報道によると、経済産業省は、上場企業のコーポレートガバナンス(企業統治)向上策として検討していた社外取締役の設置義務付けを見送る方針を決めたそうだ。 日本経団連などが「機能しているかどうか疑問がある」などと反対していたようで、まぁ景気動向もふまえての判断だろう。
コーポレートガバナンスやコンプライアンスについては、資本と経営が独立し、かつそれなりのレベルにある企業ならば意味があるが、上場、非上場を問わず、パパママ商店的な企業には、なかなか理解されないし、意味が無い。 企業は、その規模や成長過程によって、経営の質というか重点も変化するので、一律にガバナンスの形態を決めれば良いものでもないだろう。 戦後の電気業界の雄である某S社では、創業者のカリスマ的経営が伝説的に評価されているが、そのカリスマ経営者の足跡を今日のコンプライアンスやガバナンス理論に当てはめてみれば、局所的には決して望ましいものではなく、極めてワンマン経営だったようだ。 ただし、その紆余曲折のなかで到達した、あるいは到達しようとしたものが、今日求められている形態に近いことであり、それはかの経営者の先見性であり、裁量の深さだったのだろう。
景気が悪くなると、経営者の裁量というのは、露骨に表面化するもので、毅然として動じずに信念を貫く者もあれば、あたふたとその場主義的な采配をふるう者との差を大きく感じる。 ご都合主義的に、経営理念を代えるのは、臨機応変ではなく、所詮裁量のなさであったり、浅慮の結果なのだが、これもまた人間なのだうろ。 自分も動かざる事山のごとしといきたいが、なかなか難しいものだ。