久しぶりに月曜日の朝のかいじ号で上京。新宿に9:04到着が定刻なんだけど、朝の中央線は間違いなく遅れる。それでも、今日は10分遅れだったから良い方かも。しかし、8:30新宿着くらいのダイヤができると嬉しいんだげどなぁ。リニアはいいから新幹線作ってくださいと言いたい私。
今日から二週間、大学生君がイータンーシップでEverySenseに参加。彼は、高専から大学に編入して、今年前期のベンチャービジネス論を聴講していた学生さん。講義の時は、あまり目立ったなかったけど、メールでコンタクトをしてきてくれた。
今日からスタッフとともに、アイデアソンの企画に関わってもらう。果たして、若い感性が発揮されるのか、とても興味深く見守っている。
夏休みの宿題が終わらなくて、時計をみたら終電なてんとっくになくなっていたし、ご飯も食べ損なったし....というわけで、夜中の二時過ぎに帰宅して、余り物でご飯。こりゃ太るな...
先週くらいに、ネットで空港とかの無線LANを調査したら、その多くでメールが丸見えなんていうキャッチーなニュースが話題になった。
この元の調査をしたM先生は、1997年頃に無線LANの原型ともいえる無線装置での地域情報化の研究会をした時からのご縁で、よく存じ上げている。流石に、セキュリティの専門家なので、調査手法やその結果には、疑義はないし、こういう事を定量的に示す事は、研究としても重要だろう。
しかし、このネタを元にして配信されたキャッチーな記事とか、さらにそれを元に書かれた、専門家風な人達の記事には、じつに辟易させられる。無線LANのセキュリティの問題で、リンク部分の暗号化というのは、とてもとても小さな部分的要因でしかないし、そんなことは十数年前から指摘されてきた。それに対して、VPNのようなトンネリング技術が、そこそこに安全性を確保するということも、技術系の人は知っているし、実際に沢山使われている。
ただし、それさえもおれおれ証明書だったら、CAが怪しかったらとかもあるし、完璧なものはない。
はっきりいって、もう無線LANのセキュリティが云々といのは、インターネットやソーシャルネットワークって危険があるとか、 オートバイは危ないとか、そんなレベルのとても広義で曖昧な社会的警鐘でしかないんじゃないか。
だいたい、無線LANは丸見えとか騒ぐけど、携帯電話については、深く調べたり確認しないで、安全、安心と思っている人やメデイアが圧倒的だろう。
でもさ、いまはやりのライン乗っ取りみたいなアプリとか下手したらもっと上位のレイヤーで抜かれているのは、携帯とか無線LANとかとは関係ない。クレジットカードのスキミングなんかもそうだけど、もう特定のレイヤーの技術的な脆弱性をもって、セキュリティを論じることというのは、はっきりいて、So What? でしかないよね。
となると、都会の繁華街には危ない誘惑が多いですよとか、車には気をつけましょうとかのレベルの啓蒙、つもるところリテラシーというわれる部分がとても重要じゃないだろうか?
それなのに、こういう局所的な話しを、新大陸発見的に書くメディアも、それに反応して技術的なご高説をたれる壊疽技術解説者さんもあとを経たない。だいたい、同じメディアが、日本は世界に比べてWi-Fi環境の整備が遅れているから、だれでも使える無料Wi-Fiをもっと展開しろとか書いてたしね。
まずは、インターネットって、いろんな意味で仕組みそのものは信用ならんぞ、信じたかったらEnd to Endでな言う部分を、きちんと啓蒙しないといけないのかなと感じる今日この頃です。
昼間は、歴史のある製造業の某社の経営トップの方と面談。同社は、かなりレガシーな製品メーカなのだが、なんとか次のステップへということで、いろいろと模索をされていて、ここ一年ほど僕もお手伝いをさせていただいた。今日は、この一年で少し見えた来た方向がうまく今後の展開につながってくれること期待しての報告に伺った。
そして、夜はシリコンバレーで活躍されているVCの方の、「シリコンバレーのIoT最前線と、日本のモノづくり企業への提言」という講演を拝聴。いまの自分の取り組みについて、もう一度課題を確認することができて、とても有意義だった。
今日のパネルや会場との質疑等を聞きながら、意外に思った事は、日本のモノツクリや製造業を支えた輸出専業OEMベンダーについては、あまり知られてない点だ。
日本の製造業の盛衰を語る時に、どうも皆ソニーやパナソニックなどのブランドメーカーと、そこに部品等を提供した協力会社や下請け企業には言及するけれど、高度経済成長後期にあった日本のOEMベンダーのことは語られない。
まぁ、OEM専業ベンダーだから、一般の人には、彼らのオリジナルな名前を知る機会がないので仕方ないかもしれない。OEM (Original Equipment Manufacturing)というのは、購入者である顧客のブランドで製品を製造して、提供するメーカーのことで、今風にいえば、さしずめ特定製品分野に特化したEMSだ。
僕が、三十年前に大卒で入社した会社は、そんなOEM専業の民生機器メーカーで、ラジカセやヘッドホンステレオ、テープレコーダー等を国内やアジアの工場で製造していた。当時は、日本にこの類の企業がたくさんあって、世界の家電製品の供給の多くを担っていた。フィリップスやAT&Tあるいは、シアーズなどのブランド製品の多くは、日本の中小企業が開発、製造提供していた。また、こういうOEM製造をメインビジネスにしていた企業のなかから、オリジナル製品をの販売に成功して、ブランドメーカーに転身した会社もある。
こういう会社は、所謂下請けではなくて、基本的に自分たちで製品開発をし、それをCESなどで展示し、ブランドメーカーのバイヤーがそれを買い付けるというものだった。だから、そこには開発、品質管理、部品の購買、製造技術などのメーカーとしての機能も職能のある人材も全て揃っていた。
今の、日本の製造業の衰退を問題視する意見として、ブランドメーカーの商品やサービス企画力が衰退した事を指摘する声は多い。しかし、そういうオリジナルに大ヒット製品を企画するようなブランドメーカーではない、OEM専業メーカーは、新たなスペックの製品を創出するというよりは、廉価でもそこそこの品質の製品を、タイムリーに供給できることがアドバンテージだった。つまり、彼らは商品企画力に対する企業価値の依存性がそんなに高くなかったはずなのだ。
そして、プラザ合意後の急激な円高をうけて、その多くは台湾〜香港〜中国へと製造拠点を移して行った。つまり、彼らはこそは、今の中国のEMSの源流と言えるだろう。実際に、僕は中国にある民生品の製造工場を沢山見てきたけど、成功しているところは、この時代の日本の製造管理や品質管理の取り組みを実践していて、日系の仕事経験者がかなりの比率で居るのだ。
では、数多存在したこれらの日本のOEM専業メーカーが、なぜ鳴海のようなEMSに転身できなかったのだろうかというのが、今日の会場の議論を聞きながら、僕の中に湧いて来たとても大きな疑問だ。
日本の製造業の衰退を語る時に、ブランドメーカーとその下請けだけでなく、これら名も知らないOEMベンダーのことを、もう少し突っ込んだら、なにか次へのヒントが出てこないだろうか?
