10年くらい前に、MobileIPの実験とかを一緒にしていた研究者の方が、別な大学の助教になって、久しぶりに連絡があった。 彼がいま進めてるプロジェクトに絡んで、無線機の開発とかについての相談だった。
無線LANって、もう完全にコモディティになったから、今時無線機そのものの下のレイヤーから作るメーカーやベンダーは,本当に少ないので、ちょっとした研究とかで新しいアイデアの実験がしづらいようだ。
もともと、僕はIEEE802.11が出来る前から、自分たちでスペクトラム拡散の無線機を作り、それにルーティングをいれたりしていたので、そういうスクラッチなことが、いまでも出きるのではという相談は結構多い。
そういえば、この前十数年振りにお合いした研究者の人も、相変わらずTDMA系な論文とかが結構査読で回ってくると言っていた。 僕がアマチュアとして書いたDynamic TDMAの参照先が消えるといわれたので、発掘してきたのでリンクしておく。
今日の午後は、新宿でワイヤレス技術セミナーの講演。 丁度、高島屋で大北海道展をやっていたので、昼は函館の鮨処木はらの寿司で腹ごしらえ。 今日の講演者は、皆IEEE802で顔をあわせるいつものメンバーなので、なんだか気が楽。
セミナーの途中で、MCPCが提携して、日本で実施しているIEEE-WECT(Wireless Communication Engineering Technologies Certification)の説明があった。 たまたま、MCPCの方も旧知だったので、控え室でガイドブックを見せてもらい、少し話しを聞いた。 この試験は、実務経験を伴うエンジニアを対象しているそうで、内容は無線通信の基礎からネッワークのことまで、かなり網羅的だ。
たとえば、熱雑音を求めたり、ドップラー周波数を求めるものから、無線LANのコンテンションウィンドウの関係、モバイルIP でのHome Agentの扱いなどまである。
最近は、無線LANを扱ってるシステムエンジニアとか言っても"dB"の意味も知らないのもいるし、ネットワークのエンジニアとかいいながら、障害切り分けで、"Ping"を打つくらいしか出来ないのがいたりする。
なので、こういう基礎からある程度の実践までを網羅する試験による資格認定というのは、なかなか意味深いと思う。 残念ながら国内での知名度も低く、企業などでその価値が認められていないようだけど、今後どう普及していくか楽しみな資格だ。
午後の便で、LAX に移動だったので、昨日に続いて新宿高島屋で開催中の大北海道展によって、昼ご飯を調達。 本当は、ラーメンを食べようとおもったんだけど、結構並んでいたので、海鮮弁当を買ってNEXの中で食べる事に。 ついでに、ちょっとお土産も買ったら、レシートで抽選ができるというので、タッチパネル式の抽選にチャレンジ。 B賞の北海道野菜の袋詰め放題というのが当たった。 でも、すぐにNEXに乗らないといけないし、野菜じゃ検疫もあるからアメリカに持って行く事もどうせ出来ない。 ということで、エレベーターで乗り合わせた、見ず知らずの御婦人に寄贈。 快く受け取ってくれて、詰め込み会場に行かれたので、無駄にはならなかった。 しかし、ふだんくじ運なんて良くないのに、こういう時に限って当たるというのも、なんだかなぁではある。
なんだか、数年ぶりにアメリカン航空の太平洋便で、NRTからLAXにいく。 成田の第二もなんか久しぶり。 しかし、搭乗ゲートがサテライトで、ラウンジが本館というのが、ちょっと悲しい。
そしてね何より、やはり食事も機内サービスも、比較してはいけないけど、日本の航空会社とは随分違う。
LAX到着後、最初の打合せは、今年の私的一大事件の現場のSan Pedroのピア。 遠くに戦艦アイオワが停泊しているのが見える場所で、今回は、無難に乗り切った。
二つ目は、知り合いの会社の事務所で、土曜にも関わらず事務所にでてきていただいたので、助かった。
夜はリトル東京近くの串カツ屋で会食。 LAのダウンタウンなんて、足を踏み入れたのは、多分20年振りくらいの気がする。 リトル東京は閑散としているし、帰りに通った街中も、路上生活者のテントがたくさんあって、すこし不安になる風景だった。
「天切り松闇語り」シリーズとか「メトロに乗って」とかで、浅田次郎さんの描く、オリンピックくらいまでの東京の描写が、僕にはとても懐かしいし、とても好きだ。 といっても、僕は1960年生まれなので、彼とは9歳も違うから、実際にはかなり見ていた風景は違うはずだ。 それでも、なんとなく出てくる風景や、旧町名や、銀座、浅草、上野、神田界隈の風景と、市井の風俗描写や江戸っ子気質的な話がとても馴染む。
