もともと、ネカマなんていのうが存在するくらい、ネット上の情報はそもそも真贋を常に疑ってかかるというか、複数の情報で裏をとらないと怖くてしょうがなかった。 しかし、最近のTwitterやFacebookの普及で、こういう感覚を持たない善良なネットユーザーが増えて、あたかも事実のように様々な嘘、捏造記事からちょっとした勘違いまでが、RT やらシェアやらで拡散しているのをみていると、もう何もかもが怪しい時代を感じる。
昨日も、大飯原発再稼動反対デモがあたかも外国で発生したようなコラージュ写真がFacebookで拡散しまくっていた。 それじゃ、ネットじゃないというかレガシーな報道は、信用に足りるのかというと、昨夜の日経のニンテンドーDSの記事のように、とても稚拙なものが電子版で踊って、しかも、こっそりと修正されたりで、なにがなんだかである。
これが、さらに政治ネタなども含めて、当人以外の第三者が書く、見た、聞いた的記事になると、完全に事実とは異なるオフセットがかかるから、目も当てられない。
こうなると、唯一信じれるのは、情報の発信者自らが自身の体験や主観を発信するものだけど、それとて某反原発タレントのブログのような成り済まし発信まであると、どうしょうもない。 とはいえ、成り済ましさえなければ、当の本人が公表、発信するものは事実なわけで、これはやはり一番説明責任を果たしていて、信憑性が高い情報となる。
例えば、先週ニュースになった巨人の原監督のスキャンダルなんて、本人が自ら発表しているんだから、誰がなんといおうとそれはそれで事実だ。 (虚偽の発表だとしても、当の本人がその発表をしたという事実は否定できない) このような当事者自らの責任ある発表があれば、後はこれをどう報道するかとか、こういう事実にどう対処するかは、明らかに関わりのある団体や報道機関の対処の問題として浮き彫りになる。 そういう意味では、原さんは自身の説明責任をきちとん果たしたわけだで、それを華麗にスルーする系列新聞とか所属球団や連盟の対応問題の方が僕には気持ち悪い。
また、大阪の市長さんのTwitterなどは、自らが情報発信をすることで、大手報道機関の勝手解釈やバイアス的姿勢を浮き彫りにしていて、やはり自己発信情報の強さの現れだろう。
一方で、ちょっと質は違うけど、某私立大学の准教授の学歴詐称問題も、ここ数日話題になっているが、これなんか当人も含めてこの問題を指摘した雑誌社(オリンパス問題等でも名前が出ていた)の公開質問状に名指しされている関係者が、一向に自ら何も情報を発信しないのは、果たしてどうなんだろう。 たまたま、この件は、当のご本人も、その他名前を引用された方も、面識のある方で、皆さんそれぞれネット上では、著名かつ雄弁、アクティブな人達だけに、そういう人達が、皆でこの問題をスルーしているのは、なんかインターネット住民としては、とても悲しい。 日頃、情報の対称性とか、情報発信の時代とか、情報革命とかを標榜されているコミュニティの人には、自らの近くに火がついた事件や事故に対して、率先して発言してほしいと思うのは、幼稚すぎるだろうか?