午前中は、とある案件で顧客と打ち合わせ。電波ものの開発では、常に伝送距離というのが大きな指標になる。この伝送距離については、 「よくやってみないとなんとも言えないんですが....」とか、「とりあえず実験してみないと....」的な事を、平気で言う似非技術者が沢山いる。
これは、まぁある意味、外部要因が多いので間違いではないが、技術屋としてこういう事をいう輩は、基本的に設計をしていないだけだと思う。確かに、外部からの非希望波や伝搬路上の障害物など、外部要因は多いけど、それでもレベルダイヤを設計し、リンクバジェットを計算して、ある程度の目論見を示すのが技術だろう。そのうえで、実証実験を行い、理論との乖離について、リーズナブルな理由を確認できれば良い。
実際に、僕はRoot,Inc.の時代から無線機器を沢山開発してきたけど、それらは、こういうブロセスを行ったうえで、フィールド試験に挑み、その結果も反映して、開示する仕様などを決めてきた。
一方、電波が専門ではない一般の方にとって、ついつい伝送距離は、電力だけで決まると思われてしまうことがある。また、アンテナについても、かなりの比率で軽んじられる傾向がある。伝送距離は、周波数、帯域幅、送信電力、送受信アンテナ利得、受信側の感度(NF)、処理利得と所用SINRで決まるのだが、アンテナ利得とか処理利得と所用SINRは、意外と蚊帳の外だったりする。
とても、当たり前の事だけど、他の要素が一緒なら、周波数は高い方が、伝送速度は速い方が伝送距離が短くなるんだけど、この辺りも、電波に馴染みのない人には伝わりにくい。というわけで、今朝はこの辺りの解説を、クライアントにさせていただいた。
午後からは、大阪に移動して、某大手家電メーカーの先端技術研究所で、標準化の話とEverySenseの講演をさせていただいた。いづれも、それなりに興味をもっていただけたようで、何よりだった。
明日の午後も梅北で研究会に参加なのだが、諸般の事情により、日帰りで東京に戻った。
今日、東京ヤクルトスワローズがリーグ優勝した。2年連族最下位だし、去年はオープン戦で一勝しかしなかったりとか、とにかくかなり深刻な低迷状態だったのに、今年は見事に混戦を勝ち抜いてのリーグ優勝だ。
僕にとって、スワローズの優勝は、なんといっても1978年の初優勝が一番印象に残っている。それまで、セリーグで一度も優勝した事のないのは、スワローズだけだった。なにしろ、リーグ優勝どころか2位にもなったことがなかった球団が、広岡監督の采配で優勝したのだ。僕は、単純に一度も優勝経験が無い球団を応援しようという高校の同級生の話にのって、この2年前くらいからスワローズを応援していたので、当時は立派な俄かファンだった。
この年は、3年連族バリーグ優勝の阪急との日本シリーズで、しかもホーム試合は、神宮が使えずに後楽園という厳しい状況だったけど、見事に7戦までもつれ込んだシリーズを制した。もっとも、大杉のホーラン問題とかもあったけどね。
この1978年は、僕が大学に入学した年で、入学前の4月4日は、キャンディーズの解散コンサートが後楽園で行われた。ちょうど、昨日このコンサートの完全収録DVDのポックスが発売されたのも、不思議な縁だなとこじつけてみる。
因みに、村上春樹氏は、この1978年の神宮での開幕戦で、ヤクルトのヒルトンがヒットを打ったのを見て、小説を書こうと思ったというのは、結構有名なエピソードだったりする。
というわけで、まぁなんか今日は、1978年を思い出した日だ。
実は、今日は、昨日に続いて夕方から大阪でセンサーネットワーク研究会での講演に行く予定だったのだが、諸般の事情から急遽同僚に交代してもらった。いろいろとあって、いろんな事が頭のなかを駆け巡っている1日だったこともあり、そんななかで1978年を思い出した。
私儀ながら、私の知人、友人には、直接に私の母と面識のある方も少なからずいらっしゃいますので、ここに母の永眠の報告を書かせてもらいます。
母は、9月27日に体調不良により入院し療養しておりましたが、残念ながら去る10月3日午後十時半に九十一年の生涯を終え、永眠いたしました。医学的には、心筋梗塞、肺炎ということですが、平たくいえば老衰によるもので、最後は私が見守る中、静かにまさに眠るように旅立ちました。
母は、大正13年1月30日生まれで、戦前に日本から台湾に渡り、戦後日本に引き上げたあと、東京の大塚に生活の基盤を気づきました。花柳界という世界で、芸妓、置屋、料亭、お好み焼き店と時代の流れに合わせた営みを展開し、激動の大正・昭和・平成の時代を駆け抜けた、本当に素敵な人でした。
身内の私が言うのもなんですが、本当に見目麗しき美貌と、快活で正義感、責任感を兼ね備え、花柳界という特殊な世界の中で、多くの人に慕われ、また可愛がられた人生だったと思います。
現在の私のいる世界からすると、まさにシリアルアントレブレナーであり、かつリーダーシップのある人だったと、改めてその偉大さを認識するとともに、その背中をみて育ったことに、大きな感謝の念を禁じ得ません。
