僕、あまり良い性格じゃないかもしれないけど、結構 疑い深い。 とくに、いろいろと仕事上で調整をするような話の時には、必ず複数の人から話を聞いて裏取りをする。これは、当たり前のことだけど、人の話には、必ずその個々人のバイアスがかかっているので、事実確認の部分とそれに対する主観的な部分をわけないと、適切な判断が出来ないからだ。
今日も、とある案件で複数の人から、別々にヒアリングをしたところ、そのうちの2人がある事象について、まったく同じメタファーを使って説明しくれた。これは、この2人の情報のリソースがまったく同じか、2人が互いに協議しているかを示唆していると感じる。そのことは、共に協力して課題解決に望む案件であれば、当たり前と言えば当たり前のことだ。
ただ、僕にとって残念なのは、このパターンは、彼らが自分の言葉や自分なりのメタファーで表現出来ていない事だ。つまり、彼らは人から聞いた事、または互いに確認した事を、それぞれに十分咀嚼し、自分の考えとしてまとめていないことに他ならない。
所謂名言や格言だったり、著名人や先人の著書等を、そのまま信じ込み、それをそのまま使ったり、表現している人というのは、結局は浅慮ではないかと感じる。沈思黙考して、熟慮すれば、自分なりの表現方法が現れてくるものだろう。そういう意味で、何かについて独自のメタファーで、他人に説明することは、その内容の本質を自分のものに確立していることになると信じている。