2018年最後の日は、Yosemiteの入り口にあたるMariposaの町からスタート。比較的ゆっくりと朝を迎えて、朝食をとった後、まずは町の中にあるちょっと気になったお店へ。EPIC ALPACASのオフィシャルショップは、なんとアルパカグッズの専門店で、残念なことに、今日は定休日でお店には入れなかったけど、ショウウィンドウから覗く店内には、アルパカの毛球から、アルパカの模様の入った靴下やらなにやらで溢れている。いやー、世の中にアルパカグッズの専門店があるとはびっくりだ。あとで、ネットで調べたらアルパカの預託も2.5$/dayとかでしているらしいけど....アルパカ買ってどうすんだ?
さて。2018年は、3月の中旬から8月中旬まで5ヶ月も日本を離れなかったのだが、まぁそれでもなんだかんだ海外出張は多かった。今年は、コロンビア出張で、初めて南米大陸に足を踏み入れて、やっと五大陸を踏襲した。
あいわからず小さなトラブルはあるものの、大きな事故や事件に巻き込まれなかったのは、何よりかもしれない。あと、今年は、国内も国外もともに、仕事以外で純粋に旅行することが出来たのは嬉しい。実際に、今回もサンノゼに100%プライベートで来ている。
というわけで、Moriposaからはリバモアのアウトレットに寄り道して、サンノゼにもどり、アパートで年越しそばの夕食にして、時差ながらももう直ぐ今年が終わる。
2018年も仕事の3分の2はEverySenseとデータ流通だった。EverySenseでは、従来のストリーム型データに加えて、蓄積型データの取引市場 EverySenseProを構築し、立ち上げるに至った。これらの個社としての業務とともに、2017年暮に立ち上がったデータ流通推進協議会(DTA)は、多様な業界から130近くの企業・団体の参加する、日本最大のデータ流通に関わる事業者のアライアンスとなった。
特筆すべきは、単に参加者が多いだけでなく、毎週のように多様な会議や企画が開催されるアクティビティの高さだ。また、9月にデータ取引市場運営事業者の認定基準を発表するなど、しっかりとデータ流通による社会システムへの提言や連携を具体的に進めていることが大きい。
これらは、民間だけでなく内閣府、内閣官房、総務省、経産省などとも密接に連携し、国際標準化に関わる欧米のSDOとの協議などにも着手している。また、アブダビやシンガポールの政府関係者との政策協議なども行うに至った。
個社としても、秋にIT担当特命大臣に就任された平井大臣に招かれてのHirai Pitch や、自民党本部での説明など、社会の中でのEverySenseとしての役割をしっかりと伝えてきたのが、2018年だった、
データ流通なんていうのは、間違いなく単独で実現できる仕事ではないので、産学官を問わず、多様な仲間たちの協力と、時には口角泡を飛ばす熱い議論や論戦があってこそ、前に進むものとして、関係者への感謝の一年でもあった。
今年も、仕事の三分の一は、電波なお仕事だった。IEEE802.11での仕事は、11aiについては、二月に世界最大手のチップベンダーが採用と成果発表をしたので、僕の役目は概ねゴールに至った。
その代わりではないけど、今年は元部下が提案した無線LANのブロードキャスト利用という新しい標準化をサポートする立場になり、こちらはIEEE802.11bcとして、標準化作業が始まることになった。ここでは、僕はメンタに徹して、とにかく次世代の活躍を支えることに注力をしている。
一方で、昨年まで行った日欧共同研究の成果である共著論文が、IEEE Wireless Communicationの10月号に掲載されたのは、とりあえず日欧両方の実験に要素技術を提供した立場としては、嬉しいし成果だった。
また、長年取り組んでいる有・無線統合エミュレータは、少しずつだが関係者にその有用性などが理解されつつある兆しはある。
というわけで、真野はまだ無線な仕事もしてるからね!
2016年の暮れに見つかった前立線癌は、この日記で公表したように、ホルモン投与による内分泌療法と、8週間の放射線治療により、マーカーであるPSA値も正常になり、近接リンパ節の腫れも有意なものは消滅した。とはいえ、主治医から根治とか緩解したなどの言葉は、いただけてないのがいささか気になるのだが、とにもかくにも自分的は、命拾いをしたと思っている。引き続き、ホルモン療法を継続しているので、その副作用による更年期障害的な諸々には悩まされているけど、外科手術も抗がん剤治療もしなかったので、QoLとしてはかなり良い状況であることは違いない。
正直いうと、去年の今頃は、とにかくステージⅣとか5年生存率なんて言葉が重く心にのしかかって、治療が効くのかどうかも判らずに、とても周りの人に公表する勇気もなくて、ひたすら悶々としていたのだ。
本当にいろいろなことの重なりで、良い治療に巡り会えたことに感謝したわけだが、同時に自分としては、やはり死とか病というものをとても身近に感じた一年だったし、同時に自分の体の治癒力と向き合うことになった一年でもあった。
そんな中、秋から内閣府SIP AIホスピタルという大きな研究プロジェクトのSub PDの仕事が回ってきたのも、全くもって不思議な縁だけど、これはある種の天命と思っている。
2018年の馬ライフは、いろいろと試練と挑戦の繰り返しだった。年明けから春にかけては、日馬連の公認競技デビューと80kmへの挑戦を目指して、WingTempooとかなりの走り込みを続けていた。
そんな中、春先に新しい年下の彼女Aliceと出会ってしまった。ところが、まぁこういう時に限って試練は訪れるわけで、五月の連休明けに練習中に落馬し、結局は春の八ヶ岳大会80kmへの出走は断念することになった。
それでも、どうにか秋には、日馬連公認の60kmに伊豆でデビューして無事に完走できたので、とあえずひとつの目標はクリアし、とても嬉しい成果となった。
一方で、Aliceとは、まだまだ暗中模索な状態だけど、とにかく少しでもコミュニケーションが取れるように、おじさんなりに若い娘の心を探る日々が続いてるのも、ひとつの試練だったりする。
馬関係も、クラブの仲間、オーナーはもちろんのこと、遠く離れた場所で知り合ったみなさんの活躍にも刺激され、新しい世界が広がっていることに感謝の一年だった。