大学時代の先輩からの依頼で、知り合いの技術会社を紹介した。 僕が1年生の時の4年生だった人で、技術者としても尊敬している。 実際、昔々この人のいる会社に転職しようとしたこともある。
一方、紹介したほうの会社の社長も、彼が学生のときからの付き合いで、一緒にいろいろな実験をしたし、いまも僕の研究仕事の関係のハード開発等を委託していて、僕の回りでもピカイチの技術集団だ。
そんなわけで、まぁ紹介したあとは、直接本人同士で話をしてもらって、僕は別な担当らと委託している仕事の話をしていたのだが、さすがに優秀な技術者同士って、お互いに的確な事を聞いて、的確な答えをしているようで、素晴らしいテニスの試合のラリーを横で見ているみたいだった。
夕方は、先輩と2人で駅前の居酒屋で一献。 学生時代の4年先輩って、奴隷と神様くらいのヒエラルキーだったんだけど、そういう人とこうして飲めるは本当に楽しくて、飲み過ぎてしまったかも...
夜、頼まれものを届けついでに知人と浅草で焼肉。 観音裏柳通りは、花街の風情がのこる。 花柳界育ちの僕は、遅い時間で人が歩いてなくても、なんとなく昔の賑やかさが目に浮かぶ。 田舎暮らしの落ち着きとは違って、こういう特別な生まれた町と同じ臭いというのも、人の心を落ち着かせるものだ。
食事の後は、蔵前の川沿いにあるバーで一杯。 テラス席からは墨田川の向こうにスカイツリーが見える。 夜のスカイツリーをゆっくり眺めるのは、はじめただけど思ったよりも美しい。 なんか、もっと無機質な冷たい感じを創造していたんだけど、曇り空のでソフトフォーカスがかかってるせいなのかも。
午前中は、知人の会社の全体会合で講演。 技術的なトピックスとは別に、思考整理のお話もする。
講演のあとに社長である知人と昼食をとりながら雑談。 しかし、どこの会社も抱える悩みは同じようだ。 とくに、仕事の質が悪いことにつて、「言われなかったから」、「聞いてないから」、「仕様書に書いていないから」といのうが、大手をふっているというのはどこも同じようだ。 この類いの人達にとって、何かが悪いのは、会社、社会、上司、組織の問題であって、自分はなにも悪くない、または不可抗力なので仕方が無いというのが定番らしい。 つまり、仕事というのものに、正面から真摯に向き合って、どうするべきか、どうあるべきか、何が正しいかというということは考えないらしい。
「君はどうしたいの?」「これは正しいと思うの?」なんて対応をすると、「ええ、まぁ それはそうなんですけど...むにゅむにゅ」となるというのも、同じ傾向らしい。
というわけで、今日は論理的思考の進めのお話で、道具の使い方、作章の仕方などをしたら、これはそれなりに壷にはまったそうだ。 でも、道具をつかって思考を整理しようとか、どういう道具があるかなんていうのは、会社の帰りに本屋にいったり、先輩を捕まえたり、自分でお勉強することなんだよね。 そういうことをするのは、仕事そのものが好きじゃないとキツイわけで、どうも最近は技術系にも技術が好きじゃない人が増えているだけなのかもしれない。
久しぶりに、東広島市の西条にある某メーカーの通信事業本部を訪問。 初めて、ここに来てから、来年で30年になる。 昔、一緒に仕事をした取引先の人達で,当時の中間管理職だった人は既に定年退職して、現役の担当者クラスだった人達が、今はこの事業本部のトップに名前を連ねている。 ここの本館のロビーには、この事業本部の歴代製品の年表があるのだが、これをみてると若かかりし頃に関わった製品が沢山あって懐かしい。
いま、この会社は、経営危機を懸念されていて、大規模なリストラが発表されている。 今日、打合せをした人も、来年で定年を迎えるそうだが、こういうリストラをしている時に、自分たちが定年後に嘱託で残ることは出来ないと明確に言っていた。
それにしても、30年前にこの会社が、こんな厳しい状況に陥るとは、誰も予想できなかった。 ガラパゴス携帯の話とかは、結果からの解析、評価ではもっともな事に聞こえるけれど、こうなる前に予測した人の話は聞いた事が無い。
