朝、石和の旅館を出て近くの農園で桃狩り。桃狩りってのは、初めてかもしれない。畑に行く前に、さんざんサンプルの桃を食べて、畑にいってお気に入りの桃を各自二つずつ摘む。再び戻ってから、また桃を食べるパターン。
なんだかんだ、かなり早くに予定を消化して解散。ちょうど、近くにある知り合いのワイナリー直売所に寄り道して、二本ほど仕入れてから自宅にもどる。
なんと、昼前には帰宅できたので、午後はSunnyでAliceと1鞍。夕方まえに、畑の草刈りをして、夜のスーパーあずさで東京にもどった。
今日は、年に一度のモバイルブロードバンド協会の理事会兼社員総会。この協会は、かつてMISをおこなった時に設立した団体で、この協会での実験やプロトコル仕様が、最終的にはIEEE802.11aiとなった。
ただ、すでにMISもなく公衆無線LANは完全に普及したこともあり、ここ数年は催事後援などの限定した活動となっている。それでも、事務局のご尽力により年に一度の理事会、総会は丁寧に運営されている。
何が楽しいって、この日は、前の理事長である某先生も参加いただくので、インターネットの業界の裏の裏まで話ができることだ。
今日は、プロッキング問題の背景についての、濃い考察を聞けて、とても腑に落ちるとこがあった。
今日の午後は、シンガポールと日本のICT 政策協議会合で、データ取引所についてのプレゼン。自社のことはもちろんだけど、日本では民間手動でデータ流通を推進するためにデータ流通推進協議会が組成され、すでに100社を超える団体が参加していることを説明。
シンガポールは、都市型国家ならではの大胆な科学技術振興政策をいままでも沢山行っており、かつて学会に参加した時にITSの管理センターを見学したこともあったが、その時点で圧倒的に日本より進んでいるITSの導入に驚いたものだ。
シンガポールでは、すでにデータ取引を国として手がけることを表明していることもあり、日本での動きにはかなり興味をもっていただいた。
先週は、理事長がウズベキスタンの情報通信通信省との打ち合わせでも紹介をしてくれたし、今月はアブダビのミッションの来日でも、私がまた紹介する。
というわけで、データ流通は、ICT政策のキーワードとなって、各国の政策関係者間でのリーダーシップが問われる時代になりつつあるみたいだ、
先週、検眼してもらいオーダーした眼鏡が出来上がったのでピックアップしてきた。それなりに矯正を強くしたスポーツ用と、手元を見やすくした中近両用のデスクワーク用の二本。
とりあえず、中近両用が日常的につかうのだが、やはりかけてすぐはちょっと違和感があったけど、しばらくしたら慣れてきた。いままでの眼鏡では、本を読むときもPCの画面の細かい字のときも、眼鏡を外していたのだが、これからはその必要がなくて、かなり快適。こんなに、便利ならもっと早くに作っておけば良かった。
夜は、会社の近くのイタリアンレストランで、歓送迎会。ここのレストランは、もうずっと昔から何度も来ていた。たまたま、会社が近くになったあとに、久しぶりに来たら以前のようには流行っていなくて、はっきりいって店員さんの質がちょっとねって感じだった。
そんなわけで、今夜もちょっとなぁと思っていたのだが、僕らのテーブルについたサーバーのスリランカ人の人が、なかなかにホスピタリティがあって、ちょっと見直してしまった。
これなら、また来たいなと思わせてくれたのは、今日の収穫だった。
今朝は、DTA(データ流通推進協議会)の技術基準検討委員会のTFに参加。こういう業界アライアンスでの標準化などでは、各社の知財の扱いは、とても重要な協議事項になる。
一般に、SEP(Standard Essential Patents ) = 標準必須特許と言われ、標準規格を実装する上で、避けて通れない特許がある場合、それを権利者が他者に対して利用許諾しないと標準化した製品が普及できないという課題がある。
そこで、FRAND(Fair, Reasonable And Non-Discriminatory)= 公正、合理的かつ非差別的にライセンス供与ということを、権利者に求めることが広く採用されている。
とはいえ、"公正"、"合理的"、"非差別的"っ言うのは、なかなかに抽象的なので、各団体ではその解釈などを、厳密に定義するのだが、時にそれは大きな論争となることもある。最近も、IEEE802.11関係では、一騒動あった。
DTAでも、いろいろな基準を作っていく上で、この辺りの整備をしっかりとしないとならない。こういう業界団体では、参加する企業や団体には、このような作業も含めて多くの寄与を求められるので、少人数のベンチャー企業などでは、十分なリソースがなく対応しきれないケースも多々ある。
だからといって、それを理由に様々な規約や団体としての活動規範を、そういう企業に合わせて簡素化することは、本末転倒となる。スタートアップが標準化やソーシャライズを戦略的に重要と捉えるのであれば、当然ながらそれは他の開発行為や営業行為同様に、相応の経営資源を投下することも当たり前だろう。
実際に、IEEE802などでは、欧米のスタートアップが、それなりのリソースを投下して、リーダーシップを取りに来ているし、それがスタートアップの評価にもなっている。
逆に、事業の内容や性質から、標準化やソーシャライズに優先度を置かないのであれば、ここにリソースを割かず、フォロワー的な戦略を取るのも手だ。
幸い、DTAの場合には、会員の多くが大企業であり、知財部門や法務部門の方が、要所要所に参加してくれている。実は、今日もとある会員の方で、国際的なアライアンスなどで、リーダーシップをとってきた経験のある方からこれからの活動への寄与を申し出ていただいた。
