今日は、部下の奥様の葬儀に参列。 教会式で厳かに葬儀式が行なわれ、牧師さんの話などを聞いていたら、なんだか色々な事が頭の中を駆け巡った。
ちょうど、数日前に1Q84のBook3を読み終わったこともあって、なんとなく死生観的なところに意識が引っかかったのかも。 失われた者は、何処へ行くんだろう? 何を残すんだろう? そして、そこにはまた何かが生まれるのだろうか? などなど なんとなく、頭の中で意識が解放されて、勝手に浮遊していた感じだ。
それにしても、村上春樹さんの小説の多くには、時空のねじれだったり交錯がいろいろな形ででてくる。 そして、それは必ず期限付きの交錯で、その期限が時間軸になっている。 例えば、ドルフィンホテルの羊博士が居た部屋、ダンスダンスダンスのハワイで僕が迷い混んだ部屋、ネジ巻き鳥が鳴いていた家の近くの井戸やノモンハンの戦場の井戸、カフカ君が迷い込んだ四国の山奥の村、ハードボイルドワンダーランドの銀座線の地下や世界の終わりの滝、そして今度の月が二つある世界もそうだ。
そこで、いっそうのこと、これらがぜーんぶ繋がっちゃったら、とんでもないワンダーランドになっちゃうかしらんという、実にくだらない妄想にまで駆られてしまった。 誰か、俯瞰図を書いてくれないだろうか。
現実にもどって、今日喪主として挨拶をした部下は、実に健気で立派だった。 実際の生活では、いろいろと大変な事に直面するだろうが、ぜひ頑張って欲しいと願う。