仕事でおつきあいのある市で、市長選挙を前に青年会議所主催の公開討論会が行われた。 CATVの取材も兼ねて傍聴させていただいた。 今回の市長選挙は、二人の候補予定者があり、その両方が登壇して、交互に政策の説明をした。 討論会といっても、直接に候補者同士や参加者と質疑応答するのではなく、時間を区切って各々の候補者が主張を展開するので、討論と言うよりは演説会のような感じだ。 このあたりは、現在の公職選挙法の縛りのなかでできる、ぎりぎりの方法なのだろうが、主催したJCの人や、NGOの人達の尽力に敬服する限りだ。
今回は立場上、どちらの候補者にも寄った感想は、述べるわけにはいかないが、はっきりいってプレゼンテーションについては、どちも残念ながらビジネスの世界には通用しないかなと思った。 これは、今回の候補者に限らず、きっと日本の政治家の多くがそうなんだろう。 論定整理、メリハリ、アクション、聴衆に対するアピール、どれをとっても、ビジネスの世界でのそれとは大きくかけ離れていた。 もっとも、聴衆もビジネスの顧客ではないので、それはそれで感じたり伝わったりがあったのだと思う。
一番も大事なのは、こういう催しに多くの市民が参加し、感心を寄せているという点で、その民意の高さには感心するものがあった。
インターネット上の掲示板の類いは、多々有るけれど非匿名のサイト以外は、有名なものを除き定期的に見ることはなかった。 最近は、仕事の関係で、いくつかの匿名掲示板をウォッチしているのだけど、いくつかの掲示板は、インターネットのコアな人達というよりは、むしろまだネット社会に馴染みの薄い人達が投稿しているようだ。 こういう掲示板を見ていると、ネット上の議論の仕方の未熟さのようなものが、とても良くわかる。 メイリングリストやかつてのパソコン通信などで、ネット上の議論や合意形成をしてきた人達とは明らかに違う。 まぁ、巨大匿名掲示板的な表現を借りれば、厨房が多く、反論ではなく、誹謗中傷、感情的逃げ口上で終わりというパターンが多い。 「反論なきは合意」「代案無き批判は却下」なんていう事を書く人も少ない。 一言で言えば、リテラシーが足りないというのだろうか。 そろそろ、Robert's Rulesのような、ネット議論のスタイルの確立とその啓蒙があっても良いのではないだろうか。 ただ、匿名のモノは、所詮便所の落書きで、落書きにはルールは無いというならば、それまでだけど。
知り合いの愛犬が、TVの番組で取り上げられた。 ちょうど、その知人の家で鍋パーティがあってお邪魔し、番組を見せてもらった。 基本的なコンセプトは、駄目な愛犬が訓練によりお利口になるというもの。 確かに、紹介された躾などにより、当の愛犬君は、いろいろとお行儀が良くなったりしたそうだけど、でももともとそんなに駄目犬呼ばわりされる風ではなかったはずなのに、番組ではかなり駄目さを演出されていて、ちょっと可哀想な感じがした。 演出とかヤラセというのは、どこで線を引くのかわからないけれど、まぁ使用前、使用後の効果を最大限にアピールしようと思えば、その差をある程度デフォルメする必要はあるのだろう。 使用後の良さだけを誇大に装飾するのは限界があるとすると、とうぜん使用前の駄目さ加減も装飾されちゃう。 今回のも、彼(愛犬君)がもししゃべれたら、こんなに俺は駄目犬じやなかったんだぞと文句を言ったかもしれないところも、ちょっとありそう。
インターネットに流れる情報には、おいおいそんなの良くやるよと思わされるものが多々有る。 昔は、Y!オークションとかは、とてもウィットに富んでいて、月が売られたりしていて、そのQ&Aがとても秀逸だったりしたんだけど、最近はそういうのがあまりない。 そんななかで、スターウォーズに出てくるDeath Starを建設したら$15,602,022,489,829,821,422,840,226 かかるという、なかなかお馬鹿な計算があって、久しぶりに笑えた。
