今にはじまったことじゃないが、iPhoneの販売広告とかでも、"実質負担 0"という表現が結構目立つ。実際には、端末が無料になる訳はなく、2年での分割負担と通話料割引の相殺というのが、基本パターンなことは、多くの人が理解しているとこだ。つまりは、実質負担は0だけど、実質負債は、機種にもよるけど8万円くらいある。
ここで、ふと考えるのは、僕らの周りにある電化製品をみてみ。8万円のものって、テレビとか冷蔵庫、洗濯機などの白もの家電の王道くらいしかない。ということは、ある意味僕らは、2年に一度、冷蔵庫とかを新モデルに買い代えていて、しかもそのランニング費用は、電気代より遥かに高い。
もちろん、日々使う通話や通信というものの対価として、通信料が発生するのだから、ランニングの部分は当然の対価支払いなわけだ。しかし、この通話料は、通信の自由化とかデタリフ化により、事業者の裁量によるとはいえ、その料金の適正性は、消費者保護の観点から固定電話では再三議論されてきたものだ。
いま、ライフライン、社会基盤としての役割が固定電話から移動体通信に移りつつある現状を考えると、携帯電話の通話料金の適正について、もう一度見直す必要もあるのではないだろうか?
つまり、端末の割引と相殺出来てしまうレベルの通話料原価って、本当に適正なのかという疑問がある。
携帯電話の普及率が1人一台を越えてしまった現在、もう全体での純増は横ばいだし、端末はどこのキャリアも同じものを取り扱うとなると、次は通話料の適正なものを選択したくなってくるのは、せこいかしらん?
今夜は、某ネッワーク機器最大手に務める知人ご夫妻と、彼の行きつけのお寿司屋さんで一献。楽しい食事会だった。