昨夜から宿泊の馬仲間のみんなと朝食をとったあと、8時から集落の堰さらいに出労。今年は、灌漑水路の堆積物をとったあと、水田近くの水路の部分の土砂どりなども行う。これは、農水省の多面的機能支払い制度による補助事業で、農業従事者と地域住民の共同体としての作業なので、僕ら非農家も参加する。
もともと、水路は農業灌漑だけでなく、防火利用もあるので、農家以外も参加しているし、それが田圃近くの個別の水路に広がるだけで、やることは変わらない。まぁ、いつもより小一時間余計に時間がかかったけど、無事に事故もなく終了。
家でシャワーを浴びて、ランチを済ませたあと、午後はサニーへ。昨日の講習で教わったことを意識しながら、いつもの林道で13km。先週は、倒木だらけだったコースも、今週はそれなりに倒木が除去されていたので、予定のコースを最後まで行くことができた。
相方は、この冬の訓練で、かなり体が締まってきた感じで、とても頼もしい限りだ。
今日から新しい年度らしい....僕の中では、まだ....という話はともかく、気持ちを新たになわけだ。
そんな今日からEverySenseにも、新しい仲間が加わってくれた。プライバシーに関わることなので、個人のプロファイルなどは書かないけど、やっと若い仲間が加わってくれたのは、嬉しい限りだ。
悔しいけれど、年齢ばかりは平等に重ねていくので、先輩方からは僕の知らないことを沢山学ぶ。でも、それと同じか時にはきそれ以上に親子ほどに歳が離れた仲間から学ぶことは多い。
そんなわけで、新しい仲間には、のびのびと萎縮せずに、でも良き道をともに進んで欲しいと願って、新しい年度がはじまった。
午前中は、久しぶりに病院での診療、処方された薬の効果がしっかりと確認できたのが何より。昼前に、採決・採尿をして、午後一に診療なので、築地界隈で昼食。鴨料理のお店があったのでランチの鴨丼を楽しんで、しばし界隈を散策。名残の桜や残念ながら取り壊しの決まったらしい風情のある建物などが素敵。
午後は、データ流通推進協議会の会合。信託とか預託とか委託とか、まぁ言葉の定義をしっかりと確認して共有してからじゃないと、通じないことも多いのが、ハイコンテクストな日本語ならではだったりする。
夜にもう一つ某省で打ち合わせがあったので、事務所から外にでたら、外苑前から神宮球場に向かう人の波。その人混みの中で、名前を呼ばれたので、顔をみたら某省のカープファンな知人。ちょっとだけ、立ち話しをして、別れ際に「頑張って応援してくださいね」とは、スワローズファンなので言えなかった。 でも、考えてみたら「頑張って、スワローズを応援してくださいね」と信託しても良かったかも。 残念がら信託しなかったので、苦手なカープに開幕四連勝をプレゼンしてしまったらしい。
夜は、帰りにスーパーでホワイトアスパラが出てたので、ちょっと高くて一瞬迷ったけど、誘惑にまけて買ってしまったので、アンチョビとブロッコリーと合わせてパスタ。
少し前に取材を受けたInsight for Dで、エブリセンスジャパンが実現する、世界初の「データ取引市場」とはという記事が公開された。
前半・後半に二部で、僕らが行なっているデータ取引市場のポリシー、その実現のために導入した様々な機能などから、僕の起業の背景なども含めて、網羅的かつ丁寧な記事にしていただいた。
こういうメデイアは、文体も論文調子じゃなくて、優しい言葉遣いだから、僕の周りにいるITとあまり関係ない人からよく聞かれる「真野さんってなんの仕事してるの?」の答えに、少しはなるかもしれない。
もっとも、せっかくの優しい文体も、いつものように不機嫌な僕の顔写真で、ちょっとね.......