最近は、ネットの匿名掲示板での犯罪予告とか誹謗中傷などの違法的な書き込みに対して、書き込み者が逮捕されるケースがとても増えている。 この背景には、プロバイダや掲示板運営者が、警察の捜査に迅速に協力し、ネット社会の秩序維持に協力している点があるのだろう。 また、一方で、ネットの普及に伴い、匿名掲示板などへの書き込みが、それなりに書き込み者が特定されうるものだという認識の無い利用者が多いのかもしれない。 トンネリング、フリーや匿名のアクセスポイント(無線に限らず)、踏み台などの技術を使う、セミプロ的な悪意を持った輩ではなく、お調子に乗ってしまった人とかが、深く考えずに投稿したりするのだろう。
以前にも書いた事があるけど、匿名掲示板のほとんどは、匿名性の担保というのは、どこにも唱われていないし、保証されていないと思う。 つまり、管理者がある日突然、過去の投稿も含めて、IPアドレス晒しますとか言う可能性が無い訳ではない。 そこそこに、釣れそうなネタで、匿名掲示板を立ち上げて、さんざん書かせてから、こんなことをしたりする愉快犯的な事件が起きそう気がする今日この頃。
仕事の関係で進めている地域の住民ディレクタ活動の延長で、地元の大学生とのコラボレーションをしたいと思い、以前に別なスタッフが取材したことのある学生さんにコンタクトをした。 彼は、地域交流のサークルを主催していて、廃校などで地域の子供たちとの交流などをしている。 メイルで連絡をしたところ、卒論の提出前の忙しい時期にも関わらず、気持ちよく会ってくれた。 一緒に連れてきた後輩は、去年の学園祭の実行委員長だそうで、学祭のパンフレッットとか、学生サークルで作ってるコミュニティ誌を持参してくれた。 さらには、電話で軽く狙いを話しただけなのに、自分でやりたい企画を紙に書いてきてくれた。 僕も、学生の頃は自治会活動に関わって、学園祭やいろいろな企画、サークル連合会の組成などに関わったので、とても懐かしいとともに、久しぶりに楽しい時間が過ごせた。 これから、ぜひ彼らと一緒に面白い企画が出来ればと思うと、とても楽しみだ。
昔、千葉県の館山とかで、無線によるラストマイルの解決などに関する調査研究会を一緒にした、麗澤大学のM先生の訃報が届いた。 僕と年は、ほとんど変わらない。 彼の上司の先生が退官されその記念シンポジウムが来週行われるので、久しぶりにその件のメイルをいただいたのが、つい一週間ほど前だった。 昨年の夏に、研究仲間のHさんが急逝した時も、その一週間前に久しぶりにSkypeでチャットした後で、現実をなかなか認識できなかったのだけど、今回も同じようなシチュエーションだ。 二人とも働き盛りの年での急逝で、まったく信じがたいしショックだ。 ちょうど、昨日の昼間に、役所でかつての調査研究会の話がでで、M先生の話もしたところだったのも不思議な感じだ。 とにかく、いまはご冥福を祈るばかりだ。 合掌
社外取締役を勤めているCATVの会社は、自治体から数%ほどの出資を受けている。 公共企業を第一セクタ、民間企業を第二セクタ、官民共同体を第三セクタというのであれば、第三セクタになる。 世の中では、第三セクタというと、自治体などの官がメジャーで、天下り、赤字垂れ流し、損失を税金で補填というイメージがあるようだが、このような株式会社で、官の出資比率が低い場合には、官に与えられるのは、マイナー株主としての議決権だけなので、ガバナンスに官の強い介入は出来ないし、税金で補填なんていうことの対象にもならないわけだ。 それでも、株主としては、事業の進捗も監視できるし、総会でもモノは言えるわけで、市と密接に連携してすすめるような事業体の在り方としては、なかなか良いものと思える。
しかし、そういう関係に目をやらず、第三セクタという言葉だけ知ってるような人には、どうも負のイメージがつきまとうようなのが、残念だ。
NICTの新世代ネットワーク推進フォーラムの第3回 テストベッドネットワーク推進WGに参加。 今回は、次期テストベッドに対する期待というテーマのパネルディスカッンを行った。 久しぶりに、コテコテのネットワーク屋さんたちとのディスカッションだったので、なかなか楽しい2時間だった。 今日の議論のなかでは、テストベッドは、Clean Slateで行うのか、既存技術なのかというテーマがあった。 概ね、個々の要素技術は、Clean Slateでも、共有のテストベッド事態は、既存技術に近い形で提供するしかないという意見だった。
それにしても、次世代ならぬ新世代を狙うのであれば、理系研究者だけでなく、経済学とか経営工学的な視点も必要なはずなんだけど、いつまでたってもプレイヤーが変わらないのは、すこし寂しい。
