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2014-09-06 黎明期

_ [インターネット] 黎明期

  今日は、5月にご逝去された、故 林英輔先生を偲ぶ会が甲府で行われた。僕が林先生と初めて仕事をしたのは、平成15年に総務省が行った千葉県の南房総で行われた地域情報化の調査研究会だった。僕は、数年前から無線ルータでの地域情報化のインフラ構築を手がけていた関係もあり、ITRCにも関係していおり、林先生がそれ以前に行っていたTRAINや地域インターネットの話しは、聞いたことはあっても、顔を合わせたのはその時が初めてだった。

  その後、卒業生を統合により異動した先の会社に紹介いただいて採用するなどもあった。たまたま、山梨の知り合いの紹介から、山梨大学の社会人博士課程に進む事になったのだが、この課程での指導教官の先生が、林先生の門下だと言うとが判り、ある意味直系の孫弟子になった。そういうことで、生前には拙い論文を読んでいただき、ご指導を頂いたりもした。

  こんな縁から、偲ぶ会の発起人の末席に名前を連ねることになり、今日に至った。今日は,北海道から鹿児島まで、広く先生とご縁のあった方があつまり、ご遺族とともに、先生の業績を振り返り、そのお人柄を忍ぶ会となった。

  今日の出席者には、先生が以前に山梨でされた講演の筆記録も掲載された小冊子が配布されたのだが、この講演記録を読むと、インターネットの黎明期の先人の苦労がとてもリアルにお話されていて感心させられる。

  ここに登場する人達の多くは、実はリアルに知っている人なので、その臨場感がなおさらなのだが、これはインターネットの黎明期の記録として、とても価値のある資料ではないだろうか?

  いまや、あって当たり前だし、社会生活に不可欠な基盤となったインターネットだけど、その黎明期にこれを構築し、運用していた人々の苦労たるは、まさに新しい世界への挑戦だった事が判る。

  僕は、インターネットを使いだして、サーバーを立てたりしたのは、1995年くらいだ。それ以前は、パソ通をつかって、インターネットメールを使ったしていたくらいだ。だから、所謂商用インターネットサービスがはじまってからのユーザで、それ以前の学術系の人達がPPPで互助的に展開,構築してきたある意味本当のインターネットワーキングは,残念ながら知らない若い世代なのだ。

  それでも、最初に知り合って、インターネットを教えてくれた人達が、自律分散、End to End というインターネットの本質を、しっかりと教えてくれた事と、まだそういうのもが見える時代だった事は、インターネットとそれによる社会変化の本質を理解すのにとても役立った。

  逆に、今はもう一部の学校などでも、商用インターネットサービスの一ユーザーという利用形態に移行しており、この辺りの本質的な部分は、意識する必要がなくなってきているのだろう。

  でも、こういうプリミティブな部分を構築し、その改革という大きな事に挑戦したきた人達といのうは、組織を超えて協調する事や人を育てて、若い人にバトンを渡す事に、とても長けているいることが、今日再認識した。

  また、今日の発見は、林先生は何かを立ち上げただけでなく、その多く仕事で、しっかりとそれを終端させていることだ。つまり、目的を明確にし、それを達成したら、その記録を残し、後進への道標をたて、自らは新たな挑戦の場へと移るということをされている。

  大抵の場合、プロジェクトというのは、立ち上げも大変だけど、解散や終端は、それと同等かそれ以上の労力が必要で、それを幾つかのプロジォクトでなされていた事は、本当に頭が下がる思いだ。

  こういう事ができる人は、悪戯に保身や利己的な理由で、立場や組織に連綿とするこがないので、やはりその元には多くの人が育つのなだろう。ぼくは、いづれこういう大人になりたいものだとつくづく思った。

  林先生の功績、足跡を振り返り、ご冥福を祈るばかりだ。合掌


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