日曜日00:10の飛行機で羽田に向けて出発し、到着時刻は火曜日の朝5時なので、例によって日曜日は、飛行機の中だけ。 搭乗中は携帯の電顕を切っているので、付属の歩数計の履歴をみとる、歩数0という記録が残るのがなんだかなぁだ。
帰りの機中では、浅田次郎原作の「日輪の遺産」を観た。 ここ数年は、文庫本を手放せない習慣で、平積みの本をつい買うから映画やドラマの原作を読む機会が多い。 大抵の場合、先に本で読んで映画やドラマを見ると、どうしても物足りなさが残ったりする。 読書は、自分の創造力で無限に広がるけれど、映像はやはり唯物的になる。
また、これは原作の性質にもよるのだけど、そもそも脚本家とか放送作家の書いてる作品って、本自体がかなり映像を意識しているので、台詞ひとつも忠実に映像作品に反映される。 一方で,小説家の小説をあとから脚本で仕上げるものは、とうぜんフォーカスの当て方が脚本家の嗜好に傾くわけだ。
さて、今回の日輪の遺産は。僕にはまぁ物語の骨格を失わず、設定などの若干の変更は感じたけど、なかり原作に対する忠実性を感じた。
僕は戦後生まれだし、戦争を知らない世代だけど、まだ子供の頃は軍歌を平気で唱っていた世代だ。 でも、既に戦前生まれどころか戦後の高度成長や復興も知らない世代が、社会の現役の時代なので、どんどん戦争というもののイメージに距離感が生まれている。 そんななかで、こういう作品は若い世代にどう映るのだろうかとふと思った。