土曜日の夜の逝去でしたが、その後昨日の通夜、本日の告別式を、家族葬として滞りなく終えましたので、本日ここに報告させていただいた次第です。
先週の金曜日から本日まで、一部の方々には、このような事情から打ち合わせ、講演などの日程、内容の変更などでご不便をお掛けいたました。これらにつきましては、近々にリカバリさせていただく所存ですので、引き続きよろしくお願いします。
大事な人を失って、何がというのははっきりしいなが、ついつい虚しさを感じてため息をついてしまう。これを逃げるためというわけではないが、今日から仕事にもどった。今日は、早速にCEATECでのプレゼンや打ち合わせと賑やかな中で仕事をした。
昨日の報告に対して、FaceBookでは、たくさんの方に暖かいメッセージををいただいた。そんななか、ある方から、花柳界という言葉を初めて知ったという話があった。
確かに、いまの若い人には、花柳界、花街、三業地なんていうのは、まったく耳慣れないというか、知らない言葉なのだろう。
実は、先週、大塚で病院と実家を行き来していた時に、今も名残のある花街の風景を感じて、このBlogに書こうと思い、ネットですこし関連記事を探ったりしてた。
そんななかで、まず見つけたのは、歌舞伎の坂東玉三郎さんのエッセイ 「私の生まれた所、もうさんの思い出」だ。実は、玉三郎さんの家は私の家の数軒並びで、私の姉と同い歳の幼馴染だった。そんなわけで、私の家にも遊びに来ていたし、歌舞伎界に入られた後も、歌舞伎を観劇したあとに楽屋にお伺いしたこともある。
ここに書かれている風景は、まさに僕が子供の頃の風景で、煙管( キセル)の修理をする羅宇屋や、あさり・しじみの棒手振りもいたし、相撲の本場所前には、触れ太鼓が来て番付表が配られたりしてた。この時代は、まだ三業界は、旦那衆が仕切っていたのだが、だんだとん女将の世界へと変わっていったようだ。
また。土木学会 景観・デザイン研究講演集に近代東京における花街の成立なんていう、論文も見つけた。ここには、大塚三業地の事も書かれている。
僕が、子供の頃の昭和40年代は、高度成長期で、本当に花柳界も艶やかな世界だった。後のバブルなんていうのは、この頃に比べたら、とても可愛いものだ。玉三郎さんのエセッイにでてくる居続けのお大尽は、実家の料亭にもいた。正月の獅子舞や、年に2度の組踊りの時などは、ご祝儀が景気良く振舞われていて、子供の僕も随分と恩恵を受けたものだ。
その後、すこしずつ、時代が変わりはじめたけど、景気がいまひとつだった時に、母が自ら見番に電話をして、景気付けだとといって総上(待機している芸妓衆を全て呼ぶこと)をして、実家の料亭の広間で大宴会を繰り広げたのは、いまでもとても強く覚えている。
ああいう、気っ風の良さと粋な姿は、いまでも憧れの的だ。
長年開発関係の仕事をし、さまざまな相談を受けてきた。そんななか、たまにあるのは、「こうこうこういう事をしたいんだけど、ちょっと某社に相談したら、xxとかがかなり大変で、簡単には出来ないとのことなんですが、なにかいい方法はありませんかね?」ってパターンだ。
でっ、こういう案件のうちの半分以上は、「????へっ、なにが難しいのそれ?」ってやつだ。こういうのは、だいたい要件が不明瞭だったり、出来ないとか大変とかいってる事じだいが、あいまいな場合が多い。
例えば、「リアルタイムで処理するのは大変らしくて....」なんていうのは、典型的なパターンだ。リアルタイムって、何に対して何がリアルタイムなのか、処理遅延や伝送遅延を少なくという意味であるならば、それはどこまでが許容範囲なのかなどが、詰めきれていないわけだ。
こういうご相談を持ち込むのは、そこそこに大手企業が多くて、さらに彼らが最初に相談して懸念を示されたという某社も大手というのが多い。そうなると、こちらが「それは、こういう前提であれば、こうすれば簡単に出来るんだけど...」といっても、相談してるくせにこっちよりブランド力のある某社が正しいと思っているのか、ああ言えばこう言う的に、なかなか素直に聞かなかったりする。
はっきりいって、それだったら、勝手にその某社と難しい事を難しくやればいいじゃんとか思っちゃうんだけど、そうもいかない大人の事情とかがあったりする。そうすると、こっちも時間がもったいないから、じゃぁその某社の人とと話をさせてくださいとなる。
結果的に、直接話しを聞いて、前提条件を整理し、要求要件を取りまとめると、なるほど確かにできますよねとなる。ただ、たまにプライドばかりで、技術のない輩がくると、最初から上から目線で、自分たちが出来ないといったものは、出来ないんだ的に凝り固まったのも居たりする。
しかし、こういうのって、結局のところ技術屋の質であり、物事をヒアリングして、整理して、問題を明確にする事ができない、似非技術屋ばかりが増えてしまったということだろうか?
今日も、まさにこんな典型的な打ち合わせに時間を取られてしまった...