今日の夕方、会計士の人と会計処理についての打ち合わせ。同席した当方の経理担当は、かれこれ20年近く僕と一緒に仕事をしている同僚。当初は、経理簿記の経験なく、僕なりに経理の基礎的な事を教えて、講習会等にも行ってもらい、経理業務を覚えてもらった。
僕が直接経理簿記等を教えたころは、簡単な範囲の経理業務だったけど、その後の仕事の中で、上場企業に求められる会計基準、会計処理や海外連結や、各種助成金に関する経理などの経験している。
というわけで、今日の打ち合わせでも、とても適切な見として時価会計を進めるためのアイデアを出してくれた。提案意見の処理は、基本的にそれをしなくてもならないものでもないし、いまの企業規模でそういうきちんとした処理をしているところも、その意味を理解できているところも少ないだろう。
それでも、この提案はとても正しい考えだし、将来において間違いなく必要になることだから、それが手間にならないのなら、ぜひ進めて欲しいというのが、会計士も僕も一致した意見だった。
会計処理などは、あとで基準を上げて訂正するのは、とても手間がかかるので、出来る限り最初から細かい、部門会計、原価会計等も適時な処理をしておくべきなのだが、意外とこれをないがしろにする人も多い。
もちろん、公開企業の場合には当たり前のことだけど、会計というのは誰かに見せるためのものではなく、むしろ適切に事業運営をする上で、経営陣にとっては、とても重要な指標なのだ。だから、スタッフがこういう当たり前の感覚を身につけてくれているのは、本当に頼りになる。
今日は、暫く僕とは直接仕事をしていなかなったけど、その間にもこの担当者が本当に良いキャリアパスを積んだということが判った。
というわけで、昼間に訪問した某社でいただいた猫耳がピクピクするくらい、これは嬉しかった。
明日は、甲府で先般他界された恩師を忍ぶ会合をするため、知り合いの研究仲間の人達が山梨に集まる。というわけで、折角なので、我が家に前泊してもらい、EverySenseの進めるIoTやM2Mなネタについて、意見交換を兼ねて一献する会を開催した。
ちょうど、シリコンバレーのパートナーも来日しているので、彼やマーコムのスタッフにも参加してもらい、総勢8人が集合。先着組は、とりあえば高根の湯で、夜に備えて身を清めてもらったあと、後着組も揃って、石釜&洋食からスタートして、パートナーが持ってきてくれた超レアなもずくや干物を七輪で焼きながら和食系セカンドステージまで、よく飲んで、よく食べて、よく話した。
研究者の人達は、やはり何事にも一家言あるのが面白い。それと、昔話だけでなく先の話しも、ちゃんとできるのが嬉しい。面白いのは、皆地域もメインテーマも微妙に違うのに、感心というのは、似たようなところにある事だ。視点も視座もちがうけど、興味というか匂いを感じるのは、近いというのは、その匂いの発信元が、それなりに意味深いということなのだろうな。
臭いものは、目をつぶっていようが、立っていようが座っていようが、触っていようがいまいが、関係なく匂うということだな。
今日は、5月にご逝去された、故 林英輔先生を偲ぶ会が甲府で行われた。僕が林先生と初めて仕事をしたのは、平成15年に総務省が行った千葉県の南房総で行われた地域情報化の調査研究会だった。僕は、数年前から無線ルータでの地域情報化のインフラ構築を手がけていた関係もあり、ITRCにも関係していおり、林先生がそれ以前に行っていたTRAINや地域インターネットの話しは、聞いたことはあっても、顔を合わせたのはその時が初めてだった。
その後、卒業生を統合により異動した先の会社に紹介いただいて採用するなどもあった。たまたま、山梨の知り合いの紹介から、山梨大学の社会人博士課程に進む事になったのだが、この課程での指導教官の先生が、林先生の門下だと言うとが判り、ある意味直系の孫弟子になった。そういうことで、生前には拙い論文を読んでいただき、ご指導を頂いたりもした。
こんな縁から、偲ぶ会の発起人の末席に名前を連ねることになり、今日に至った。今日は,北海道から鹿児島まで、広く先生とご縁のあった方があつまり、ご遺族とともに、先生の業績を振り返り、そのお人柄を忍ぶ会となった。
今日の出席者には、先生が以前に山梨でされた講演の筆記録も掲載された小冊子が配布されたのだが、この講演記録を読むと、インターネットの黎明期の先人の苦労がとてもリアルにお話されていて感心させられる。
ここに登場する人達の多くは、実はリアルに知っている人なので、その臨場感がなおさらなのだが、これはインターネットの黎明期の記録として、とても価値のある資料ではないだろうか?
いまや、あって当たり前だし、社会生活に不可欠な基盤となったインターネットだけど、その黎明期にこれを構築し、運用していた人々の苦労たるは、まさに新しい世界への挑戦だった事が判る。
僕は、インターネットを使いだして、サーバーを立てたりしたのは、1995年くらいだ。それ以前は、パソ通をつかって、インターネットメールを使ったしていたくらいだ。だから、所謂商用インターネットサービスがはじまってからのユーザで、それ以前の学術系の人達がPPPで互助的に展開,構築してきたある意味本当のインターネットワーキングは,残念ながら知らない若い世代なのだ。
それでも、最初に知り合って、インターネットを教えてくれた人達が、自律分散、End to End というインターネットの本質を、しっかりと教えてくれた事と、まだそういうのもが見える時代だった事は、インターネットとそれによる社会変化の本質を理解すのにとても役立った。
逆に、今はもう一部の学校などでも、商用インターネットサービスの一ユーザーという利用形態に移行しており、この辺りの本質的な部分は、意識する必要がなくなってきているのだろう。
でも、こういうプリミティブな部分を構築し、その改革という大きな事に挑戦したきた人達といのうは、組織を超えて協調する事や人を育てて、若い人にバトンを渡す事に、とても長けているいることが、今日再認識した。
また、今日の発見は、林先生は何かを立ち上げただけでなく、その多く仕事で、しっかりとそれを終端させていることだ。つまり、目的を明確にし、それを達成したら、その記録を残し、後進への道標をたて、自らは新たな挑戦の場へと移るということをされている。
大抵の場合、プロジェクトというのは、立ち上げも大変だけど、解散や終端は、それと同等かそれ以上の労力が必要で、それを幾つかのプロジォクトでなされていた事は、本当に頭が下がる思いだ。
こういう事ができる人は、悪戯に保身や利己的な理由で、立場や組織に連綿とするこがないので、やはりその元には多くの人が育つのなだろう。ぼくは、いづれこういう大人になりたいものだとつくづく思った。
林先生の功績、足跡を振り返り、ご冥福を祈るばかりだ。合掌
朝東京に移動して、午後からは1GHz以下の電波により無線LANの標準規格としていま制定が進められているIEEE802.11ahの勉強会。この勉強会は、普段IEEE802.11の標準化会議に参加している日本人の有志での開催。今日は、11ah に一番寄与している仲間が講師として、三時間にわたり細かい解説をしてくれた。参加者は、オンサイトで6名、リモートで7名の総勢13名。
標準化会合は、同事に複数の標準化策定が進行しているので、自分がメインに寄与しているグループ以外については、そのディープな部分までなかなか勉強する機会がない。もちろん、プレナリー等で進行状況等は、ある程度リアルに把握できるし、異なる標準でも相互に連携する部分などは、逐次細かい話しもしている。
それでも、一つのグループの策定している仕様について、じっくりと時間をとって、それに寄与している人から細かい話しを聞けるのは、とても貴重なことだ。
とくに、今日の勉強会は、普段から標準化会合に参加しているメンバーが出席者なので、関連する別な標準との整合について質疑もできる。加えて、一通り基礎知識というか共通の用語が理解される環境というのは、とても話しがしやすい。
一般向けのセミナーとか業界団体主催による「標準化の最新動向」みたいな講演は、今日参加したメンバーらが講演するものが年に何度かあるけど、こういう濃いのはなかなか一般向けではない。どちらかというと、今日のは、講師同士の勉強会みたいなもんだ。
数年前までは、こういう業界人同士の横の連携というのは、諸般の事情でなかなか実現しづらかったのだが、SNS等により互いにリアルにコミュニケーションできる機会が増えた事が、こういう活動につながった。まあ、いうなれば、標準化活動している人の互助会みたいなもんだ。
終了後は、オンサイトのメンバーで渋谷で一献して解散。
IoTやM2M、ビッグデータという言葉が毎日のようにメディアに踊っているし、僕の周りにもこの分野の開発や研究、事業を手がけているという人が実に多い。
スマート家電や農業のIT化、ウェアラブルデバイスなど、とにもかくにも、ありとあらゆるものがインターネットにつながりつつあるのは、疑うことのない現実だ。
でもさぁ、こういうセンサーとかM2Mのいろんな情報によって、Pharrell WilliamsのHappyみたいに、♫Because I'm happy...hapyy..happy...happy ♪って、歌い出しちゃうには、これらをどう活かして行ったら良いのだろう?
