最近は、多くの行政サービスや手続きがインターネット経由で行える。 今年も、確定申告のシーズンになり、申告書の作成は、国税庁のホームページの申告書作成コーナーを利用して行った。 e-Taxが推奨されているのだけど、これは準備も手間もかかるので、なかなか踏み切れない。 今年は、個人で使ってるPCがWinからMacになったので、いささか不安があったのだが、さっくりと去年のデーターの読み込みもできて、特に問題ないようなので、一安心だ。 NPOの事務処理系のシステムは、今月からバージョンアップしろということで、その準備をしたのだけど、こちらは、相変わらず今ひとつ。 行政サービスは、システムによって、サービスシステムの質が大きく異なるけど、こんご益々こういうサービスが増えていくので、時間とともに洗練されていくことを期待。
同僚と夜一杯やりながら話題になったのは、論理的な思考が出来る人と出来ない人は、いつどこでその性質の差が生じるのかというこだった。 僕の周りには、論理的思考が苦手な人と得意な人がいるけれど、得意な人がどこかで特別な教育を受けているという例は、ほとんどない。 となると、いつ、どの時代にこういうスキルは身に付くのだろうか? 大学のゼミの時に、周りの人は既にの得意、不得意の差が現れていたので、もっと前だろう。 しかし、学校教育でこういう事が、体系的になされていた記憶はない。 となると、物事を論理的に解析したり、思考を構成したりする性質というのは、どうも教育ではないどこかで育まれるのだろう。 でっ、僕は、なんとなくだけど、躾とか家庭環境とかが大きいのではと思ったわけだ。 家庭とかで子供に対して、親、兄弟など多くの知識や経験のある大人が、きちとん一人の人間として対応してきていれば、子供の頃から大人びたとは言わないが、物事を論理的に考えたり説明したりするのが当たり前になるのではないだろうか? それに対して、子供を子供として、出来ない、させないという対応で接して来てしまうと、物事を考えることなく、想像力も欠如していくのではないかと漠然と思った。 すくなくとも、個人のスキル、バフォーマンスの天性の差という安易な結論にはならないと思うのだ。 本当に、いつ身に付くのかな?
アカデミーで海外映画部門賞になった おくりびと の流行が凄まじい。 連日のTVや雑誌、ロケ地の観光ブームと、その経済効果は、本当にすごいな。 他の映画祭で、日本映画が金賞などになった時とは、圧倒的にスケールが違うのは、やはりアカデミー賞のもつネームボリュームなんだうろか。 題材的にも、時代劇でもアニメでもなく、広い層に受け入れやすいのかもしれない。 既に、本屋の店先には、納棺夫日記が平積みだし、納棺夫に成りたいという希望者まででているというのだから、ブームというのは怖い。
それにしても、すっかりこの話題になってしまって、ところで今年の作品賞が何で、主演・助演、男優賞、女優賞が誰だったかなんて、ほとんど話題になっていないのも、なんだかなぁ? 『スラムドッグ$ミリオネア』って、どんなんだろうと、一応気にしてみる。
ITS特別研究会で、パネルディスカッションを行う。 今回は、メディァフリー環境がキーワードで、通信デバイスやメディアに依存しないシステムでITSは実現しうるのかと言う話。 まぁ、いつもの持論で、モジュール化しアプリと物理層の分離をすることが、成長の鍵だというスタンスで話をさせてもらった。 もっとも、技術的には十分に可能であっても、ビジネスとしての普及には、まったく別のインセンティブが必要だし、制度的な制約もあるという指摘もさせていただいた。
それにしても、もう何年も続いてるITSだけど、結局のところ大規模なセクターが形成されているわりには、爆発しない。 2003年頃の電子通信学会のシンポジウムでも、この点について話をしたことがある。 ITSというと、一般の自動車がユビキタス的にネットワークに接続される事が、いちばんシンボリックなシーンとして期待される、しかし、インフラを提供する側と端末(車)を提供する側の間に、Wi-Winなモデルが見いだせない現状では、いつまでたってもブレイクスルーはしないだろう。 車を作り売る人は、自社の車だけに差別化したサービスが欲しいけど、インフラを提供する側は、あまねくひろく多くの会社の車に接続してほしいわけだが、自動車メーカーはインフラ提供側が携帯電話と通信キャリアのように囲い込みできるものではないからだ。 こういう混沌としたITSは、はたしていつまで続くのだろうか。