一般財団法人インターネット協会のIoT推進委員会の下に組織された実証実験WGの第一回会合が開催された。今日は、第一回目ということで、まだWGの運用規定などがない状態であり、運用規定の骨子について、参加会員の承諾を得ることが目的だった。また、座長を補佐する副座長及びセクレタリーの選任、会員間のコミュニケーションツールの選択等の事務的な議題をまず議論した。幸いに、参加会員からは積極的な発言もあり、副座長、セクレタリーも無事に選任された。
その後、具体的な実証実験の一つとして、会員から提案されている事案を協議し、第一号実験案として推奨することとなった。また、私からも議長提案をし共同推進者を募ることとなった。
IoTについては、関係官庁も積極的にさまざまな取り組みをはじめており、産学官のよい連携ができることを期待している。実際、今回のWGにも、経産省、総務省ともにオブザーバーとしての参加をいただくことになった。
縦割りではなく、水平展開の相互接続的な本当の意味でのThe Internet of Thingsが実現できる事を大きく期待している。
今年は、ボラ子の入荷が早いらしいというので、朝 築地の場内に出かけて仕入れる。ちょっと出遅れ気味だったけど、かなり高品質なボラ子に今年は出会えた。モノがいいぶん価格もかなりだけど、まぁ他所で買うよりは数割は安い。
そのまま、場外で卵焼きと角笊なんぞを購入してから、大塚の実家に向かう。早いもので、もう母の初七日になる。というわけで、築地で仕入れた卵焼きを霊前に備えて焼香。彼女は、カラスミも大好きだったので、今年は丁寧につくって、四十九日には仏前に供えさせてもらうつもりだ。
午後のかいじ号で山梨に戻って、さくっと草刈りをしたあし、ポラ子の血合いをとって、下処理雨を済ませる。
それにしても、山梨はすっかり秋も深まって、寒いくらいだ。
午前中は、昨夜からの雨が小降りになったものの、なかなか止まず、ひたすら濃霧の中。知り合いの紹介で、ついに買い換えることになった軽トラを引き取りに出かけたのだが、本当に前が見えない状況だった。それにしても、今度の軽トラは中古で、それなり走行しているけど、四駆だし、普通にエンジンもかかるし、ラジオもかかるので、かなり嬉しい。(って、いまままでどんなだったんだよ)
午後は、来月の競技会に向けて、明野のサニーで7kmほどのコース練習。やはり、競技会に参加するメンバーさんとオーナーと3人での部班。それにしても、、相方に乗るのは8月24日以来だから、なんと1月半ぶりだ。部班の殿なので、とにかく抑えて抑えてって感じだった。
帰宅後は、昨日から血抜きしていたボラ子を塩漬け工程に移す。その後、大泉の別荘に来ているファイナンス系の知人が訪ねてきてくれて、しばし情報交換。夜は、たかねの湯で体をほぐしたので、今日はよく寝れるだろう。
昨日とは打って変わって、今日は朝から秋空が広がって、とも清々しい天気だ。いろいろと、たまっている事務仕事を片付ける前に、とりあえず午前中に馬場で一蔵だけと思っていたのだが、この青空に吸い込まれて、オーナーと二人で一時間ほど外乗。今日は、俊足二頭だったので、そこそこに速度を上げての駆け足などを挟む。
昼食後は、たまっている書類仕事をすこしこなした後、大泉方面の珈琲屋さんにでかけたら、今日はどこも閉まっていて、結局は自宅近くのスコヤ珈琲さんで休憩。
それにしても、事務的なものとか物書きとかは、山梨の方が落ち着いてできるので、効率がいいので、温泉と夕食を挟んで、その後もひたすら物書き。
もっとも、朝馬に乗ったからいいけど、一日家で事務仕事なんぞしてたら、天高く馬肥ゆず、人肥ゆになっちゃうかも。
昔、まだ僕がコードを書いていた頃は、一つの関数とか処理の長さを60行以内にするとかいう宗派があった。当時のジャーナルプリンタのミシン目で切れる一ページに収めることで、可読性が良くなるというのが理由だったと記憶している。
これって、まぁいろいろと意見はあるだろうけど、コードに限らずだらだらと長いものって僕は嫌いだ。でっ、なにかというと、要領を得ない報告ってのに、本当に日々悩まされている。
僕は、技術とか開発とかやってきたからか、職業病なのか、とにかく物事を整理して、シンプルにして、切り分けるのが習性になっている。そんなわけで、文章を書くときにはアウトラインで組み立てる。また逆に、複雑というかぐちゃぐちゃな文章は、それをひたすら分解していくなんて事をする。
しかし、スタッフの文章などをみてると、どうしてか複雑で長い。しかも、観測された事象、環境、条件などのファクトな部分と、主観的な推論の部分が混同しているケースが多い。
なので、まぁまずは箇条書きで書きなさいよいうのだが、箇条書きのセンテンスが長かったり、主語なし文なんていうのがたくさん入ってたりで、もうひたすらめげてしまう。
こういうのと戦ってると、やはり社会人になる前の教育でのロジカルシンキングって、本当に大事だなと思ってしまう。
午前中は、大手住宅建設メーカーの研究所を訪問。住宅の建築工法の歴史や、その特徴について、解説をいただき、実展示や地震シミュレーターなども経験させていただいた。
住宅のデザインコンセプトの変遷というのも、とても興味深かったし、それを具現化しているモデルハウスに入って見れるというのは、なんとも素晴らしいものだ。
今日の話は、住宅という大きな買い物は、お客様との長いお付き合いになるわけだが、そのあたりをどうしていくかとう課題に、IoTがどう生かされるかという部分での意見交換だった。
僕は、通信や技術系の会社とは、多くのお付き合いがあるけど、住宅メーカーの方とは、いままでご縁がなかったので、ともて良い勉強になった。
しかし、自宅を建築する前に、こういう機会があったら、工法とかまで、もっと拘ったかもしれないな。これから、家を建てる方は、住宅建築メーカーのいろいろな施設見学をするといいだろう。
本日、クラウドファンディングをしてるEveryStamp が、おかげさまで、なんとか目標金額に到達いたしました。とはいえ、まだ期間があります。金型などの製造も順調に進んでいますので、せび拡散いただき、さらなるご支援の話を広げていただけると幸いです。
ところで、現物を見た人の第一声は、「あれ? こんなに小さいんだ」が圧倒的です。どうも、写真やビデオの作り方が悪いのかもしれません。EveryStamp、以外と小さいぞというわけです。
