昼前に高松入りしたので、四国事業所のスタッフと昼食は、近くのこんぴら屋というところで、さぬきうどんとなった。 あの有名な「恐るべきさぬきうどん」以来、すっかり全国区になった讃岐うどんは、いまは全国展開するチェーン店まである。 地元の人にきいたら、やはり夏休みなどは、ちいさなうどん屋にも長蛇の列ができるそうだ。 映画のUdonは、全国での観客動員は、前評判ほどではなかったと思うのだけど、ここ香川では歴史的な観客動員数を達成したそうだ。 それにしても、商店街の中にある、比較的メジャーっぽい、この店でも老若男女問わずに、みなうどんをすすっている光景が、さすが本場という感じだった。
高松で行われた四国総合通信局主催のデジタル・ディバイド対策のための無線の活用に関する講演会にて、「無線を活用した地域のブロードバンド整備への取組み」を講演した。 平成10年に当時の四国電気通信監理局(まだ電監だった)主催の調査研究会で、徳島県鷲敷町という山間の町で小電力データ通信システム(2.4GHzの無線LANの前身)を使った、地域イントラネットの構築と実験を行ってから、足掛け10年近くになる。 当時は、自社で開発した2.4GHz 2Mbpsのスペクトラム拡散の無線ユニットと、PRUGが開発したイーサネットパケットを無線パケットで転送するとともに、動的な経路交換を自律分散で行うシステムを使って実験した。 既にこの時にメッシュネットワークを実現し、さらに動的経路制御による障害回避なども行い、自治体の公共施設だけでなく一般の家庭も含めてインターネット常時接続を実現していた。 この時は、アンテナ利得を緩和するために、実験局でおこなったが、その後すぐに法令改正により無線LANの高利得アンテナが使えるようになった。 また、変調方式も、2Mbpsから11Mbps,54Mbpsとなり、周波数も2400−2485が開放され、いろいろなメーカから同様の製品が販売されるに至った。 当時は、中山間地域には、ISDNさえ来ていなかったし、ブロードバンドの重要な要件として常時接続というものが認知されていなかった。 実際に、もっとも安い常時接続は、ISDNを使ったOCNエコノミーで、月額38,000円だったし、ダイヤルアップでは、ローカルコールが無料の米国などから比べて、テレホーダイを使っても高いというのが課題だった。 実にこの十年で、ブロードバンド環境は大きく変わったのだけど、最後の仕上げの条件不利地域の解決は、技術以上にスキームやビジネスモデルの確立などハードルが沢山あるけれど、ぜひライフワークとしてこの分野での最後の仕上げに貢献したいものだ。 今日の話しでは、BWA(Wi−Max)の実証実験の話などをさせてもらった。