朝、ホテルをでて、酒まつりの準備がはじりつつある西条の街から空港へタクシーで移動。 先に知ってれば、午後の便にして、ゆっくり見学もできたのに、とても残念。 悔しいから、駅前で売っていた酒蔵セットをお土産に購入。 案内をみると、あっちこっち交通規制をして、イベント会場が沢山できるみたい。 ちょうど、タクシーが通ったのも造り酒屋が数件ならんでいるところで、とても後ろ髪がひかれた。
羽田から新宿経由で甲府にもどったら、甲府の駅に日の丸。 駅前にも多くの人がいて何かと思ったら、天皇、皇后両陛下が甲府市郊外に広がる森林「武田の杜(もり)保健休養林」を視察されるとのこと。 丁度、僕が駐車場からでてきたら、5分くらいの交通規制がはじまったところ。 車の中から100mくらい先を移動する車列を拝する。
今日は、交通規制に縁のある1日だった。
草刈り機のエンジンがこの前からかからなくなっていて、それを言い訳に草刈りをさぼっていたんだけど、さすがにちょっと草が伸び過ぎた。 というわけで、とりあえずいろいろとみてみたら、アクセルワイヤーが引っかかてて、ちゃんと閉じきらない。 このために、被ってしまったような気がするので、プラグを外してみたら、案の定真っ黒、ベッタリ。 とりあえず、CRCをふいて、ワイヤーブラシで擦って,ついでにバーナーで焼いたら、一発でかかった。 というわけで、少しだけ草刈り。
今年は出張の都合で、早めに大根の種を撒いたら、速攻で虫にやられてしまって、欠株が多いけど、少しだけ間引くところがあった。 いまは、とにかくビーマンと茄子、ししとうだけは元気だ。 なので、今夜は朝取りした茄子とししとうを焼いて、西条で買って来た吟醸で一杯。 たまには、こういうのもいいな。
山梨の家の前には、集落の人達の耕作している田圃が連なっている。 いまは、丁度稲刈りが終わった状態なのだが、ポツンポツンと幾つかの田圃の上には、刈った稲を干す牛がみえる。 どこの田圃も、ほとんど同じ時期に稲刈りをしてるのに、牛のある所と無い所があるのはなぜか?
牛のないところは、コンバインで稲刈りをしているところで、稲刈りから脱穀までコンバインの中で処理されるので、牛をにして天日干しをしないのだ。 これは、ほとんど農協に稲刈りを頼んでいるか、大規模な米生産農家が耕作してるところだ。 一方で、牛のあるところは、兼業農家で自家用に稲刈りをして、天日干し、脱穀を自ら行っているところが多い。
こういう、兼業農家の場合、せいぜい2反から4反くらいで、規模的には小さい。 また、同様の規模でも高齢者の家の場合には、そのまま農協に頼んでしまっている。 我が家の前に広がる田圃のほとんどは、兼業農家のもので、米生産農家はほとんどない。
なにかと話題の各種の農業支援政策は、兼業だろうが専業だろうが、比較的同じように長年扱われてきているようで、僕にはそこがとても不思議でしょうがなかった。 たまたま、昨日読んだ真山仁の「プライド」という短編集の中の「一俵の重み」には、この辺りの話が数字を使ってちゃんと書かれていて、とてもスッキリしたものだ。
今朝は、少し早めに家をでて、清里方面を一回りしてから甲府に。 なにがという理由もなく、ただなんとなくやっと晴れたので、八ヶ岳方面をみたくなった。 さすがに、清里は観光地だし、3連休明けといのうもあって、早朝でもウォーキングをしてる別荘の人とかがちらほら。
山は、まだ紅葉に早いけど、どことなく初秋の感じが漂っていて、夏とは違う。 これから、寒さが一気に増してくるんだけど、いまはその準備中という感じ。
大学で、少しだけ共同研究の打合せをした後東京に移動。 今日も、 WebEXにお世話になって、テレカンな日だった。
ながく懇意にしていただいている元官僚の大先輩がFace Bookに、田中角栄著「日本列島改造論」の結びの言葉を紹介したのを読んだ。 これが書かれたのは、1972年で今から40年も前だ。 この中に、「かくて私は、工業再配置と交通・情報通信の全国的ネットワークの形成をテコにして、人とカネとものの流れを巨大都市から地方に逆流させる“地方分散”を推進することにした。」とあった。 なんと、この時代に社会インフラのキーワードとして交通と同列に情報通信を位置づけている。 田中角栄= 高速道路、新幹線、土木利権の地方バラまきみたいなイメージがあるが、彼のこの文章をみると、実にバランスがとれているし、そもそも地方分散、住み分けという概念で、地方への富の分配のような話ではないことがわかる。 なによりも、ここに書かれている事って、いまでも政策課題として議論されていることなわけで、逆にいえば日本は結局40年間同じお題目を唱えているだけという気がしなくもない。