あと、うれしいことに圧倒的にフルパッケージの予約が多いのですが、正規販売時点では、各モジュール(GPS,加速度、照度、UV)も個別に販売します。なので、ベーシックでスタートして、必要なモジュールを追加もできます。
さらに、人感センサーや音圧センサーなども、今後追加していく予定ですので、こんなセンサーつなげよゴラァってのがあれば、直接にご相談ください。
大分のハイバーネットワーク研究所主催の第73回ハイパーフォーラムでの講演のため、大分を訪問。今回は、EveryStampのパートナーであるBBTowerの藤原さんとご一緒。
ハイパー研とは、大昔に別府湾会議に出張中のシリコンバレーからリモートで参加したのが最初のご縁。その後、大分県庁でも無線ネットワークについての会議などに伺ったりしたこともある。
まずは、空港で旧知の県職員の方らと合流して、空港内での昼食をいただき、その後市内のホテルに移動。控室に入ったら、大分在住の大学の研究室の同期だった知人が挨拶に来てくれてびっくり。彼は、大分出身で、大学卒業後東京の会社に勤めていたのだが、随分前に大分にUターン転職して、その後一度くらい東京で会う機会があった程度だったので、本当に久しぶりの再会。彼も、大分大学で学位を取られたとのことで、場処と仕事は違えども同じようなことしてるねっと談笑。また、前職の会社の大分営業所があり、Root,Incから前職でも一緒だった旧知の同僚も会場に来てくれた。
講演は、藤原さんが経済成長や社会背景などからIoTについて、大局的な講演をされたあと、僕はEverySenseの取り組む情報流通について講演。今日は、たんまり講演時間をいただいたので、かなりゆっくりと話しをさせていただいた。講演のあとには、具体的な質疑もあったりと、なかなかによかった。
夜は、関係者の皆様と、会場近くのふぐ料理店で一献。てっさ、なべ、ひれ酒に、ひみつの◯◯も堪能。
泊まりは、2009年に学会で宿泊したことのある別府の杉の井ホテル。超巨大ホテルだけど、相変わらず賑わっていてびっくり。ここの名物の棚湯に浸かって、そのあとはラウンジで藤原さんとのんびり。別府のお湯は、やはりいいなぁ。
朝、のんびりと別府の湯に浸かって、しっかり朝食を摂ったあと、昨日もお世話になったハイパー研の方にピックアップいただき国東半島にドライブ。
まずは、国東半島のほぼ中心にある両子寺を訪問。ここは、719年開基の天台宗と宇佐八幡の神仏習合という、山間の名刹。残念ながら紅葉の時期には早かったけど、静かな山間に、鹿の鳴き声が響いたりして、なかなかの風合いだった。
そのあとは、ここから少し車で移動して、旧千燈寺跡へ。こちらは、両子寺を開基した仁聞の入滅の地だそうだ。ここは、キリシタン大名としても有名な大友宗麟に焼き討ちされたとのこで、建物はなにも残っていないが、石畳の参道やレリーフの仁王像や千の五輪塔がある。案内してくれた人に言わせると、いわゆるホットスポットだそうだ。
今日は、母の二七日にあたるので、宗派は違うけど、阿弥陀如来などは同じなので、母の冥福を祈った。
午後の飛行機で羽田にもどり、そのまま新宿経由で山梨に帰宅。九州と山梨では、気温の差が激しいなぁ。
今日は、朝の6時から集落の秋の道作りの出労。簡単にいうと、集落内の道路の草刈り。いままでは、たしか夏は6時だったけど、この時期はもう少しスタートが遅かった気がするんだけど... とりあえず、刈払機のエンジンの掛かりが悪いのと、刃を替えたりするので、5時過ぎに起床して、朝から庭でゴソゴソ。
ふと、庭をみると、何やらクネクネと土が盛り上がった跡がたくさんある。その部分だけ、土が土中から掘り返されて,ふかふか状態。どうやら、もぐらの仕業のようだ。いままで、もぐらなんて出たことなかったのだけど、どうやら何処からか住み着いたのだろうか。 せっかくなら、畑のところを、満遍なく走り周ってくれれば、耕さなくて済むのに、これじゃなんの意味もない。
幸いに、エンジンもうまくかかったので、出かける前に先週塩漬にしたポラ子の塩抜きを仕込んでから、道作りにでかける。この時期の、草刈りは、さほど大仕事ではないので、一時間ちょっとで無事に終了。帰宅後、朝食をとったあと、塩抜きの終わったポラ子を酒漬けにして、第二工程に。
昼前に、隣家との境界部分の除草処理などをして、午前中のお家のお仕事が完了。さすがに、早起きすると、それなり仕事が片付く。
昼食のあとは、明野のサニーで、来月の競技会にむけての練習。調馬策運動のあと、歩様検査の練習を少ししてから、オーナーと二人・馬で7kmほど。今日は、気温が高かったので、騎乗終了後に相方を洗馬。
いつもの、EquiTrackというアプリが、ポケットのなかでボタンが押されて削除されてしまったので、今日は記録なし。このアプリは、一旦削除すると記録データも全部消えてしまうのが痛い。やはり、自家製アプリを早く完成させなくては。
夕方、早めの食事をとって、かいじ号で帰京。さすがに、紅葉シーズンで電車もそこそこに混んでいた。
Wi-Fi AllianceのMember's meetingのために、羽田からミュンヘン経由でハンガリーのブダペストに移動。ハンガリーは、初めての訪問なんだけど、ミュンヘンのパスポートコントロールを通過して、一度EUへ入国したあと、ブタペストの空港では、パスポートコントロールはない。こういうとこからは、ハンガリーが、EU加盟国ではあること判る。ところが、ハンガリーは、共通通貨EUには、参加していない(参加出来ない?)ので、通貨はハンガリーフォリント(FL)だそうだ。事前に、WFAに参加する仲間からの情報があったので、成田で少しだけ両替していおいた。
予定どおりのフライトで、夜7時過ぎにブタペストの空港に到着し、タクシーでドナウ川沿いのホテルにチエッックイン。ホテルの部屋は、リバービューだったので、目の前にライトアップされた王宮と鎖橋という素敵な景色が待っていた。
チェッィクンが遅かったので、誰かと食事というわけにもいかず、とりあえずホテルのレストランで、Gulya's という、ハンガリーの代表的な料理をいただく。これは、いわゆる肉じゃがみたないもんだけど、肉は猪とかも使うみたいで、結構な肉臭。外は、雨で寒いので、体の温まるこういう料理が定番なのは、わかる気がする。
しかし、Budapestと聞くと、ついついGeorge Ezraの歌声が頭に響くな....♫Ooh, I'd leave it all..