ITRC(日本学術振興会産学協力研究委員会 インターネット技術第163委員会)主催のインターネットと地域情報化シンポジウムに参加する。 今回は、長年この分野を主導されて来た林先生の退官記念の特別シンポジウムということもあり、インターネットの黎明期からを振り返る話も多かった。 そんななかで、林先生の講演では、地域情報化とICTと地域医療の関連やその取り組みに関する今後のお話があり、改めてインターネットの社会基盤としての需要性が増していることを再認識させられた。 地域医療、包括医療、病診連携などの地域医療の推進において、インターネットや地域イントラネットを活用している自治体や医師会の事例は、多くの地域の参照になものだろう。 ここでは、既にブロードバンドは、つながっていて当たり前で、それをいかに活用するかという時代にあることが前提となっている。 実際に、ブロードバンドカバー率は、既に全国の96%に達しているし、利用世帯数も黒電話世帯数の2/3に達している。 それでも、残念な事に未だに、他の社会基盤に比べると生活に密接していない感が強いのか、公設による基盤整備などには、理解を得られない人もいるようだ。 もっとも、原理主義者というのは、どの分野にもいるので、地道に普及啓蒙を続ける事が必要なのだろう。
知り合いの経済学者のブログは、相当なPVで、有名サイトの一つなのだけど、彼がイスラエルでの村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチについて書いた記事には、ことの他沢山のコメントが寄せられている。 人の言葉、人の書き物をどう解釈し、評価するかは、主観なので、解釈論に興味は無いのだけど、この件に対する興味の多さに驚かされた。 僕は、基本的に、小説の類をほとんど読まなかったのだけど、ここ2年くらいは家族の影響で、文庫本をいつも読んでいる。 村上春樹も、エッセイとか短編以外は、この1年の間にちょうど読了したところだったので、とてもミーハー的に今度のニュースも眺めている。 工学的なモノ作りに比べて、作家の社会的な影響力って、やっぱり凄いなぁと.....感心
昨日書いた村上春樹のスピーチについては、日増しにいろいろな報道が増えている。 実際のスピーチと初期に報道された抜粋では、ずいぶんとその内容が異なる気がする。 某政治家の深酒疑惑の報道でもそうだけど、報道される内容が時系列的に変化するというのは、どうも気持ち悪い。 もちろん、周辺調査や新事実の発覚により、時間経過とともに、報道の内容が膨らんでくるというのは、あたり前のことで、何ら問題がない。 しかし、スピーチの内容とか、記者会見の内容など、ある時間点において明確に存在していたものを、細切れに報道されるというのは、どうなんだろう。 もちろん、紙面の都合、スペースの都合で、概要だけを最初に伝える事には、一定の合理性はあるけれど、ネットのように時間や量を凌駕する伝達形態があるのにも関わらず、最初から誰かの主観に基づいてフィルタリングされる報道というのは、気持ちが悪い。 そういう意味では、生放送、録画動画は、はるかに信憑性が高い。
「次世代無線「WiMAX」、ベトナム全土に構築 現地の通信最大手FPT」という記事が、日経の夕刊の一面にあった。 またしても、光通信なみの速度を低価格でなんていう論調だ。 アジアでは、16d系の固定利用はそれなりに有効で、バングラディッシュなどても、ビルへのエントランス回線として利用されている事例もある。 今回の内容は、16d的なものなのか16e的なものなのかも判らない。 この記事を書いた記者は、商社とメーカーのプレスリリースを、単純に記事にしただけで、自らの裏付け取材や周辺の確認なんていうことは、一切していないとしか思えない。 メジャーな新聞の記者ならば、文屋だから技術の事は判らないなんて言う事は言えないだろうし、それなりに勉強もしているはずなのだが、どうも日経にはWiMAX信者がいるのかと思うくらい、精査のない記事が踊るように思う。 こういう記事が、世の中の技術経営に謝った方向を示唆し、技術力の低下を招いている一因になっている気がして仕方が無い。 記者の矜持というのは、ないのだろうか.....