今回、彼のエッセイの「ま、いっか。」を読んで、なんとなくその共感の底にあるものが、垣間見えた気がする。 僕は、大塚の花柳界で生まれ育った。 花柳界で生まれ育ったと言うと、それだけで万が一まちがって政治家とかになったら、きっと面白おかしくその出自を週刊誌に書かれるかもしれない。 もちろん、全然隠す事も反社会的なこともまったくないので、気にした事はないけど、いわゆる気質の会社員の家庭ではない。
そんな世界だっから、僕も子供の頃は毎月のように歌舞伎座や新橋演芸場とかに芝居見物に行った。 実際、いまや女形のスーパースターの方は、うちの町内に実家があって,十歳年上の姉とは同級生だったから、よく子供の頃は家に遊びに来ていたし、歳の離れた僕はもうすっかり役者になった彼の楽屋を訪問したことなんかもある。
そして、町内には朝ドジョウ売りが来たり、大相撲の場所前には触れ太鼓が来て、番付表を配ったり、羅宇屋(煙管の修理屋)も定期的に来ていた。
この他、包丁研ぎやら雛人形、5月人形の飾り付けの職人が来たり、新内流しがいたり、とにかく街のなかにいろいろな風物詩があった。 大塚の花柳界には、見番と一緒に大きな演舞場もあって、組踊や獅子舞なんかも季節ごとにあった。 昭和四十五年くらいまでは、芸妓も二百人以上はいたと思う。
それでも、新橋、赤坂、神楽坂、向島なんていう高級とは違って、ちょっと外れると住宅街があるし、すぐ近くは大学や高校の沢山ある文教地区で、そのあたりの中途半端さが不思議な街だった。 まぁ、その頃は、駒込や池袋、新宿、渋谷にも、三業地はあったけど、大塚は比較的持続したほうだろう。(いまでも、続いてる)
そして、なによりも下町かというと、浅草とか深川とか、神田みたいにな、100% 下町じゃない。 かといって、田園調布とかの山の手とも違うという、いわば汽水域なわけだ。
だから、浅田次郎さんが、銀座に行くのは儀式的な要素があって、「よそゆき」を着ていくけど、新宿だと普段着で行けるという表現なんか、本当に良くわかる。
といわけで、あらためて自分の生まれ育った環境を見てみると、古いものと新しいものの混沌とした時代と環境にいたわけで、いまもって、無線と有線、ビジネスと研究のどっち付かずな境界域で仕事をしているのは、もしかしたらこの辺りの土壌のせいではないだろうか..... と自分を正当化してみた。
Atlanta で開催中のIETF85に参加。 IEEE802 と比べると参加者が1000人越える活況は羨ましい。 しかも、IETF の場合には、民間のスポンサーが多いので、ストラップやTシャツはもとより、コーヒープレイクなどもスポンサーのロゴがあっちこっちに踊っている。
今日は会場に来たなり、某先生とあって2015年横浜開催の支援の話となったので、まずは2014年IEEE802の神戸開催の支援をと切り返してしまった。(ww)
ところで、日本では大学の設置認可を大臣が覆して騒ぎになり、新しい審査基準で再審査するらしい。 当然ながら、再審査となると新しい委員会を設置し、その委員も変るんだろうけど、その人選の透明さがどうなるか気になる。
とにかく、国の委員会とかは、その委員の人選、任命が結局は、官僚の裁量なのが、僕は諸々の問題の根幹にあると思っている。 マクロ的に、どういう属性の人をどのくらいというルールを明確にし、そのルールに沿って人選をするように変ればと思う。
これは、企業の人材登用でも全く同じで、男女の管理職の比率とかでも、それを裁量で自由にやっている組織は、結局組織内の裁量者のオフセットがかかる。 例えば、メーカーでの製品企画会議の構成とかも、単にマーケティングサイドだけではなく、製造側はもちろん財務やサポートというバランスも必要なのだ。
そういう意味でも、IEEEやIETFの運営などは、参考になる点が多々有るんだけど、官僚もこういう現場をみる機会を増やせばいいのになぁ。
普段、東京にいる時は、どうしても帰宅が深夜になるので、シャワーが多く、湯船にゆっくり浸かるのは、週末の山梨になる。 僕は、お風呂、温泉が好きなので、出張とかでホテルに泊まる時は、逆にバスタブにお湯を張って、ゆっくり楽しむことが多い。 だから、ヨーロッパとかで、そこそこのクラスのホテルでも、シャワーしかないと、かなりガックリする。
特に長期の出張の時は、バスジェルを持参して、これを入れてゆっくりと浸かるようにしている。 風邪気味の時なんかは、これは駄目という人もいるけど、寝る直前に熱い風呂に入って発汗すると治る気がしてる。 そんななので、バスタブが小さかったり、給湯システムがうまく働かないと、もう二度とそのホテルには泊まりたくないとまで思ってしまう。
今回もちよっと風邪気味なので、お気に入りのバスフォームを入れて、寝る前にゆっくり風呂に入っていて、なにげなく目の前の給湯口をみていたら、ふとした事にようやく気づいた。