今日からはWi-Fi Allianceのメンバーズミーティングの欧州ラウンド。ここには、各国、各企業から多くの立場の人が参加しているから、当然ながらすんなりいかないことも多いけど、それなりに物事は決まっていく。
こういう会議に参加する仕事をしているからなのかもしれないが、とにかくルールのある世界というのが、グローバルビジネスの基礎だとつくづく思う。
たまたま、いま日本の某団体で新しいグループの立ち上げをするにあたり、その運用規定などを策定しているのだが、このあたりは日本にはなかなかじまないようだ。
ルールがとか規定がというと、あまり杓子定規にやるのはいかがかという意見もある。もちろん、細かい規定を作らずに、是々非々で事が進むのは、素敵なように見えるけど、それは本当だろうか?
基本的に、複数の組織や人でなにかの共同作業をするのであれば、最低限の集団の意思決定ルールなどは、決めるべきだと考えている。 こいうルールは、参加者の権限を縛るのではなくて、参加者の権限を尊重するためにこそ必要で、それを求めないというのは、はっきり言って他の参加者や少数派の意見を尊重しない姿勢の現れだと思う。
たまに、多数決の結果や選挙の結果を尊重せずに、横暴だとか、数の暴力だとかいう人がいるけど、こういう事を声高に叫ぶ人ほど、逆の立場になったら、もっとひどい事をするのだろう。
まず、公平に機会を与えるルールをつくり、そのルールを共通の価値観とて尊重してこそ、少数意見も尊重される。ところが、どうも日本では、厳密なことをしたがらない。
たまたま、今日も政府が立ち上げる新しいコンソーシアムの定款が送られてきたけど、そこには肝心な意思決定ルールがあまりに不明瞭で、古くからの各種委員会の定款の焼き回しでしかなかった。
国際競争力とかグローバルなイノベーション戦略をというのは、はっきりいって空気じゃ伝わらないと思うんだけどなぁ...
終日の会議のあと、今夜はご当地ならではの料理を食べようということで、ホテルのコンショルジェに教えてもらったKárpátia Étterem és Söröző という、1877年創業という老舗レストランへ。素敵な内装のレストランで、室内楽の演奏もある。
とりあえず、トカイ・アスーで乾杯して、一昨日も食べたGulya's。一昨日のと違って、味付けはそれなり上品。メインは、ロールキャベツとポークカツレツを頼む。寒い国だからなのか、全体として味付けは濃い。
室内楽の奏者は、各テーブルにお客のリクエストで馴染みのある曲もテーブルサイドで演奏してくれる。僕らはのテーブルでは、日本人だと言ったら、"さくらさくら"と"上を向いて歩こう"を奏でてくれた。
ローカルのカベルネソービニオンをもう一本飲んで、デザートもいただいて、リーズナブルな会計にほっこり。
三日間のWiーFi Allianceのミーティングも、今日が最終日。 IEEE802.11aiの相互接続性に関する標準化は、その試験方法の具体的な議論になっている。これは、標準仕様に基づいて実装が各社で始まっており、その中で具体的な修正の必要性も発見されているからで、ある意味良い進展でもある。
また、このマーケティンググループのメンバから、応用面で自動車関連などへの展開提案などもあり、11ai FIlSの利用範囲は広がりつつある。実は、IoTやセンサーネットワークでも、おもろしい展開が出来るのではないかと期待している。
前回まで少し騒がしかったWi-Fi vs LTE的な幾つかのきな臭い話題は、落ち着きを見せて来た感じがある。それでも、米国・欧州は、電波監理側との協議なども進んでいる。ところが、第3地域(アジア・オセアニア)は蚊帳の外なのだ。そこで、前回からAPACでのラウンドテーブルを開催するように、レギュラトリー関係やWFAのトップに提案していたが、今回正式にその方向の調整が始まったのは、個人的には成果として満足している。
毎度のことのように、このミーテイングは、最終日になると幾つかのスロットがキャンセルされる。というわけで、昼食後に一時間くらい時間ができたので、ホテルから歩いて聖イシュトヴァーン大聖堂を見学。宗教というのは、宗派や教義に関わらず、荘厳さというのを持つものだといつもながら感じる。
午後のクロージングのあとは、参加している皆さんと合流して、エルジェーベト橋を渡って、初めてブダ側に行く。(ブダペストは、ドナウ川を挟んでブダとペストという二つの地域からなっている。)
橋を渡りきったところにあるゲッレールトの丘に上がり、その頂きから市内を見渡すと、なかなかに壮観だ。ここの丘の上の砦は、第2次世界大戦では、ドイツ軍に占領されたとのことだから、その頃までは要塞として機能していたわけだ。
標高235mの丘へ登る階段と坂道は、ちょうど良い運動になったので、下に降りたあとブダペスト名物の温泉の一つであるルダッシュ温泉に入る。中には、トルコ式のレンガ造りの温泉のほか、近代的なミストサウナや屋外のジャグジーなどもある。温泉以外は男女混合なので、水着着用で、水着のレンタルもある。湯温毎にいつくかの温泉があるのだけど、全体的には温度は低めで、鼻に微妙に硫黄臭が残る。それでも、さすかに温泉で、出たあとはそこそこに体が温まっていた。まさか、ハンガリーに来て、仕事上がりの一風呂を楽しめるなんて、ちょっと想定外だったけど、ご機嫌だった。
今日のフライトは、夜の8時なので、午前中に中央市場に行くのを楽しみにしていたのだが、なんと今日は休日(共和国選言の記念日)で、市場はクローズド... そのぶん、それなりに日本とのメールのやり取りなどができたので、良しとする。