今日は、久しぶりにこれを掲載した大先輩にお合いして、ユニバーサルサービスの事など、四方山話をさせていただいたけど、やはり信念のある人との会話は、とても楽しい。
今日は、「共存するワイヤレス・システム」 と言うテーマのワークショップに参加。 僕の講演は,午後の後ろのほうだったのだけど、基調講演や特別講演にも興味があったので、朝から参加して聴講した。 基調講演と特別講演は、大学の先生によるもので、お一人はよくIEEE802でもご一緒する方。 もうお一人は、初めてお合いしたけど,元メーカの方だそうだ。 こういう、大学の先生方の講演は、年に何回か聞く事があるけど、いずれもみなさん自己アピールがしっかりしている。
この背景には、大学の研究者もビジネス志向を持って、外部研究費を獲得しなとならないというのが有るのだろう。 でも、こういうのが極端になりすぎると、聞いてる方はしらけてしまうかもしれないので要注意だ。
僕の回りにいる大学の先生は、大別して本当に技術的な側面や研究面で深い人と、新しいモノたくさん知っているぞ的な人がいる。 Phdって、フィロソフィーなので、後者のような側面も必要だと思うけど、それは単なる情報の収集ではなくて、新しい情報に対して深みのある考察があるかが重要だし、そういう人の話は面白い。 でも、そういう人って,本当にトップの数人だけなんだよなぁ....
久しぶりに山梨でフルの週末。 とりあえず、朝は畑の裏山で、胡桃を少しだけ拾ってくる。 まだ、木の上の方にも実があるんだけど、高枝はさみとかを持ってなかったので、手の届くところだけゲット。
昼は、収穫したてのリーフレタスをいれてホットドック。 リーフレタスは、シャキッとしていてなかなか美味しい。
午後からは、清里の清泉寮で開催されているポールラッシュ祭りをのぞいて、お約束のソフトリクリーム。 ios6にで追加になったパノラマモードで写真をとってみたけど、なんか今ひとつかな...それより、あの地図をはやく戻して欲しいな。
今日、知り合いの若手(僕より若いというだけで決して若年じゃない)の営業マンとの会話。
彼「若い新人エンジニアを教育して、派遣するビジネスです。 このスキルシートのエンジニアを派遣提案したいのですが...云々」
僕「どういう教育をして、どういうスキルがあるの?」
彼「CCNA とか勉強させて、ルータのコマンドとか打てます。」
僕「じゃ、シスコのルータ使ってる会社とかがターゲットだと思うけど、どういう会社が使ってるの?」
彼「すいません、そこまでは、まだ調べてないんですよ...ムニュムニュ」
正直参りました...もう最近こういうの大杉。 仕事をして報酬を得るというのは、言われた事を教わった、または指示された範囲でこなす事じゃないんだよね。 本来、どうい事ができるかという職能(スキル)は、本人が自己研鑽の結果として身につけてる者で、雇用する側は、その職能による業務の遂行に対価を払うはずだ。
ところが、最近はとにかく、聞いていない、言われていない、教わってないというのを、簡単にというか平気で口に出す。 しかも、新卒のピチピチの若者じゃない。 でっ、じゃ貴方は調べたの、勉強したのと聞くと、他の仕事が忙しくてとか、時間がないとか、もういくらでも自分以外にその原因があることを主張する。
もっと困るのは、「勉強は休みの日にしろとか、職務時間以外にしらべろ」とか言うと、それはブラック企業だ的な反論をする。 雇用側も、こういう輩は,スキルがないので、待遇をスキルベースでクールに与えれば良いのかもしれないが、それではその人は一生育たないし、企業としても人材資源が成長しないのは困るので、ついついクールにならない。
たまたま、いま読んでる小説に、主人公が未だ会った事のない算術の天才に合いに行くにあたり、同士から言われる台詞がある。
「自分なりに術を立てて持参すれば、教える側も、どこが間違っているか指摘しやすくなります。 誤りを指摘されることを恐れて、何もかも拝聴するだけという態度は、かえって相手に労をかけます」
