久し振りにNo1検索サイトYのCTOをしているNさんと一献。 今日は、Nさんのチョイスで、恵比寿の香り家で、一杯やって蕎麦を楽しむ。 ここは、山形蕎麦でしっかりとした太い田舎蕎麦なんだけど、食感といい香りといい、ずっしりとした感じで、一杯やったあとに食べると結構ボリューム感がある。 蕎麦ばかりは、本当に十人十色の好みなので、なかなか難しい。 個人的には、都内だと、神田のまつや、池袋の三栄あたりが好きな蕎麦屋で、たまにやたらと食べたくなる。 最近は蕎麦を自分で打つ人も多いようだが、きっと挽きたての蕎麦というのも格別なんだろうなと思う。 そのうち、山梨で蕎麦でも作付けしてみようかと考える。
夕方からシンガポールに移動する。 シンガポール便は、朝出発で夕方着か、夕方出発して深夜着かなのだが、夕方着でもおそいので、東京での時間を優先して遅い便で移動する。 現地時間の深夜1時頃に到着し、タクシでホテルにいきチエックインをすると、あっという間に2時になってしまった。 チャンギー空港の中には、トラジットホテルがあって、翌日の予定によってはそこに投宿するのも便利なのだが、今回はシンガポールに滞在するので、市内のホテルに投宿。 ホテルのWi−Fiサービスは、プリペイドカードの2時間と5時間しかないそうで、とりあえず2時間のカードで、溜まっているメールをPOPする。 現地のスタッフが深夜にも関わらずログインしていたので、無事に到着したことを伝えて就寝。
朝、同じホテル宿泊している同僚と朝食をして、現地会社のスタッフにピックアップしてもらい事務所へ。 アジアで進めている幾つかのプロジロェクトについての打合せと、アジアのビジネスレビューミーティングに参加。 その後、香港のパートナーが到着し協業の打合せをする。 このパートナーも業界に古いので、こちらのシンガポールのスタッフとも旧知だったりする。 まったく、国に関わらず業界1hop論が成り立つわけだ。 夜は一旦ホテルにもどり、ちょっと遅めのディナーに現地のスタッフと香港からのパートナーとでかける。 連れて行ってくれたのは、定番中の定番 EastCost パークの珍宝海鮮楼で、これまた定番の蟹の黒胡椒炒めなどを楽しむ。 その後、香港のパートナーの一人がシンガポールは初めてということで、リバーサイドを散策する。 なんだか、僅か二年くらいの間に、とても近代的なエリアに変わっていた。 そのRiverSidePointで、GoFlyKite という、ラジコンカイトのデモに出くわす。 夜空にLEDの光をともしたカイトが縦横無尽に飛び交っていて、とても幻想的だ。 これは、日本にはもう入ってるのだろうか、ちょっと購買心が煽られる。 これは、かなり面白そう。
軽く、カフェでワインを飲んで、ホテルにもどり就寝。
朝、現地の事務所にいき、こちらの無線機器メーカーと打ち合わせ。 OEM/ODM専業のようで、そこそこにメジャーにも製品を供給しているようだ。 即座に決定打というようなソースもないが、まずは二つばかり可能性のありそうな話しを振ってみた。 こちらのスタッフと別件の打ち合わせを行ったあと、ネットワークを借りてデスクワークと日本のスタッフとグループチャットでの会議に参加する。 夜はこちらのスタッフに、チャンギー空港まで送ってもらう。 日本行きの便は、深夜なのでそれまでの時間を空港で過ごす。 チェックインは、日本発の便に乗るときに済ませてあり、チェックインパッケージもないので、そのままイミグレにいき、きわめてスムーズだ。 チャンギーは、世界に名だたるアジアのHUB空港なので、時間にかかわらず人は多く、ショッピングアーケードのごとく、店がならんでいる。 昔からそうだが、そこかしこにインターネットアクセスできるコーナーがある光景は、日本の空港よりはるかに進んでいる。 最近、タイのバンコックも新しい空港がオープンしたようだが、そちらも相当にファシリティは充実しているそうで、クアラルンプールも加えた三都市が、アジアのHUBとして覇権争いをしばらく続けるのだろう。 成田は、第一が綺麗になって新装オープンしたけど、通路ばかり長くて、いまいちうなぎの寝床のようだったし、なにしろ24時間じゃないので競争力が弱いのだろう。 On a little sreet in Singapore を聞きながら、シンガポールスリングを飲むなんていう、ゆったりとした時間は、残念ながらなく、深夜便で東京への帰途につく。