というわけで、知財の関係で現場力のある人がいることは、今後の議論に大きな利点となる。
今日は、午後から前職の元部下達が遊びに来るので、朝一に畑を整理。そのあと、Sunnyにと思ったら、我が家の入り口のあたりが騒がしい。なんだよ、午後からって言ってたのに、こんな早くに到着したのかよと思ったら、来ていたのは元部下達ではなくて、裏山のお猿さん達。毎度のことだけど、大家族で優に十頭以上はいる。しかも、この春に生まれたであろう赤子を背中に乗せたり、大事にお腹に抱え込んで、我が家の入り口のナッツバーでドングリを絶賛食べ放題中だった。外出中に、家に入られないように戸締りをしっかりして外出。
本当は、馬場で一鞍練習したいのだけど、雨続きで馬場が使えなかったので、馬房掃除を手伝って撤収し、散髪屋で散髪したあと、長坂の翁で元部下達と合流。軽くざるをいただいて、自宅にもどる。
幸いに雨は降らなかったので、庭で中村農場の鶏肉をメインに炭火焼大会。それにしても、ここの白レバは絶品すぎる。
例によって、ふた周り以上違う若者達の元気な飲みで、こちらもエネルギーをもらって、楽しい一夜だった。しかし、この騒ぎっぷりは、朝の来訪者より上だわ。
昨日は、結局のところ夜まで雨らしい雨は降らなかったのだけど、夜中から明け方に少し弱い雨になったみたいだ。この様子だと、馬場が乾くには時間がかかりそうなので、のんびりと午後からSunnyへ行く。
案の定、丸馬場は厳しそうだったので、長形馬場でPooと一鞍。そのあと、Aliceと頭絡をつける練習。足上げや無口には、随分と慣れて来たけど、頭絡はまだ反抗する。そして、何よりも馬つなぎ場にいても、いろいろなものが気になって仕方がない。こういうのを見てると、つくづくPooをはじめとして、他の先輩馬達がすごいなぁと思う。
夕方にとあるサイトのアクセスアカウントをゲットしたので、確認しようとしたら、なんとサイトが見つから無いエラー。もしかして、西日本の豪雨災害の影響かと思ったのだが、携帯からは繋がって、どうやら固定回線側のブロバイダなりISPがわの影響のような気がする。
確かに、このサイトは、特定の趣味の人だけのサイトで、日本語で書かれていいて、日本人向けなのは明らかなのだが、なぜか.comドメイン。しかも、英語ページさえない。
内容をみると、中に貼ってある画像や動画は、申し訳程度に胸回りが微妙に隠れる程度の布を纏っているだけで、もう下半身なんて丸出し。しかも、どうみても若い子の写真や動画もあるし、そのお歳ですか的な熟●なのまである。
しかし、内容的には海賊版ということではないみたいだし、それなりの名だたる企業のバナーもある。もしかしたら、我が家の固定回線はフレッツなので、これが今流行りのブロッキング?
わざわざ、DNS確認したりトレースルートしたりするような気は起き無いので、とりいあえず放置して、携帯でコンテンツの確認だけしておいたけど、時間のある時にもう少し調べて、サイト運営者の日本馬術連盟さんに問い合わせしてみようかしらん。
2週間くらい前に、日本の商用ISPの老舗の取締役をしている知人から電話があった。なにかと思ったら、前職の時の知り合いと打ち合わせしていて、僕の話題になったので、掛けてみたとのこと。
その後、互いにFaceBookで繋げて、結局のところ3人で今日飲むことなった。この前職の時の知り合いは、スピンアウトして起業した会社でIPOをし、この前東証一部に上がった。
彼とは、おそらく10年ぶりくらいの再会。もっとも、以前にもなんども杯を重ねたわけではなくて、本当に数えるほどなのだが、不思議とよく覚えてるものだ。
まぁネットワークとかインターネット業界は、みんな繋がってるので、共通の知人の名前がほいほい出てくる。それにしても、みんな上場したりして凄いなぁ....と感心することしきりだった。
今週は、サンディエゴでIEEE802.11のPlenaryが開催されている。あいにくと、僕は出席できなかったのだが、IEEE802.11aiの時のバイスチェアとセクレタリーだった仲間が、新しいスタディグループで活躍している。
スタディグループというのは、新しい標準化をするのに必要なドキュメントを作成し、標準を策定することの承認を得るのを目的としている。このため、その設置期間は6ヶ月なのだが、大抵は一度くらい延長となる。逆に言えば、標準化をするべきか、するとしたらその効果や目標設定はという部分だけでも、6ヶ月以上の期間を掛けて審議をしているわけだ。
そんな、スタディグループのチェアをしている仲間から、電話で現状報告があった。なかなかに、ちょっと苦労しているようで、やはりドライブィングフォースとなる仲間作りに苦労しているようだ。
最近はオープンなんちゃらでコミュニティに参加することの重要性が語られることが多いけど、コミュニティに参加することとコミュニティを作ることは大きく違う。"この指とまれ" と言うのと、誰かの指にとまるのでは、大きく違うわけだ。
もし、本当に新しいことを生み出して、それを社会に広めていくのであれば、最初の一人になって"この指とまれ"と叫ぶことが求められる。こういうのは、英語的にはソーシャライズと言うことが多い。そして、このソーシャライズする力が、標準化などで言い出しっぺになるにはとても重要なスキルになる。