こういうあたり前の姿勢を、どこかに置き忘れてる人が最近多くないかと年寄りの愚痴を書いてしまった。
今日から三日間、東京で開催されるWi-Fi Allianceのメンバーミーティングに参加。 初日の今日の基調講演の一つは、NTT-BPの小林社長だった。 彼らは、ちょうど僕が無線LANの通信事業をやったころにスタートして、立ち上げの頃には何度か意見交換をしている。 今日の講演で、NTT-BPは、創業以来7年間赤字で、3年前に単年度黒字となり、今年で累損解消をしたそうだ。 そして、いまはスマートフォンによる需要の増大で、好業績に嬉しい悲鳴をあげているそうだ。 石の上にも3年とはいうけど、7年間も赤字の会社を運営できる資金力、経営力というのは素晴らしいし、羨ましい限りだ。 彼らも当初は、利用者から個別に利用料収入をとるサブスクリプションモデルだったけど、途中から接続の卸しに転換し、最近は上流のサービスも含めたホールセールスをしている。 こういう、方針変換は、当然ながら追加投資が発生するのだが、それも含めて持続性があったことは素晴らしい。 LTE 、デザリングの普及に加え、公衆無線LAN環境の乱立によるサービス品質の劣化によって、まだまだ無線LANのビジネスは変化が続くだろうから、これからどうなるのか興味深い。
夜は、西麻布の権八でソーシャル。 基本的にはWi-Fi Allianceもリーダーシップは、皆IEEE802.11と一緒なので、多くの知り合いが東京に集って飲むのもたまにはいいな。
Wi-Fi Allianceの今回のミーティングには、JASPAR (Japan Automobile Software Platform and Architecture)がゲストとして参加している。 彼らは、前々回のヨーロッパミーティングにも参加していて、車の中でのWi-Fiの利用シーンにおける相互接続性を求めている。
Bluetoothは、多くの車に搭載されているが、車種やデバイスによって、サクッとピアリングが出来ない事が多々有り、そのサポートに自動車メーカーはかなりのリソースを割いているそうだ。
いまや、1人一台以上Wi-Fi 端末を持つ時代になったので、当然ながら車のなかで使う人も増えている。 専用カーナビがスマートフォンと連動したりする利用シーンは、簡単に想像できる。 そこで、なんからの安心して使える仕組みが欲しいという事だ。
もっとも、車の中で使うということと、車そのものを接続して制御するということは違うので、エンターテイメント系では車専用に何らかの特殊な接続性要求というのは、沢山はないだろう。
そんなわけで、個人的にはいま議論しているWi-Fi Docking という標準化の中にあるCar Docking で議論して、きちんと整理できれば良いのではと思っている。 ちょうど、今回はCar Docking のUse Case の提案があったので、コメントして少し議論したら、Co Authorにされてしまった....
おそらくは、近い将来に普通にWi-Fiが車に乗る日が来るだろう。
今日は、Wi-Fi alliance meeting の最終日。 昼食時に某チップベンダーの面子と自動車とWi-Fiの関係について意見交換。 僕は、比較的近いというか目の前にあるシーンで、既にあるワーキンググループでの標準推進をしてはと思っていた。 ところが、彼らはこの市場を、もっと大局的に捉えて、より広い範囲で市場創造をするとともに、プレイヤーを広げる事を考えて、マーケティググループを組成する事が有効との意見だった。 こういう市場創造という視点からスタートする事が当たり前のようにでてくるところが戦略性の基本的資質なのかと感じた。
この先どうするかは判らないけど、こういう新しいステップを踏み出す時に、日本から言い出しっぺが出ることが少ないけど、世界でも業界トップクラスなプレゼンスを持つ自動車業界は、いまこそCOTSな世界に踏み込んでいくのも良いかもしれない。
会議の後は、会社にもどって十二月に行うセミナーの打合せ等をしたあと、近くのもつ焼き屋で飲み会。 明日は、早朝に成田に行かないといけないんだけど、しっかり飲んでしまった。