昨夜は予約していた特急に間に合わず、甲府行きの特急と最終の各駅停車を乗り継いで、どうにか山梨に深夜に戻れた。 雨もあがって星空がでていたけど、気温が高いせいか濃霧で、その後明け方には強風だったのが、昼前くらいには、すっかり春めいたのんびりした天気になってしまった。 暖かいので、久しぶりに畑にいって、前からやり残していた柿の木の枝を切る。 柿の木そのものを切ってしまえという意見もあるのだけど、何となく生きている木を切り倒すのには抵抗があるので、とりあえず枝を落とすだけにした。 それでも、けっこうな量なので、こんどは落とした枝を、切る作業が積み残し。
夕方からは、地区の監査会があり、今年度の会計の確認を役員でおこなう。 いよいよ、来週の総会で二年の任期が終了する。
IEEE802.11 Plenaryに参加のため、バンクーバーに移動。 知り合いの研究者も似たような時間に、ホテルにチエックインしたので、昼食をとりにでかける。 特にあてもなく歩いていたら、ノースバンクーバーに渡るとSeaBusの発着場があったので、Sea Busに乗る。 ノースバンクーバー側の船着き場の所に、Lons Dale Quay Marketという観光マーケットがあったので、そのなかでクラムチャウダーとオイスターを食べる。 残念ながら、オイスターは、いまひとつ。 帰りは、Sea BusからSkyTrainという電車に乗り換えたら、ホテルの前まで来れた。
バンクーバーのダウンタウンは、Sea Bus, Sky Train, Bus,West Coast Expressというのが、公共交通としてあるようだ。 不思議なのは、チケットは、乗る前に券売機で購入するのだけど、少なくとも今日の行程では、それを改札するところが一つもなかった。 一応機械のゲートはあるけど、チケットを通すわけでも、みるわけでもない。 なんだか、とてもおおらか。
ホテルにもどり、レジストレーションを済ませたら、今回からは、802.11のVoting rightが付いた。
石田晴久さん(東大名誉教授、サイバー大IT総合学部長)の訃報が届いた。 僕は、直接面識もないけれど、ブログラミング書法を読んだ時の衝撃は、いまでも鮮明に覚えているし、もちろんK&Rのブログラミング言語Cには、とてもお世話になった。 おそらく、今日ネットワークやコンピュータの仕事をしている人で、K&Rに世話になっていない人は、ほとんどいないだろう。 日頃お付きあいしている学術研究者のほとんどは、直接、間接を問わず彼の門下につながりのある人ばかりだろう。 この知らせでは、世代の交代というのは、こうやって確実に訪れるのだなと痛感させられた。 インターネットの世界も、大きな世代交代の時代に入りつつあるようだ。
ご冥福を祈ります。 合掌
MAC Bookのアルミボディーって、けっこう傷や汚れが目立つ。 というわけで、incaseのHard Shellをgetして、衣替えをしてみた。 プラスチックなんだけど、表面の加工が細かい萎を打っているのか、ラバーぽいのがなかなか良い。
地上波デジタル放送のガードバンドを使うTV White Spaceの話が、IEEEでは多くの感心を集めている。 前回のInterimまでは、比較的各々のWGの中でのリサーチだったが、今回のPlenaryでは、Tutorial Sessionを含めて、かなり横断的なセッションがはじまった。
このなかで、その利用目的というかターゲットが、アメリカとカナダでは、ずいぶん違う。 アメリカは、比較的Wi-Fi的なモバイルデバイスなどに注目しているが、カナダはルーラルエリアへのバックボーン的な利用を想定していたりする。
