とある組織におけるワークフローの確認で、数人の人と個別にヒアリング。 どの人も、第一に自分が面倒かどうかを論じる。 誰一人として、組織として、業務として、本来はどうあるべきかを語れない。 これは、明らかに語れないというよりは、理解していない、あるいはそれを考える事に価値観を見いだしていないためだ。
この背景には、組織全体というよりは、個々人の保身という小さな利得が優先される、ヒラメ的社員と、それを養殖する管理職文化が蔓延していることに他ならない。
技術系では、目先のインプリとか表層的な部分の議論ができても、そもそも論を持たない人は、結果的細分化された部分設計から脱しないけれど、こういう事務的な面でもまったく同じだろう。 つまりは、物事の本質を見極めるあるいは、抽象的に理解できる力=コンセプチュアルスキルの不足なわけで、こういう人は目標とするコンセプチュアルデザインを持たないので、その場しのぎの業務か、狭範囲の仕事しか出来なくなる。
もっと大きな問題は、誰もそれを指摘したり、改善したりしない事だ。 皆が小さな分業の中で、小さな利害のために行動している事に慣れてしまうと、その行動の善悪もなにも疑問を持たなくなってしまうのだろう。
そういえば、この前読んだ伊坂幸太郎のモダンタイムズのテーマがこんな話だった。