朝日ニュースで番組ネット転送「適法」 東京地裁、TV局中止申請却下という記事が出ている。 永野商店(東京都)の「まねきTV」というサービスで、ソニー製の市販装置を使い、テレビ番組を、専用ソフトを組み込んだパソコンなどにインターネット経由で流す。 利用者が購入した装置を入会金3万1500円、月額利用料5040円で預かるというコロケーションサービスだ。
このような仕組みは、もともと個人の私的利用の範疇を逸脱しないので、著作権法違反にならないだろうと僕は指摘してきたが、 今回は、まさにそういう判断が司法から下された。 このケースは、昨年話題になったクロムサイズ訴訟や録画ネット訴訟と比べると、市販製品として私的利用範囲での操作が担保されているものを、単純に預かるというモデルである点が大きく異なる。 これから高裁での裁判が続くのだろうが、この判決は 放送の地域放映権という既得権益を崩壊させる可能性があるものとして、とても興味がある。 すでに、ロケーションテレビやシャープのガリレオなどで、インターネット越しに遠隔地のTVを見ることは、製品レベルで可能になっているわけだから、この前例がでると一気に同様のビジネスが加速する可能性もある。
午後から京都大学のO先生と打ち合わせのため京都に移動、共同研究に関する打ち合わせなのだが同大学の元研究者で現同僚のF研究員もいるため話しが早い。 明日は、九州大学と同様の打ち合わせがあるので、京都から博多に移動する。 結局は、一日 東京から博多まで新幹線で移動し、昼食と夕食はともに駅弁ですませる。 コンビニのおにぎりも、駅弁もその保存期間の長さをみると、相当の防腐剤が利用されているだろうことは容易に予想できる。 はたして、こういうものは体内蓄積をして、将来どうなるのだろうと不安に陥る。 もっとも、自分で作ってる野菜でも、そこに使う種苗や肥料などに含有する成分までのトレーサビリティを確保するのは非現実的なので、知らぬ間に蓄積しているんだろう。
北九州の歯科大学でネットワークの設計などをしているNさん訪ねる。 彼とは、1997年に無線を使ったIP接続で、関門海峡超えをする実験の時に、いろいろと現地でサポートをしてもらってからの付き合いになる。 歯学博士が本業なのだが、インターネットやネットワークのほうが専門家のような人だ。 午後は、福岡にもどりQ大のO先生と共同研究の打ち合わせをする。 こちらでも、O先生らがアジアの大学病院間をインターネット接続した上で、高画質画像伝送などをもちいた遠隔医療を行うプロジェクトをすすめており、その基盤構築の打ち合わせなども行う。 じつに、インターネット業界では、医学関係の先生たちが先端的な利用シーンで活躍しており、医療とネットワークとどちらが本業なの? と聞きたくなるような人が多い。 Macのユーザーに医療関係者が多いという事実もある。 これは、医療関係では、電子、電気、通信などの科学技術との連携が必要な利用シーンが多いことがひとつの要因なのだろう。 遠隔医療では、高画質の画像を遠隔地と安全に通信できることで、高度な医療技術の伝承や2ndオピニオン的なアドバイスの交換などが期待される。 ルーラルエリアの通信障害の解消は、医療分野での地域格差を解消するという点でも、重要な意味をもつ。
朝一番の飛行機で、福岡から東京にもどる。 台風の影響が懸念されたが、大きな遅延もなく予定どうりに羽田に到着し一安心。 いったん、事務所に戻ったあと、夕方の便で香港に移動する。 こちらは、房総半島に台風が上陸するという予報もあり、成田エクスプレスも徐行運転を強いられていると思ったのだが拍子抜けするくらい順調に移動でき、フライトも予定どうりだった。 別な台風が台湾、香港方面にあったが、そちらも影響なく予定時刻より早めに香港に到着する。 到着後、先にきていた同僚とホテルのラウンジで打ち合わせをしていると、再三にわたり大きな雷鳴が響く。 どうやら、香港は台風というよりは、激しい雷雲に覆われているようだ。 香港は、岩盤が硬く、雨水が地表を流れるので台風の大きいのがくると、公共交通機関などが停止してしまうので、明日の予定がちょっと気になるが、こればかりはどうにもできないので、なにも考えずに就寝。