なにかというと、アメリカ式の給湯口の仕組みの合理性だ。 アメリカのホテルでは、回転式の給湯口が多くて、これはレバーを回転させると水/お湯がでる。 この仕組みの場合、基本的にレバーの位置で変るのは、出てくるお湯の温度だけで、流量は変らない。 日本とかであるお湯と水の流量を別々に調整するタイプや、別々じゃないにしても流量と温度を両方調整するタイプの場合、結構な割合で適切な温度にするのに苦労することがある。
これに対して、このアメリカ式のやつは、流量は変らないわけで、二つの機能がない。 流量固定というのは、一件不便そうだけど、バスタプにお湯を張るという使い方を考えれば、流量を変える事の必要性は感じない。 シャワーにした時に、流量が変らないのはちょっと不便という人もいるかもしれないけど、こちらも所詮壁に付いてるタイプならあまり流量を変える必要性はない。
恐らく、最初にそんな深慮があったのではなくて、簡単な方法を選んだだけかもしれないけど、これはこれで用途に合わせて機能を絞るという、とてもシステマティックな設計に思えて来た。 これで、流量とオーバーフローで上部のドレインからの流出量のバランスが取れるように設計してあると最高なんだが、さすがにそこは考慮されていないみたいだ。
もっとも、いくらシンプルで良いシステムでも、バスタブの栓がちゃんと閉まらないとか、お湯の温度が上がらないというトラブルが少なくないのが、アメリカの悲しいとこではある。
今夜のIETFソーシャルは、ジョージアドームの貸し切りで、カジノからピンポン、ビリヤード、アーケードゲームと盛りだくさん。 グランドの一部では、サッカーBOFで、ミニゲームまでしてる。
随分昔に、パリでオルセー美術館を貸し切ってのソーシャルも印象的だった。 基本的に、IETFはお金持ちだなぁ....IEEE802は、ホテルのボールルームで、ドリンクも1人2杯まで無料とかなので、とても差を感じる。
僕のIETFへの参加は、継続的ではなく、数年に一度の離散的な参加だ。 そのため、参加する度にIETFがというよりも、自分の環境や経験が変るので、相対的に学ぶ事も変ってくる。
ここ数年での最大の僕側の変化は、IEEE802.11のTGチェアになり、IEEE式の議事運営や合意形成に対する知識と経験を重ねたことだ。 このため、今回はどうしても全ての事に対して、比較的に見てしまう。
もともと、僕はインターネットに接したのは、比較的新しくて最初にドメイン名を取得して、WEBサーバーとか立ち上げたのは、1996年くらいだったと思う。 それまでは、Nifty Serveとかのパソ通を使っていて、インターネットもNiftyからのゲートウェイみたいなので、電子メールのやり取りをしていたくらいだった。
幸いに、その頃スペクトラム拡散の無線機を開発して、その利用方法で試行錯誤していた時に知り合ったのがPRUGで、このインターネットコアな人達から、沢山の事を教わった。
その中でも、End to End 理論、自律分散というコンセプトが、とても僕の嗜好にマッチしたし、その合意形成における 「Rough consensus & running code」コンセプトも魅力的だった。
その後、無線ルーターの開発を通して、日本のインターネットの第一人者である人達と深く交流するようになり、IETFにも参加して、まさにその自由闊達な雰囲気に魅了された。
ところが、あれから、十数年が経過し、かつIEEE802.11でのチェアをしている立場で、久しぶり参加してみると、そこにはいささかの課題も感じる。
IETFもIEEE も各々のルールに基づき、合意形成を進めることには変らないし、フロアーでの議論も変らない。 でも、 IETFがRough consensus なのに対して、IEEEが基本的にVoting である点は、文化というか雰囲気がまったくちがう。 適切な表現か微妙だけど、ある意味 緩さと殺伐感の違いを感じる。
では、どちらが良いのかというと、おそらくそれぞれに一長一短で、イノベーションを起こすのは、IETFな土壌な気がする。 (かつては、そうだったという人も多い)
これに対して、ではIEEE802からイノベーションが生まれないかというと、今日の無線LANの隆盛をみれば、そんなことはない。 ただ、IEEE802の下にもいくつかのWorking Groupがあって、全部が成功しているわけではない。(最近よく聞くジョークでは、偶数ナンバーは駄目だよねというのがある。)
思うに、無線LANの場合には、IEEE802.11だけではなく、もう少し上のレイヤーでデファクトスタンダート的な取捨選択をするWi-Fiアライアンスとの連携が大きいのだろう。
何かを推進するには、やはり自由闊達なフェーズと、カチッとした意思決定のフェーズが、スパイラル的に続くことが重要なのだろう。
しかし、国内の審議会とかは、自由闊達な場は少なくて、なにかにつけて「いかがなものか」という上から目線の会議と、不透明で恣意的な謎のルールが支配しているのが、きっと国際競争力を失う一因なのではないだろうか?