IEEE802.11では、300人を超える参加者がいて、国も会社の規模もバラバラなので、このソーシャライズの面で日本人は、どうしても英語という言語の問題に突き当たる。逆に、日本人の仲間を引き込みたい欧米人にとっても、言語の壁はあって、電話をしてきたドイツ人のチェアからは、その辺り苦労が伺えた。
日本で立ち上げたDTAについては、日本では相応な形になってきたけど、国際社会でのプレゼンスを作るには、また別なソーシャライズパワーが必要だ。
そろそろいいかなぁと思って、ついに時計を林檎屋さんのにしてみた。前に、カシオのスマートウォッチに食いついて、えらいがっくりしたので、どうしても踏み切れなかったのだが、今回は飛び込んでみた。
それにしても、お店で時計買うのに説明からインストールまで、なんだかんだで小一時間かかる。携帯ショップでも思うことだけど、こういうのは本当に販売する人の教育や販売網の確立が大変だなと思う。
それでも、決して安くない数万円、下手したら10万円を超える時計が、次々と売れて行く小売の現場って、やはりすごい。
まだ、まったく使いこなせないのだが、とりあえずポケモンGoが起動しなくなった。でも、とても一度にいろいろいじる気はないので、まぁゆっくり遊んでみよう。
去る5月22日から8週間全39回にわたって行なっていた、前立腺癌に対する強度偏重放射線治療(IMRT)が、本日をもって無事に終了した。治療は、平日の毎日12:20からだったので、この2ヶ月間は、海外はもとより国内出張もできず、また昼間の時間帯の打ち合わせや会議も参加できず、いろいろと仕事関係のみなさまご迷惑をおかけしてしまいました。
昨年の十一月の人間ドックで、PSAが1312ng/ml という異常値で検出され、十二月に生検を含む各種検査をした結果、高危険群・局所進行のT4 グリソンスコア 9 という、いわゆる末期の癌というものでした。
遠隔転移はないものの、近接の精嚢への浸潤とリンパ節への転移の疑いもあり、外科手術は行えないとの判断でした。この結果、まずホルモン投与による内分泌療法を即座にはじめ、半年ほど経過した5月末より放射線治療を行ってきました。
この結果、PSAは、先週の段階で0.066ng/ml となり、リンパ節の浮腫も画像診断では判別できない状態までになりました。PSAは、放射線治療の開始前に0.77まで低下していたので、ホルモン療法が相当に効果的だったようですが、周辺のリンパや骨盤などへの転移の予防的措置も含めて、複雑なIMRTによる治療で根治を目指したわけです。
これからも、ホルモン療法は継続するのですが、教科書的には5年PSA非再発率は60%ということですから、とりあえずはもう一仕事という感じです。というわけで、この間になかなか時間がとれなかった業務も、再び復帰します。
長年、医者いらずだった自分がこういう状況になって、ともかく驚いたし、精神的に一応はショックを受けたりもしたのですが、同じ病気と戦っている先輩の情報発信などにも勇気づけられ、情報共有の重要性を身を以て痛感しました。ですから、これから少し振り返りになりますが、この病気と治療のことも、この日記には記載していくつもりです。
この治療期間中、毎日丁寧な対応をしてくれた聖路加国際病院の医療チームの皆さまには、どれだけ感謝してもしきれないくらいの気持ちで、今日で治療が終わってしまうのがちょっと寂しいくらいだったりするのも変ですね。
とにもかくにも、これでまた飛び回れますので、馬に仕事に、皆さまぜひお付き合いください。
実は、治療中は体にマジックでマーカーを書いてるので温泉もいけませんでした。その反動で、今日の夕方から日光・会津と旅行にでることにして、1日目の今日は金谷ホテルに投宿。
なお、食事制限もなにもないので、暴飲暴食をのぞいて、来週からは絶賛快気祝いを受け付けまーす。
The IMRT(Intensity Modulated Radiation Therapy) for prostate cancer had been completed today.
The radiation therapy operation took 39 time from May 22nd to Today.
During this therapy period, I had to absent to all of meetings which were held on weekday noontime.
To all of my business partners, sorry for this inconvinience and lack of contributions.
In the result of my therapy, my PSA (prostate-specific antigen) value was slightly decreased from 1312 ng/ml to 0.066ng/ml. It's 43dB down and quite normal value. And the lymph node swelling has seemed cleared.
Still I have to continue hormone therapy, but it does not restrict of my business activities.
So therefore I shall return to the field now! Let's move on the next.
Thank you very much for your support during this period.