午前中マレーシアからのビジネスパートナーらと、香港オフィスでミーティングをしたあと、昼食にでかける。 彼らはイスラム教徒なので、ハラルミートの店を、香港のパートナーが選んでくれて、Jodanの裏道にある店でカレーを食べる。 こういう風に、いろいろな国の習慣に応じたホスピタリティというのは、なかなか経験がないと身につかないので、良い経験になる。
午後からは、ディズニーランドにいく地下鉄に導入したシステムを見学に行く。 夏休みシーズンではあるが、台風がきているせいなのか、人気がないのか、東京のディズニーランドとは比べ物にならないくらい混雑していない。 これで大丈夫なの? って感じだ。 見学のあとはそのまま地下鉄でセントラルに行き、コーヒーショップで打ち合わせをし、Hunghomのホテルに戻る。 ちょっと交通の便が中途半端なところなので、スターフェリーでセントラルからHunghomにわたり、そこからタクシーを使う。 それにしても、このスターフェリーは、初めて香港に来た27年前でも十分に歴史を感じさせられたけれど、いまもちっとも変わっていないのが、なんとも不思議だ。
夜は、シンガポールから来ている同僚と、日本から来た同僚と三人で海鮮を楽しんで、早めに就寝。
朝の便で香港を出発し、夕方事務所にもどり、急ぎの事務処理などをして、すぐに顧客との会食にでる。 新しい通信&放送事業を進めているパートナーで、いよいよ事業開始が近づいているので、いろいろと具体的な課題の対処に追われているようだ。 食事をしながら自分の経験を交えて意見交換をする。 話は尽きないのだが、夜は山梨の家に戻るため指定もとってあったので、早めに失礼する。 例によって、いつものあずさで新宿から韮崎に移動し、山梨の家にもどる。 今週のはじめから体験入居している長男の学校の後輩W君のお母さんが来ていて、軽く飲みながら学校のことなどで話こんでいたら1時をまわってしまった。 山梨では、いつも就寝は早めなのだが、来客があるとついつい遅くなってしまう。 夜なので、よく見えないが中庭の芝が相当伸びているようなので、明日からしばらく土と草との戦いになりそうだ。
朝一番で畑にでて、ミニトマト、きゅうり、ナスなどを収穫する。 きゅうりは、本当に一晩で大きくなってしまうので、小まめに収穫しないとお化けきゅうりになってしまう。 トマトも、生産農家とかでは、色がつき始めたら収穫し、流通過程で熟成するようだが、自家製で食べる場合には熟したものを収穫するので、甘みがつよくておいしい。
午後からは雷雨がはげしく、畑には出れないでの、ホームセンターに出かけたり、バジルソースやトマトの水煮をつくったりする。 バジルもトマトも、なるべく加工して、再利用しないと、ひたすら土に帰ってしまう。 ミントもミント水、ミント風呂にして使わないと、ひたすら株が増殖してましうが、こちらはこんど東京にもってかえって、行き着けのBarに持ち込みしようかと企む。
午前中は、畑の草刈と収穫後の土の耕作を行う。 ジャガイモの収穫が終わった後、いまの時期から、なにを作付けするかが悩ましいのだが、大根、人参を月末くらいに直播するつもりで、土を整理する。
昼は、昨日作ったトマトの水煮と畑でとれたナスに、ベーコンを加えたソースでパスタをつくる。 やはり、トマトは甘みが強いので、市販の水煮を使うときより、胡椒を多めにいれたほうが良いようだ。
昼の暑い時間帯は、買い物にでかけるのだが、やはりお盆での帰省客、別荘族も多く、スーパーやホームセンターは、とても混雑している。 もどってから、畑のトマトなどの枝の整理をしたあと夕涼みがてら庭で一杯。 ちょうどワインクーラーがなかったので、VeuveClicquotのペイントボックスを買って冷やしてあったので、つまみ食いならぬつまみ飲みしてみる。 このプローモーション製品には、クリッククリコなる飲み口がついてて、ピッコロボトルをラッパ飲みできるという遊び心のある構成となっている。 でも、これがシャンパンだと泡がでるので、飲みにくいたらありゃしない。 企画した人は、自分でこの飲み方を試したのだろうか....。 レースの優勝者とかがよくラッパ飲みしてるけど、あれはビンに直接で、あのほうが飲みやすそうだ。