某、老舗商用プロバイダと打ち合わせをする。 ちょうど、今日は彼らがHSDPAとWiFiの融合端末をプレースリリースしたので、比較的近い話題になる。 ここのところの、HSDPAのビジネスシーンは、とにかくMVNOだらけで、ある意味とても楽しくなってきた。 携帯電話のサービスと、データー通信に特化したHSDPAのビジネスは、うまく棲み分けが進みつつ有るようだ。 プロバイダビジネスも、これにともない徐々に縦割り型から、横割り型になりつつあるようで、成長にかげりのあるADSLなどは、アクセス網については、さらなる統合が進みそうな予感がする。
こうなると、あとはドライカッパー、ダークファィバーと同様な考えで、クリアスペクトラムとでも言うのか、電波資源の水平分離、事業政策と電波政策の分離が、大きな課題として積み残されることになる。 僕が、日経エレクトロニクスにこの趣旨の記事を寄稿してから、既に10年近い月日が過ぎているが、ようやくその兆しが見えつつ有る気がする。
社外取締役を勤めるCATV会社のある上野原市で、市長選挙が行われた。 長期にわたって市長を務めた前職が任期満了し、新人二人による選挙となった。 一人は、元副市長N氏で、もう一人は元町立病院院長E氏で、その政策は関係する情報通信事業以外に大きな差は無かった。 この情報通信事業については、税金の無駄遣い、巨額の保守費用が発生し、財政圧迫をする。 地上波デジタル放送は、国策なので何もしなくても、国が敷設するという事を強調した事業反対派のE氏が当選した。 長期政権の閉塞感に転換を求める民意が有る事は、とても判ったし、市政というのは、通信事業だけてはないので、そもそも市民でもない部外者の僕が、今回の選択を評することはできない。
しかし、とても残念なのは、地デジ難視聴対策、ブロードバンドゼロ解消という二つのディジタルデバイドに対する、理想的な取り組みをした自治体の事業が、誤った知識で政争の具にされてしまったことは、関係者として大変悲しいので、改めて、その誤認についてまとめてみる。
公設民営の有効性への誤解
上野原市の選択した公設によりインフラを導入し、IRUによって民間に貸与し、運営を行う手法は、中山間、過疎をふくむ地域では、有効な手法であることは、既に多くの地域で実証されている。
保守費用の誤解
上野原市の場合、IRUの伝送路賃借料収入は、年間保守費用よりも高く、実質的な保守負担は、発生していない。 しかも、インフラの一部は、IRUで貸与しない行政用なので、保守費用の実質的な大幅軽減となっている。 残念なことに、反対された人は、発生しない減価償却費などを無理矢理積算して、総事業費の1/3近い年間維持費がかかると主張したが、こういう数字がそれだけ一人歩きをしてしまったようだ。
第3セクタの誤解
CATV/ISP事業者には、市が2.6%程の出資をしている。 このため、広義には第3セクタということになる。 ここで、第3セクタという呼称は、あたかも事業の多くを行政が税金で損失補填をしてまで支える事業だというような印象が強い。 ところが、この事業者は、純然たる株式会社であり、市以外の出資者は、民間であり、実態は巷でイメージされる第3セクタとは大きく異なるのだが、ここでも"第3セクター"という言葉のイメージが一人歩きしたようだ。
イメージと実態
つまり、市は実質運営費が限りなくゼロで、二つのディジタルデバイドを解消し、しかもその原資起債も、合併特例債という有利な方法を用いたので、行政マンとしては、大ヒットだったのに、その実態を市民に説明する説明責任を全うしきれなかったのではないだろうか。
結論から言うと、多くの大衆には、精緻な実態よりもイメージをもって、訴えることがとても有効であったということだろう。
今後
E氏は、事業の中止も含めた見直しを、公約に掲げていたが、ここから先は、そのイメージ戦略ではなくて、具体的な手法を自ら実践していく必要がある。 IRUの解消や合併特例債事業の中止を行えば、賠償金や交付金の返済が発生するし、そもそも、税金の無駄遣いと訴えた積算根拠が、実際に存在しないとなると、代案無き批判をしても、市政に何の益も生まれない。 イラクに大量破壊兵器があると言って、さんざん叩いて政権を得たものの、大量破壊兵器がなかったのと同じだ。
それでも、民意に応えて実態を正しく把握し、公開できた事に意味を見いだすというのがゴールだろうか?