確かに、僕らが何処で何を買ったとか、何処の駅で電車に乗ったとかを、誰かが解析して何かを見つけてくれるであろうことは、なんとなく期待するけど、もっと積極的にだったらこんなサービスをしてくれたら良いのにという社会的な欲求がふつふつと見えてきて良いんじゃないかなと感じてる。
というわけで、EverySense アイディアソンと、クラウドソーシングによるアイディア募集を、することにしました。
なので、みなな参加してね。
昼間は都内で、外出と来客で出たり入ったりの一日。明日の朝に大学に用事があるので、夜かいじ号で甲府に移動して、駅前のホテルに投宿。
火曜日の深夜は、23時からIEEE802.11aiのテレカンで、その後24時からWi-Fi アライアスンのテレカン。ところが、今日は11aiが二時間に拡張モードなので、Wi-Fi アライアンス側は出席できない予定だった。
でも、ちょっと気になる点もあったので、PCとWEB-EXで11aiのテレカンをしている横で、iPhoneでGoTo Meetingで開催されているWi-Fi アライアンスのテレカンにも、入ってみた。
幸いにWi-Fi 側がはじまって直に11ai側が終わったので、あまり影響はなかった。それにしても、WebEXもGoTo Meetingも、iPhoneや Androidのアプリは良く出来てる。
思うに、在宅勤務云々でライフワークバランスの向上みたいのもあるけど、こういうツールは、地理的な条件を超えて多くの人で協調することのほうが、意味合いが大きいのではないだろうか。
昨夜というか今朝方は、二つのテレカンの為に甲府泊まりで、今朝大学に寄ってから東京へ戻った。
今日の昼は、某省の方で今は交流人事で違う省に出向している方と昼食。彼と仕事をしたのは、コテコテの技術系な部分なんだけど、いまの出向されている先は、基本的に技術ではない。
でも、話しを聞いていて感心させられるのは、技術であれ、違うものであれ、それを素人に説明できる才の凄さだ。彼の話しは、とても判り安いし、上辺の言葉では無くて、自分で今の仕事を咀嚼しているから出てくるものだ。
巷では、誤報だ捏造だと騒がれている新聞社が、十分な説明責任を果たしていないということで、厳しく追及されているけど、結局仕事というのは、1人で山奥に閉じこもって、自給自足の生活をしていないかぎり、社会の中で、社会の公器、機関としてなされるのだから、いつも説明責任が求められる。そういう時に,仕事の本質を自分で咀嚼して、理解していることが重要であることは間違いない。
僕は、仕事の関係で霞ヶ関の官僚の人達との付き合いが多いけど、総じて皆さんこの辺りが優れている。世の中では、いろいろな事を言う人がいるけど、やはり地頭のクオリティは重要なんだなと思ったランチは、本当に楽しかった。
午後は、今年度からはじまる、日欧の共同研究プロジェクトの打ち合わせで、丸の内の某社の会議室に集合。こちらは、日本側だけでも6組織による共同研究なので、なかなか僕のとこのような零細では出来ないスケールのあるプロジェクトになりそうで、これまた楽しみだ。
夜は,EverySense,Incにインターンシップに来ている学生さんを囲んでの懇親会。僕は、もうすぐ学生の身分がなくなるんだけど、学生さんっていいなぁ....
成田を昼前に出発するターキッシュエアーで、イスタンブール経由でアテネに向かう。それにしても、ターキッシュエアーの搭乗ゲートのマネージメントがグダグダでビックリ。搭乗待ちのお客様に、複数のグランドの人がバラバラに案内するし、アナウンスとグランドの行動がまったく同期していないし、列に関係なくパスポート確認したりと、かなりの混乱。チェックインの時に、搭乗時間がかなり早まるといわれたけど、決局は予定と変わらなかった。
少しフライトも遅れて、途中で乗り換えとなるイスンタブールでは、到着時刻=乗り継ぎ便の出発時刻という感じで焦ったけど、こちらもゲートに行ったら混乱気味で、搭乗以前に待合室に入るところで、長蛇の列だった。ターキッシュエアーって、機内のサービスの評判は良いけど、グランドはこんなものなのか...
アテネの空港からホテルには、メトロ三号線で一本なのだけど、空港の駅のプラットホームは、メトロと市内電車が共用。その事を知らないで来た電車に乗ったらメトロじゃなかった。途中までは一緒なので、乗り換えれば良いのだけど、乗り換え駅を確認しているうちに乗り越してしまった。
仕方がないので、逆方向でもどって、メトロに乗って、ホテルにやっと到着。まぁ想定の範囲内かな...
