夕方グローコムから多摩大に移られたK先生を囲む会のシンポジウムに参加する。 K先生は、モバイルブロードバンド協会の設立時から理事に就任いただいていることから、日ごろからお世話になっている。 今日の会には、インターネットの黎明期からの技術系な人達と、社会科学系な方たちが沢山参加されていた。 K先生は、経済学からスタートし、社会学の研究をされているのだが、パソコン通信の時代から通信社会、情報社会、ネットワーク社会というような社会について、実に造詣の深い研究と発表を第一線でされている。 インターネットの面白いのは、その社会的インパクトがじつに大きいことであり、理工学以外の研究者が多種多様な関心をもって、研究に取り組んでいることだろう。 インターネットが単に技術的な革新ではなく、自律分散と階層分離という大きな社会変化をもたらしたからなのだろうけど、これには技術的な必然性が根源にあると僕は思っている。 つまり、先にローカルネットワークが存在しており、後発的にそれら既設のネットワークとネットワークを接続するとう生い立ちから、プロトコルの徹底した簡素化が求められたと考えてる。 通信のプリミティブとしては、通信者間のユニークなIDの保証(アドレッシング)さえあれば、PSTNのような集中網では通信は可能となる。 これに加え、自律分散網の場合には、通信をするもののIDだけでは、経路が一意に決められないため、経路交換が必要となるわけだが、基本的にはこの二つ(アドレッシングと経路交換)さえあれば、通信はできるので、これ以上簡素化できないほど、インターネットはシンプルなのだ。 それゆえに、多様性があり、社会的なインパクトが大きかったと思っている。 もちろん、この通信の上にある名前空間などの話しも含めて、広義なインターネットが多くの研究者の研究対象となるのだろうけど、シンプルがゆえに大きなインパクトと多様性と広がりをもたらしたのだと思っている。