今日は、会議終了後に日本とのテレカンがあったので、夕食をとるチャンスが無かった。 僕は、基本的に1人でレストランとかに入るのが苦手なので、こういシチュエーションになると、ファストフードかケイタリングで済ませる事が多い。 まぁ、旅行中に限らず、となりのテーブルでカップルやファミリーが楽しい会話と食事をしているところにポツンと1人で食事している光景を想像しただけで、侘しさに押しつぶされちゃう。
というわけで、今日も10時近くになってしまったので、ルームサービスで,一人ご飯。 幸いに、売店でハーフボトルのワインも売っていたので、アメリカンなハンバーガー。 アメリカでは、ハンバーガーは確かにメインディッシュになりうるなといつも思う程度に、そこそこのテイストのもはある。 今日のハンバーガーは、ミートは今ひとつだったけど、ブルーチーズとマッシュルームのトッピングかあったので、なかなか良かった。
ハンバーガーやステーキのブルーチーズトッピンが、アメリカでは結構ポビュラーなんだけど、日本でも流行らないかしら。
今日の昼過ぎで、IETF85が終了。 しかし、IPv6って、その普及や移行のために、どんどん屋上屋を重ねてるようで、なんだかなである。 まぁ、Dhcpにしても、そうだけど、よくまぁ次から次へと色々なもの糊塗するアイデアが出てくるものだな。 今日は、某通信事業者の人と休憩慈顔に、IPアドレスの会計学的な価値判断について意見交換したんだけど、これはなかなか興味深かった。 この話は、いづれちょっと整理してみたいところではある。
夜は、某先生や某メーカーの知人らと、会場近くのMax Lager'sという、ビアレストランで一献。 ここは、自家醸造しているとのことで、店内にタンクがずらりと並んでいる。 食事は、レンガ窯で焼いたピザやらステーキやら。 ぼくは、ビルスナー系と、エール系にちょっとワインみたいな感じのものの三杯を堪能。 ビールをこんなに飲むのは、最近にしては珍しい。 なので、食事はメインはとても無理で、ウィングやフィッシュ& チップスやらを、皆でシェア。 それでも、かなりお腹は脹れて、部屋に戻ったら寝込んでしまった。 せっかく、時差ボケが抜けたのに.....
IETF が終わり、明日からIEEEが始るまでのつかの間の休日。 アトランタは、ここ一年間の間に三度目、計4回来ていて、コカコーラもCNNも見学してしまっている。 なので、今日はレンタカーを借りて、ちょっと郊外にあるStone Mountainまで出かけてみた。 たまたま、朝ホテルで僕と同様に明日からのIEEEにも参加する知り合いとあったので、お誘いしたら彼も行くと言う事で,2人で雑談しながら現地へ。 最初、カーナビの設定を間違えて、違う公園にいってしまったけど、時間はたんまりあるので、まぁご愛嬌。
それにしても、着いてびっくり、地上にポツンと置かれた感じで、高さ250mくらいの花崗岩の固まりの山がある。 これ一枚岩だそうで、その壁面に掘ってあるレリーフも世界最大だそうだ。
ロープウェイで山頂(岩頂?)にあがると、まさに360°のパノラマ。 はるか遠くに宿泊していたダウンタウンが見える。 ここから、約1.3マイルのほぼ直線のトレッキングコースで、地上にもどる。 麓にはテーマパークがあって、レストランとかもあるのだが、今日はクリスマス企画の初日で、皆午後2時からの開店だそうで、僕らのお昼にはまだ空いてなかった。 というわけで、車でぐるっと回って、同じ公園の中にあるホテルのレストランで、ランチバフェ。 ここは、湖と森に囲まれて、ゴルフ場やキャンプ場もあり、岩山を中心にした一大観光地になっているようで、この時期は紅葉もなかなか綺麗だ。
知人をホテルで下ろしたあと、買い物をし、空港近くの宿に一旦チエックイン。 その後、レンタカーを空港で返却して、ホテルのシャトルでホテルに戻った。
アトランタを朝出発して、ダラス経由で、San Antonioに移動。 今日からは、IEEE802.11のプレナリー。 今回は、いつになく日本から参加している常連メンバーのSNSで、事前に今日のディナーに行く話が盛り上がった。 僕は、初日の夕方は恒例のチェアアドバイザリーのミーティングがあったのだが、今日は一時間で終わったので、最初から皆に合流.総勢、十人でホテルの近くのレストランに行く。 この街は、旧いけど,街中に川があって、川沿いにはレストランなどがあり、観光地となっている。 ホテルは丁度その中心近くにあって、街も綺麗だし治安も良いようだ。
今日は,朝から何も食べず、夕方ホテルに着いてサラダだけ食べたので、夜は肉系と一瞬思ったのだけど、ちょっと出張太りを恐れて、ブイヤベースをチョイス。 Close to という冠が付いていて、どういう意味か聞いたら、長時間煮込むのではなく、新鮮な魚介類(といってもテキサスだよ...)をつかって、短時間でスープ仕立てにするとのことだったけど、それでもちゃんと旨味は出ていた。
一アテンディとして参加したIETFと違い、IEEE802.11は、さっそ神経戦がはじまった。 昨夜のチェアミーティングは、大きな疑義もなかったが、今日からは、本番のTGai。 まずは、朝バイスチェア、エディターらと、今週の予定について調整。 今回は、9スロットで、25の提案を協議するのだが、その時間の割当を合意するのが最初の仕事。
