サンノゼからPalm Springsに移動、当地で開催されているBob Hope Classicで会社がデモ&スポンサーとなっている。 この街は、砂漠の中に作られたリゾート地で、ここだけでゴルフコースが108もあるそうだ。 砂漠の中にいきなり緑がひろがり、ゴルフコースが併設された洒落たVILA風の家並が現れるのは、なんとも作り物らしい。 まぁ、ラスベガスも砂漠の中だが、ここの場合、大規模なゲートコミュニティ(住宅郡の周辺を壁で囲い、出入のゲートから街に入る構造で、ゲートの中には住宅だけでなくゴルフコース付なのも多い)が点在しているのが面白い。 日本と、アメリカでは街のつくりが根本的に異なる。 ここでは、リタイアした人たちのリタイアメントアパートなども沢山あり、まさにハッピーリタイアメントして、老後を過ごす人も多いようだ。 気候が温暖なのでフロリダのタンパと肩を並べるリタイアメントリゾートのようだ。
飛行機から夜地上を眺めると明らかなのは、アメリカでは住宅地区、工業地区、商業地区(DownTown)などがはっきりと区分けされているのがわかるが、日本ではだらだらと光の帯が続いている。 この違いは、国土の広さの違いが根本的なのかというと、そうとも限らない。 中国では、あれだけ国土が広いのに、比較的日本に近い街が形成されている。 アメリカでは、成功して富を得ると街の中心(DonwTown)から離れた、山の上などに豪邸を構えることが多いが、中国などでは富をえると都心のど真ん中に拠点を構えるが、これこそが中華思想なのだろう。 日本は、そういう意味では文化的にも中華思想的なのかもしれない。 こういう、ある程度の規模で形成されるコミュニティが沢山あるのがアメリカの特徴で、それぞれのコミュニティ内でまさにCAN(コミュニティエリアネットワーク)が構築、運用されている。 日本ではCANというと、自治体のネットワークのような規模が多く、CAN=地域情報化という感じだが、こちらのコミュニティはもうすこし小規模なゲートコミュニティであったり、キャンパス(大学もひとつの街のようなもの)などが多数ある。 こういうのは、やはり個を重視し、多様性を求める国ならではなのかもしれないが、CANフォーラムなども、そろそろこういう小さなコミュニティに着目していってはどうかなと思ったりする。 老後を郊外で過ごすのは、刺激もなく、街から遠いので人との交流もわるくなり、病気や事故のときのケアも大変だから、街の中心に特養老人ホームなどを作るほうがいいという発想を知り合いの某町の町長に聞いたことがあり、確かにそうだと思ったことがある。 しかし、こっちのゲートコミュニティなどのように、スポーツクラブやケアセンターなども含めた町単位ものを作ってしまうなら、郊外のほうが良いかもと思った。 なお、ゴルフトーナメント会場内の案内などは、実に多くのお年寄りがボランティアとしてい大会運営を支えている。 こういう社会参加機会を創出できることも、リタイアメントリゾートに不可欠な要素だと思う。