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2006-10-11 議論集約

_ [仕事] 悪魔の証明

   仕事で、相反する二つの主張の正否を判断する必要に出くわした。 片方がある事象の存在を主張し、他方が存在を否定している。 存在を否定しているほうは、否定根拠として他の排他的な関係にある別の事象の存在を主張している。 こういう場合、悪魔の証明的に、互いが存在すると主張している事象について、客観的判断が可能な証明をする必要があり、存在を否定する事象について否定証明を求めるのは非効率だ。 こういう、古典的手法による物事の整理は、仕事を進める上では、大変に役立つものだ。 たとえば、ある商品企画について、"これは絶対に売れますよ!"と言う営業と、"そんなの誰も買わないよ!"という開発がぶつかることは良くある。 この時、売れるといっている営業が、その論拠を客観的な判断ができるように示すことが、合意形成の手法であり、"誰も買わないなんて言うのは証明できるのかよ!"なんて言葉で、突っ込みあっていると埒が明かない。 こういう意味では、何事にも否定派というのは、常に気楽に論評者として登場しやすく、無責任に否定論を発することが出来てしまう。 このように考えると、論理的に物事を進めるのは、簡単なように思えるのだが、実際にはそうは行かない。 その理由には、命題の複雑さと曖昧さがあるのだろう。 たとえば、"みんな"とか、"誰も"なんて言葉が入り込んだ時には、その言葉の意味、範囲を相互に共有できるかで、曖昧さは大きく変わる。 子供のおねだりではないが、"学校の子は、みんな持ってるんだよ"、"みんなって、誰なの?"、"うーん..." みたいな会話で、曖昧さを排除することも、議論集約には欠かせない。 もっとも、僕の場合、"1,2,3,沢山"なので、みんなとか、誰でもという場合には、3つのユニークな固有名詞が示されれば良いと、いつも思っている。


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