いづれも、TV受信機への与干渉に対して、データベースをつくって厳密に制御しようという流れで、これははFCCの示しているものだ。 Unknownな数のデバイスが使われ、かつ被干渉となるTV受信機との相対的な位置関係もUnknownなので、スペクトラムマスクとかでの規制では、干渉回避ができないという理屈らしい。
しかし、これはおかしな話だ。 そもそも、TVバンドの両脇は、TV以外の無線システムが電波利用をしており、そこに対してはスペクトラムマスクでの規制で共存できているのだ。 In Band といえども、基本は一緒だし、隣接バンドに対する漏洩電波の規定をVCCIなどの規定以下にする必要は当然ないのだが、まぁ大きな電力を使いたいためが故に、こういうめんどくさい話になっているのだろう。
有線ネットワークが密に張り巡らされている現状で、高速、広帯域の通信が求められるのであれば、電波利用はどんどん小セル化していくのが流れだと思うので、White Spaceと言えども、大電力、ラージセルじゃない利用を検討すればいいのにと思ってしまう。
アナログTVの跡地利用さえまとまりきらない、日本では、まだこの議論にはいかないだろうが、来年あたりはこういう議論が日本でも始るだろう。
参加している802.11 Plenaryでは、ここ数回のface to face meetingの流れではあるが、運営方法についての再考議論がででいる。 特に、昨年からの経済的な状況によって、参加者が減少傾向にあることも、その議論を後押ししている。 実際に、会計報告をみると、一回の会合で日本円で一億円に近い運営費が発生しており、これを年間6回もやってるので、いろいろな意見がでてくるのは当然だろう。 face to face 会議の回数の削減、電子投票の導入などの運営議論がしばらくは続くだろう。
一方で、802.11hoge という標準のネタも、だんだん枯渇しているわけで、PHYとMACだけでなく、End to EndのソリューションにScopeを広げるとか言う意見も出て来て、これはこれで他の標準化団体との整合などの課題がでてくるが、ビジネスにより近くなる可能性が高いのは、注目すべきかもしれない。
それにしても、こういう体系化された標準化のスキームや運営を、日本の国内の標準化などでも、ぜひ参考にしてほしいものだ。 情通審の部会やARIBの委員会と比較すると、圧倒的にOpenだ。 こういうスタイルは、イノベーションを生みやすいし、新規参入を推進するのではないだろうか。
山梨の家の集落(上小倉班)の定期総会が行われた。 この二年間は、班の下にある組の会議代理という役で、班の役員の末席に関わっていたが、この総会で、その任期が終わった。 そのかわり、こんどは電柵(獣除けの電気柵)の管理という役が回って来た。 まぁ、定住40世帯に満たないこの集落では、なんらかの役がないことはないのだ。
この総会では、総会に先立ちお寺の住職が地祭りを行う。 これは、土地の神様に、五穀豊穣などを祈願するものだ。 これは、毎年のことなのだけど、今年はさらに総会に先だって、集落の田圃の片隅にある石碑に、祈祷をしてもらった。 これは、近くの道路を工事した時に、工事業者が誤ってこの石碑を壊してしまい、その修繕をしたうえで祈祷代を村に寄付していたので、その分で別に祈祷をお願いしたわけだ。 しかし、この石碑が何のためなのか、どういう伝承があるのかなどは、残念ながら誰も知らないらしい。 今日、住職が側面にある年号を見て、天保5年と書かれていると、年号だけは判読できた。 天保5年ということは、1834年だそうだから175年前に置かれたものらしい。 天保の大飢饉というのが有名だけど、それより前のようだ。 こういう石碑一つとっても、きっと調べだしたらきりがないくらい、いろいろと連鎖がでてくるのだろうなと歴史の重みを身近に感じた。