チェックアウト後、くさり橋を渡って、王宮のある丘へケーブルカーで登る。ここも、いわゆるアクロポリスで、かつての王宮や病院、教会などから都市が構成されている。
ライオンの中庭というわれる王宮の中庭側には、乗馬学校があって古典馬術なども時間によっては鑑賞できるらしいけど、今日は残念がら無し。それにしても、さすがに騎馬文化の歴史は深く、所々にある銅像の多くは、騎乗している姿だ。ついつい、気になって拍車だとか手綱だとか鐙だとかに目がいってしまうけど、馬の姿勢や細部なども、とてもよく表現されている。
王宮の丘を一回りしたあと、ふとラーメンを食べたくなって、ガイドブックにあったラーメン屋さんに行ったら、こちらも休日でお休み...仕方がないので、昨日みつけたパスタ専門店に。ここは、入り口で電子カードをもらい、店内のカウンターに行って、好みのパスタなどをオーダー。帰りに出口で精算するという、学食とか社食みたいな方式。店内の一角で、バスタマシンで自家製麺している各種パスタが良いのか、結構な人気店のようで、味も良かった。
昨夜の夕食をとったカフェにガイドブックを忘れたので、ちょっと寄ってみたらしっかりと保管してくれていて、無事にピックアップ。その後、ホテルの周りを散策していたら、素敵なクリスタル関係のお店が集まってる一角をみつけた。ブダペストは、アンティークショップがたくさんあって、国会近くにはアンティーク通りとして集積している場所もある。火曜日の昼休みにさくっとみたけど、残念ながらブリュッセルのようなクリスタルグラスの専門店はなかったのだけど、こんなホテルの近くにあったなんて...しかし、ここも今日はお休み。少し歩いたら、フォアグラとトカイワインの有名店があったので、おみあげに少しだけ購入。
少し早めに空港に移動して、ラウンジで仕事でもと思ったら、早すぎでチェックインができないという罠に嵌ってしまった。フライトは、予定どおりで、無事に夜のデュッセルドルフに到着。
Dusseldorfの宿は、ホテルチェーンではあるけど、この地域の関係なのか、とてもオサレなデザイナーズホテル。ロビーには、モードな写真集やドレスも飾れていて、部屋も壁一面にオールドフアッションなモノクロの写真があつたり、内装も家具もデザイナーズセレクション。というわけで、今朝は比較的のんびりと部屋で過ごしたあと、少しホテル周辺を散策。
その後、昼過ぎにロビーで昔のビジネスパーナートと十年ぶりの再会。今回は、飛行機の都合もあったのだけど、Düsseldorf で一泊したのは、彼と再会できることを楽しみにしていたというのが大きい。先月もDüsseldorfを通過したけど、時間的に余裕がなかった。
彼とは、 Root,Inc.の時に知り合いの紹介で知り合った。当時、彼は光ファイバー関係のビジネスを展開しており、無線関係にも興味があるとのことで、いろいろとやり取りをさせてもらった。
すでに、彼の会社は新しい経営者に世代交代したのだが、今日はその新しいオーナーの女史も同行してくれた。まったく、世の中は狭くて、来年のIEEEのミーティングのオーガナイザーも、彼女が調整しているとのことだ。 ホテル近くのレストランで、典型的なドイツ料理のソーセージとキャベツとジャガイモの茹でたサイドをランチにいただく。いろいろと、直近のことから先のことまで、今後再びいろいろと協業できる可能性を見たいだして解散。やはり、来て良かった。
一旦ホテルに戻ったあと、Ko-Bogen という近くのショッピングエリアまで行く。このショッピングエリアは、公園のすぐ横にあって、公園の池と運河とうまく調和したデザインになっている。日本では、まだ紅葉を楽しんでいないけど、ここではすっかり紅葉が映える。緯度的には、ブダペストより北なのに、こちらの方が寒さは弱い感じがしたのだけど、紅葉はしっかりと進んでた。
午後に無事に成田に帰国。そのまま事務所に寄って事務仕事をして、夕方から会食の予定だったのだけど、珍しく旅の疲れが出たのか、時差ボケなのか体がダル重。ということで、予定をキャンセルして、そのまま帰宅。
帰宅して荷ほどきをしたあとは、今日しないとならない大事な仕事が待っていた。それは、出張前に酒漬け工程にしておいてたカラスミを、冷蔵庫からだして水分を拭き取り、整形工程にすること。
とりあうず、クッキングペーパーで余計な水分を取ったあと、ピッチトシートで包んで、パットにいれる。重しは、雑誌をサランラップで包んだものを代用。定期刊行の会誌などは、後で読もうかなと思って、ついつい取っておくのだけど、こういう時に別な意味で役立つ。
夕飯前に一通り片付いたのだけど、時差ボケのためか睡魔に襲われる。それでも、ここで寝たら負け。飛行機の中でPitch Perfect2を観たので、新ためてPitch Perfect を観る。しかし、若者言葉が多い英語は、わからないとこが多いな。Anna HendricksのCupsは、PVのほうがやはり秀逸だった。
余り物で夕飯を取ったあと、NHKの新映像の世紀を観た。こういうクオリティの番組って、民法では作れないだろうなと歓心することしきり。
自宅で寝るのは今日1日で、明日からまた国内出張なので、はやめに就寝する。
午前中は、とある案件のため、パートナー会社の工場の大型電波暗室で、電波測定。ここの暗室は、自動車が入れる20mクラスのもので、なかなかに壮観だ。