午前中は、知人と付き合って深圳郊外の板金関係の工場にいったあと、昼は羅湖のホテルにある蕎麦屋。 ここは、ちゃんとそば打ちの実演をしていて、田舎蕎麦はしっかとり蕎麦の香りが楽しめた。
午後からは,香港に地下鉄で移動して、香港の知人らと打ち合わせ。 みんな駐在歴20年以上の人達で、昔話でも共通の知人の話がいろいろとでてくる。 僕が、はじめて香港に来たのは、1978年にCR9AJ というアマチュア無線のDXベデイでマカオに行くために一泊したのが最初だった。 あの頃は、セントラルのフェリー乗り場の前に、大きな市場があって、フェリー待ちの間に、そのなかのレストランで麺を食べたのをかろうじて覚えている。
その後、1985年頃に、仕事の出張で香港に来た時は、会社の工場が上環にあって、高層ビルの中に生産ラインや射出成形機があるのに驚かされた。 あれから、かれこれ三十年以上が経ち、相変わらず少なくとも年に一回は香港に来るけど、この街の喧噪とエネルギーは今も変らない。
午後から、大阪でのワークショップに参加する予定だったのだが、急遽午前中にグループ会社の京都の研究所で打合せがはいり、途中下車。 打合せの時間に少し早かったので、すぐ近くにある南禅寺にお参り。 まだ、紅葉には早いけれど、ひしひしと秋の気配を感じる。 今日は、ちょうど時代祭りだそうで、市内がかなり渋滞するらしい。 ということで、蹴上げから山の麓を回り込んで三十三間堂に抜ける道をタクシーでとおり京都駅へ。 確かに、観光客がかなり多い気がするけど、これから紅葉シーズンにむけては、宿が満室になるくらいの賑わいになるんだろうな。
午後のワークショップは、シミュレーションソフトを開発、販売している知人の会社が主催で、学術系のユーザーの発表と,パネル。 結構、顔見知りが多かった。 夜の懇親会では、平成9年に四国で無線LANによる調査研究をした時にご一緒した先生と再会。 彼とは、その研究会の後に、北京で一緒に食事をしたことがあるのだが、その時に同席した別の研究者の方も来ていて、十数年振りの再会で昔話に花が咲いた。 話の中で、僕が1998年に発表したダイナミックTDMAについて、参照先リンクが無いとのご指摘があったので、また探してどこかに張っておこう。 って、いまだにこんなものが、リファーされるのもびっくり....
今日のワークショップを主催したのは知人のベンチャーなんだけど、ルートの時代には、よくこういうセミナーを開催して、結構集客したものだった。 あの頃に貴重講演をしてくれた人達は、既に引退されたり、若手だった人も要職につかれたりしている。 こういう、成長期のベンチャーの姿に触れるのは楽しい。
今日は、午前、午後にそれぞれ異なるクライアントと、奇しくも標準化戦略の打合せ。 以前にも書いたけど、無線LANの標準化では、IEEE802.11とWi-FI Allianceという二つのSDOが中心に活動している。 もちろん、無線LANを使うためという意味では、IETF も重要だし、電波資源についてはITUもある。
欧米の会社は、こういう複数のSDOに、チームで対応して、それぞれのレイヤーで同時並行的に標準化を進めている。 ところが、日本の会社は、対応する部門が異なったり、担当者間での共有のミッションがなかったりするケースが散見する。
標準化を進める組織は、レイヤーによって異なるが、標準化が必要な企業にとっては、それら全てをうまくマネージする必要がある。 しかるに、欧米の企業の場合、同じ顔ぶれがいくつかの標準化に関与し、まさにエキスパートとして活躍している。
このあたりの戦略性の差は、結局のところ経営者の戦略の差であり、技術経営を標榜する企業は、標準化を戦略的に捉えて、縦割りではなく横串的なチームを組成することが重要だろう。
夜は、久しぶりに新大塚の大好きな店で、和食と日本酒。 いささか、飲み過ぎた。
