではなかった。
これって、AppleがハードとOSを全て提供するのに対して、IBM-PC系のべアボーンとLinuxがバラバラな関係と同じ。 オープンソースの良さは、やはり自由度だけど、逆に素人がサクッとなにかするには、やはりめんどくさい。
PCの世界でいう、WindowsPCみたいに、Googleが確実に一定水準を保証してくれるものと、そうではない有象無象を分ける言葉はないのかしらん?
仕事で横田基地にあるグループ会社を訪問。 横田のベースに行くなんて、30年ぶりくらい。 青梅にある会社に通っていた頃は、基地の横の抜け道をよく通っていたし、クリスマスシーズンにネオンみにいったり、ニコラスにピザ食べに行ったりしたけど、もう四半世紀も前だ。
久しぶりに青梅線に乗って、Yumingの「雨のステーション」とか、「LAUNDRY-GATEの想い出 」とかが頭を過ったりと、なにかと想い出深い場所に、なんとなく懐かしさを感じた。
仕事の方は、グループ会社が基地内で通信事業とCATV事業をしていて、ちょっと気になる事があってヒアリングしたんだけど、懸念がクリアーされたので、一安心。
基地に入るには、基地内の人のエスコートが必要で、入り口で手続きをするんだけど、入構出来ない国籍が掲示されていて、それをみていたらEUでなぜかフランスがNG、これって何なんだろうかとちと不思議だった。
再来週のIEEEのミーティングの準備で、九州の研究チームとともに、那覇へ。 羽田-那覇便は、最近なかなかな乗る事のない747だった。 しかし、もう那覇便って完全にリゾート気分満載、しかも満席。 会議場に到着して、回線疎通等を確認したけど、なんと肝心なルーターが到着していない.....発送したベンダーの方が追跡したら、なんと船便に乗せられたそうで、明日の到着とのことで、今日はNTTの方が回線確認と設定をして、終了。
ホテルに戻ったあと、コンベンションセンターの方の案内で、沖縄料理の居酒屋。 おすすめの泡盛と沖縄料理を堪能してから、那覇のお約束でジャッキーのステーキで〆。
ルーターの到着待ちのため、とりあえずコンベンションセンターに移動して各自内職。 その後、コンベンションセンター近くの"うみちか食堂"で昼。 当然のごとくソーキそば、沖縄なまりでは"すば"となるらしい。 その後、佐川の営業所にルーターを取りに行く途中で、これまた定番のブルーシールでアイスクリーム。
待望のルーターは、予定時刻から15分遅れで到着し、速攻でコンベンションセンターに戻り、セットアップ、無事に疎通、動作確認終了。 一番早い人の帰り便が、レンタカーを返したりを考えるとギリギリの時間だったのだが、どうにかこちらもギリギリで空港についてセーフ。 僕も、とりあえず早い便の空席待ちをしたら、幸いに乗れたので、予定より一便早い飛行機で羽田に帰京。 さて、これであとは再来週の本番の時に、天候が崩れないことを祈る。
かつて、僕の会社に最初に出資してくれた某通信キャリア出身の先輩と一献。 かつての順国営キャリアに彼がいた当時、とても早い意思決定で、無線ルーターの事業に出資かつ協業してもらった。 その当時、民営化されたとはいえ、まだまだ役所的な雰囲気のある事務所に夕方に訪ねたら、いきなりビールが出てきて驚かされた。 もちろん、会社のルールでは、そんなことは認められていなかったのだけど、それが彼のスタイルだった。
数年前に退職されて、いま独立企業として新しいベンチャーを起業されたのだが、その事務所を今日の夕方に訪問したら、あいかわらず缶ビールが最初にでてきた。
彼は、on/offの切替も、意思決定もすごく早い人で、職場の一角で飲むといっても、それは仕事をしながらではなくて、本当に懇親の時だけだし、それもズルズルではなくて、缶ビール一本飲んだら、さっと外に場所でを移して、一献となった。 確かに、コンプライアンスや会社のガバナンスでは、いろいろと厳密に管理することは必要だけど、個人の管理、判断能力があれば、それは柔軟に運用されることも必要なのだが、こういう裁量の大きな人が最近はいないのが現状だ。
