昼間は、歴史のある製造業の某社の経営トップの方と面談。同社は、かなりレガシーな製品メーカなのだが、なんとか次のステップへということで、いろいろと模索をされていて、ここ一年ほど僕もお手伝いをさせていただいた。今日は、この一年で少し見えた来た方向がうまく今後の展開につながってくれること期待しての報告に伺った。
そして、夜はシリコンバレーで活躍されているVCの方の、「シリコンバレーのIoT最前線と、日本のモノづくり企業への提言」という講演を拝聴。いまの自分の取り組みについて、もう一度課題を確認することができて、とても有意義だった。
今日のパネルや会場との質疑等を聞きながら、意外に思った事は、日本のモノツクリや製造業を支えた輸出専業OEMベンダーについては、あまり知られてない点だ。
日本の製造業の盛衰を語る時に、どうも皆ソニーやパナソニックなどのブランドメーカーと、そこに部品等を提供した協力会社や下請け企業には言及するけれど、高度経済成長後期にあった日本のOEMベンダーのことは語られない。
まぁ、OEM専業ベンダーだから、一般の人には、彼らのオリジナルな名前を知る機会がないので仕方ないかもしれない。OEM (Original Equipment Manufacturing)というのは、購入者である顧客のブランドで製品を製造して、提供するメーカーのことで、今風にいえば、さしずめ特定製品分野に特化したEMSだ。
僕が、三十年前に大卒で入社した会社は、そんなOEM専業の民生機器メーカーで、ラジカセやヘッドホンステレオ、テープレコーダー等を国内やアジアの工場で製造していた。当時は、日本にこの類の企業がたくさんあって、世界の家電製品の供給の多くを担っていた。フィリップスやAT&Tあるいは、シアーズなどのブランド製品の多くは、日本の中小企業が開発、製造提供していた。また、こういうOEM製造をメインビジネスにしていた企業のなかから、オリジナル製品をの販売に成功して、ブランドメーカーに転身した会社もある。
こういう会社は、所謂下請けではなくて、基本的に自分たちで製品開発をし、それをCESなどで展示し、ブランドメーカーのバイヤーがそれを買い付けるというものだった。だから、そこには開発、品質管理、部品の購買、製造技術などのメーカーとしての機能も職能のある人材も全て揃っていた。
今の、日本の製造業の衰退を問題視する意見として、ブランドメーカーの商品やサービス企画力が衰退した事を指摘する声は多い。しかし、そういうオリジナルに大ヒット製品を企画するようなブランドメーカーではない、OEM専業メーカーは、新たなスペックの製品を創出するというよりは、廉価でもそこそこの品質の製品を、タイムリーに供給できることがアドバンテージだった。つまり、彼らは商品企画力に対する企業価値の依存性がそんなに高くなかったはずなのだ。
そして、プラザ合意後の急激な円高をうけて、その多くは台湾〜香港〜中国へと製造拠点を移して行った。つまり、彼らはこそは、今の中国のEMSの源流と言えるだろう。実際に、僕は中国にある民生品の製造工場を沢山見てきたけど、成功しているところは、この時代の日本の製造管理や品質管理の取り組みを実践していて、日系の仕事経験者がかなりの比率で居るのだ。
では、数多存在したこれらの日本のOEM専業メーカーが、なぜ鳴海のようなEMSに転身できなかったのだろうかというのが、今日の会場の議論を聞きながら、僕の中に湧いて来たとても大きな疑問だ。
日本の製造業の衰退を語る時に、ブランドメーカーとその下請けだけでなく、これら名も知らないOEMベンダーのことを、もう少し突っ込んだら、なにか次へのヒントが出てこないだろうか?