早朝に日本とテレカンをしたあと、積堆しているデスクワークの片付けで、夕方まで飯抜きで部屋に引きこもりになってしまった。
流石に、お腹も空いたので、夕方に地下鉄で一駅となりのシンタグマ広場まで出掛けて、アテネの中心部を散策。日が長いので、五時近くでも陽射しがつよく、サングラスを持ってくれば良かったと後悔するくらい。
途中のパン屋でサンドイッチとジュースでお腹を満たして、旅行会社で明日のツアーのチケットを買ってホテルに戻った。
それにしても、村上春樹の"遠い太鼓"に書かれてたけど、ギリシャは、ほんとうに犬が多い。広場でも店先でも、犬がベターと石畳の上に寝ている。しかも、どの犬もデカイ。中には、飼い犬ぽいのもいるけど、どうみても日本だと野良だろうっていうのもいるんだけど、痩せこけていないから違うのかしらん。
明日からの会議の前の休日ということで、昨日手に入れたバウチャで、エーゲ海の島を巡るツアーに参加。朝七時にホテルのロビーでピックアップされて、幾つかのホテルを回った後ピレウスの港から大型の観光船で出港。
日本人の団体客もいるので、このツアーを主催している船会社は、日本人のスタッフもいて、日本語で乗船や各島での注意事項などもアナウンスしてくれる。
三時間くらいかけて、最初のイドラ島に接岸。ここは、とにかく海が綺麗で、岩場のところにレストランがあったり、海へおりるデッキとテラスがあったりする。それにしても、この島は、車もバイクも乗り入れしてなくて、島内の貨物輸送はロバ。 そのせいなのか、アテネとは違って犬じゃなくて、猫だらけだ。猫もしっかり大きいのは、地中海の温暖な気候のせいなのか。
一時間半くらいで船にもどりイドラを出発。船のなかでツアーに含まれるバイキングの食事。僕は、南アフリカから来たという夫婦連れと同じテーブルで雑談。アベノミックスの効果はどうだなんて聞かれてしまった。
二つ目のポロス島は、とても小さい島で、帰港時間も短いので、港の直ぐ上にある時計台まで上がって降りたら出港。
最後のエギナは、もっとも大きい島で、歴史も古く紀元前六世紀くらいのアフェア神殿が残っている。船の中でオプションを申し込んだので、港からバスで、アフェア神殿とネクタリオス修道院を回って港にもどったら、ちょうど良い時間だった。
ちょうど、この時期はこの島の名産物のピスタチオの収穫の時期で、港近くの土産物屋では、生のピスタチオも試食させてもらった。
遠くに沈む夕陽を見ながらピレウス港にもどり、バスでホテルまで送迎してもらい、無事に一日クルーズが終了。
さて、明日からは、いよいよ大詰めの会議がはじまる。
とりあえず、今夜からのIEEEに向けての準備をし、昼前に知り合いの研究者と昼食がてら市内を散策。観光地のど真ん中のタベルナで、昼はケバブ。
そのあと、古代アゴラとアドリアノスの図書館跡などを見て、シンタグマの駅近くのカフェイで休憩したあと、ホテルにもどった。
それにしても、アテネというのは物価が高いのか安いのか不思議だ。ホテルは、会議のグルプレートレートで160EUだけど、グループレートじゃないと軒並み200EUは超える。しかも、部屋のインターネットは、通常会議中は無料なのに、ここでは20$/dayかかる。
じゃ、なんでもかんでも物価が高いのかというと、離島でも街中でも、ミネラルウォーターは、1.5リットルで1EUだし、食事も簡単なミールとコーラとかだと、観光名所の近くでも8EUとかで済むという、なかなか判断が難しい場所だ。
一つ言えてる事は、空港でも観光名所でも、日本のようにWi-Fiが使えない。レストランとかにFree Wi-Fiというサインを掲げているとこはあるけど、駅とか空港とかにはない。これは、アテネが独特なのかというと、僕のあまり多くないかもしれない経験から言わせてもらうと、ヨーロッバではどこも似たようなもんだ。だから、日本でもいまのままで良いとは思わないけど、こういうファクトを踏まえたうえで、次のステップを考えるべきだろう。
こうして、海外に来てみると、日本は世界的にみてもWi-Fiの整備が遅れていて使いにくい国だという報道は、やはり違和感を覚える。最近話題の某新聞社の報道みたいに、恣意的に何かを狙って煽動しているんじゃないかと思ってしまうのは、穿った見方なのだろうか?
夕方のチェアアドバイザリーから本番のスタート。とりあえず、タイムスロットの修正リクエストをしたりして、そのあとはバイスチェアと今週の戦略の打ち合わせ。しかし、肝心のエディターが来ない....まったくもう。
九時過ぎに打ち合わせが終わったら、食事に行っていた知り合いらとロビーで会ったので、ホテル横のタベルナでウゾを一杯。相変わらず不思議な酒だな..
二つほど、アテネでの電気ネタを。
一つ目は、昨日乗った船に、関連会社のレーダーがしっかり搭載されていた。小型船舶では、世界的にシェアを持っているで、さほど珍しいわけではないけど、なんか嬉しい。
二目は、アテネの街中のアンティークショップの片隅に積まれた、真空管やらチョークコイル、高周波コイルのジャンク。こういう光景は、僕が子供の頃の秋葉原には普通だったけど、最近は見かけなくなった。しかし、真空管の横には、鉗子のジャンクというのがなんだかなである。
IEEE802.11のInterim初日は、Opening Plenaryのあとに、TGaiがスタート。残っているコメントリゾリューションの多くが、今日の二つのスロットで承認された。なんとか、今週には次の書面投票に進める目処が少し見えて来た。
今日は、TGaiの他に、NG60SGという、新しいミリ波のスタディグループの初回会合に参加。ご多分にもれず、新しいグループが出来た最初の頃というのは、何でもありで賑やかだ。
IEEEでもWi-Fiでも、新しい技術の話しのスタートは、Use Caseだ。つまり、社会での課題を示して、それに対するソリューションとなる技術を策定するわけだ。だから、誰がどのシーンで、どういう問題を抱えていて、それが解決されたら、どんなに幸せかを提案する。
ところが、技術屋が中心で提案してくるUse Caseは、ところどころに、技術ありきで、Use Caseの話し、トポロジシーの話しがミックスしてるパターンが多い。
今日のNG60SGでの提案でも、一つの提案発表のなかで、三つのUse Caseが示されたけど、そのうちの二つは、アクセス技術の話しで、一つは利用シーンの話しというように、視点が違う話しを並列に並べて論じられていて、いまひとつ論点が惚けてしまう。