個人のビジネススタイルに依存しすぎる会社/組織は、問題だけど、個人のビジネススタイルを活かせない会社/組織も同様に問題なんだろう。
第一回ネットワーク仮想化シンポジウムに参加。 ITRCでネットワーク仮想化分科会の副査をしている関係もあり、セッション2のチェアを拝命したけど、これはまぁ司会するだけなので、仕事のうちに入らない。
今回は、アメリカのGINI関係者なども沢山参加していて、なかなか豪華な顔ぶれだ。 それにしても、ネットワーク仮想化は、やはり技術シーズが先行していて、ニーズがまだ見えない感じが強いし、シーズ側の視点から示される利点も、総花的な感じ。
間違いなく、新世代ネットワークとか、ポストIPとかいうのは、トレンドだろうし、物事は常にスパイラルに逆ぶれするのだから、こういう研究が盛り上がる事は、きっと意味がある。 すぐにニーズ、キラーコンテンツが示しにくい研究だからこそ短期の成果展開ではなくて、中長期なテーマとして、公立大学や研究機関が取り組むテーマなんだろう。
実際問題、米国ではNFSを中心に、民間企業というよりはピュアな研究系の組織がリードしていて、機器などは日本のベンダーが対応していたりする。 これはは、米国のベンダーが参入しないのは、米国ベンダーにとっては、まだ市場としてスケールしないという判断があるのかもしれない。 あるいは、日本の大手ベンダーは、ビジネスユニットの戦略に研究部門が強くリンクしないというところの違いもあるのかもしれない。
それにしても、時間の制約はあったとはいえ、こういうシンポジウムで、日本人の議論への参加が少ないのは、ちと気になった。
カーナビのHDDにiPadに入ってる音楽をコピーしようとおもったら、SDカード経由じゃないと出来ないらしい。 たぶん、iTuneとかのコンテンツっていうのは、単純にコピーでは取り出せないのかと思うので、はてはてどうしよう。 ちょうど、iPhoneは、もう使っていなくて、SBの契約縛りも切れるので、これを車載専用にするかな。 iPhoneとかは、USBでカーナビに直接つなげると、楽曲名とかもそのまま表示されるので、おそらくこのほうが便利かもしれない。 まぁ、手慣れた人はリッピングとかするんだろうけどね。
今日は、朝から一日、畑の整理、なんとか白菜の定植と大根等の播種の準備が整った。
標準化と合わせて、試作的な実装をすすめているIEEE802.11aiは、来週の沖縄インターリムで、協業しているCSR等とデモ をする予定で、その準備をしている。 しかし、無線LANは、結構実装の癖があって、一度つかんだ電波をなかなか離さないとかで、なかなかデモの見せ方が難しい。 Pingとかをつかって、ベタに見せることは簡単だけど、専門的じゃない人にも判る見せ方が、どうしても重要になる。 ということで、限られた時間とリソースの中で、試行錯誤した結果、まぁ体感的にあきらかな差を誰でも判るような方式に何とかたどり着いたので、一安心。
今夜もテレカンだったけど、どんどん参加者が増えて、いろいろと新しい提案もあって、なかなか建設的で楽しくなって来た。
海外送金をするのに、事務の担当が事前に銀行に行き、必要な書類をもらい、説明を受けて来て、その書類をもって口座人(僕)と同行して銀行へ行ったら、ひどい目にあった。
対応した若い行員さんは、まったく要領や手続きが判らないらしく、最初にちょっと出て来て、話をしたら、暫くお待ちくださいと言った後、なかなか戻って来ない。 そのうち、一度もどって来て説明をはじめたけど、10万ドル以上だと云々....あの10万ドル以下ですよって、ちゃんと数字書いてあるでしょと言ったら、 また暫くお待ちください。 結局30分のあいだ、会話したのは5分くらいで、あとはひたすら待ち続けたけど、なにも進展しない。
さすがに,こちらも暇を持て余している訳じゃないので、申し訳ないが、だれが判る人に変ってもらえない? (坊や、悪いんだけど誰か大人の人いない的に)といったら、それなりの年嵩の人がでてきて、ものの三分で話がすんだ。
この若い行員さんは、どうも自分が判らない事を、周りに聞いたりできない人みたいで、マニュアルに乗っ取って、ひたすら本部かどこかに電話したりしていたみたい。 こういう、抱え込んじゃう人って、つらいな... これも、コミュニケーションスキルの問題なのかしらん。
