十九日間の長期出張も、ようやく今日で終わりで、これからLAX発成田行きに搭乗する。 今回は、IETFとIEEE802の二つの会議に、会社の個別打ち合わせも重なったので、近年には珍しく長期になってしまった。 この出張の前も、上海と香港に行っていたので、この年度末のいろいろと重なる時に、ほとんど日本に居なかった。 それでも、諸々の事務処理などができるのは、正にインターネットのお陰だ。
今週は、グループ会社の商品企画のマネージャとノースカロライナで一緒だったので、かなりいろいろな話をした。僕は、持ち株会社の役を離れてから随分と経つので、あまり現状を把握していない部分もあり、こういう機会はとても勉強になった。そんななか、たまたま海外の担当からのメールとか、他の案件も商品企画的な話があったので、一つだけその辺りの雑感を書いてみる。
新しい商品企画やビジネス提案で「皆が欲しがってるから沢山売れる」という説明を良く聞く。これって、子供がおねだりする時に、「だって、皆持っているんだよ」で、「じゃ、誰が持っているか言ってごらん」と言われると「えっと、〇〇君でしょ、××さんでしょ、あとぉー....」「あれ2人だけじゃん」「ギャフン」というケースと同じ末路になることが多々有る。
これが、よくマーケティングの教科書にでてくるキャズム理論で指摘されるような、市場の傾向に存在する断層に引っかかているのなら、まだ判るのだけど、悲しいかな僕の周りにこういう話をしる人は、市場の断層じゃなくて、自分の知識と世間の断層で、こういう勘違いをしていることが多い。
この勘違いに対する解決策は、客観的なデータだし、もし本当にそのニーズがあるならば、なぜコンペディターを含めた他の人や組織が、その商品やサービスをしていないのかを、多面的に調べる冷静さが必要となる。
大抵の場合この類いは、営業系から来ることが多いのだが、これに対して技術系から来る企画でも、似たようなことがある。「これは、まだ何処もやっていない凄い技術なんですよ」というやつで、なぜ他社がやっていないのかを調べていない。この場合も、残念ながら発案者の知識と世間の状況の乖離がある事が多い。 この時も、本当に全く存在しないのか、技術的には異なっても、最終的な機能や消費者の利益は同じというものはないのか? あるとしたら、その類似のものとの比較はしたのかなどが重要となる。
いずれの場合も、こういう企画を持ち込む人は、自分の視点と視座というとても狭い世界にいることを認識していないので、市場=自分の顧客とか、自分の知識=世界の知識と思い込んでしまうことだ。 こうなるとちゃんと調べろと言われても、それを否定として捉えて、精査というプロセスをスキップして、結果的に「あーあ、それ手出しちゃったんだ」となったのを、いままで沢山みてきた。
もちろん、調べた結果、その発案者しか気が付いていない宝の山だというケースは理想的だけど、そんな最先端、イノベーションが簡単に転がっているわけはない確立の方が高いという前提で、まずは精査する事が大事だろう。
実は、僕も世界で最初とか、日本で最初とかが好きで、いろいろとモノづくりをしたり、サービスもした。そして、それぞれのケースで技術系じゃない人から、「なんで他社は、やっていないのですか?」「xxのやってる、このサービスでも一緒じゃないのですか?」なんて聞かれて、かなりカチンと来た事が何度もある。こういう時に、昔は「まったく、これだから素人は嫌だ」とか「この人は何も判っていない」とか、自分に都合の良い結論というか納得方法に陥ってしまっていた。
ふと思うに、論文を書いて、査読者からコメントを貰う時も、なんかこれに似ている。そういう意味では、普く広くに何かを発表し、それに対するコメントを真摯に受け取るということは、ビジネスの成功のために訓練にもなるのかもしれない。
いまは、論文じゃなくてSNSやツイターでも、自らを晒せるので、「書を捨て街に出よ」とか「他流試合をしてこい」ていうのは、結構実現しやすいはずなのに、内弁慶的傾向から脱しない人が多いのは、その置かれた環境(組織、文化、立場)によるところが大きいのだろうか。
内向的傾向の強い組織を、改善するには、マネージメントの職権職務を明確にし、権限を移譲することが重要だけど、それはカリスマが強い組織だとなかなか実現しないところが、痛し痒しだな。
やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、 ほめてやらねば人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
なんだよね。