朝、ホテルから歩いて東照宮へ散歩。残念ながら境内に入れるのは、八時からなので、とりあえず五重の塔の前まででUターン。一旦、ホテルに戻って朝食をとったあと、乗り鉄な人の設計で東武日光から今市、鬼怒川温泉経由で会津鉄道で会津若松に移動。
会津若松は、戊辰百五十周年ということで、まずは飯盛山に行って軽く昼食を取った後、白虎隊の資料館、さざえ堂、墓地などを散策し、白虎隊の自決の地から次の目的地の鶴ヶ城を確認。
飯盛山から鶴ヶ城に移動して、天守内の資料館を見学。しかし、近代に再建された天守閣って、味気ないよね...と、現存天守閣好きな人が嘆くのも納得する。
ちょうど良い時間に、今日の宿である東山温泉の向滝に到着。木造三階建の趣のある宿で、なんとも言えず落ち着く。風呂は、館内に三箇所あって、いずれも源泉掛け流しということで、温度はかなり高め。なにしろ、2ヶ月の温泉禁則が明けた身としては、たまらなく嬉しい。
昨夜止まった日光の金谷ホテルは、温泉ではなかったけど、明治6年の開業で、ところどころに施された木彫りの装飾や調度品を楽しめた。おもうに、その僅か数年前に、戊辰戦争があったというのもすごい時代変動を感じる。
今夜の向滝は、重要文化財に指定されていて、会津藩御用達だった宿で、戊辰より遥か以前の時代に、会津藩の栄華盛衰を見てきたわけだ。
それにしても、日光から会津若松に移動する途中の車窓から見えた鬼怒川温泉の景色は、巨大な廃墟と化した大型温泉ホテルがなんとも裏寂しかった。これらと老舗との差は、時代に合わせた変革だけではなく、頑固一徹というか芯の通ったこだわりも生き残りには必要なんだと感じさせるものがある。
まさに、「ならぬことはならぬものです」なわけだ。
向滝の朝は、朝食のあとにパーコレータで入れるコーヒを楽しむ。パーコレータは、実家でも子供の頃に実姉がよく使っていたので懐かしい。今日の夕方までに山梨に戻る必要があったので、今日はどこもみずに会津若松から郡山にでて、新幹線で東京へ戻った。一旦、久しぶりに武蔵境のアパートに寄ったあと、甲府経由で山梨の家に戻った。
温泉宿から帰ってきたけど、まったくの躊躇もなく夕飯前に近くのたかねの湯に2ヶ月ぶりに行く。この三日間で、IMRTのために体に書いてあったマーカーが綺麗に消えたので、精神的にもスッキリ。
家にお取り寄せの国産オレンジがあったので、今日の田圃カクテルは、オレンジ・ブロッサム。
なんとなく、いろいろな意味でリスター ト気分だわ。
一昨日の日記に書いたように、前立腺癌になってしまった。いままで、僕は、血圧とかの薬を飲むこともなく、心臓のWPWという狭心症もなぜか数年前に消え去り、医者いらずだった。
それなのに、いきなり末期癌というやつになってしまい、お気楽ご気楽なキャラなのに、それなりにいろいろと考える半年だった。たまたま、かつてモバイルブロードバンド協会を設立した時に理事長に就任いただいた公文先生も、僕より一月くらい前に放射線治療に入られたとSNSで知った。公文先生は、ご自身の治療のことなどを公開されていて、ぼくにもとても参考になった。公文先生に限らず、いまや癌は治る病気として、たくさんの人が闘病しながら生活をされていて、少なくない人たちがその様子をネットにも公開している。
僕は、臆病なのであまりネットで自分の病気のことを調べる勇気がなくて、最低限の検索しかしなかったけど、公文先生はじめ多くの人たちの情報がとても参考になった。
これって、公文先生が提唱していた集合智だよなと思い、僕も少しずつでもこの病気の経緯などを、この日記に書いてみることする。まぁ、この日記は、備忘録なので、忘れないうちにすこしづつだけど、時系列的に記録しておこう。
ということで、まずは発覚の経緯から書いてみる。じつは、数年前からトイレが近くなったなと思っていた。いわゆる頻尿というやつだ。まぁ、年齢的にそんなに珍しいことじゃないし、夜中に一度くらい起きるのは、周りの人に聞いたら結構多いというので、そんなもんかなと思っていた。ところが、去年の夏前くらいから、その頻度が高くなり、多い時には夜中になんどもトイレに行くようになった。
そんなことから、毎年秋に行なっている人間ドックの時に、なるべくオプションをということで、PSAの検査をしてもらった。この結果、PSAが1312ng/ml で、前立腺肥大の疑い濃厚で要精密検査となった。
そこで、少し周りに聞いて、聖路加病院を紹介してもらい、まずは診察を受けることにした。とはいえ、海外出張などもあり、人間ドックからおおよそ2ヶ月後の12月の初旬に初診となった。
初診は、いわゆる直腸診というやつで、主治医の先生が直接に触診するのだけど、もうその段階で前立腺肥大がかなり進んでいて、癌の可能性が高いという見立てとなった。
そこで、細胞をとって病理検査をする生検のための入院の予約をその場でするとともに、レントゲン、全身の骨シンチ、MRIなどの予約もいれて、一気に検査のための通院の予定が立てられた。
この段階では、まだ僕自身は、心理的に否認的な思考も働いていたのだろうげと、いわゆる前立腺肥大で、悪性かどうかはわからないし、かりに悪性としても、ロボット手術かなくらいで、さほど深刻には捉えていなかった。
とにもかくにも、これか最初の発見でだった。
午前中は、SunnyでAliceの調馬策運動と丸馬場で1鞍。北海道から出てきて、約3ヶ月が過ぎて明野の環境にも大分慣れてきたようだけど、まだまだやることがたくさんある。
今日は、初めて繋ぎ場で洗ってみたのだが、以外と大人しくて、気持ち良さそうにしていた。しかし、芦毛と行ってもまだ白くなっていないから、よごれは目立たなかったけど、流石に流れ落ちる水の茶色いこと。
洗い終わった後に、乾くのを待っている間も、そこそこに大人しいので、ここぞとばかりにクラブのオーナーさんが爪の手入れ。これは、さすがに一苦労だったけど、なんとか後足は綺麗になった。
ある程度乾いてから、放牧場に連れていったら、速攻で寝転がって砂浴び。あっというまに土の衣がついてしまった。これ、大人になって白くなった時のことを思うと、ぞっとするな.....