今日からIEEE802.11 沖縄インターリムの一般セッションがはじまり、11aiも初日を迎えた。 先月のテレカンから某携帯用チップメーカーの大手が、いろいろと提案をしはじめて、今回も彼らのプレゼンが有る。 彼らは、もともと特許戦略がとても強い会社で、最近無線LANのチップベンダーを買収した。 その彼らが11aiに興味をもって参加してきたことは、よくも悪くも大きな事で、今後の成り行きに大きな影響がでるだろう。
いまのところは、彼らの提案は、それなりに合理的だし,共同提案者として協調するチームが組成される可能性が高いけど、特許戦略でかなり攻撃的なところもあるので、それなりに調整が必要になるかもしれない。
それにしても、こういう大手が参入してくるネタになったことが、TGaiとしては嬉しいかもしれない。
IEEE802 Wireless Interimの二日目の今日は、沖縄県主催のレセプションパーティだった。 いつも、北米などで開催される時のソーシャルパーティは、ドリンクが二杯までとかの制約があるのだけど、今日は飲み放題。 そして、なによりも沖縄舞踊やエイサーなどの余興もばっちりで、いつもは食べるだけ食べてさっといなくなる参加者が、まったく帰る事も無く最後まで楽しんでいた。
地元の沖縄の人達のホスピタリティというのは、とにかく質が高いのは有名だけど、今日もいたるところに心遣いがあって、本当に参加者に好評だった。 ひょんなことから、LAのような立場になって、いろいろと取り纏めに走り回ったけど、冒頭の仕次式という泡盛を瓶にいれる儀式の役を受けたりして、とても良い記念になった。
肝心の標準化は、まだ二日目だけど、あと三日をしっかりと乗り切りたい。
IEEE802.11aiのミーティングで、次のミーティングまでの間行なうテレカンの日程を動議決議する。 他のタスクグループは、ほとんどが米国と欧州に都合の良い時間が選ばれるが、TGaiは僕らを含めてアジアの人間も多いので、NYの朝、西海岸の早朝の時間を選んでいる。 以前は、隔週で時間をスイッチしていたんだけど、けっこう混乱を招くので、いまはしていない。
今日の会議で、このテレカンの日程決議に入ったら、中国からの参加者が,初日の10/4は中国の祝日だからと異論を唱えた。 世界中から参加しているプロジェクトで、こんな事を言い出したら、日程などたたない。 実際に、今回の会議期間中は、月曜日も金曜日も日本では祝日だ。
彼ははじめてこの会議に参加したようで、投票権をもってないけど、こういう事を言う人は、はじめてみた。 まったく自己中心的で、これが中華思想なんだろうかと驚かされた。
日曜日から開催されたIEEE802ワイヤレスインターリム沖縄会合は、今日の午前中で全ての会議が無事に終了した。 諸般の事情から急遽LA的な対応をすることになったのだけど、定常的にこの会合に参加し、チェアの一員でもあることから、会合の成功の為に多少なりとも寄与する事は、僕にとっても大事なことだったので、いろいろと走り回った。
結果的に、参加人数は307人と、予定数をクリアしたし、実に多くの人の協力のもとに、会場ネットワークへのインターネット接続などの技術的なことから、シャトルバスの運行やスポンサー集めなども、どうにかまとまった。
沖縄のコンベンションセンターや県の関係者の、高品質なホスピタリティのお陰で、参加者には概ね好評で、大きなトラブルも無かった事は、なによりも嬉しい限りだ。
準備段階から今日まで、一緒にいろいろと連絡をとりあった、スタッフの人達と、事を成したという達成感を共用できたことも、とても良い想い出になる。
肝心の802.11aiの方は、ビッグプレイヤーが参加してきて、盛り上がって来たけど、いよいよポリティックな標準化の難しさが見え始めて来た感じがする。 とりあえず、最初のドラフトの起草までが、かなり熾烈な戦いになるかもしれない。
午後の便で羽田に戻り、羽田からは車で山梨まで帰宅。 ここ10日間で、山梨-成田-山梨-東京-山梨と、久しぶりに国内で車を長く運転したけど、渋滞がなければ車も悪くない。