MS-Officeとの互換性で悩まされているものの、Open Officeとかもそこそこに使いつつ有るのだが、やはり過去のパワポとかの資料修正でいちいち苦労するは辛い。 あまりに、良い評判がないし、先行きに不安も有るのだけど、とりあえずOffice Macを買ってみようかなと思って、Apple Storeのサイトをみたら、期間限定20%Offとかやってる。 ユーザーレビューは、星二つしかなく、悪評だらけなのだけど、比較的高度なファンクション問題(マクロが使えないとかVBが使えないとか)なので、最低限のドキュメントの修正とかは良いのではと淡い期待をして、クリックしてしまった。 はたして、どうなることやら。
声優の養成学校を主催する、声優・俳優のNさんと仕事をする。 打ち合わせの後、ちょっとしたトークを録音させていただいたのだが、やはり声の質が、根本的に違う。 お腹の中から発生された感じの、とても響きと奥行きのある声は、訓練している人だけがもつ、素晴らしさだ。 Nさんは、巷に氾濫している、専門学校の類いが高額な入学金や授業料を取りながらも、声優や俳優としての仕事への道を持っていないことがあるという現状をとても憂いでいる。 そして、声というのは、誰でもが世界で一つだけもっている個性で、それを活かしたいという人に対して、小さな灯台の火をともしたいということで、いま声優学校の分校の設立準備をされている。 Nさんは、数多くのアニメや映画、TVドラマで活躍されていて、僕にとっては、なんといっても、エースをねらえ!の宗像コーチの声が印象深い。 というわけで、今日彼の声を聞いていたら、「この一球は絶対無二の一球なりされば身心を挙げて一打すべしこの一球一打に技を磨き体力を鍛へ精神力を養ふべきなりこの一打に今の自己を発揮すべしこれを庭球する心といふ. 」 ってのを思い出してしまった。 コートに立たなくては(笑)
国際標準化、知財戦略に関する会合に出席する。 ここでは、分野別のグループに分かれて、ひろく議論をしていて、ITSの分野の会合に参加している。 今回は、関連する技術や特許について、データベース化し、類型分類したデータを分析した結果の意見交換があった。 特許や技術トレンドについて、類型化、時系列、国別などにマッピングし、可視化することで、その動向がとても判りやすく見えてくる。 ただし、特許の用語や類型項目を間違えると、なんとも怪しいというか危険なデータとなる。 今日の会合でも、技術のキーワードの類型化が、どのレイヤーの事なのかという分別が無い部分があり、いささか混乱する可能性を見いだした。 技術の議論をするうえで、どこの層の話かという切り分けをする事が、とても重要だと再認識した。
今年度の研究で、WiMAXをエントランス回線に使い、小規模な集落の中をFTTHで接続をするというシステムの検討をしている。 この実証実験で、マルチキャストをつかって、ビデオのライブ信号をWiMAX上を通して、集落側にあるマルチキャストルータに送り、その先にある各家庭に配信するという実験を行った。 あたりまえのことだけど、予定どおりにチャンネルの数xチャンネルあたりの帯域だけに消費帯域がアグリゲートされるので、1Mエンコードの画像四本くらいを配信しても問題はない。
今回は、技適のとれているP to MPなWiMAXのシステムを使ったのだが、免許制度の関係でコンダクティブな環境だけでの実験となっている。 しかも、今回利用した機器は、試作品なので、残念ながら挙動も不安定な部分が有る。 地域WiMAXでは、モデル3としてP to Pで、両端に高利得アンテナをつけるというモデルの技術基準も制定されているが、このような用途の機器が市場に無い。 地方のラストマイルについても、地域WiMAXで、FWA的に安心して使える機器がないのが現状だ。 結局は、地域WIMAXも16eに限定されてしまったことが、痛いのかもしれない。 欧米では、16dが量産され、実際に数多く導入されているのだが、日本だけが夢のような魔法の技術を待ち続けて、電波の死蔵が進むのかとおもうと、やはり後悔の念が残る。