こういう、Use Case Discussionのシナリオをイメージして起草するという訓練は、とても大事なんだけど、なかなかこの辺りを習得するチャンスは少ない。
高校の同級生に売れっ子の脚本家がいるんだど、技術屋のための脚本、シナリオの書き方教室とかしてくんないかな... ボソっと。
明日は、早朝に二つのテレカンがあるので、ホテルの近くのタベルナで知人とピザなどを食べて、早めに就寝。
今日の午後は、IEEE802.11aqとのジョイントミーティングがあった。TGaqは、無線LANの接続認証をする前段階で、サービスディスカバリーや非常時のアナウンスをする仕組み。仕様を策定するうえで先行している11aiと共有できる部分があるため、ジョイントミーティングでの確認となった。
ジョイントディスカッションが早く終わったので、その後はTGaiのレギュラーセッションとして議事を進めて、二つほど決議もした。ところが、途中でWGのセクレタリーがルールを再確認したら、ジョイントセッションの使い方として微妙な疑義があるということになった。
というわけで、続くレギュラーセッションで、Move to affirmという動議をするか用意したんだけど、結局は出席者が一緒なので、全員承諾となった。
しかし、こういう一連の議事運営って、経験による蓄積しかないんだなとつくづく思う。まぁ、とにもかくにも11aiを無事にリリースできるまで頑張らねば。
夜は、標準化仲間5人で、シンタグマの裏道にあるギリシャ料理で夕食。今日も、ボリュームしっかりでワインも飲んで、1人15EUだった。酒屋でワインを一本仕入れて、夜は4人で部屋飲み。
ちょっと、悲しいことがあったので、今日はしみじみ感で飲めたのが良かった。
今日は、Mid Week Plenaryと二つのTGaiスロットで、ほぼTGaiのD2.0に対する修正案が出そろった。それでも、各自が読み返すと、いろいろとエディトリアルな修正は、まだまだ出てくる。というわけで、今日も既に決議した修正案のドキュメントにTypoが見つかって、再決議するなんていうのがあった。
水曜日は、恒例のソーシャルなんだが、いつもと違って今回は有料。ホテルからのバスの送迎、アクロポリス見学、ディナーのツアーで95EU。個別に行けば、アクロポリスの見学は12EUだから、かなり高い設定。それでも、まぁソーシャルであるというのがコミニュティにとって重要なので参加。
それにしても、紀元前500年以上も前に作られたというアテネのアクロポリスは、壮大で神々しさ満点で、悠久の時の流れを感じる。
実は、昨日日本から友人の訃報が届いた。僕よりも5つ若い友人で、昨年来入退院を繰り返していた。四月の終わりに、共通の知人が東京に来られた時に会食したのが、彼と会った最後になった。
彼は、インターネットの黎明期から第一線で活躍してきたSEであるととともに、アマチュア無線の世界でも第一人者だった。病気と戦って療養している間も、新しい事にどんどん取り組んでいて、最後まで技術屋魂そのものだった。
人の死は避けて通れないもので、毎年のように僕の周りでも鬼籍に入る仲間がいる。本当に悔しくて、残念なのは、最近は僕と同年代や僕より若い人を見送ることが多いことだ。
僕は、特定の宗教に信心していないのだが、神殿や教会、お寺などの宗教的施設を訪れる時に、こういう他界した知人や親類の事を、心の中で思い出す事は多い。こういう機会というか環境を得るという意味で、宗教的なにかは、宗派に関わらず人に必要なものだなと感じた日だった。
今日の三つのタイムスロットで、IEEE802.11aiは、無事に全てのコメントリゾリューション作業が終わり、明日のWG Plenaryで次の書面投票を始める決議を行う。
昨日までに、ほとんどの作業は終わっていたのだけど、土壇場になってデータベースに抜けが見つかった。基本的には、記載漏れであり作業と内容は承認はされていた。しかし、いかんせんタスクグループ内での動議が提出されたあとというタイミングだった。
ということで、審議を一旦棚上げし、抜けていた部分の個別動議を可決し、審議を棚から戻すことを可決し、最初の動議の内容修正を可決し、やっと元の動議を可決となった。
まぁ、こういうプロセスを大事に運営していることが、この標準化の良いところであるが、本当にいつも勉強になる。
夜は、チェアミーティングのあと、ホテル近くレストランにいる知人らと合流して、イタリアン系。その後、毎度の部屋飲みで、無事に残っていたワインも消却。
参加しているIEEE802.11のInterimは、午前中のClosing PlenaryでTGaiのDraft3.0を書面投票に付議する動議が無事に可決された。これで、エディターが今回の会議で可決された修正事項を反映したD3.0の策定を終わらせ次第、15日間の書面投票に入る。
という事で、無事にミッションをクリアしたので、午後からはバイスチォアやベテランのメンバーら五人で、徒歩でシンタグマの街中へ移動。途中のタベルナで昼食をとって、暫し世間話に花が咲いた。
その後、皆は古代アゴラを見学するとのことで、僕は既に見学しているので、一旦別行動に。
僕は、プラカの真ん中位にあるアンティークショップ街などを通って、大学方面を散策。アンティークショップには、ラジオやら手動計算機やらがあったけど、まぁお金をだして買う気になるものはない。
帰りも、ホテルまで徒歩でもどって、分かれたメンバーが戻ってくるまでロビーでマタリと待機。
全員がもどったあと、ラウンジで少し話しをして、僕と某ベテランの二人は、別な宿に移動。なんとか、メインのミッションが終わったので、早めに就寝することにした。
ギリシャに犬が多いと村上春樹が書いてたけど、本当に大い。不思議なのは、街中に居る犬には、以下のような共通点がある。
1) 首輪と鑑札みたいなのをつけてる。
2) 中型犬から大型犬ばかり
3) 寝そべってる。寝てなくても、寝そべってベターってしるのもいる。
4) 歩道の真ん中、バス停の中、高級なお店の玄関等にベタっている。
アクロポリスの入り口の階段にもいた。
5) 人が横を通っても動じない。
6) 吠えない
もう、なんだかなというくらい、堂々と人の流れの真ん中で寝転んでいて、通行人はそれを何も気にせずによけて歩いてる。しかも、基本的に、歩いたり走ったりしている犬を見ない。
一体全体この子達に主はいるんだろうか?、どうも、朝とか夜は居ないみたいなので、ご主人様と朝に街にでてきて、ご主人様の帰りまで待ってるのだろうか?