今日は、ある素材の通過損失を確認することが目的。そこで、基準信号を発生して、測定アンテナで試料を挟んだS1-2をネットワークアナライザで測定。結果は、想定していたよりは、はるかに少ない通過損失だったので、一安心。
午後に都内にもどり、そのままタッチ&ゴーで新大阪に移動。テレカンの時間に被ってしまったので、新幹線の中でiPhoneからWEB-EX。声は出せないので、聞くだけモード。その後、新大阪から梅田のホテルに移動して、チェックインしても、まだ会議が続いてたので、部屋からやっと音声で入れた。
テレカン終了後、久しぶりに前職の元同僚らと大阪で一献。さすがに、今日はよく寝れそうだ。
朝は、京都駅前で一件打ち合わせをしたあと、近鉄線で高の原経由で、共同研究をしているNAIST 奈良先端科学技術大学院大学の研究室を訪問。まずは、現状の案件の整理をしたあと、先生、学生さんらと一緒に車で葛城市に移動する。
葛城市は、人口36,000人の市で、大阪への通勤圏にある郊外都市。ここの市長さんは、若くてアイデアマンのようで、さまざまなiCT関連への取り組みをされている。そんなわけで、今日はとりあえず、ご挨拶と市政に対する思いなどを伺う。
ここは、なかなかユニークで、主業農家はほとんどなくて、市内の多くは、大阪や市内、周辺に通勤している企業勤めの方が主だそうだ。そして、市内は公立の小・中学校までしかなく、市民は高校から市街に通学している。もっとも、街として隣の大和高田市と隣接していて、そこに公立高校がある。
市長さんは、こういう立地や属性を捉えたうえで、それを利点にするICT利活用の戦略を明確に持っているようで、なかなかに頼もしい。かつて、山梨と東京の県境の地方都市では、行政のいろいろな難しさに直面したけど、はたしてここはどうなのだろう。
市長さんの面談のあとは、再びNAISTに戻って、別な実験をご一緒している先生に、機械学習の事を教えていただく。この前とったデータの解析は、この研究室で特任教授をされている医学博士の先生が担当されたということで、医学ネタな話もすこし。
ぼくが、30年観察されたWPWという不整脈がダイエットしたあと観察されなくなり、自然治癒したかもという話をしたら、「それ部分的に梗塞が起きたんじゃないの?」とコメントされた。そうか、確かに....ガクブル
夕方は、学生さんらも含めて、8人で近くの韓国料理店で懇親会をして、大阪のホテルに戻る。今日は、テレカンが深夜にあるためノンアルコールだった。
それにしても、大阪のホテルの廊下には、上半身裸で歩き回ってる隣国から観光客がいてうんざり。部屋のドアも開けっ放しで大声が廊下に丸聞こえだし...
朝の新幹線で東京に戻り、幕張メッセで開催されているビッグデータ活用展の会場に移動。今回は、グループ会社のBBTowerさんのブースに、EverySenseのコーナーをいただいてデモ展示を行った。
この展示会には、はじめて参加したのだけど、初日の朝からものすごい人出に驚いた。ブース横でのショートプレゼンテーションでも、軽く100人を超える人が熱心に聞いてくれていた。今年は、Interop,CEATEC にも出展したけど、この展示会が一番の熱気だ。
この展示会の特長は、Japan IT Week 秋と銘打って、メッセの同じホールの中に、クラウドやセキュリティ、IoT/M2M,などのように、かなりセグメントを絞り込んだ明確な展示会をいくつも併設していることだ。
このため、各セグメントの来場者には、とてもその内容がイメージしやすく、ターゲティングしやすい。こういうマイクロセグメントは、当然ながら幅広な展示会よりも、それぞれがリーチする集客対象の数が絞られる。
ところが、一旦会場に来ると、その展示会の周辺にある展示会も、まったく違う分野ではなく、関連性のある分野なので、そちらにも足が向く。この結果、全体として大きな集客と熱気につながっているように思う。
昨今、展示会関係は、いろいろとその存在も含めて難しい状況があるようだが、これは一つの戦略勝ちなのかもしれない。
夕方、事務所に戻って来客対応をしたあと、シリンコバレーのルームシェアでお世話になっているソフトウェア会社のインド人社長と一献。彼の部下のインド人の人と三人で、まったくなんの不自由もなく、居酒屋で日本語の会話に花が咲いた。
この前の日曜日に帰国したあと、大阪出張と展示会ということで、さすがに疲れが溜まっている。そんなわけで、大阪のホテルでは、テレカンのあとにマッサージをお願いしたが、いま一つコリが抜けなかった。そのまま、展示会になってしまい、足の張りが酷いので、今日は会社近くのマーサージ屋さんで再びマッサージ。マッサージ直後は、すこし楽になるのだけど、根本的にはコリが残る。
明日は、早朝会議があるため、今日も都内に宿泊することにしたら、ホテルの部屋にマッサージチェアがあったので、早速使ってみた。さすがに、日本の古き良きもの作り的なきめ細かさで、こんなにいろんな事できるんだと感心するような多機能。しかも、揉み方もなかなかにそれっぽい。
僕は、特定のプロのマッサージ師さんなどに定期的にボディケアをしてもらうわけではないから、こういうチェアがあって、いつでも使えるならそれは魅力だ。出張続きで疲れる身としては、出張先に常にマッサージチェアがあってくれたら嬉しいのにと思ってしまう。
とはいえ、マッサージチェアは、結局のところ体の後ろ側からしかできないので、マッサージ師さんがしてくれる仰向けや横向きの状態での施術技は期待できないのが残念。