グループ会社の元部下達が明日泊まりにくるのだけど、午前中から準備が必要なので、2人程は前泊をしてもらうことになった。 というわけで、まず1人目を夜小淵沢でピックアップ。 ラストオーダーぎりぎりで、駅前の井筒屋にはいって鰻。 ここの焼き方は東京風でしっかりと蒸してあり、ふんわり柔らかなので、僕の好みには合うから、年に数回は来るけど、こんな夜に来たのははじめて。 この時間だとさすがに空いてて直ぐに入れるから、ちょっと嬉しいかもしれない。 それでも、入ってから焼き上がるまで三十分は待つけど、これも鰻屋の楽しみの一つだ。
はらごしらえをしたあと、2人目をピックアップするために、甲府に移動。 無事に2人をつれて、十時に家に到着。 とりあえず、焼酎と和系なつまみで前夜祭。
2006年6月に設置した石窯1号が、6年間の酷使と素人の左官の適当さに絶えきれずに、今年の夏についに崩壊してしまった。 そこで、これを廃炉にして、石窯2号を設置することにした。 1号は、基本的にオープンタイプで、内部で薪を燃やしたあとは、余熱だけで利用するタイプ。 このため、長時間連続して使うのは、すこし使いづらかった。 そこで、2号は燃焼室とオーブンが別れている2段タイプのレンガ積みのものを検討したのだが、大きさがかなり大きくなる。 諸々検討の結果、2号はコンクリート製のドーム型のものにした。 幸い、1号を設置していた台は、メルトダウンしていないので、そのまま使う事ができるので、設置といっても置くだけ。 とはいえ、かなりの重量なので、とても1人ではできない。 そこで、前泊の2人の助っ人が必要だった。 おかけで、作業は、2時間くらいで、無事に終了。 これで夜は、火入れが出来る。
石窯の設置が予定より早く終わったので、元部下を連れてサントリーの白州工場へいく。 白州のあたりは、もう紅葉がはじまりつつあるようだ。 コース見学のあとのお楽しみの試飲は、白州のハイボールと水割り。 残念ながら僕は運転手なので、なっちゃんと伊右衛門.....
昼過ぎに見学が終わって、台ヶ原の造り酒屋七賢が経営する臺眠 で昼食をし、買い出しをして家に戻る。
東京と金沢から来た元部下チームも合流して、石窯2号の窯開き宴会。 これは、薪よりも熾した炭を入れる方が良いみたいで、最初の加熱に手間どったけど、一度温度が上がってしまえば、あとはずっと夜中まで使える。
今日は、ピザを焼いただけだったが、これならピザとパン、ローストビーフやグラタンなどの料理も、順番に出来そう。
ピザは、窯から出したら写真を取る暇もなく、胃袋に消えてしまった。 なので、とりあえずそのあとのたき火の写真だけアップ
7月に塩漬けにしたアンチョビが丁度良い感じになったので、とりあえず少しだけオリープオイル漬けにしてみた。 最初の頃に冷蔵庫に入れていたのだが、冷蔵庫の温度が低過ぎて、今ひとつ発酵の進みが遅かった。 夏のピークを過ぎてからは、冷蔵庫から出して室温にした。 途中、なんどか味見をしたんだけど、最近は柔らかさも熟れた感じもちょうど良くなって来た。 これ以上熟成させないために、水で塩を落として、キッチンベーパーで水分をとり、オリープオイルにつけるわけだけど、これでもまだ1/10くらいなので、残りは時間のある時に少しずつ瓶詰めする予定。
グループ会社の同僚が自分で栽培、収穫した落花生をいただいたので、塩ゆでにしてみた。 この落花生、とにかく豆が大きくて、食感もホクホクしてお芋のようで美味しい。 折角石窯も新しくなったので、本当は、ピーナツパンにでもして、お返ししたいのだけど、生憎と今日はずっと雨でなので、断念。
それにしても、彼の畑は千葉だそうで、アライグマとかの獣害は多少あるらしいが、猿がいないのは羨ましい限りだ。 落花生なんてうちの畑で栽培したら、間違いなく全部猿に食べられてしまうだろう。 今朝も、集落内のゴミの収集場所にゴミを捨てにいったら、すぐ横の家の庭を、大きな猿が堂々と歩いていて、まったく動じなかった。
田舎暮らしとか週末農業とかをはじめようという人は、その地域の獣害の有無を確認する事をオススメします。
朝、昨日からの雨が止んで晴れていたので、ちょっと早出して以前から気になっていたクリスタルライン を通って大学まで行くことにした。
全線確かに舗装路な林道だけど、雨上がりのせいで、路面は完全に落ち葉で埋まってるし、ところどころ落石や倒木はあるわで、なかなかワイルド。
紅葉は、ちょっとピークより早いけど、標高の高いところはかなり綺麗。それにしても、この道沿いは実に鹿が多くて、気をつけてないと飛び出してきた鹿にぶつかる可能性が大きい。