それにしても、シャワーして、ネイルして、スッキリしたお嬢様は、果たして本当に気持ちよかったのだろうか....残念ながら馬のきもちが判らないので、アマゾンから届いた本でお勉強してみよう。
ところで、この本の原題は、"Think like a horse"なんですね。確かに、相手の気持ちがわかるというのは、相手の気持ちで考えるということだよね。
夜は、プチ快気祝いモードで家飲み。
今日の午後は、総務省のICT分野における技術戦略検討会(第9回)。この会議も、一旦ここで一区切りとして、取りまとめをすることになる。今日は、僕が兼ねてから取り組んでいる有・無線統合エミュレータの話などをさせていただいた。
しかし、そろそろ技術トレンドを紹介するだけのアカデミアには、きちとんオリジナリティを求めないと、もう世界では戦えなくなるだろうな。
今日の夕方は、新しいアパートへのお引越し。先週までの放射線治療の間は、サービスアパートメントだったのだけど、コストダウンのために今週からはマンスリーマンションというのに転居。なにかと足りないものがでそうだけど、今日は時間がないので、とりあえずの移動で終了。いろいろと、調理などをしだすと問題が浮き彫りになるだろうから、それから買い物をまとめてすることにした。
午前中は、NECのC&Cユーザー会というところで、エブリセンスやデータ取引市場のプレゼンと質疑。僕は、TK-80世代だし、長年PC98を使い、4bit, 8bit, 16bit時代のマイコンやGate Arrayもたくさんテープアウトしたので、長年NECにはお世話になっている。とくに、1986年頃は、毎日のように玉川工場に仕事で通っていた時代もあった。そのあとも、モバイル放送の地上局の一部の設計仕事なんかもしたので、まあいろいろとご縁がある。
そんななか、今日はデータ流通の分野の話で、これからの話しをいろいろさ議論させていただいた。
午後は、Abū Dhabīの政府高官ミッションの方々と、AIなどをテーマにスタートアップの視点でのパネルディスカッション。昨年の秋にG7と併催されたI7のご縁で、もと内閣府の先生のアレンジ。
政府がスタートアップにすべきこととか、SMEにたいする支援策の実際など、なかなかに面白い質疑だった。
最後に、超重量級の記念品をいただいたのだが、これはアブダビの名所の写真がガラスのプレートに入ったセット。全部で8枚の構成で、写っている建物や橋などの構造物がアルファベットのAbu Dhabiになっているとのこと。
しかし、アブダビどころか中近東は、未踏の地なので、これを機にドバイとかに行く仕事ができないかしらん。
人間ドックでの指摘から専門医の触診による診断となり、さらなる精密検査となったことを受けて、12月は怒涛の検査シリーズになってしまった。
入院準備の意味もあるけど、尿検査、血液検査はもちろんのこと、CTスキャン、全身の骨のシンチレーション、MRIと先端医療機器を1週間で一気に体験。造影剤の利用などもあり、各種の承諾書などへのサインも沢山あって、結構アナログな事務処理は、先端医療とは思えないのがおかしい。
極め付けは、生検という病理検診のために、一泊2日の入院。本来は、全身麻酔のうえでの処置なのだが、麻酔医の予約が合わないこともあり、クリーム状の麻酔を塗る処置での対応。
まぁ、この時の入院のことは、当日の日記にも書いたけど、かなり快適な一泊2日だった。
というわけで、人間ドックから2ヶ月近く経過して、なんとか一連の精密検査によるデータ収集が終了した。
データ流通を目指す僕としては、このデータも流通してもいいんだけどね。
午前中は、YRPの某研究機関で打ち合わせ。久しぶりに普通に電波な話が通じる人がいたのは心強い。
午後は、データ流通推進協議会の運用基準検討委員会の作業班。この委員会がはじまって半年なのだが、決まることが粛々と決まることが実に嬉しいなと感じる。今日は、協議中の規定のDraft1.0についてのレビューが終わったので、この後の取り扱いも含めて、先への展開の議論もできたのがよかった。
海賊版サイトタスクフォースのニュースで、"この問題について採決はせず、挙手で委員の意見を確認するにとどめた"とあったけど、仮に採決となった場合に、その採決方法や採決への参加資格などは、おそらくタスクフャースの設置要項などに、明確には規定さていないだろう。
一方で、国会では会期終了が近づいて、いろいろと決議がされている。それぞれの法案の是非は別としても、とにかく物が決まっているのは、そこにルールがあるからだろうな。
やはり、物事が決まることは大事だな。
今週から住んでいるアパートは、ケーブルTV系なインターネット接続が設備されているのだが、これがうまく繋がらない。CATVのCPEとWi-Fiのルータが接続されていて、Wi-Fiまでは繋がるのだが、インターネットに出ていけない。
サービス会社に連絡をしたら、Wi-Fiルーターを交換してくれたら、すこしだけ症状が改善して、スマホは使えた。 とりあえず、家に戻ってまで、ネットワークの障害切り分けなんてしたくないんだけど、しかたがないので、少しだけ触ってみたけど、時間がなくて結局そのまま。
さしあたっては、スマホのテザリングで凌いでるのだけど、来週にはなんとかならんだろうか......
夜は、学生時代のスキー場バイト仲間が快気祝いと称して集まってくれて、一献。来年、再来年には還暦を迎えるのだけど、まぁみんな元気だわ。
朝のかいじ号で、山梨にもどる。さすがに、夏休みが始まったからなのか、午前中の特急は軒並み満席。昨夜のうちに、予約しといていたのは正解だった。しかし、かいじ号もあすざ号も、七月からは新型車両になったようで、今朝のかいじ号も新型車両。しかも、連休の臨時ダイヤのために、かいじ号なのだけど、小淵沢行きというのも珍しい。
家について、とりあえず畑の確認をしにいったら、獣にナスやトマトが食い荒らされていて、ちょっとショック。まあ、生き残ってる部分を丁寧に剪定で残して、再生を期待することにした。
午後からは、Sunnyへ。しかし、あまりの暑さに昼過ぎの騎乗は、さすがに危険なので、まずは入手した無口や頭絡をAlice嬢に合わせてみる。スカイブルーの頭絡やお出かけ用のカバー付きの無口が、なかなかに似合うなとニンマリするのは、たんなる親バカ?
