仕事で付き合いのある会社の管理職に、よく著名人や有名企業の事例を引用して話をする人がいる。 こんなことは、良くあることで、「〇〇さんの会社では、こんな制度を取り入れている」とか、「××という経営者が言ったことに、〇〇は××であるといのうがある」なんていうフレーズは、かなり日常的に聞く。 しかし、くだんの管理職氏が、どうも僕には今ひとつと感じるのは、彼のこういう話が、引用から広がらないところだ。
こういう引用っていうのは、あくまで他の組織や他の人の事例であり、それを知っていること=知識であり、聞くものからすると自分の知らない事をしっている=知識があるなというだけのことで、伝えたい事の本質は見えない。
肝心なのは、こういう知識をもった上で、当の本人が、何をしたいのか、何を伝えたいのかという点であり、それは知識ではなく知恵を働かせて披露することだろう。 聞く者にとっては、語り手の意図や意志を読み取っる上で、こういう引用が助けになることはあるが、読み取るべきものは、引用ではない。 なので、語り手は引用をするのではなく、他の事例を参照するだけで、あくまで本質は自分の意志、意図で語る必要がある。
それでも、上司の命令が絶対の世界で、余計なことは考えるな、自分で判断するな的な組織運営では、こういう引用も、それとなく箔をつけるのには役に立つのかもしれない。 しかし、人を育て、組織を育てる上では、逆に語り手の質にたいする尊敬を失いかねないだろう。
コンサルタント、講義、授業を受ける場合にも、この辺りの心構えが肝心で、語り手=絶対的な正として、それをそのまま受け取る人は、結局は何も成長しないだろうと思うのだがどうだろうか?
僕は、エンジニアなので、5W1Hではなく、常にWHYだというような、猜疑的というか斜に構えるのが、癖になっているので、こういう捉えたかたしか出来ないのは、ある意味あまのじゃくかしらんと思うこともある。