石窯でのピザは、どうにか自分なりのスタイルが確立してきたので、一歩進んでパン作り(バターロール)に挑戦する。 ピザとの違いは、小麦粉に混ぜるものが多い(卵、バター、砂糖など)事と、二次発酵が必要なことだ。 長男の通っていた学校では、パンの生産、販売をしていて、先週その指導をしている先生にお会いしたので、ちよっと聞いたところ、コツはとにかく良く練ることと教わった。 先生の教えのとおり、薄く指で延びるような状態となるまで、丁寧に練りを繰り返した。 発酵は、IHオーブンが発酵モードを持っているので、これで発酵をさせる。 十分に発酵し、成型、二次発酵と進み、窯入れし、待つこと十分程度、ちょっと奥のほうは火が強かったので、ドリュールが焦げ目が強くついたけど、表面はカリッとして、中はふんわりと、まぁまぁの出来となった。 卵の分量が多かったので、気泡のわりにもちっとした感じになったので、次回はちょっと調整しよう。
午後からは、村の夏祭りに参加する。 実質40世帯の集落なのだが、他の地域に暮す家族がお盆で帰省してきていて、130人近くが参加し、もちつき、西瓜割り、焼きそば、やきとり、カキ氷、カラオケ、盆踊り、抽選会に花火と夏祭りフルコースを楽しんで帰った。
午前中は、昨夜の村祭りの後片付けの手伝いに出かけ、なんだかんだ昼までかかった。 午後は、午睡をとってから、昨日の石窯パンに味をしめて、あんパン作りにチャレンジする。 生地の作り方などは、バターロールと同じなのだが、もう少し軽めの感じを出したくて、薄力粉を若干ミックスしてみる。 発酵の時にオーブンの設定を間違えて、一次発酵が弱い気がしたが、そのまま成型し、あんを入れて二次発酵、焼き上げをする。 均等な焼き具合をつけるために、途中でいったん窯の中での向きを変えたりしながら、10分くらいで焼きあがる。 本当に石窯だと表面はサクッとし、なかは柔らかに焼きあがる。 温度が高いので、どうしても鉄板に焦げ付くところは、クッキングシートを使えばよいのかもしれない。
山梨の家は、オーディオ系の機器が未だなにもないので、パンなどを作っている間のBGMは、PCから流している。 i−TuneでDLしたものを聞いていたのだが、やはり飽きるので久振りにアメリカのFM局Star101.3をアクセスし、Listen Liveをクリックしたら...「We are sorry but due to licensing restrictions we are not able to allow access to the content you are requesting outside of the United States.」とアクセスできなくなっていた。 これは、結構ショックだ。 どういう条件でフィルタしているのか気になるが、とりあえず解析する気にもなれずに諦める。
朝、山梨から東京に出勤し、午後からは遠隔医療系のプロジェクトの打ち合わせで福岡にいく。 高度な医療技術の伝承は、実践がとても重要なのだが、そうそう簡単にに医師が移動できるわけではない。 症例の豊富な医師から適切なアドバイスを適時受けることは、とても重要なのだが、このときに電話よりは画像などを含む高度な情報があることは、とても有益だ。 いっぽう、医療情報というのは、極めてプライバシーな情報であることから、その伝達には、セキュリティの安全性が確保される必要がある。 インターネットの回線が高速になり、VPNの技術が発達したことで、海外の複数の病院などで、高精細な画像伝送を伴う遠隔医療の伝承が可能となってきている。 今日、オブザーバーとして出席したプロジェクトでは、既にアジアの各地をインターネットで接続し、内視鏡手術の様子などを遠隔地の医師にみせたり、遠隔地から医師がアドバイスをするなどの遠隔医療を、相当数実践している。 このように通信技術や医療技術が進化していくと、ポリシー部分での融合が必要となってくる。 臓器移植などでは、各国の死生観が異なり、かつそれらは長い歴史や宗教に根付くものであるから、コンセンサスの確立は、容易ではない。 それにしても、インターネットに限らず、科学技術の発展には、実に多くの医療での利用ニーズが関与しているものだ。
