いろいろなSNSを使うと、とごで何を発信したかも判らなくなるので、自分の文責が明確になるという意味で、僕は基本的にこのBlogからRSSをFace Bookやミクシィなどにフィードしている。最近は、このBlogにツッコミする人より、圧倒的にFaceBookでコメントしてくれる人が多い。
先日も、悲しい反論というエントリーで、最近の言論における気持ち悪さについて書いたら、Face Bookでいろいろとコメントを貰った。
その続きではないけど、ここ数日、世の中での発言や僕の周りの私的な範囲での発言で、またしても感じるところがあったので、似たようなエントリーを書いてみる。
それは、何かについて謝罪をする場合に、「xxxxについては、大変申し訳ないと思っています。しかし、yyyyyについては、こういう効もあったことを、きちんと申し上げたい。」というパターンだ。
確かに、是々非々というか、謝るべきは誤り、主張すべきは主張するというのは、まったく正しいとおもうけど、発言する当人が期待するほど聞き手は二つの相反する事象を冷静に切り分けてはくれない。
議論する時は、Yes..hoge, but ...hoge-hoge みたいな構文で話すことは意味があるが,議論するのではなく、一方的に意思表明をする場合には、このような謝罪と要求/主張のような、相反する事柄を、同じ時に同じ脈路の中で発信する事は、百害あって一利無しと思う。
謝罪を受ける方からすれば、せっかくの謝罪の真摯さが要求/主張により失われるし、功を評価しようとする人には、その評価を十分に発揮できなくなる。
功罪合わせて語るというのは、世の中ではよくあるシチュエーションではあるが、それが許されるのは第三者が何かを評する場合であって、当事者が自らの事を語る時に、功罪合わせて語るのは、とても違和感がある。
もしなにかしら自らの功罪について意見や意思表明をするのであれば、それは、功罪、場所と時間を変えて、各々別にすることが良いのではないだろうか?