午前中は、Wi-FILS推進協議会の定期会合。今日は、旧知の研究者であり、起業家である方がプレゼンをしてくれた。僕は、もともとかなり中身を知っているので、特に新しい話しではないが、まあ新鮮に聞こえる人には聞こえるだろう。この案件の大変さは、僕は経験済みなのだが、たぶんそれを議論しても出口は見えないだろう。ただ、その挑戦を続ける姿勢は、尊敬すべきことだ。
今日の午後の三つの打ち合わせは、いずれも建設的で、久しぶりに楽しいミーテイングの連続だった。特に、旧知のインターネット業界の人との打ち合わせは、もの凄く理解が早いというか、共振していることを感じれた。
彼らは、パソコン通信から商用インターネットのスタート、インターネットの黎明期に、そのど真ん中にいた。つまり、情報革命のまさに当時者で、言わば革命経験者だ。
最近のシリコンバレーからのスタートアップやメーカーズブームは、僕の中ではビットバレーなどが加熱した頃のデジャブで、それはとても一過性が強いとともに、表層的に見えている。
一方で、インターネットのもたらした情報革命の当事者達は、もっと本質的な社会変化を創出していた強者感がある。いま毎日のように入ってくる、クールで新しいように見えるイノベーション的なものの多くは、結構類型化できてしまうものが多い。それに対して、インターネットの創成の背景には、もっと本質的なEnd to End、水平分離、自律分散といった、旧来の概念を破戒する哲学というかボリシーが前面にあった。
Wi-Fiにしても、今朝のWi-FILSの会議でも発言したけど、そのイノベーションの本質は、世界でほぼ共通なISMバンドで通信をしたということだ。つまり、誰も通信には使えないという見方をしていた、不特定多数との共用帯域で通信をすることで、免許不要な自営通信という自由を手に入れた事だ。
残念なことに、こういう大きな根本的な変化点を知らないと、その後に沢山現れる応用の表層的な部分を技術革新と思ってしまう人も多いようだ。
イノベーションとは、技術革新のことではなくて、フレームの転換だというのは、多くの人が述べているけど、この辺りを理解するのは、なかなか難しいのかもしれない。結局、多くの人は本質よりも、目に見える事象に、答えを見いだそうとするのだろう。
こんなことを、つらつらと書いていたら、なんだか般若心経を思い出した。