理事を務めているモバイルブロードバンド協会の理事会に出席。 通常の議題は、粛々と協議、議決されて雑談に。 理事長のG先生は、実に色々な国の文化について詳しく、いつも話題が多岐にわたる。 フィンランドの大学における教授や助手のプレゼンスの話から、南大門の焼失の話まで、広くて深い。 そんな中で、今日一番僕の琴線に触れたのは、おおよそ人間の行動は、合理性に根ざしているという話。 何かが流行ったり流行らなかったり、技術が普及したりしなかったりという事は、いろいろな要因があるのだけど、概ね人間は合理的な判断をしているのではないだろうかということだ。 これは、経済学の人が言う経済合理性を広義に捉えるのと一緒だろうけど、確かにごもっともだ。 しかし、この合理的、つまり理に適っているかどうかは、その理が普遍的なものでなくて、コミュニティや組織、業界などで異なるので、ある組織での合理的判断や行動が、他では不合理ということは良くある。 こういう理の不整合は、ストレスにしかならないということを最近強く感じていたりする。 昨日書いたIETFにおけるConservativeかRadicalかなんていう話も、あのコミュニティにおいて賛同が得られるものが、Conservative=今ある標準にConflictしないというのは、あのコミュニティに参加する多くの人間にとって合理的なのだろうけど、それはあくまでもその組織内の合理性でしかない。
もっとも、IEEEに参加している別の研究者からも、IEEEも一緒だというメイルがあっので、おおよそ学術系標準化団体における理は近しいのかもしれない。 となとると、アーキテクチャの美しさなどをピュアに求める研究者は、不合理=ストレスを感じるだけなので、違う場所に活躍を求めることが良いのかも。