マレーシアのお客様で、大学の教授二名が来社し、IPv6に関する意見交換のためのミーティングを持った。 日本側は、いろいろと一緒に研究や通信行政関係の仕事をしているW大のG先生、政府系研究機関のHさん、T大のO先生らと、同僚の研究者2名が参加した。 彼らの興味はとてもシンプルで、全面的にIPv6に切り替えるべきなのかどうか、IPv6での日本での利用状況はどうなのかなどだ。 IPv4のアドレス枯渇が懸念され、IPv6が提唱され、どれくらいの時間が経過しただろうか? 日本でもIPv6というキーワードが研究開発の重要な要素となり、過去数年にわたり多くの研究投資がなされている。 このような中、ピュアなIPv6というものが、なにを社会にもたらし、なにを解決してくれるのだろうかという疑問に対する明確な答えは、未だ見出せない。
NGNなどで叫ばれるように、オールIP化された世界で、携帯端末から家庭のTVまでを、一意なアドレス空間で構築するには、確かにIPv6かもしれない。 しかしながら、IPv6の利点が単純にアドレス空間の広さだけだとするならば、IPv6を待たずとも、さまざまな方法(NATやダイナミックDNS)で、プライベートアドレスの不自由さを解消したり、SkypeのようなPtoP技術も生まれてきている状況においては、訴求力が弱いのかもしれない。
IPv6でしか出来ないものは何?という命題は、まだしばらく解を見出せないかもしれない。
ちょっと前の話だが、東京の家にもどると、海外から小包が届いていた。 差出人はスタンフォードショッピングセンターのかばん屋で、中身は先月購入したバッグのショルダベルトだった。 購入時に、ショルダベルトが付属していることは説明を受けたが、その場で現物を引き渡してもらつた時に入っていなかった。 ショルダベルトは使わないので、特段に構わずにいたら、丁寧な謝罪の手紙と一緒に小包で送られてきた。 製品保証の登録のために、購入時に自宅住所などをカードに記載したのだが、普段は面倒であまりちゃんと書かないのだが、今回は普通に記載しておいたのが功をなした。 アメリカなどは、こういう海外小包の発送などが、日常茶飯事なのだろう。 日本だと海外に荷物を送るとなると、まず住所を英語で書くことからはじまって、海外小包の取り扱いやらなんやらで、経験の無い人は、戸惑ってしまう人も多いのではないだろうか。 アメリカの場合は、海外だろうが国内だろうが英語で住所を書くことには変わりはないし、郵便局で小包で渡せばいいだけなので、あまりハードルが高くないのかもしれない。 いづれにしても、通りすがりの旅先での買い物で、こういうサポートをしっかりしてもらうのは嬉しいものだ。
PCの調子が悪く、新しいノートを準備していたのだが、なかなか時間がなく引越しができていなかった。 この週末をつかって、どうにか一通りデータの転送や、設定の転送、必要そうなアプリのインストールを行う。 最近は、可能な限りアプリは減らしているので、USBにつないだ外部HDDなどにデータをバックアップし、インターネットに接続するのに最低必要な設定などを行えば、まずは仕事は進められる。 各種ドライバなどは、都度必要なときにネットからダウンロードしてインストールするので、たまに引越しをすると不要なドライバなどの削除にもなってよい。 とりあえず、今度のモデルは、指紋認証もついてるので、この設定も行ってみたが、そこそこに使い勝手が良いものだと感心する。
