午前中に霞ヶ関で打ち合わせした後、午後はDATA-EXのSWGで武蔵小杉のN 社に。しかし、僕にとっては、ここの事業所は、武蔵小杉より向河原なんだよね。
1986年頃に勤めていた会社は、当時ここの北側にあったN社の受像管事業部と取引があって、僕は担当だった。当時は、24インチのマルチシンクのディスプレイがグラフィック端末に使われて、それなりにヒットしていた。勤め先がOEMでこれを製造していたので、ともすると毎日のように南武線でここに来ていたのだ。
勤め先は、青梅にあったので青梅線で立川に出て、南武線で向河原まで移動するのは、いまでも時間がかかるけど、当時はもっと時間がかかった。他に、川崎駅前の親会社の仕事も担当だったので、とにかく南武線には、あの2年間で一生分乗った感じだ。
当時は、プラズマディスプレイのJ3100とかはあったけど、バッテリーでそこそこの時間使えるPCがなかったので、エプソンのワードバンクノートという白黒の3行くらいの液晶ディスプレイがついたワープロを持ち歩いていた。もちろん、打ち合わせの議事録書いたりが主要だったけど、僕はちょっと違うことをしていた。
なにをしていたかとというと、これまた初期のRDBであるアシュトン・テイトのdatabase IIだかIIIの、クエリーマクロを一生懸命書いていた。そして、会社にもどるとシリアルでこれをPCに吸い上げて、デバックなんてことをしていた。
そんなわけで、久しぶりに南武線の旅かと思ったら、いまは武蔵小杉からのほうが交通の便が良いので、残念ながら向河原には行けなかったわ。