原発について、3.11以降はネットに限らず、評論家、専門家、プロ市民、プロ消費者代表的な人達の活発なTwitterやSNSでの議論を目にしない日はない。 僕は、今度の事故で直接的に大きな被災をしていないし、原子力の専門家でもないので、自分の出来る範囲、コミットできる範囲でしか、この類いの議論にも活動にも参加していない。 おそらく、多くのボランティア活動や支援活動をしている人からみると、まったく何もしていない人の部類だろう。 しかし、そんな僕にも、否応無しにネットでの議論や書き込みは、毎日かなりの量が飛び込んでくる。 でも、ある種の議論には、なんたが本当に子供の喧嘩みたいで、最近はとても辟易している。
例えば、原発容認の人と、反対の人の間に飛び交う、"原発より煙草の方が危ないんだから、だったら煙草も反対しろ"とか、"安全だというなら、自分で福島に住んでみろ"とかの応酬は、僕には何の役にも立たない。 ああ言えばこう言う的な揚げ足取りの応酬って、なにか意味があるのだろうか? この人達は、相互に相手方に "判りました、あなたが正しくて、私が間違ってました" とか、無条件にミタさんみたいに"承知いたしました"って言わせたくて、かつそれが出来ると信じてこういう応酬をしているのだろうか?
僕としては、こういう応酬に時間や素晴らしい叡智を使うならば、互いに意見の違う人はいるという事だけを認識して、あとは各々の意見の正しさや精度を上げる事に、時間や情報発信の力を使ってくれれば、僕は両方をみて自分なりに判断するのにとても嬉しいんだけど.....
この前書いた、"心のざる"じゃないけど、スルーするところは、華麗にスルーしちゃえば良いのにと思うのだ。
朝は都内でミーティングのあと、夕方に成田発でLAに移動。 LAX近くのホテルに投宿。
LA在住の旧知の台湾人の友人と打合せ。 彼とも、なんだかんだ20年以上のつき合いになるけれど、電子回路系なハッカーとしては、本当に天才的で、いつもエポックメーキングなアイデアでビジネス創造している。 大昔は、グラフィック端末なんていう超ハイテク系をやっていたらしいが、その後はページャ関係で大当たりして、コンシュマー系でいろいろと面白い事している。
最近は,USB関係のちょっとしたアイデアを商品化していたのだが、今回はそれが更に発展したものとなっていた。 正直、外れもあるんだけど、今回のは、面白いかもしれない。
こういうハッカーが、浮き沈みはあるものの、サクセスしちゃうところがアメリカなんだろうな。