いくつかのお仕事で、発表資料とか議事録とか、報告書とかを確認したり、議論したりするんだけど、作章と理解力というか思考力は密接だなと思う。
会議などでの他者の発言を、どう理解しているのかは、その人が起草した議事録や報告書に如実に現れる。物事を整理して、論理立てて、表現したり、作章したりすることは、まさに外からの情報を論理的に整理できるかの現れかもしれない。
ちょっとした言葉尻に引っかかって、本筋から離れてしまうことは、多かれ少なかれ誰にでもあるけど、そこから立ち戻れるのは、頭の中での整理の時間が短いかどうかなのかもしれない。
つまり、多少横道に外れても、その間に本筋とか論理的な立ち位置を確認できれば、元に戻れる。ところが、ああいえば、こういう的な思想だと、その場その場の言葉遊びになって、結論も合意もない会話が続く。
こういうパターンの人が書く報告書は、見事にそのパターンが現れるようだ。なので、徒然なるがままに書くのは、ファンタジーだけにして欲しいと思う今日この頃だ。もっとも、小説やファンタジーやエッセイだって、それなりの人の作品は、しっかり構成プロットがあるしなぁ...