朝の便で羽田から香港に移動。 昨夜、いささか遅かったのだけど、ファーストクラスのシートにしてくれたので、フラットでぐっすり。 しかし、ファーストクラスの無い路線でファーストクラスのある機材を使うのって、なんだかな....こっちはラッキーだから良いけど。
香港の空港から一旦九龍の市内にでて、ホテルで打合せ。 その後、地下鉄で深圳に移動して、羅湖の駅から深圳市内の地下鉄で一駅ほど移動して、ホテルにチエックイン。 昔から何度も週泊しているホテルだけど、グローバライゼーションの波で、ここもCrownPlazaの冠が着くようになったようだ。 夜は、明日見学する工場の人も合流して、日本食で一献。 深圳にはじめた来始めた20年くらい前から、来る度にその変化に驚かされていたけれど、最近は少し変化が落ち着いて来た感じがする。 これは、成長が鈍っていることだろう。
朝、西海岸と一つテレカンをしてから、深圳郊外にある日本人経営のEMSを訪問。 ここは、20年前に射出成形からスタートした会社だけど、いまは金型、成形、板金、塗装、電子機器組み立て,マウントまで全てを内製でもつOne Stop EMSになっていて、深圳以外にも中国国内やタイにまで複数の工場を持っている。 見学した工場も、2000人以上の従業員がいるけれど、マネージメントは日本人の製造業経験者が行なっていて、すべからく安心できる体制で運営されている。 日本のQCサークルなどの活動が継承され、"カイゼン"が随所に見られる。
今日の見学で圧巻だったのは、1800tonの射出成形機で、ちょうどビジネス複合機の複雑なシャーシを成形していたけれど、その金型は複雑なスライドがたくさんあって、トランスフォーマーみたいだし、ホットランナーも沢山ある。 中型の成形機も最新のもので、こういう最新の技術を見ていると、やはり製造業はいいなぁと思ってしまう。
僕が若い頃は、自分の開発担当製品は、量試〜量産移管、製造開始までは、開発の責任として,必要な治具や試験手段の提供などもしたし、電気開発が専門といえ開発主担当としては、成形工場も金型工場も足を運んで、量産にむけて皆で取り組んだ日々が有るので、やはりこういう工場をみるのは楽しくてしょうがない。 最近の現場を知らない開発者は、やはり可哀想だ。
遅めの昼を羅湖でとったあと、羅湖駅前のショッピングモールを覗く。 自称iPhone5+なる携帯が300元で売られているのにびっくり。 Docomo SIMを入れて試させてもらった、ちゃんと発着信ができてDual SIM。 ようするに、iPhone5+Javaって...早い話がAndroidで、デフォルトのGUIがiPhone風なだけ。 しかし、りんごマークは入ってるし,箱はパクリそのままだし、挙げ句の果てに、保証書がつくというけど、これは本家のもののコピーで、当然ながら電話や住所は本家のもの。 こういうのがあっちこっちで売ってるんんだから、呆れてモノがいえない。
香港に戻ってホテルにチエックインしたあと、知人がYシャツを作るというので、おつきあいでペニンシュラのモールにいく。 知人はなんどもここでYシャツを作っていて、とても良いというので、僕も二枚ほどオーダーしてみた。 テキスタイルも沢山あって、円高のお陰てかなり安い。 二週間くらいで日本に送ってくれるそうだ。
その後、香港の旧知の知人とThe Hong Kong Jockey Clubで会食。 何度か来ているClubだけど、今夜はイタリアンのシェフが着任して、イタリアンスペシャルなディナーということで、かなりの賑わい。 いつも、落ち着いて静かなダイニングなんだけど、今日は食事がイタリアンなせいか、かなり賑やかだった。 いつものことながら、彼の食事の趣味は、僕とマッチしていて、そのチョイスに間違いが無く、今夜も楽しい食事だった。
昨夜、上海の地下鉄10号線での電車衝突事故のニュースが入って来た。 上海地下鉄では、ちょうど三年くらい前に車両内の情報提供システムや監視カメラの接続のために、僕らの無線LANシステムの提案を行い、工事中の八号線のトンネルなどで実験をしたので、いささか縁が有る。