ロボットとAIブームなんだから、ペッパー君がマッサージしてくれるようになんないだろうか。ペッパー君なら僕個人の体について情報や、施術の記録やそこでのノウハウなんかを記録できる。しかも、これをクラウドに管理しておけば、ペッパー君の個体は特定のものでなくても、違う場所で違う個体でも同じサービスが受けられる。
というわけで、だれかペッパー君の出張マッサージ会社作ってください。
今朝は、7:30から経済産業省のIoT推進ラボの第一回会合を傍聴。早朝の時間にも限らず、ものすごい数の傍聴者で、本会場以外にもサテライト会場も用意されていた。幸いに僕は本会場だったのと、時間的に早かったのか傍聴席の最前列の席に座れた。
今日は、結構委員の方々も積極的な発言をされていたけど、いろいろと突っ込みどころは満載だった。それにしても、そこそこの数の皆さんが、「失敗を許容する事が大事だ」と指摘していたが、どうみても委員の皆様には失敗経験者はいないよねと思ってしまった。
その後とある委員が、委員会の運営の明確さについて指摘していた。これは、本当に大事なことで、この委員会の委員は、どういう根拠で、誰がどういう意思決定ルールによって選任したのかが、そももそ不明というのは、日本の各種有識者会議に共通している事だ。本当なら、委員も公募するのが良いと思うけど、せめて、セグメント毎の委員の配分とか、どういう点において有識者であり、その委員に何が期待されるのかくらいは、広報されると良いのにと思う。
また、この委員会としての意思決定は、どうするのかというのは、どこにも明確にされていない。それどころか、なんと議事録などを含めて非公開だそうだし、個別事例については、座長一任だそうだ。
別な委員からは、とにもかくにもスピードが重要であるという発言があったけど、スピードを持つという意味では、意思決定ルールの明確化は、すべきだと思うけど、きっと日本の委員会には馴染まないんだろうな。
ちょうど、インターネット協会のIoT推進WGは、僕が座長に指名されたのだが、ここでは運営規則を明確にすることにして、その運営規則の採択を、まさに今日から評決で決めることをしている。
せっかく、1000近い会社や組織が参加するIoT推進コンソーシアムとその参加の推進ラボなので、この取り組みには、ぜひいままでの慣習にとらわれない迅速な意思決定と運営を期待したいところだ。
ただ、ちょっと不安なのは、外資も含めてそれなりの方々が一堂に会してるけど、その発言は、想定の範囲内というか、ありきたりのもので、本質的なとこでのイノベーションというか衝撃的なものは無かった。
この会合のあと、某通信キャリアの方々と協業の取り組み案件について打ち合わせをしたのだか、こちらの打ち合わせの参加者は、皆さんとても若い。僕は、この会社のトップとは、ある時期かなり仕事を一緒にさせていただいて、とてもイノペーティブな側面を見てきた。
ところが、今日の参加者の皆様は、なんだかひと昔前のお国の有識者会合みたいで、いかがなものか的発言というか、パッションを感じる乗りが感じられ無かったのは、かなり寂しかった。
朝の経産省の会議の委員の方々のほうが、頭の柔らかさという意味では、勝っていたかもれしない。どうも、柔軟性というのは、年齢には関係ないんだなということを確認してしまったようだ。
午後は、再び展示会場に行って、夕方最後のプレゼンをした。一昨日の記事にも書いたけど、とにかく今日も凄い来場者だった。
一旦、事務所にもどって、EveryStampの外装部品の1st Shotを確認。金型のほうも、とりあえず予定どおりに出来てきたのが嬉しい。
その後、クライアント先で打ち合わせをしたあと、同僚とハロウィンに浮かれるビアレストランで一献。なんで、ハロウィンがこんなに盛り上がってるのかと思うのは、柔軟性がないんだなと自戒。
比較的遅めのかいじ号で、二週間久しぶりに山梨に戻った。来週の競技会デビュー前に最後の調整を予定していたのだけど、相方が先々週に馬房で怪我をしてしまったという連絡が入っていた。昨日もらったメールでは、まだ跛行しているというので、お見舞いに途中でりんごを買って、直接サニーに行く。
放牧場にいる相方をみたら、右腰と右肩に傷あとがあり、やはり右の後肢の動きがおかしい。というわけで、競技会をどうするかという相談をオーナーとして、結局予備登録しているクラブのベテラン牝馬ミルキー号で、参加することになった。ここのクラブでは、ほとんどの人が初エンデュランスの時には、彼女に騎乗しているので、結果的には慣例どおりになったわけだ。
ミルキー号には、たまたま、先月の検定の前に馬場で騎乗したけど、それ以外は、たぶん一・二度しか騎乗してない。そんなわけで、まぁ確認をかねて、オーナーと二人で、軽く5km弱を外で練習。
我が相棒のとは、速度がまったく違って、ハミもほとんど抑えない感じで、あるいみ乗りやすい。ただ、相棒の速度とあの伸びる感じになれていると、このリズムで長く乗るのはどうなんだろうと少し不安はある。そういう意味では、今日騎乗できたことはとても良かった。
家に帰って、騎乗の記録をみたら、サニーでの馬場レッスンとエンデュランスレッスン的な外乗が、今日で101鞍目だった。これ以外に海外のアリーナでの7鞍と、ハワイやアメリカ各地での観光外乗が32鞍あった。
さて、これでいよいよ来週の土曜日には、エンデュランス初出場になるけど、どうなることやら。