大まかには、技術的な三つのカテゴリーと、議事運営的な話に別れるのだが、この順番によっていろいろとオフセットがかかるので、これだけでも結構気を使う。 当然ながら、個々人の現地に出入りする時間の都合で、特定の日時を希望してくるめんどくさい輩もいる。(基本的には、こういうのは認めない)
まぁ、初日の今日は一スロットで、まずまずの滑り出し。 いろいろと、疑義のあるセキュリティ関係とかも、ようやく協調の路線が見えて来た。
今朝は、恒例のWNG (Wireless Next Generation) SCという会議からスタート。 このWNGは、その名前のとおり新しい標準化のネタを議論する会議で、SC(Standing Committee)という常設委員会で、誰でも参加して,誰でも意思決定に投票できるものだ。
新しい標準化のネタのある人は、まずこの会議でプレゼンテーションをして、多くの賛同が得られると、標準化の目的等を明確化するStudy Groupの設置を求めることになる。
今日は、チャイナモバイルからのプレゼンがあったのだが、プレゼンターは、IEEE802に参加して間もない人で、残念なプレゼンだった。
一つは、携帯電話のWi-Fiオフロードの話で、いまやスマホで携帯のトラフィックが大変、Wi-Fiオフロードしたいけど、Wi-Fiも混んでたり、プロトコル的にサクッと切り替わらないからなんとかしなきゃねという話。
日本でも、この類いの話は、最近沢山でてくるし、それなりの委員会とか通信に詳しいと自称している評論家とか研究者が、さもありなんなコメントをネット上で披露しているけど、まったく総論的で現実の正しい把握や、問題の明確化がされていない。
実際に、僕らが現場で測定してみると、コーヒーショップとかで快適に使える場所も、繁華街などで電波は見えるけど、まったく使えない場所でも、電波の空間占有時間はそんなに違わない。
繁華街等の屋外路上とかでは、圧倒的にエラーパケットとかリトライパケットが多くて、その原因は、あまりに稚拙なセル展開にあるのだが、そういう事実を調べもせずに、やれ上流が光じゃないから駄目とか言う輩もいる。
今日のチャイナテレコムのプレゼンも、総論的な問題提起としては判るけど、じゃ技術的に何処に問題があって、どう改善したいのかという、具体的な解析も,考察もない。 このため、次のステップをどうするかが見えずに、終わってしまう。
組織とか集団で,何かを動かすには、やはり問題の明確化と共有化が不可欠であり、それをシェアできて初めて多くの人が賛同して、モチベーションを共有できる。
「言いたいことは判るけど、じゃどうしたいの?」という質問に応えらるかどうかが、重要なわけだ。
今日は、朝一のセッションがなかったので、ホテルのすぐ近くにあるこの街唯一の見所であるThe Alamo / アラモの砦を見学。 かつて、テスサスがスペインからの独立のために戦った場所で、ここが全滅したことが逆にテスサス群を鼓舞し、結果的に独立につながったそうだ。
アラモについては、「アラモの砦」とかの映画が有名だけど、僕は子供の頃に見たことは覚えているけど、あまり記憶はない。
一方この戦いで死んだとされている、デイビー・クロケット(デービッドクロケット)については、どうい訳か、頭の中で♪デイビー・クロケット♪というメロディー付のフレーズをやたら覚えてる。 これは、何の唄で、どこで聞いたのか記憶が定かではないが、とにかく♪デイビー・クロケット♪なのだ。 多分、どこかのテーマパーク(ネズミの国?)か、なにかのアニメの中だと思うんだけど、思い出せない。
サンアントニオの街は、歴史がある旧い街並なのだが、その中心部の運河の回りは、綺麗に再開発されている。 運河沿いに、多くのレストランやカフェが並び、水上タクシーが行き交っている。 観光地としても、そこそこに人気があるのか、平日でも随分とと人が多い。
今日の昼は、午後一のセッションがないこともあり、運河沿いのレストランでシーフードを食べた後、ぐるりと運河沿いを一回り散歩してみた。 この街は、見た目もそうだけど、道路や歩道の清掃も行き届いているようで、ゴミなども落ちていなくて、とても清潔なのが印象的だ。
夜のチェアアドバイザリーミーティングも終わり、あとは明日のクロージングプレナリーを残すのみとなった。 アメリカの飯は、マズイだなんだ言いながらも、いつものお約束で一度はステーキハウスに行く。
今夜は、ミーティング終了後でも唯一ギリギリで開いていた、ホテル近くのモートンに、5人で出かけた。 ナパのスパークリングとカベルネでオイスターとステーキ。 ステーキは、16ozのニューヨークカットに、いつものブルーチーズソース。 しっかり、いただきました。
日曜日からテキサス州サンアントニオで開催されたIEEE802.11 Plenaryも、今日で終了。 今回も、僕がチェアを務めるIEEE802.11 TGai(無線LANの高速接続認証の標準化)は,9スロットの会議を行い、標準仕様に対する起草が随分と進んだ。