今回の事故のトリガーとなったのは、信号系でシグナリングシステムというやつで、僕らの関わっていた監視系や乗客向け情報サービス系とは別だけれど、きっと地鉄公司の知り合いの数人は、今度の事故について何らかの責任をもつものだろう。
僕らは、香港の地下鉄公司向けに、香港ディズニーランド線の車内の常時監視を行なうため、列車と駅事務所の間を無線LANで接続するシステムを導入し、その後空港内の移動電車にも導入し、幸いに無事故で長年利用していたただいている。 この一連の仕事の最初に、香港地下鉄の九龍と香港の間のトンネルで、深夜に試験などを再々したのだけど、とにかく驚いたのは信号系に2.4GHzのFHを使ってたことだ。 結局、僕らの監視系はこれとの干渉を配慮して5GHz帯に変更となったのだが、もともと信号系のようなものにISMバンドを使う事が、まったく信じられなかった事を思い出した。
その後の中国の実験でも同様に、信号系が2.4GHzISMを使うというので、関係者にはその危険性等を説明したりしたけれど、彼らはそれに耳を貸すことはなかった。 こういう問題は、機器やシステムを納入するベンダーの責任もとても大きいではないだろうか? 安心、安全というお題目を掲げて、悪戯に電波資源を寡占するのも問題だけど、安いから、普及しているからということで、なんでもかんでも無線LANというのは、もっと問題だろう。
数日前に製造業は楽しいということを書いたけど、今日は通信業界系なエンジニアと一献。 彼は、商業ADSLの老舗で、その立ち上げ時からエンジニアとして関与していて、当時NTTの局舎にDSLAMのカードを持ち込んで収容回線開通などをして廻っていたそうで、こういう立ち上げ時期の技術開発かやサービス開発に関わったエンジニアは、本当にモノの本質を理解しているので、他の仕事でも展開が早い。
僕は、自分の起業も含めて,いくつかの通信事業/放送事業などのサブスクリプションモデル型事業の立ち上げに関与したけど、これはこれでまたいろいろと面白かった。 特に、各種規制や制度設計と事業の整合を求めて、監督官庁と調整したり、新しいサービス企画などは、製造業とはまた違う盛り上がりがあった。
でも、こういう通信/放送事業の話って、振り返るとなんだか遥か昔の事ように思えてしまうんだけど、たかだか最近12〜15年くらいの話でしかなくて、その割には懐かしめるし応用出来るネタが沢山あった。
結局のところ、製造業もサービス業も創造する仕事は、僕には面白いということだ。
既に、このBlogでも書いたけど、本日がルート株式会社の最終日となった。 最終日といっても、特段の変化があるわけもなく、朝からいくつかの打合せを淡々と行なったあと、夜はOB/OGを含めて、いろいろとお世話になった人達と解散パーティ。
現役、グループ会社への転籍組をはじめ、OB/OG/株主やほとんど身内な仲間等、総勢50人くらいが集まってくれた。 パーティの途中で、創業パートーナーであり、いまも現役のYさんが会社の歴史を振り返ったパワポで、この18年半を振り返ってくれたのだけど、自分の仕事の歴史を第三者に客観的に整理し、解説されたのはとても新鮮だし、嬉しかった。
また、OBの有志が、記念にTシャツを作って、参加者に配ってくれたのも、とても良い記念になったし、遠くリトアニアにいる元社員からのメッセージなどもあり、楽しい時間が過ごせた。
振り返ってみると、とにかく18年半にわたり、自分でいうのも何だけど、技術的にはかなり面白い、尖った事を、よくこれだけ自由気ままにやっていたものだと、半ば飽きれるとこもある。 しかし、今日来てくれた人の中には、学術研究系の者も多くて、そういう人達にある時期いろいろなチャンスを与えることが出来、それが彼らのスキル形成に少しでも役立っているようなので、一安心だ。
さてさて、なにはともあれ、これで形式的に一区切りつけて、明日から(既にこれを書いてる時点で今日)、また新しい挑戦を始めよう。
というわけで、いままで、ルートに関わった全ての人に改めて感謝の意を表するとともに、これからも引き続きよしろくお願いします。