同僚と夜一杯やりながら話題になったのは、論理的な思考が出来る人と出来ない人は、いつどこでその性質の差が生じるのかというこだった。 僕の周りには、論理的思考が苦手な人と得意な人がいるけれど、得意な人がどこかで特別な教育を受けているという例は、ほとんどない。 となると、いつ、どの時代にこういうスキルは身に付くのだろうか? 大学のゼミの時に、周りの人は既にの得意、不得意の差が現れていたので、もっと前だろう。 しかし、学校教育でこういう事が、体系的になされていた記憶はない。 となると、物事を論理的に解析したり、思考を構成したりする性質というのは、どうも教育ではないどこかで育まれるのだろう。 でっ、僕は、なんとなくだけど、躾とか家庭環境とかが大きいのではと思ったわけだ。 家庭とかで子供に対して、親、兄弟など多くの知識や経験のある大人が、きちとん一人の人間として対応してきていれば、子供の頃から大人びたとは言わないが、物事を論理的に考えたり説明したりするのが当たり前になるのではないだろうか? それに対して、子供を子供として、出来ない、させないという対応で接して来てしまうと、物事を考えることなく、想像力も欠如していくのではないかと漠然と思った。 すくなくとも、個人のスキル、バフォーマンスの天性の差という安易な結論にはならないと思うのだ。 本当に、いつ身に付くのかな?