途中、木賊峠展望台から富士山がばっちりでとても気持ちがよく、さらにその先では、山向こうに南アルプスや八ヶ岳が見えて、なかなか感動もの。
本当は、このまま敷島方面に出ようと思っていたら、途中の林道が法面工事で通行止めになっていたため、結局は塩川方面にでて、我が家の近くにもどって、いつものルートで甲府に出ることになってしまった。 それでも、予定どおり甲府に9時ちょっとに到着したから、朝のドライブとしては満足。
工事は来月末まで続くらしいし、冬は閉鎖されるので、全線通れるのは来年の春になるけど、次は全線を踏破してみたい。
仕事に対して、判らない事、あるいは新しい仕事をする時に、自分なりに調べるというのが重要というのは、何度かここにも書いた。 しかし、最近は、もうそれ以前の問題が僕の回りで多発している。
基本的に、僕は部下,同僚、顧客に限らず、良い歳こいた社会人に、何らかの仕事の段取り等を一挙手一投足まで言うのは、失礼なことではと思っている。 もちろん、役所の窓口とかサービス業とかで、初めてのお客様に、何らかの手続きを教えてる場合には、懇切丁寧にが基本だけど、仕事のパートナーに対する場合は別だ。
というわけで、例えば 「このURLのどこどこから、この書式をダウンロードして、次にこことここを書いて、それを誰々に確認してもらい、そのあと何処そこに送って.....」なんていう指示はしない。
情報の入手先のポインタは伝えるし、それでは不足する留意点があれば、申し添えることはする。 でも、まずはそのポインターで示された情報なりマニュアルなりを読んで、判らなかったら聞いてくださいというのが、大人の社会人に対する対応だと思ている。
もちろんし、新卒の新人には、細分化してステップ by ステップで、手順を踏むけど、社会人歴10年くらいの中堅に、そんなことはしない。
たとえば、技術的な打合せであっても、僕は相手はプロだと思うので、基本的にいろいろとホワイトボードで説明などをしたり、メモ用紙を使って絵を書いて説明したりしても、それを「はい、じゃこれ写して」とか、「ちゃんとメモとった?」なんて言わないし、大抵はホワイトボードは消すし、メモ用紙は破いて捨てちゃう。
ところが、どうも最近こういう対応が通じない相手が多い。 意地悪する気はないので、理解していないかなと思う時は、なにげなくメールにヒントを書いたりはしているんだけど、どうもそういう気遣い以前に、完全なる指示を期待している輩が多い。
こういう人って、結局のところ仕事は、言われたから、言われた範囲でやってますというだけで、まったくスキルとかキャリアを自分で磨く気はないみたいだ。
さて、こうなってくると、こういう輩をどう教育したら良いのだろうか、あるい教育で変るのだろうかと不安になってくる。 でも、もしかしたら、仕事に真摯に向き合うかどうかって、教育により身に付く知識じゃなくて、自己を律するという基本的な躾の問題なのかという気がする。 もし、躾の問題なら、やはり社会人歴10年にもなる、不躾な輩を躾るなんて、僕にはぜったい出来ないので、そういう人とは、なるべく仕事で絡まないようにするしかないのだろうか。
ここ数日、溜まっていた報告書とか原稿とかを書いている。 僕は、作家じゃないから、文章に対する拘りは低いんだけど、文体というのにはいつも悩まされる。
たとえば、論文じゃなくてクライアントに提出する報告書等は、でる・ある調だと、なんだか偉そうな気がして、ちょっと気が引ける。 でも、です・ます調だと、なにがというわけじゃないが、緩い感が漂う。
某学会の学会誌の特集号に読み物としてエピソード的な記事をという依頼があって執筆してるのだが、これもかなり悩ましい。 だいたいが、論文じゃなくて読み物的にというので、そのつもりのお気楽さで書いたら、校閲者からは、けっこうまじめなコメントが来てしまい、あら...そうなの? って状態になったりしてる。
日本語は、文体や言い回しのニュアンスの妙というのがこれだけあるんだけど、果たして英語や中国語とかもそういうのがあるんだろうか? その辺りの機微を判るようになったら、きっとネイティブっていうんだろうな....