でも、夕方見かけた子は、人と一緒にちゃんと信号を守って、横断歩道と路面電車の踏切をこえて、何処かへトポトボ歩いていった。
紀元前からの遺跡だろうが、地下鉄だろうが、目抜き通りのファッションビルだろが、とにもかくにも落書きだらけ。しかも、上からベイントしたり消そうとした形跡がない。つまり、まぁあるいみ社会的に公認されちゃってる感じがする。
そんなか、今日通ったビルの入り口は、ベティブーペやアリスの絵とかがベインティングされていて、チェシャ猫とかもいて、流石にこういうのがあると落書きされないみたい。
アテネも最後なので、お土産をもとめて朝から中央市場に行ってみた。市場の内側は、海鮮で地中海からの魚が沢山ならんでいる。外側は、肉系で豚、羊、牛、鳥などが、これでもかというくらい吊るし売り。もう、日本ではこういう精肉しながら売ってくれる市場は見なくなったけど、部位ごとに裁いて売っているのは、やはり美味そう。もっとも、ずらっと並んだ豚足とか、豚の頭とか、皮を剥いだだけの子羊とかは、きゃー気持ち悪いなんて言われちゃうのかもしれないので、写真はフェースブックだけにしといた。
市場の外周には、乾物と野菜,果物のお店が並んでいて、チーズやピクルス、ベーコン、ハムなどの加工モノも沢山。動物検疫さえなければ、買いたいものだらけ。
というわけで、この時期ならではの生ピスタチオ、オリープの漬け物、アンチョビフィレ、イチジク、オリーブオイル等を購入。オリーブは、近くで保存容器を売っていたので、それを買ってそれに詰め替える。
アンチョビフィレは、缶で購入したけど、きっと封入が弱いので飛行機にのると汁が滲み出る可能性が高いので、スーパーでラップを買ってグルグル巻きにしてパッキング。
それにしても、日本のクリナップとかサランラップのクオリティの高さは、半端無いことを痛感させられた。
早朝にアテネをでて、イスタンプール経由での帰国の途につく。あまり、確認してなかったのだけど、ターキッシュはトランジット向けに素晴らしい市内ツアーを無料で提供してくれているという話しを聞いた。
それは、いいなぁと思って、乗り継ぎ時間を調べたら、ばっちり8時間もある。ヨッシャーということで、イスタンプールでは、トランジットゲートに行かずに、イミグレを通って手荷物だけで入国。ちょっと迷ったけど、インフォメーションデスクで教えてもらい、到着ターミナルの端にあるターキッシュのサービカウンターへ。市内観光したいんだけどと言ったら、このサービスは、イスタンプールへの到着と出発の両方がターキッシュじゃないと駄目とのこと。チケットは、ターキッシュで購入したけど、アテネ〜インスタンブールはエーゲ航空だから駄目とのこと。
あとで、ふと思ったけどコードシェアだから交渉すれば何とかなったかもしれないけど、あっさり諦めて手荷物は一時預かりに入れて、地下鉄とトリムで市内に移動することにした。予定をしていなかったので、机の中に眠っているトルコリラをもってきていないので、少しだけ両替をして、市内へ。
お目当てのグランドバザールに行ったら、なにか様子がおかしい、みんなお店が閉まっていて、想像してた人混みが無い。そこで、漸く今日が日曜日な事に気がついた...orz...
仕方が無いので、人の居ないグランドバザール周辺を散策しながら、エジプシャンバザールまで歩いたら、こちらはもの凄い人混み。今回の目的は、トルコ独特の蝋づけしたカラスミ。中程にある日本語の通じる店で、試食をしながら地中海産と黒海産を購入。キャピアも試食したら欲しくなったので少しだけ購入。
その後、ガラッタ橋でお約束のサバサンドを食べて、歩いてアジア側に渡り、露天でザクロジュースをのんで、鯖臭い口をスッキリ。帰りは,トリムで橋を渡って、そのまま空港に戻った。時間的には、かなり余裕があったので、地下宮殿にも寄ろうと思ったけど長蛇の列なので諦めた。
空港にもどって、評判のターキッシュエアーのラウンジに入ったら、確かに大きくでビックリ。二階建てで、レーシングモデルカーやゴルフシミュレータ、ミニシアターまである。
それにしても、昨日のアテネの中央市場も今日のバザールも、歩いていると頭の中に久保田早紀の異邦人が流れ出す。
特に、2番の♪祈りの声 ひずめの音 歌うようなうざわめき♫の下りは、未だ見ぬこの地のイメージを,僕の深層心理に植え付けていたらしい。
同じ時代では、庄野真代が好きだったけど、飛んでイスタンブールは、まったくイスタンブールにそぐわない都会の歌だった。まぁ、どうでも良い事ですが...
イスンタブールの市内に入ったのは、二回目で前回は2000年のWRC (World Radiocommunication Conference)だったから、実に14年振りだったけど、あの時も同じ歌を口ずさんでたから、進歩がないか。
朝がた帰国して、無事に昼に会社に帰還。昼は、外苑駅前に改装して新店舗となった蕎麦の増田屋さん。残念ながら新装開店の混乱か、蕎麦が茹で過ぎていたのが痛かったけど、出汁の効いたそばつゆで、和を感じれたのが幸せ。
さて、先週の会議で改めて感じたのは、日本企業じゃなくて、日本人と中国人やインド人とのグローバル化差だ。
顕著なのは、米国や欧州の在外法人に所属勤務していて、国際会議などに出てくる中国人、インド人は沢山いるが日本人はいない。日本人は、日本法人に所属・勤務していて、出張ベースで国際会議に参加しているか、日本法人の在外現地法人に勤務している人だけだ。
周りを見てみると、金融にしろ製造業にしろ、外資系企業でそれなりポジションとなった人も、圧倒的に外資の日本法人に勤務して、本社のポジションに抜擢された人は多い。しかし、しかし、留学して外国の大学を卒業して、在外法人に勤務して、ハイクラスなポジションにスキルアップした人は、かなり稀有だ。
そりゃ、確かに元となる人口が違うといえばそれまでだけど、この辺りに何か日本のグローバル化の根本的な課題があるような気がする。
夜は、吉祥寺でコテコテに和の会食をして、かいじ号と各駅停車を乗り継いで、久しぶりに日野春に電車で戻った。
暫くぶりに戻った山梨は、もうこれでもかというくらいに、草が伸び放題。かといって、このタイミングから草刈りという気力が起きない。
ということで、朝はアテネの市場で買って来た生のピスタチオをの外皮を向いて、天日干し。生のままでも充分に美味しいのだけど、日持ちが悪いので、ローストするための第一工程がこれ。
ピスタチオって、胡桃や銀杏と同じで、外側は柔らかい繊維質で、それを剥くと固いおなじみの殻。さらに、この殻を割ると、赤茶色の薄皮に包まれた実がでてくる。そのまま食べる場合は、この薄皮は剥かないけど、ピスタチオペーストとかアイスにする場合には、この皮もとると、中は緑色の実になっている。 ということで、マトリョーシカのようなもんだ。ピスタチオペーストとかにしても良いけど、作り置きがきかないし、このまま食べても充分いけるので、今回はローストだけする予定で、ざるにあけて干しておいた。
昼前に散髪にいってスッキリしたあと、午後からサニーで一鞍。知り合いのメンバーさん達がエンデュランスの練習で外乗に出掛けた間、1人で馬場で一鞍。今日は、パートナーのかすみ号がやたら元気で、駆足とかもすぐ出るのは嬉しいんだけど、馬なりになってはなるまいとなんとかコントロール。
帰宅後、猿に盗られていないか気になっていたピスタチオをの無事を確認して、ライムと塩を振って、オーブンで軽くロースト。生も美味しいけどローストすると殻も取りやすいし、香りがあとをひく。加工されて販売されているのは、塩が強いので、生を仕入れて自家製ロースとした方が良い塩梅でいいかも。
夕飯前に、畑の入り口から耕作してるとこまでの草刈りを軽くしに畑に。モロッコインゲン、ピーマン、茄子、ししとうが、まだ収穫できる。でも、夕方にものの数分収穫していただけで、もの凄い数の蚊にさされてしまった。デング熱になったらどうしよう。
今年は、時間がなくて大根、白菜、野沢菜などの定番類さえも、まったくつくれなかったし、夏野菜の三畝以外は、もう耕作放棄地状態なのが悲しい。
夜は、家人の車で東京に戻って、深夜からのテレカンに参加。
昨日のピスタチオの件で、実は植物検疫が必要ではなかったのかという指摘を身内からされて、確かにそうだと気がついた。その後、FaceBookでも、知人から同様の指摘があった。
ということで、農林水産省のHPから担当部門に事情の報告をした。その後、農水省の管轄部門である横浜植物検疫所の方から電話をいただいた。
電話で、状況、何処の国から持ち込んだか、どこの空港からか、量はどの程度か、状態はどういうものか、持ち込んだものをどうしたかなどを、一通り説明した。実際に、持ち帰ったものは、加熱加工して、食べてしまい、殻とかは捨ててしまっていたので、口頭での説明となった。もしかしたら、殻とか皮も残っていれば、サンプルとして提供して欲しかったのかもという感じだった。