つまらない、意地の張り合いなどによって、折角の地域の情報化基盤が、失われたり、遅滞したら、一番の被害者は、市民であることは間違いないので、そのような事には、ならないように関係者として努めたい。
今年度、東北総合通信局のSCOPEで採択された二つのディジタルデバイドの解消を、WiMAXと地域内FTTHで行う研究の実証実験の為に、岩手県立大学へ行く。 この実験は、エントランス回線にWiMAXを使って、20世帯などの小さな集落の中を、自営の光で接続するという手法を検討している。 先にも書いた上野原のように、山間部まで基盤整備が出来ない地域での課題解消のための研究テーマなのだが、実用化には、まだ相当課題が残る。 やはり、通信を利用したTV放送は、残念ながら現時点では、それなりの帯域が必要だし、制度的な制約もあるので、TV放送とブロードバンドを、全てIPで行うのは、ビジネススケールのある都心部に限られる。 一芯線であれ二芯であれ、TVはTV、IPはIPというのは、やはりメンテナンスも含めて、最も実用的だと再確認する。
それにしても、蕁麻疹がなおらない....
新世代ネットワークにむけた、運用、技術、研究開発に関する国際シンポジウム- 平原正樹氏を偲んで -に参加する。 このシンポジウムは、昨年急逝した平原さんを偲んで、研究仲間らが企画したものだ。 僕は、2000年に彼とあってから、モバイル系のベンチャーキャリア事業を行い、その後彼がNICTに移ってからもSimpleプロジェクトなどで、一緒ににインターネットのモビリティに関する研究を一緒にしてきた。 今回、シンポジウムに参加の方々からは、日本のインターネットの黎明期からNICの立ち上げなどに尽力した彼の足跡が紹介され、あらためて彼の人として、研究者としての偉大さを認識させられた。 あの大きな体で、いつも朗らかに、豪放磊落なんていう言葉がぴったりのくせに、とても細かい気遣いをする人だった。 特に、学生や若い研究者の面倒をとてもよく見ていた。 なんだか、今日になっても、まだ彼が他界したというのが、ピンと来ないんだけど、きっとどこかで見てるんだろうなと思っている。 Simpleというキーワードは、彼もとても好きだったし、最後に彼が従事していたAKARIプロジェクトでもキーワードになっていた。 僕も引き続き、Simpleなネットワークを目指していきたい。
基本的に、このブログは、固有名詞はださないのだけど、今回は別。
昨日に引き続き、平原さんの追悼をかねたシンポジウムに参加。 今日は、WIDE/慶応大学の村井純先生、韓国のKTからJae Hwa Leeさん、早稲田大学の後藤滋樹さんの講演があった。 村井さんには、かつての平原さんらと立ち上げた通信事業会社の時にも、顧問をしていただき、設立記者会見では、とても貴重な励ましをもらったが、この時も平原さんが舞台を整えてくれた。 今日も村井さんは講演の中で、その時の起業仲間のイニシャルをもじって話てくれた。 まぁ、あの事業自体は、中止になったけど、その技術や考えはまだ生きているし続いていて、いまも僕らは国際標準化に取り組んでいる。 シンポジウムは、午前中で終了し、その後有志で、北九州小倉にある平原さんのお墓(神道なので霊廟というのかな?)に移動し、祭礼をしてもらった。 ご遺族の計らいで、皆で実家に伺うことになり、丁寧なおもてなしをいただいた。 今回のシンポジウムでは、やはり生前の彼の心意気を参加者がそれぞれ感じているのがとても判ったし、僕にとってもとても勇気をもらうことが出来、あらためて彼に感謝をしたい。