どうも、完全に欧米スタイルに毒されているのか、日本的な素晴らしい含蓄のあるご意見にイラつくことが多い。複数で作業をしてると、かならず誰かの提案に一言を申さないと気が済まないのか、あるいはそれが自分の存在証明だと思うのか、大層なレスポンスをされる人がいる。
特に、困るのはzzzも考慮したほゔか良いのでは無いでしょうか的なコメントだ。コメントじたいは、多いに歓迎されるべきことなんだが、なにしろただの評論であって、具体的な代案が示されないのが圧倒的だ。ひどいのは、やれあそこが足りない、ここが足りないと指摘をするものの、じゃぁどうしたら良いのかとか、それに対して自分がなにかをしましょうなんていう建設的なアイデアがまったく無いのもある。
こいいう輩にみえる傾向は、一見さぞごりっばな意見を述べてるように見えても、まったく客観的引用がなかったり、あったとしてもただの検索結果で、その論拠にまったく深みがないことが多い。ただ、リファレンスを並べれば、自らの論評に根拠性が強くなるとでも勘違いしているパターンだ。
そして、極め付けは言うだけ大将で、自分になにかが降ってくると「わかりました」とか「理解しました」といって、それ以上の議論をまともにせずに収束というか逃げてしまう。これって、最初から自分の発言に、責任を持っていないことの現れなのだが、当のご本人はまったくわかっていなかったりする。
「xxxxするべきでしょ」
「おお、良いアイデアだからやってくれる?」
「いや、自分はできませんがなにか?..」
....ってパターンには、流石にぐうの音も出ないというか、なんかリアルなポプテピピックみたいだ。せめて、自分はここまでやるけど、ひとりじゃ力不足だらか、誰かこの部分を手伝ってくれないかという提案までできないのだろうか。しかも、さも当然のように自分が動かない理由だけは、くさるほど並べ立てて、どうやったら出来るかが一つもなかったりすると、もう今後はまともに相手したくなくなる。
やはり、代案なきは却下だよなぁと、necomな人の顔が浮かんだ。