実は、今回こちらに来る前に,日本で既に感じていたことだが、ネットワーク機器の最大手の会社が、TGaiの動きに積極的な参加姿勢を見せて来た。 日本では、IEEE802.11aiの活動を推進するために、民間レベルでWi-FILS推進協議会を組成し、実証実験や情報共有を進めている。 この協議会へ先月の会合に出席する日本支社の人間が増えた。 そこで、同社の知り合いに少し状況を聞いたら、中国の携帯市場の動向などから、会社としてウォチ対象となったようだ。
こいう世界的企業は、機を見るに敏なわけで、いちどこういう方向性がでると、一気に攻めてくるようだ。 これまで、TGai ではベテランのうるさ型の人が参加していて、総論的な意見を述べていた程度だったのに、今回は若手の担当がかなり細かくモノを言い出したし、なんからの独自の提案もあるような含みがある発言もあった。
例によって、ついつい日本の企業と比較してしまうと、こういう展開の早さとか意思決定の強さは相変わらず感じない。 まぁ、二言目には「他社はどうなっているの?」が出てくる経営幹部とか、「xxさん(上級者とか経営)はなんて言っているの?」しか聞かない中間管理職が居座る組織では、無理も無い。 こういう体質が今は個々の企業だけじゃなくて、世代を越えて日本社会を覆っていると感じる中で、ニュースでみた野田さんの解散宣言は、なかなか素敵に聞こえて来た。
IETF,IEEEと2週間、約半月の米国出張がようやく終了。 現地土曜日の午前便にのり成田には日曜日の夕方に到着予定。 いつものにように、失われたというか短縮された土曜日になる。
最近は,なるべく週末は空けないようにしたいのだが、これで結局3週末に山梨に行ってない。 ということは、もうお約束のように収穫期を迎えた大根や白菜が、猿に乱獲されているであろうことは、想像に難くない。
本当なら、明日ちょっとでも、山梨に行きたいくらいだけど、月曜日からはいわきに行くので、恐ろしい光景を見るのは、今度の連休までお預け。
今回の出張は、前半がIETFで後半がIEEE ともに、フォーラム形の標準化ではあるが、その文化の違いは自明だった。 メインワークのIEEE802.11aiは、今回かなり仕様のドラフトワークが進んだ。 当初の予定より、ちょっとビハインドであるが、まぁこれ以上は現実的に贅沢な望みだ。
しかし、対向する2人の寄与者から、愚痴と互いの非難のDMが来るのは、チェアとしては辛いものがある。 どちらかに、肩入れした返信をするわけにもいかず、かといってなんとか妥協してほしいので、悩ましい限りだ、
夕方、成田に帰国。 さすがに,2週間の出張は和が恋しい。 ということで、いきなり神田で知り合いと待ち合わせして、和な小料理屋で一献。 しゃこ、もずく、手羽先、御豆腐、烏賊天、自家製塩鮭のお茶漬け等に熱燗で、ここ数日の和食切れを解消。
帰宅して溜まっている郵便物をみたら、某航空会社から恒例のカレンダーと手帳が宅急便小包で届いてた。 この小包のパッケージに、「配達の方へ、 大切なお客様へのお届けものです。 いつも丁寧にお届けいただきありがとうございます。」というのが書いてあった。
高速道路のトイレとか、飲食店のトイレとかでも「いつも、綺麗に使っていただきありがとうございます。」というのを、最近は良く見かける。 まあ、これはまだ清掃の方が直接に利用者に、その気持ちを伝えると捉えることと、なんとか理解できるけど、この小包の表記は、僕には嫌味にしか思えない。
配達の人に、感謝の気持ちを伝えたいならば、素直に、かつ直接に運送会社に、この文言を伝えればいい。 もし、「大事な品物なので、丁寧に扱ってください」ということを、角の立たないように伝えようというので、こういう表現をしているのだとしたら、それを顧客の目に触れる場所に記載するのは、すくなくとも僕には品がなくて無粋にしか写らない。 こういう、センスの無さというのは、いったい何処から来ているのだろう。
相手に気を使うことと、自分を保身的に取り繕う事を勘違いしているのではないだろうか?
ITRCの2日目の今日は、企画セッションで、いわき市といわきテレワークセンターの方が、震災からの復興をテーマに講演。 いわきテレワークセンターのI社長とは、旧知の仲。 もう十数年前に彼女の依頼で、インターネット社会の話を、東京で講演したり、数年前にもいわき市でも講演した。 震災の後、一度電話で話しをしたくらいで、再会するのは実に久しぶりで、元気な姿を拝見して一安心。
今回のいわきでの開催は、復興支援の意味もあったのに、逆に市やテレワークセンターの方に、とてもよくしていただいて、スタッフともにとても感謝している。 これを機会に、いろいろと復興の中での協業の道が開ければと願っている。
二泊三日の研究会も昼に無事終了。 いわき駅近くのショッピングビルの一階にある鮨屋で昼食。 とくに調べて来た訳でもなく、たまたま入ったのだが、隣の席に今回お世話になったテレワークセンターの皆さん。 彼らはおなじみのようなので、良い選択だったようで、実際ランチセットのネタは中々上出来。
その後、駅で切符買った時にふとみたら、料金掲示板の上の路線図に示された山手線が、なんたがとても質素でかわいい。 しかし、なんで表示がこの四駅なんだろう? 乗り換え拠点的には、品川とか入ってないし...