その上で、非加工のピスタチオの場合、空港の検疫カウンタで虫の付着などの目視検査をして、合格であれば持ち込めるということを教えていただいた。
とにもかくにくも、今回の場合は、既に食してしまっているので、今後はちゃんと届けるようにとの御指導と注意をいただきました。
勿論、中には輸入そのものが禁止の植物もあるし、不用意に捨てた種子が外来種として生態系に影響を及ぼすような事態を招く事もあるわけで、自分の迂闊な行動については、反省している。
担当の方の電話対応も穏やかで丁寧だったので、ついついいろいろな事まで聞いてしまったのだが、調子にのって生ハムとか加工肉の持ち込みについても質問したら、それは植物検疫ではなくて動物検疫だから部門が違うとのこと、うーん縦割りなんだから.... まぁ、きっと動物検疫の人に生ハム持ち込みたいのですがと聞いても「ダメよ、ダメダメ」って言われるだけだろうけどね。
今朝は、大学に行って学位授与式に出席し、博士(工学)の学位を授与いただいた。式事態は、学部、修士、博士、論文博士の全て共通で、21名が出席で、他に欠席の人が数名いた。そして、半数近くがインドネシア、マレーシア、中国、ベトナム、タイなのど東南アジア諸国からの留学生だ。山梨大学に限らず、日本の大学では、本当に多くの留学生が学んでいて、彼らは卒業後に祖国で相応なスキルアップをして活躍されていたり、次のステップに進んでいる。こういう意味では、日本のグローバル化といのうは、まぁ進んでいることは進んでいる。ときに、他の国の大学では、同様に多くの日本人の留学生が卒業式に列席している光景があるのかは、ちょっと気になったけど、こればかりは見た事が無いのでなんとも言えない。
さて、とにもかくにも、まがりなりに三年半(予定では三年だった)の博士課程を終了し、学位を授かった訳なのだが、だからなんだというと、このまま研究者の道に進むわけではないので、特になにも変わらない。
式典では、学長先生が前途洋々たる若者達への祝辞を述べていたけど、僕の年齢で、こういう祝辞を聞くのはとても照れくさい。もともと、課程に入学するかどうかを相談した時に、学位はある意味パスポートみたいなもので、持っておくことにこしたことはないですよと言われた事を思い出す。
僕は、元々実践主義で、無線とか工学については、子供の頃からやってなんぽという主義で生きて来た。なので、あっちこっちに無線をしにいったり、いろいろな工作に明け暮れて来て、学生時代にはあまりに勉強そっちのけだったので、親に作業机も無線機も封印されもした。
社会人になってからも、世の中で論理はあっても、実用化されていないような技術を、実際に実用できる形にするという仕事ばかりをしてきた。だから、学術的な意味でいうところの、新規性云々とかになると、まったくの発見や発明をしてきたわけじゃない。でも、僕にいわせれば理論があったり、個々の要素技術があっても、世の中で使えないなら意味ないじゃんと思って来た。
ところが、年齢を重ねるに従って気づいたのは、やはり人がまだ実現できていないことを実現したなら、それはそれで将来の誰かのためにきちんと記録して、残すことも重要ではないかということだ。
実際、今回の研究テーマのコンセプトである"通信システムの新技術は、階層化した仕組みでEnd to Endなシステム評価をするべきだ"というのは、20年くらい前から思っていて、そういう計算機シミュレータをつくる研究も、某省の関係に提案したことがある。この時もアイデアは採用され、予算措置もとられたけど、仕事としては大手通信事業者系列の研究所がプライマリーとなり僕はその実装の一部を手伝うだけで、後に成果がひろく参照されるような記録にはならなかった。
無線LANにしても、いま世の中で使われているWi-Fiの利用シーンやアプリの多くは、15年前にMISで示したことだ。だけど、そこで取り組んだ課題や、実装について、きちんと周知したり記録することにもっと取り組んでいたら、もう少し今の人達に貢献できたのではと思う訳だ。
そんなわけで、たまたま数年前にあるパネルディスカッションで、無線を含めたテストベッドの在り方について議論をした時に、僕が提唱したエミュレータについては、実装だけでなく記録も残そうと思い、それに取り組みたくて博士課程に入った。
とにもかくにも、僕はお勉強が得意ではないので、頭より手足というかんじで、とにかく実装したり行動してみるタイプだ。なので、長年、技術にしても,経営や営業の仕事にしても「いや、それ僕は、実際にやったことがあるんだけどさ...」と言うネタをいかにポケットにたくさん持っているかを追求してきた。
そんな意味では、今回は、「実は、僕も大学で論文ていうのを書いてみた事があるんだけど....」という経験値がひとつポケットに増えたことは、嬉しい限りではある。
そこで次のステップですが、そうじゃなくてもポスドクが多くて、その人達の仕事が充分でないという時代に、人生の半分以上を経過した年寄が学位を取ったからといって、その数少ない若者のチャンスを横取りするようなことはしないつもりです。でも、まぁ折角いただいた学位なので、すいませんこれがなきゃダメという仕事があれば、ぜひください。(笑)
今日は、午後から成田経由でサンノゼに来たので、きちんとした報告も関係者に対する謝意なども、整理しきれていませんので、こんなことを書いていますが、改めて研究の報告などは、関係各位にさせていただきたいと思っています。
三年半にわたり、御指導というよりご迷惑をかけた関係各位の皆様には、本当に感謝してやみませんか、取り急ぎのご報告です。
I got a degree of Ph.D. from university of Yamanashi today.
The title of my research is "Implementation and evaluation of module based wire-wireless system emulation". I implemented actual system and reported it in a couple of academic community during my student period,
I was aged 51years old when I entered the graduate school in 2011.I had a lot of experience in electronics and wireless technology domain since 10 years old.
Always I've been trying to stack up an actual implementation and experience before someone did.There are a lot of technologies that is not yet realized even if the theory is right.My most of passed business stands on those emergent technologies.
However most of my work focussed on development actual products or services, and I did not put the record of my work for the next generations.
Since I got a little bit aged, I understood it is really important to record the history of development new technologies.
Therefore I decided to enter the university again to record and report my work when I start the development work of new wireless emulation system.
Today I got one new experience that is called academic activity.
In the future someday I may tell to young peoples that "I had experience of academic research work in university and in that case ...."
I hope that my small experience and knowledge may help young people's challenges.
Thank you very much for those who supported and mentored me in academic activities.