風が出てきて、すこし気温が下がってから、新しい頭絡とハミの感触を確かめながら丸馬場で二十分くらい騎乗。随分と落ち着いてきたなと思うこともちょっとあるけど、まだまだだ。頭絡と全体のバランスと同じで、半分には程遠くて、ちょっとだけ青い。
連日の猛暑だけど、Aliceと午前中に一鞍。しかし、繋ぎ場でもまだまだ落ち着きのないAlice嬢が、今日は驚くくらい大人しい。さしバエが多くて、いつもはバタバタしているのだけど、今日は虫除けをかねて扇風機を繋ぎ場に置いていたのが効果抜群。よほど気持ち良いのか、なんだかまったく別な子みたいに大人しくしていた。それでも、流石に若さなのか途中で扇風機に興味をもって、クンクンと.....羽に挟まれたら危ないので退避させたけど、子供が扇風機のまえでしゃべるのと同じで、おかしいものだ。
生検、MRI、CT、全身骨シンチなど、一連の検査が終わって、主治医の診察を受けたのは、年末も押し迫った12月のクリスマス明けだった。とりあえず、「出来ればご家族の方もご一緒に...」みたいなことはなくて、普通に泌尿器科の検診。
最初の触診で、すでに癌の可能性は指摘されていたけど、まぁ病理検査するわけだし、まだ確定じゃないからねと自分に言い聞かせていた。仮に、癌だとしても、ダヴィンチというロボット手術の実績が多い病院だし、全摘とかすれば済むんだよねくらいに思っていた。
しかし、告げられた結果は、局所進行性の前立腺癌で、遠隔の骨への転移などは確認されないものの、隣接のリンパ節に腫大が複数あるとのこと。癌の進行度は、生検の病理検査の結果グリソンスコア4+5の9というもので、T-M-N分類では、T4N1M0とのことだった。
この結果、示された治療方針は、外科的な処置ではなく、ホルモン療法により癌の進行を抑え、半年後くらいから放射線治療を行うというものだった。この治療方針については、泌尿器科の主治医の先生とは別に、内科医の先生からも方針の説明をうける。現在のホルモン療法と、今後の傾向や、将来の去勢抵抗性前立腺癌となった場合の対応などを、丁寧に説明をうける。早期に抗がん剤治療を受けるパターンもあるようだけど、有意な治験はないようで、抗がん剤治療は、当面不要とのことだった。
内科医の先生は、診療方針の説明に際して、参照している論文なども示して丁寧に説明してくれた。でも、そんな論文なんかみちゃうと、習性でついついグラフの軸の取り方と、そもそもの前提条件とかが気になってしまう。
教科書的に5年生存率が30-50%って言われて、30%という数字の低さにちょっとビビる。しかし、こういう数字は、単純平均なのか3σなのかとか、つまらんことが気にかかる。でも、いまから5年後というと63才なんだけど、それは父が他界した年齢でもあり、ちょっと受け流すには厳しい告知だった。
もっとも、主治医の先生からは、命に関わるような話しは、一切なかった。だから、外科的処置をしないというのは、変に先生が男の子としての機能の温存とかに気を使ってくれてるのかと、この時は思っていた。これは、まぁ嫌なことは避けてしまう心理的な否認でしかない。
というわけで、まずは飲み薬によるホルモン療法をスタートすることになった。うーん、アキラさんに名医紹介してもらうか.....
放射線治療終了後、はじめての診察。幸いに、治療中もその後も、大きな副作用はなく、排尿なども確実に改善されている。それでも、直腸などはそれなりに損傷を受けているので、酸化マグネシウムは、しばらく服用したほうが良いということで処方された。
放射線治療は、基本的に照射すべき部位にのみ照射することが理想だけど、体の内部に照射するには周辺の臓器に放射線が当たることは避けられない。それでも、僕が受けたIMRTという強度変調放射線治療は、ビームを動的にコントロールすることで、複雑な形状に照射強度を調整するため、副作用が少ないらしい。
もちろん、体質や対象による違いは大きくあるのだろうが、僕には適していたようだ。
今日の午後は、データ流通推進協議会の運用基準検討委員会。去年末の設立後から数えて8回目の委員会で、データ取引市場運営事業者認定基準が概ね策定された。すでに、Draft 1.0の会員レビューは、今月はじめに終了し、投票の結果所定の賛成を得ていたのだが、いくつかのコメントが付されたので、それらをその後の会合で解決して、Draft2.0が承認された。
これにより、この後再び会員レビューを行い、所定の賛同を得れば一般公開となる。
データ流通協議会は、昨年の暮れに設立されたのだが、半年近くの活動で、一つめの成果物の姿が見えて来たことになる。この間、実に多くの会員の寄与と貢献があって、手探りながらも諸々の手続きや活動が動き出したことは、実に嬉しい限りだ。
今日も、朝からデータ流通推進協議会なお仕事が目白押し、さすがにちょっとエフォートかけ過ぎかも。
そんななか、今夜は少し息抜き。20年来の仕事仲間の妹さんのJazzライブを楽しみに、新宿のライブハウスにいく。彼とは、21年前に四国で地域情報化のための無線ネットワークの実験の時からの付き合いなのだが、妹さんが音大の声楽科出身なんていうのは、まったく知らなかった。しかも、いまはJazz ボーカリストとして活動されているなんてね。
会場は、新宿の一丁目にあるライブハウスで、スタンダードというかオーソドックスな選曲で、基本的にはみんな知ってる曲だったので、とてもリラックスできた。
ながいことプロの世界から離れていて、数年前にジャズポーカルのレッスンをはじめたとのことだけど、そこは流石に元音大声楽って感じで、落ち着いて聞けた。
それにしても、ピアノが弾けるとか、歌が上手いとかいうのは、まったく僕には縁がないので、羨ましい才能だわ。
五月の連休明けに落馬した時の背中の怪我は、2ヶ月半近く経過したけど、まだ腫れがのこっている。ちょうど、怪我をしたあと放射線治療が始まったので、CTとかも散々とったし、外科での診察も受けたけど、骨に異常はなさそうなので、要経過観察となっていた。
まわりの内出血は、数週間で消えて、瘤というか血腫も大分小さくなったけど、まだ手のひらサイズに残っている。そんなわけで、改めて近くの外科でレントゲンをとって、診察をしてもらったのだが、やはり骨に異常はなく、経過観察という結果だった。
素人考えで、腫れが長期間消えないのが気になっていたのだが、先生曰くこれだけの血腫だと、半年くらいはかかるらしい。実は、細かく部分的にレントゲンをとったら、骨が....的なことを恐れていたのだが、何もなくてまずは一安心だ。
相変わらず、今日もデータ流通推進協議会からみの仕事が大杉ではあるが、まぁそれだけデータが流通する環境が整いつつあるということかな。夕方は理事会で、いくつかの動議を可決。
今夜は、旧知というかいつもの仲間と、会社の近くで会食。それにしも、今日の夕食のアレンジは、メッセンジャーでやりとりしたんだけど、なぜかスタートとゴールが違った。
二日前の会話のスタート時
俺: なに食いますかね?
