朝、電力計の機器メーカーに訪問した後、仙台へ移動。 仙台行きは、福岡空港の第一ターミナル発なのだけど、ラウンジは第二ターミナルにある。 グランドのスタッフが時間になると、第一ターミナルまでバックヤードを通って案内してくれた。 こういうのも、なかなか他にはないパターン。
3.11後初めて仙台を訪問するので、空から地上をみていたら、空港近くの海岸沿いは、まだまだ震災の爪痕が残っているのがわかる。 東北大学でもトレイのタイルに亀裂が入っていたりして、仙台市内でもまだまだ震災の傷跡が目立つ。
夜は、お約束の牛タンを食べて、旧知の友人がオーナーをしているスナックで再開し、久しぶりの再開を祝して乾杯。
この前読んでいた、「茗荷谷の猫」という小説は、明治維新から昭和30年代までの東京が舞台だった。 偶然にも、その後に読み始め読了した「オリンピックの身代金」は、1964(昭和39)年の東京オリンピックの時が舞台で、奇しくも時代背景がつながった。 僕は、1960年生まれで、東京オリンピックは、赤坂見附のあたりの歩道に聖火をモチーフにしたゴミ箱がやたら増えた事を覚えている。 そして、この小説にでてくるように、あの頃の東京はとにかく工事だらけだった。 しかし、僕には、その頃の日本の地方の実態なんて知る由もなく、都市と田舎の地域格差がすごかった事なんて、まったく判らなかった。 これって、北京オリンピックの時に報道されていた中国の地域格差の問題とまったく同じだし、きっとあの頃の東京といまの北京が同じなんだうろと感じた。