昨今の日本の製造業の低迷から、世の中の経済学者や評論家諸氏は、日本のモノ作り立国が幻だったとか、モジュール化やグローバリゼーションにより、擦り合わせの得意な日本からはイノベーションが生まれないとかいう話がネット溢れている。
しかし、長年製造業に関わって来た僕から言わせると、これらの多く(特にメーカー勤務の経験の無い人達)の論評は、あまりに実態をしらない、表層的なものに思えてしょうがない。
たしかに、イノベーションは、今ある顧客や市場の深堀的マーケティングという持続的カイゼンからは生まれないだろうが、日本の製造業がそれらだけを進めて来た訳ではない。 また、諸外国のイノベーティブな企業が、このような持続的カイゼンを無視している訳ではない。
事業の成長と持続においては、日々の持続的カイゼンとそれらとはまったく違うイノベーションの両輪が必要であり、企業経営者がどのようにバランスをとって、経営資源や環境を作り出すかが大きいのではないだろうか?
かつて、ソニーが東通工を設立した時の設立趣意には、有名な「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」という一文があった。 また、ホンダには、「ワイガヤ 」 があったし、シャープには浅田塾といわれた「緊プロ」 という仕組みがあった。 これらは、組織の中において、経営トップが、日々のしがらみや、固定概念、既成観念を排除して、自由な発想=イノベーションを誘発するための治外特権のような仕組みを用意していたわけだ。 つまり、経営者がその掌(たなごころ)の上にある種の余裕というか遊びを持っていて、そこに自由闊達にして愉快なる理想工場を持っていて、「やってみなはれ!」という対応をしていたのだろう。
こういう、経営者の胆力とか器量というのが、組織論の台頭や事業継承時の社内政治によって、どんどん失われて、今日の状況を生み出しているのではないだろうか。
10年ちょっと前に、日本を代表する通信ベンチャー企業の社長の元に技術顧問として参画してたが、彼はまさにこういう掌が大きくて、そこに集まる顧問団は、皆一癖も二癖もあったけど、社長自らが率先して、自由闊達なる議論を毎夜繰り広げていた。 この時丁度僕の秘書をしてくれていて、いまは自らがベンチャー企業を経営している後輩は、この技術顧問団の会議の事を、ポケモン会議と言っていた。 まさにこの社長の周りに、何種類ものポケモンが沢山いて、普通の人なら中々使い切れないこのポケモンを自由自在に駆使して、革命的ビジネスを次から次へと仕掛けて、成功したわけだ。
結局のところ、今日の糧にひたすら持続的カイゼンをしていては、変化に勝てないが、、全てがイノベーション一辺倒では、既存事業も持続できない。 日本の製造業や企業に必要なのは、その手の内のどこかに、放置して萌芽を待つ事ができる領域を経営者が持つ裁量と、株主や世間がそれを許容する環境ではないだろうか。