彼: その辺にメキシカンとかないかな?
俺: イタリアンはたくさんあるよ
彼: うーむ、それでもいいけど。
翌日の会話
俺: スペイン料理店 El Puente エル・プエンテ 予約したよ。
彼: スペインなら歓迎。
あれっ? どこでどうなったのか、メキシカンのリクエストがスペインになってしまった。しかも、店に行って指摘されるまで、僕はまったくなんの疑いもなかった。まったく、人のこと聞いてないか....俺
まぁ、美味しかったし、みなん言語的に近いからよしとしよう。
先々週から入居したマンスリーアパートは、CATV系ISPのインターネット接続サービスが提供されていて、その下にWi-Fiルータが設置されている。ところが、残念なことにうまくインターネットに出ていけない。まじめに、障害切り分けとかしてる時間がないので、とりあえずテザリングでしのぎ、アパートの管理会社に対応をお願いしていた。
管理会社の人は、技術系ではないので、多分にユーザーレベルでの対応で、Wi-Fiルータを交換とかしたのだけど、解決していない。そもそも、僕からはWi-FIは繋がってるし、IPアドレスもアサインされてるのは確認したことは伝えていたけど、まぁそんなことは多分に関係なくマニュアル通りな作業をしてくれたようだ。
タチの悪いことに、僕のPCでも一瞬特定のサイトには繋がる。どうも、DNSだなとわかっていたけど、なにしろ部屋にいる時間がないので、とにかく任せておいたら、今日はISPの人がきてチェックしてくれて問題なかったとのこと。
そこで、僕に管理会社の人が送ってきたショートメッセージが、あまりにドッカーンだった。
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お世話になっております。
先ほど、プロバイダーの方に来て頂きましたが、数値的には異常がないとのことです。インターネットがとても必要かと存じますが、力になれず誠に申し訳ございません。もしかしたら、すぐ上の#〇〇〇、隣の#□□□のルーターであれば使えるかも知れませんのでお伝え申し上げます。
#〇〇〇のルーター
ID:●●●●●●●
パスワード:●●●●●●●
#□□□のルーター
ID:■■■■■■■■
パスワード:■■■■■■■■
お戻りになられた際に試して頂けると幸いです。
>>>>>>>>>>>>>>
おいおい、それ本当かよ隣の部屋も入居者いるよなぁ、他人の部屋の APに接続しろってか?
たまたま、ISPの人はすでに撤収してしまったけど、まだ管理会社の人がいる時間にちょっとだけ顔を出せたので、 とてもそんな危険なことはいたしませんよ宣言して、さらに相変わらず接続不良なことを確認。管理会社の人がISPに電話してくれて、そこからは僕とISPのサポートで直接対応することにした。
結論からいうとDNSの自動認識がダメみたいで、ISPからの提案は、Google様のPublic DNSに変更してということ。結果は、良好でやっと解決。
しかし、今時はみんなこんなものなのか.....
診察結果を受けて、年末からホルモン治療の投薬を開始。診察の時に、内科の先生との話で、教科書的な五年生存率という数字は聞いたものの、まぁ主治医の先生からとくに命に関わる話はなかった。
自分で、ちょっとネットで調べればいろいろとわかるんだろうけど、それはそれで情報量が多すぎで、なにをどう判断して良いか判らないだろうと自分に言い聞かせて、あまり調べたりせずに、年末・年始も普通に過ごし、一月の初旬に最初のホルモンの皮下注射をして、そのあとアメリカに出張。アメリカで知り合いと話しをした時に、所謂ステージはいくつなのかと聞かれても、なんかそれって特に言われてないなって感じで、まったくもって現実を直視出来てなかった。
帰国後、医療情報系の知り合いが泌尿器科のドクターを紹介してくれて、セカンドオピニオンというような正式なものでなく、ちょっと話を聞いていくれるということになった。まずは病院でもらった病理診察レポートなどの数字をかいつまんでメールで状況説明。僕的には、主治医の先生からは余命とかの話しもないから、まぁ五年存命率というのは、治療しない場合の数字だろうし、そのデータの根拠の治験者の年齢も違うだろうから、自分のケースは違うんだよねと期待してた。しかし、これらの楽観論は全否定されてしまった。とはいえ、今の段階でホルモン治療を始めたばかりで、なにかを判断するのは、まったく意味がなく、ホルモン療法と放射線治療の併用というのは、適切な判断なので、これらにより根治を目指すことをアドバイスされた。
その後、一月末に放射線腫瘍科で治療方針や内容の説明を受けた。この時にはじめて、所謂ステージが4であることを再認識。確かに、T4って内科の先生もいってたけど、これがあのドラマとかでよく出てくるステージ4ってのと同じとは思ってなかったというか、違うものだよねと逃げていたのに、明確に紙に書かれてしまったわけだ。
もう、こうなると頭のなかでは、あのドラマのお決まりのシーンが再生されてしまった。
「患者、IT企業の経営者 58歳 男性、 PSA1165、グリソンスコア9 高危険群・局所進行の前立腺癌 ステージ4。幸い遠隔の転移は認められないが、隣接のリンパ節に複数の浮腫があり精嚢との境界域も不鮮明のため、根治目的にIMRTを用いた放射線治療と内分泌療法の併用を行います。」
「異議あり!!! 私切れまーす。」
「いやいや、 ここは腹腔鏡の魔術師のわたしが、ダヴィンチによるロボット手術で..... 」
ということには、ならなかった。
おかけで、この後高いメロンをもらうこともないわけだけど、城之内先生にも会えないのは少し残念......