今日のスーパーひたち号は、旧型の車両で、シート電源もWi-Fiサービスもなかった。 そして、取手のデッドセクションでは、電源がおちて、非常用電灯に切り替わった。 やはり、これがないと常磐線じゃないよね。
帰京後は、某役所で打合せをして、夜は九州から来ている研究仲間と一献。 今日で、やっと出張が一段落。
研究で進めている無線のエミュレーターの論文投稿は、なかなか厳しい評価が続いてる。 一番の問題は、自分では自明だと思っていることも、読者にとって、きちんと論理的に理解されるように十分な記述をする事が出来ていないことだ。 僕の中では、新規性があり革新的であると思っていても、読者にはなぜそうなかの、本当にそうなのかが伝わっていない。
他の方法との違いを、もっとプリミティブなところで示し、その信憑性を表現しないとないらないのだが、そのあたりが長年実務優先でビジネス畑にいた僕の弱い所だ。 これは、プレゼン、講演、議論などの場で表現することは出来ても、それと論文とは違うということだ。
いままで、きちとんこういう課程に揉まれて来てなかったので、こういうプロセスを知る事は、とても良い勉強になる。 そこで、もう一度文章のプロットを根本的に再考して、構成から見直す必要を感じている。
たまたま、いま村上春樹のインタビュー集「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」を読んでいるのだけど、この中では、そこそこに小説を書くプロセスについても、いろいろと出てくる。 物語を紡ぐいで、誰かに読んでもらうというのは、論文とくに理系のものとは大きく違う話のように思うかもしれないけど、実は根本的なことは同じではと感じている。
というわけで、僕は地下2階にある暗闇に下りて、すこし旅にでる時期なのかもしれない。
昨夜約四週間ぶりに山梨に戻った。 予想に反して、畑は大根が一本かじられた後があっただけで、どうやら無事だった。
生憎の小雨だったけど、朝少し止んでる間に、大根を収穫。 間引きもしていなかった、小株や野沢菜も遅ればせながら間引き、ブロッコリー、キャベツ、白菜も一つだけ収穫。
とりあえず、大根を洗って、沢庵ように吊るす作業と、はりはり漬けように、細かく切って干す作業をする。 間引いた野沢菜も、少し葉が大きくなっていたので、軽く塩と唐辛子で漬けておいた。
出張続きだったので、久しぶりの気分転換。 明日は,味噌の蔵出しだ。
今日は、恒例のNPO楽っ子の味噌の蔵出し。 今年の冬に仕込んだ一年もの4樽と、昨年の冬に仕込んだ3年モノ1樽の計5樽を開けてパック詰め。
まずは、三年モノを開封して、昨日沢山間引きした小カブにつけて、試食。 正に手前味噌だけど、三年もののまろやかさと濃くが最高!! この調子で、もう一年熟成させたらどうなるんだろう...とふと思ってしまう。
一年モノは、さすがに色も明るくて、新鮮な感じだけど、こちらも上出来。 さすがに、味噌作りも途中一年だけ引っ越しで中止したもの、もう10年になるので、最近は安定している。 加えて,貯蔵している床下の倉庫も、すっかり麹菌が住み着いてるようで、これがよい熟成を生んでるのだろう。 毎年のように楽しみにしてくれている方も増えて、今年も頒布は、リザープを少し残してほぼ完了。
今日は、風も少なくて穏やかな晩秋の陽射しで、洗濯物の上でトンボが日向ぼっこをしていた。
石窯を新しいドーム型にして、最初にピザを焼いたくらいで、その後は出張続きで使う暇がなかった。 今日は、久しぶりにフルに山梨にいるので、とりあえずカンパーニュと牛肉を焼いてみた。
このドーム型は、開口部が狭いこともあり、最小に火を熾すのが、結構難しい。 以前の開放アーチ型は、比較的大きな薪を積上げて、豪快に燃やしたのだが、今度のは、かなり細く割った薪で、細かく燃やしていかないと、なかなか炎が広がらない。 基本的に、炭を使う事か良いようなのだが、その炭を熾すまでが大変。
しかし、逆に一度炭が熾きてしまうと、内部の温度は相当に上がるし、開口部から常時空気が入るので、連続的に使える。
とりあえず、温度計を置いてみても、窯内部の場所により差があるのので、あまり当てにならない。 以前の窯でも、最初は随分と温度の見極めに苦労したのだが、案の定今度の窯でも、今日は全体的に温度が想定よりもかなり高かったようで、パンは表面を焦がしてしまった。
パンのあとに、今度はトレーでローストビーフを作ってみたのだが、こちらは、まぁまぁの出来。 もっとも、僕の好みからすると、もっとレア気味が良かったのだが、肉汁は逃げずに、中はそこそこジューシーだった。 面白いのは、油を使わずにじんわり焼くので、ポテトとかブロッコリーが、カラッと焼け、グリルならではのヘルシー感があった。