VHF/UHF帯電波有効利用作業班の会合に参加する。 各社、団体が提案した内容を類型化、整理し、どのような用途とシステムに今後の電波資源を割り当てるべきかという検討項目の整理を目指している。 前にも書いたがこのような大規模な電波資源の再利用の検討というのは、おそらく初めてのことであり、今後何度も行われるものではない。 しかし、総務省側からの説明は、あまりポリシーというかコンセプトというものが感じらない割には、妙に技術の各論的な部分に触れたりしている。 このあたりは、昨年のワイヤレスブロードバンド推進研究会でもそうであったが、結局のところ階層的なシステム思考が弱いのではないだろうか。 業務の目的とか公共性といったレイヤーの話から、周波数精度などの物理層の項目までを、一枚の紙にまとめて、整理しようというのだ。 物事を整理していくには、ある程度情報をマスクをして、レイヤーを絞り込むべきであり、その舵取りをするのがチェアや事務局の仕事なのだが、すべての生な意見を羅列したので、あとは作業班で検討くださいというのは、どうも広く公的な作業、検討をしたという事実だけが必要で、結論はすでにクローズな場で用意されているのではと、勘ぐりたくなってしまう。
もうひとつ、間違いのないことは、今回の諮問、答申の一連の作業に終始従事して、結果が出るまでを見守る官僚は、異動の周期からしてまずいないだろうということだ。
数年前まで学生だった知り合いらが、超高速キャッシュサーバーのメーカーを起業していて、久しぶりに製品を見せてもらいに訪問した。 起業時は、ちいさなオフィスでやっていたが、いまはキャピタリストからの資金調達をして、オフィスも製品も、洗練されたものに変身した。 製品も、当時???と思った点については、根本的に見直されていて、十分にリーズナブルなものになったようだ。 オフィスの様子は、なにがというわけではないが、ベンチャーらしてく、とても懐かしい匂いがしたした。 ファブレスとはいえ、モノ創りの会社なので、今後の製品展開をいかに戦略的に進めていくのかがとて重要となるが、彼らのがんばりに期待している。
新しい携帯電話に、古い携帯電話から吸上げてあった電話番号などのデータを移し変える。 前の機種にも、こんどの機種にも専用のPC接続ツールがあり、電話機の中のデータを操作できる。 ところが、この両方のソフト間で、互換性のあるデータフォーマットはない。 古い機種用のソフトでは、CVSでデータを保存/読込することができるが、新しい機種用のソフトには、この機能がない。 その代わり、新しい機種では、MS−Officeなどのアドレス帳と同期をとる方法が提供されている。 そこで、古い機種のソフトで、一旦CVSを出力し、これをMS−Officeのアドレス帳にインポートし、新しい機種と同期させる。 ところが、性と名が別フィールドかどうかなどの一部の構成が一致していないため、若干の手作業や修正がともなう。 一番の面倒なのは、ふりがなが転送できないこと。 それでも、大量の名前と電話、メイルのデータがまずは移植できたので助かった。 CVSのよなプリミティブな形式へのI・Oは、なるべくこういうソフトには入っててほしいものだ。
総務省のU−Japan政策では、2010年までにブロードバンド未解消地域をゼロにするという目標が掲げられている。 数値目標の設定で、ゼロ=0という極めて明確、絶対評価が可能な数値を用いるというのは、ものすごく勇気のいることだ。 というわけで、この目標の実現に向けた具体的な行動を進める必要があるわけで、地域情報化などについて担当官らと意見交換の機会を得た。 今は、Wi−Maxに関する期待が大きく、条件不利地域などでは、Wi−Maxを使えば、低コストで情報化が可能ではと期待されているようだ。 もちろん、無線というのは、それなりにインフラ整備の進んでいない地域においては効率的な手法だが、スケーラビリティという点では限界がある。 過去十年くらい、日本には多くの無線技術が導入されてきたが、残念ながら携帯電話と無線Lan以外では、大きな花は咲いていない。 この要因は、実に複雑ではあるが、無線という伝送路の性質を考えれば、それなりに納得のいくところに帰結するのだが、シャノンの法則を無視するような魔法を宣伝する人が多いのだ。
昨夜から明け方にかけての雨で、畑もドロドロな状態なので、家周りのホースの修理などをして過ごす。 昼は、久しぶりにピザを焼く、ちょうど昨夜TVの番組でなすのピザ作りをやっていたので、それを参考にクリスピータイプにしてみる。 いつもより、薄めに生地を伸ばし、生地だけで軽く焼いてから、トッピングを載せて二度焼きをする。 本格的なクリスピーで、パリットとした食感が楽しめた。 (今後はこれにしよう)