昨日から今日にかけて、シリコンバレーのVC系な人達との打ち合わせをいくつかした。そんななかで、今日の打ち合わせでも話題になったのだが、VC,インキュベータ、アクセラレーターの違いだ。
さすがに、日本でもインキュベータという言葉は耳にすることが増えたけど、まだアクセラレーターという感覚はない。なので、投資の話しなどても、昔ながらのバリュエーションベースの話しになるが、こちらでは圧倒的にConvertible note(転換社債)が主流のようだ。
いづれにしても、投資、育成の量が圧倒的に多いからこその文化なのかもしれない。この辺りについては、まだまだ理解できていないことがおおく、昨日から今日にかけてのミーティングは、とても勉強になった。
夕方は、がらりと変わって、知り合いのエンジニアと、ある案件の試作品の打ち合わせ。なんだかんだ、動く物があると気持ちが昂揚して楽しくてしょうがない。明日は、これを使ったデーター取得をしてみよう。
とあるセンサーの実験で、馬につけてみようということになった。というわけで、何度かシリコンバレーでトレイルライドしているところで予定していたのだが、生憎とこの週末は空きがないとのこと。
仕方が無いので、ネットで検索して、いくつかの外乗できるところを当たったのだが、どこも予約が埋まっていたり、休業中だったりで見つからなかった。
ようやく、一カ所だけBecky Hart Pro というとこに、電話が通じて今日の2時からアリーナでなら良いよというので、昨日のうちにいろいろとセンサーの準備をして出掛けた。
到着して話しをしたら、なんとオーナーというか相手してくれるのは、エンデュランスの世界チャンピオンに三度もなっている有名な方。確かに、HPにそんな事は書いてあったけど、まさか本人が見てくれるとは思わなかったから、気にしていないかった。
日本から来ているとと行ったら、日本のエンデュランスの有名な方の名前を言われて、知ってる?とか聞かれたけど、生憎と僕はまったく初心者で、エンデュランスという言葉だって知ったばかりなので、ごめんなさい知りませんという感じ。
同じ時間に三人くらいの女性達が準備していたんだけど、その人達は教え子らしく、エンデュランスの練習に行くそうだ。というわけで、なんと元世界チャンピオンからのプライベートレッスンになった。観光の外乗とは違い、馬のブラッシング、馬装から全て自分で指導されながらするのは、日本で指導してもらっているサニーさんと同じ。
その後、敷地内のアリーナで、とりあえず並足から乗ってみてということで、並足からスタート。リラックスすること、膝の開き方、重心の感じ方などを逐次指摘されながら、並足から早足と一時間半にわたりバッチリ個人レッスンになった。
最後も馬装をといて、足裏をほって、ブラシしてと、普段のサニーさんでのレッスンと同じ。こっちでも、こういうのがビジターで受けられるとは思っていなかったので、かなり満足。
肝心のデータの方は、あまり上手に取れなかったけど、それなりのサンプルは出来た。だいたい、レッスンとなると、そこそこに途中で手を休めて操作できないから、そこはちょっとデータの取り方も考える必要がある。
途中、ブーツショップとかを覗いたら、ラングラーのカウポーイカット(ステッチの合わせが外側にある)のデニムがあったので、一本購入して、ホテルに戻る。
ホテルに戻って、さっき言われた日本人の人の名前をGoogle先生に聞いたら、その方はなんと日本のエンデュランスでもトップクラスの人だった。それにしても、まったくの偶然で、世界チャンピオンにレッスンしてもらえというのは、なんだかビギナーズラックだろうな。
夜は、当地でお世話になっている知り合いから連絡があり、サンタクララの日本食レストランで一献。綺麗な刺盛などを堪能。
昨日の某センサーのデータ取りは、アリーナだったこともあり、早足までだったのと、なかなかデータの取得タイミングがうまくいかなかった。
ということで、もう少しデータを採りたいので、Daily CityにあるMar Vista Stableに行ってみた。ここは、原則予約なしなのだが、週末の日中とかは人が多くて、大きなグループでのんびりとトレイルするだけ。以前に来た時に、少し聞いたらEarly-Birdだと人数が少なければ、ガイドとかなり自由に乗れると言っていた。
というわけで、ちょっと早起きをしてEarly-Birdに間に合う時間に来たら、最初はガイドの女の子と二人になりそうだったのに、出発間際に二人女性が増えた。それでも、4人馬で、全員経験者ということもあって、ビーチにでてから、かなりキャンターで走らせてくれた。おかげで、当初予定のデータも取れたし、キャンターはかなり爽快だった。
朝早かったので、帰りに遠回りをしてバークレーに頼まれものを探しに行ったのだが、生憎と在庫が無かった。そのまま、サラトガまで戻って、いつものHALUでラーメンを食べて、ホテルで夕方までデータの解析。
夜は、現地のパートナーと合流して、Los Gatos Brewing Coで軽く夕飯。今日は、日本時間の夕方までに、気になる仕事がいくつかあるので、僕はビール一杯だけにして、ホテルにもどってお仕事。
IEEE802.11TGaiのバイスチェアやWGのチェアとやり取りして、無事にDraft3.0がWorking Groupの書面投票をスタートしたので、とりあえず一段落。
今日は、朝一番のダウンタウンサンノゼでのミーティングからはじまり、サニーベール、パロアルト、サンマテオと順に北に移動しながら、5つのミーティング。
かなり手厳しいミーティングでの指摘もある一方、新しい発見もありで、精神的に出入りの激しい一日だった。正直かなり滅入った部分もあるけど、とにかくここを乗り切ることが重要なので、気持ちを強くもって課題の整理に取り組んで行く。
今日の最後のミーティングは、去年から大きな拠点をサンマテオにつくって、大量に日本からスタッフが来ている通信事業大手での打ち合わせ。いろいろと、僕は長い御つきあいの会社なんだけど、この拠点を訪問したのは初めて。打ち合わせが終わって、ロビーに出て来たら、去年からこちらに赴任している旧知の方とばったり。
多分、日本でももう何年あっていなかったので、実に相当ぶり。しかし、最近はFaceBookとかで近況を知っているので、直に顔をみて判るところが凄い。
最後の打ち合わせの後、サンノゼに戻って、当地在住の人達と会食。さすがに、今日は疲れたけど、いつもの仲間との一献で、穏やかに就寝。
今朝は、ホテルからWi-Fi Allianceのテレカンに参加。こちらは、WEB-Ex ではなくて、Goto Meetingなんだけど、どうも音質が悪い。参加者というかチェアーのとこでのエコーが酷いように思えるんだけど、MCUの問題なのかもしれない。テレカンで音質が悪いのは、かなりストレスがたまるんで、なんとかしてもらえないかなと、愚痴ってみる。
その後、パートナーにピックアップしてもらい、スタパで打ち合わせをして、帰国の途につく。
昨日も書いたけど、今回の出張は、良い点も悪い点もいろいろと絞り込めて来た。塞翁之馬じゃないけど災い転じて福となることもあれば、善かれと進めたことが誤りとなることもあるわけで、物事に一喜一憂していたら切りがない。
というわけで、こういう心境の時に、長時間のフライトというのは、いろいろな事を整理するのに手頃な空間と時間だったりする。