てなわけで、まぁとにもかくにも、目の前にそれなりに厳しい現実が突きつけられて、精神的には自分の生というものについて、ついついいろいろと考えてしまう日々がはじまってしまった。
今までの経験が通じない台風ってことらしいけど、どうやらその通りらしい。まったく、進行方向も違うけど、気圧もしっかりと低いまま、通過していったようだ。
昨日も今日も、青空が出て汗ばむかと思ったら、急に大粒の雨がふるという、なんとも不思議な天気だ。そんなわけで、昨日も今日も、馬房のお掃除をして、騎乗はなし。
今日は、午後から晴れ間の間に庭の草刈りをして、そのあと畑の草刈りもと思ったら、また雨が降り出してしまったので、畑はまた来週ということに。
内分泌療法とIMRTによる放射線治療という方針にしたがって、放射線腫瘍科での診察を受けたのは一月末で、最初のキッカケとなった人間ドックからは、すでに3ヶ月半が経過した頃になる。
内分泌療法は、当初のホルモン薬の錠剤に加えて、一月最初に皮下注射による投薬を始めたのだが、その時点での PSAは386ng/mlで、当初の1300超えと比較すると、一定の効果が確認はされたわけだけど、まだまだ検診などでの閾値である4ng/mlと比べても、残念ながら100倍の高さだった。
果たして、ホルモン療法が自分の場合に有効なのかという不安が心を過ぎるけど、とにもかくにも放射線治療への準備を進めるために、診察で一連の予定や制約事項などをレクチャーされた。
放射線治療に向けては、治療前にいくつかのステップを踏むことになる。
一つ目は。MRIにより飲水後に膀胱に尿が貯まるまでの時間などを計測する。
二つ目は、前立腺の位置を捉えるための金のマーカーを入れるもので、これは入院を伴う。
この二つのあと、直腸の状態を保つために整腸剤などの投薬をスタートする。
そして、三つ目は、二日間にわたりCTを用いて、前立腺や膀胱の状態を測定し、放射線の照射範囲などを計画することとなる。
これらの準備的な医療行為を行った上で、最終的な放射線治療は、1日1回、週5日、全39回を、5月22日から開始することとなった。
放射線治療というと、頭髪が抜けるとか、いろいろな副作用のイメージがあるが、説明によるとIMRTという強度変調放射線治療は、かなり副作用が少ないとのことだ。
いづれにしても、一連の準備のはじまる四月中旬から放射線治療の終わる七月初旬までは、海外は勿論のこと東京からも離れられないわけだ。とはいえ、それまでもその間も、運動や飲食に大きな制約はなく、普通の生活が送れるというのは、ある意味とてもありがたいと思ったわけだ。
もし、これから治療を受ける人がいたら、それなりに準備も時間がかかることは認識しておくことが重要だ。
今夜は、昨年の秋から半年ちかく、総務省のICT分野における技術戦略検討会でご一緒したみなさんと暑気払い。ちょうど異動する方もたくさんいたので、ちょうど良いタイミングで、フランクに楽しい時間となった。
各自、皆様が技術政策に強い思いがあるので、ラウンドテーブル的に行った一言が、いろいろとツッコミもあって、なかなかに面白かった。
そんななかで、某社の取締役の方が、検討会とかの始まる前に、こういう懇親会をするのが良いというアイデアがでて、これは確かに大いに納得。最初に、個々の人のキャラが分かってて議論するのと探りながらするのでは、大きく違う。
しかし、技術政策の在り方みたないのは、やはり熱い想いのリーダーがいることが大事だなと、つくづく思う。今日は、いろいろと、オフライントークが炸裂して、とても議事録には残せないので、暑気払いではなくて書記払いでちょうど良かった。
先日のアブダビ政府ミッションとの会議で同席した方の紹介で、医療系の関係者の官僚と面談。世の中には、おなじようなことを考えてる人がいるんだなとつくづく思うことばかり
僕は、データと知験は分離すれば流通する、流通するにはそのデータ価値を顕在化する評価が必要というコンセプトは、ここ数年ずっと訴えてきた。これとまったく同じ思想のもとに、しがらみの多い分野で挑戦している人がいることを知って、とても頼もしい限りだ。
最近は、Data > Information > Intelligenceの三段活用な話も、いろいろなとこで聞くフレーズになってきた。
たまたま、今年は僕自身が医療データをいろいろと生成してしまったけど、医療分野にうまく変化ができると楽しいんだけどなぁ....
夜は、知人と会社近くのワイン&ジビエなお店で一献。メニューは、鹿、熊、羊... となかなかな品揃えだった。