社外取締役を努めるCATV会社の番組審議会が開催された。 これは、放送局として自主放送番組などもあり、その適正をチェックする機能の審議会で、法律により設置が義務づけられている。 放送や通信事業が、規制緩和をされたとはいえ、諸々の法律でいろいろな制約があるのは、その業務が社会に対する影響が有り、公共性が求められるからなのだ。 そして、放送局では、報道としての公平性というのも、とても重要なものとして求められる。 ネットでのTV配信も大きな影響力を持つのだけど、TVはデマドレスで情報が浴びせられるというのは、やはり大きな差だろう。 そんな意味で、放送事業と言うのが、制約を受けるのは当然かなという気がしている。 また、一方で報道機関としての独立性というのも重要で、番組編成に特定の地位や関係のある人が注文をつけたり、番組内容に干渉したりするのは、とても大きな問題となる。 こういう、放送の公共性とか報道の自立性みたいなことを、地域のCATVがきちんと地域の人に理解してもらうのは、なかなか難しい面もある。 それでも、こういう審議会などをふくめて、少しずつ啓蒙をしていくことが重要だろう。
昨夜から宿泊していた、元部下達も昼前には帰宅したので、午後からNPOの事務処理をし、夕方からは地域の新旧役員の引き継ぎ会合に出席する。 今回の引き継ぎは、班の役員の引き継ぎなのだけど、これとは別に、来月には財産区の引き継ぎというのがある。 この日記にも、何度か書いているが、こういう地域の構成単位というのが、かなり判り難い。 実際に、僕は、この日記の中でも、自分の住んでいる集落の事を"地域"とか"集落"とか"村"とかいう表記をしているけれど、これは感覚的なもので、正しい行政の呼称ではない。 正確には、市>町>行政区>班>組という階層で、僕がよく書いてる、住んでいる地域、集落、村とか言ってのは、班になる。 役員とか役員会というのも、この班の中の話だ。 慣れ親しんだ、学校の階層とかだと、学年>組>班なので、班というと組より小さいように勘違いしそうになるけど、この場合は逆ということだ。 というわけで、今住んでるいる集落は、正確には須玉町、小倉区、上小倉班ということになる。 ここでは、一つの区の下には、いくつかの班が有り、区長はい各班交代の待ち回りにより、担当する班の班長が兼任する。 今年度から2年間は、上小倉班の班長が小倉区の区長を兼任するので、今年の班長は、通常より忙しいということだ。
さてさて、先にちらっと出て来た財産区というのだが、これまた行政区とは異なる構成というか単位が存在するところが、僕にはしばらくの間???だった。 これは、前述の行政の区割りとは別に、元々その地域などで共有財産があって、その後に合併などにより行政区が組成された場合、その共有財産の管理維持は、行政の区割りとは別に、財産区という範囲を設定して、それで行うというものだそうだ。 具体的には、山のキノコの採取権収入(3年に一度入札がある)や、一部の植林された山などかある。 この財産区というのも、調べてみたらちゃんと地方自治法にその規定がある。 こういう、古くからの共有財産の管理などは、歴史的な背景に立脚していて、時代の流れとともに変化して来た地方自治の体系の中で、微妙に特例措置的な対処で残ってきているようだ。
それにしても、都心に住んでいる限りは、"財産区"なんていう言葉も知らなかったし、ましてそれが地方自治法に定められたものだなんて、まったく創造もつかなかった。
こういう事を知る度に、地域情報化の推進とか言って、都会でいろいろな議論をしていたことが、いかに現場知らずだったかを感じてしまう。
長年、一緒に仕事をしてきた機構設計の人が定年後も契約で勤務してくれていたのだけど、今日で退職となった。 退職にあたり実験室にある定盤、Vブロック、ハイトゲージなどに油をさした旨の連絡メイルが流れた。 時代の流れと仕事の内容が変わったため、最近はあまり機構設計の若い技術者が少なくて、彼の仕事も後継がいない。 ちょっとした板金加工、プラスチックの加工なども、専門の外注に依頼することになってしまうのだが、これも仕方が無いのかな。 しかし、電気設計とか機構設計とか関わらず、モノ作りをするならば、手元に試作環境が合って、サクッと試作ができるのがとても重要だし便利なので、ちょっと残念。