石窯の火を落とさずに、そのまま午後からフランスパンを作ってみる。 フランスパンは、バターや牛乳を入れないので、基本的にはピザと同じ材料ですむ。 ピザとの違いは二次発酵をさせることと、一次発酵の途中でも軽くガス抜きをしたりと、緩急をつけた仕込みで発酵を促す。 フランスパンは初めてなので、天板一枚分/二本の量とし、火力調整もかねて天板を二枚重ねにする。 さらに、途中で霧吹きで水を与えながら、小まめに向きを変えて焼くことで、焦げ加減がベストに仕上がった。 夕方涼しくなった頃を見計らって、秋野菜の種蒔をする。
先週に続いて、VHF/UHF帯電波有効利用作業班の会合に参加する。 今回は、各社の提案の類型化を一歩進めて集約する作業となる。 それにしても、実際にいま検討されている周波数が空くのは2011年以降なのだが、技術革新や情報通信のニーズの拡大、新しいネット文化の台頭などを考えると、テクノロジニュートラルな方針が必須となる。 テクノロジニュートラルを目指すとなると、システムを階層的に考え、モジュール化、カプセル化を前提とした議論が必要となる。 しかしながら、提案者も、監督官庁も、どうも階層的議論に慣れていないようで、混沌とし、議論か拡散してしまうようだ。 仕事や経営でもそうだが、なにかが混沌としているときは、一旦議論しないことなどを明確にし、焦点を絞り込む手法も必要だろう。 以前、ネット証券大手のM氏が、自分の経営判断のなかで、何かをやらないと決めた事項は、だいたい良い結果になっていると発言していたが、こういう発想は常に必要なのだろう。
新しい携帯の日本語入力は、かなり優れていて、予測しながら次の語彙を表示してくれる。 当然ながら、流行の語句が入っているので、世代的には使わないような単語もでてきたりして面白い。 こういうFEPの機能は、PC上のFEPにも生かされているのだろうが、PCでは単純な日本語入力しか使っていないので、PCにもあれば良いのにと思ったが、きっとPCだとベタに入力したほうが速いのかもしれない。
日本語の入力は、いまやほとんどの人が、ローマ字カナ変換を使っているのだろうが、僕の場合にはカナ入力を利用している。 これは、最初にタイプライタでブラインドタッチを習得しおり、コンピュータを触りだした頃は、日本語が扱えなかったし、FEPもなかった。 いわゆるPCが普及し始めて、IBMの5550とかをオフィスで使うようになった時に、日本語キーボードが装備されていたので、自然にボードのカナを打つようになっていた。 ブラインドタッチをしていると、結局指はホームポジションから動かないので、カナもローマ字もあまり意識しなくなり、音節で変換しない1ストローク1文字という入力が楽だ。 難点は、たまに他人のPCとか使うときに、カナ漢字モードへしてしまい、それを戻さないでおくと、そのPCの持ち主には多大な混乱を与えてしまうことだ。 それと、英語キーボードしかない環境では、ローマ字漢字変換をするのだが、”っ”とか”ん”とかの変換の方法に悩んでしまうことがある。
大手電機メーカーの電車車両の製造をしている工場で打ち合わせを行ったあと、工場見学をさせていただく。 85年の歴史を誇るこの工場では、新幹線をはじめとして、実に多くの鉄道車両が製造されている。 あいにくと、今日は新幹線車両は生産工程になかったのだが、地下鉄、私鉄、海外の特急などが製造工程にあった。 車両の天井内の配線、配管などの施工効率をあげるため、巨大な装置で車両の天地を逆さまにして組み立てをするというユニークな工程もある。 これは、説明によるとこの工場が製造特許を持っていて、他の工場ではできない工法ということだ。 工場内にある歴史資料館も見学させていたたいたが、蒸気機関車から今日までの歴史の重厚さに感心させられる。 大手の製造業は、どこでもそうだが、歴史とともに時代に応じた製品の開発、技術の研鑚の歴史が刻まれていて、それぞれの企業風土、文化をしっかり発してる。 あらため、モノ創りの世界で仕事ができることの面白さを感じたものだ。