思うに、やはりこの窯は、最初の高温時にビザ等を焼いて、その後にパン、そしてロースト系というように、自然な温度低下に合わせて、いろいろと調理するのが良さそうだ。 一度、炊いてしまうと、途中で必要に応じて、薪や炭を入れれば、一日みっちり使えるのが魅力なわけだ。
バタバタしていて、床屋に行く時間がとれず、髪の毛が伸び過ぎで気持ち悪くてしょうがなかった。 たまたま、今朝は、東京に戻る前に宅急便の集配所で荷物の発送をする関係で韮崎方面に寄り道。 といことで、ちょっと調べたら、なんと床屋が朝8:00から開いてる。 といことで、朝一で散髪して、甲府に行っても、余裕で東京に戻れた。
昔は理髪店は月曜日休みだったのに、ここは全国展開のフランチャイズで、年中無休。 都心で流行ってる洗髪とかひげ剃りのない千円床屋さんは、一部の理容業組合から訴訟されたりしてるけど、やはり客のほうを向けば、営業時間や休日の自由もお店に任せるべきだろう。 山梨の田舎だと、朝早くから開店しているのは、結構顧客ニーズに合っているだろう。 きっと、こういうのは守旧的な旧い組合談合体質では、実現できなかったんじゃないかな。
村上春樹のインタビュー集である「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」を読んだ。 これは、1997年から2011年までの14年の間に行われた様々な彼へのインタビューを時系列的にまとめてある。 作品的には、「アンダーグラウンド」の発刊直後くらいから「1Q83」までにあたる。 面白いのは、彼は自分で小説を書いていない時の自分は、まったく普通で凡庸だというのだけど、絶対にそんなことはなく、きっと普段でも十分に個性的としてか思えない。
しかし、凄いのはこの14年間に行われ、収録されている19のインタビューで、使う言葉や表現はもちろん、その根幹にあるものが、まったくぶれていない。 だいたい、いろんなインタビュアがかなり同じような質問をするのだけど、それに対する彼の応えは、見事に一貫している。 一応、ご当人は、あとがきでなるべく同じような質問は、編集していると書いてあるけど、同じような質疑が沢山でてくる。 そして、もちろん細部では、その応え方は微妙に違うのだけど、その本質的なところには、ぶれがない。
業界も業種も違うけど、僕なんかGoogleで引っかかる、昔のインタビュー記事とか、後援記事とかみると、「すいません...あの頃は、確かにそう思ってたんですよ....」って言い訳しなきゃいけないことだらけだし、中にはとても恥ずかしくて、自分で目を覆いたくなるようなのもある。
どの世界でも、超一線級の人というのは、他が追従出来ない徹底した拘りがあるんだなぁというのを、これを読んでいるとヒシヒシと感じる。
それにしても、彼が小説を書こうと思った1978年のスワローズとカープの試合は、スワローズファンだった僕だって、きっと生じゃないけど見ていたはずだし、ヒルトンのヒットだってきっと喜んでいいたのに、僕にはまったく文才の啓示は無かったな...
朝の便で広島に移動、某メーカーでAndroidな打合せ。 開発者同士の会議なので、かなりレアなネタが飛び交う。 実験に使う端末のソフト開発に必要なターンアラウンドを一通り確認。
最後は、本題からそれて会議室に設置してある、タッチパネル付大型液晶ディスプレイで、盛り上がってしまった。 これは、プロジェクタより使いやすそう。
終了後、博多に移動するので広島で新幹線に乗り換え、広島駅の売店で「はっさく大福」が売ってるのを発見。 ちょっと前に、何かの番組で紹介していて、食べてみたいと思っていたので、すかさず買ってしまった。
博多での打合せの時に、皆で美味しいくいただきました。 このはっさくと大福という組み合わせは、なかなかいける。
夜は、某お客さんを囲んで、博多でお魚。 いつもの、烏賊に加えて、今回は馬づらの刺身。 博多は、やはり魚だ!
そして、最後はいつもの長浜。 また、やってしまった。
早朝の便で福岡から羽田に帰京。 今日の機材は、久しぶりの747-400。 全日空は、今日の機材をいれてまだ3機保有してるそうだが、そのうち二機は年内で引退らしい。 昔は、シカゴスタイルとかいって、国際線でも結構花形だったのに、いまは747そのものが本当に少なくなった。 ギャレーの横の機内公衆電話があったところには、サービスが終了した旨の案内だけが張られていた。 たしかに、公衆電話がついてた時代もあったな。
羽田に早くついたので、会社に戻る前にちょっと築地に寄り道。 前から、カラスミ作りに挑戦しようと思っていて、去年の暮れは、ネットで注文してたんだけど、時化で入荷がなくて、結局タイミングを逸してしまった。 そんなこともあったので、思い立ったが吉日というわけで、場内でボラ子を二腹ほど購入.ついでに、漬け物に使う昆布とスルメも買っておく。
それにしても、築地はすっかり観光地として外国人に人気のスポットになったみたいで、外国語表記の案内チラシなんかも入り口で配布してた。