ところで、話は違うけど今日は、あのキャンディーズ解散から40周年だったりする。夜、知人と会食していた新橋の居酒屋は有線だったので、一曲ぐらい掛かるかなと思ったのだけど、見事にスルーだった。
それにしても、前にもなんどか書いたけど、40年前の1978年は、僕にはいろいろとメモリアルな年だ。大学に入学した年で、キャンディーズは解散するは、スワローズは初のリーグ優勝と日本シリーズ制覇はという年だ。あとで、エッセイで知ったけど、村上春樹さんは、この年のスワローズの開幕戦で、ヒルトンのヒットをみたときに、小説を書こうと思ったらしい。
というわけで、そんな節目の40周年だけど、エブリセンスは、この先の5年、10年な世界にむけて頑張っているので、50th Aniversaryが楽しみだ。
今は、それなりの規模の会社には、必ず情報システム部門があって、 社内LANの構築から、インターネットアクセス、グループウェアの運用管理など、さまざまなITサービスをしている。
僕の周りは、IT系の技術者、研究者が多いのだが、悲しいことに自社の情報システム部門に対する満足度というのは、総じて低い傾向にあるみたいだ。そんなわけで、やれうちの会社の情シス.....的な愚痴は、よく話題に上がる。
そんななか、データ流通推進協議会みたいに、複数の会社が参加するコンソーシアムでも、単なるファィル共有から、共同編集、カレンダーの共用などのサービスが必要となる。ところが、各社のポリシーが異なるので、なかなか共通のベスト解というのが難しい。
いま、データ流通推進協議会は、100近くの組織が参加していて、三つの委員会がアクティブに活動しているので、各委員会に IT担当を決めてもらい事務局との間で、これらのサービスのあり方なども調整している。
今日は、そんな情報システム担当の皆様と事務局の顔合わせ的会合をさせていただいた。基本的に、ボランティアベースの活動なので、相互に負荷のかからない効率的なゴールを目指す必要があって、これはなかなかにハードルが高い。
将来的には、グループウェアなどの導入も必要だけど、まずは情シスさんの大変さを再認識した。
今日はおやすみをいただいて、道東へ二泊三日の旅。まずは、中標津空港へ移動して、昨年もお世話になった安藤牧場・北太平洋シーサイドライン乗馬クラブさんへ。
それにしても、まさかのこの季節の雪....しかも、結構それなりに降ってる。そんななか、山の放牧場や厩舎の馬たちを見学。
いまや、牧童100%な某女史にも色々案内してもらったあとに、みなさまと一献。昆布の新芽というのを、はじてめいただいたのだが、 柔らかくて、旨味もたっぷりで感激。山わさびや北寄貝など、今の季節ならではの地物をいただいて、感激することしきり。
夜は、去年宿泊した民宿に、今回も投宿。例によって、花咲蟹がドカーン。もう、北海道は、来るだけで太る。
午前中は、昨日に続いて北太平洋シーサイドライン乗馬クラブへ。山の放牧場から馬をロープで繋いで連れて来るのを見せてもらった。そのあと、こちらのお仲間と、海岸沿いから雪原へと軽く外乗。雪は止んだというよりは、小さな霧になった感じ。そして、ちょっと気になった若い子達に放牧場で走ってもらったら、まぁ元気なこと...
昼前に、中標津に移動して、教わった地元の回転寿司で昼食のあと、大西牧場へ。広大な放牧地と場内の複数の放牧エリアは、本当に沢山の種類の乗用馬達がいる。面白いのは、それぞれの種類や血統の違いだけでなく、この牧場に来る前も含めて、いろいろな経歴というか歴史があることだ。中には、生後、三日なんていう仔馬がいて、もう可愛さ100%。
そんな馬達の話や、ここでの育て方などから、独自に改良している鞍や鎧などの、乗馬クラブとは違う生産者目線の話を、社長さんと息子さんにいろいろと伺った。しかも、「あのーすいません、僕は乗りに来る方の人なんですが....」とツッコミたいくらいな本音トークが炸裂して、アルアルネタだけど、僕が乗りに来る時は気をつけよっと。いままで、繁殖とか血統の話って、僕は全く興味がなかったのだけど、その奥の深さを垣間見た気がする。競馬好きの人はへ、こういうところにも楽しみがあるんだけう。
夜は、温泉のある宿に投宿。昨日からすっかりお世話になっている、こちらのエンデュランス仲間の某女氏も駆けつけてくれて、馬談義でしっかりと飲んでしまった。
今日は、昨日までの雪も止んで、午前中は綺麗な青空。そんななか、朝は中標津在住のベテランエンデュランスライダーの方のご自宅を訪問。このかたは、ご自身で6頭のアラビアンホースとポニー系2頭の馬を育てている。この場所で生まれた仔のせいなのか、みんな人懐っこしくて、目の保養になった。
このあと、昨日の大西牧場に戻り、昨日みた馬のなかで少し気になっていた仔と再会。いろいろと、話を聞いて、そのあと牧場主の大西さんが騎乗して歩様をみせてくれた。
せっかくなのでということで、そのあとぽくも大西さんのお孫さんのガイドで、牧場の周りを40分ほどトレイル。まだ、3歳に満たないのだけど、基本的な調教はよくできていて、性格も落ち着いてる。
この仔は牝馬なので、荒削りだけど躾がそれなりにされている若いお嬢さんという感じだった。 こんな娘がいたら、それなりに楽しいかもしれない。
午後の飛行機で羽田に戻って、二泊三日の馬旅は終了。
今日の夜は、Root,Inc時代の部下とパートナー会社の方と、三人で久しぶりの会食。
それにしても、なんと三人ともここ数ヶ月の間に入院したりしていて、病気と薬の話題には事欠かないというのが、なんだかなぁではある。まぁ、齢を重ねると、どーしてもメンテナンスは必要になるのだから、仕方がないといえば仕方がないのかもしれないけど..
しかし、今夜に限らず、誰かが病気とか薬とかの話をすると、必ずといっていいくらい、「実は俺もさぁ....」と、カミングアウトが始まるのは、なんでだろう。
まぁ、人に聞かせて楽しい話でもないから、基本的には自分から話はしにくい、でも誰かが話したら、自分の話もすることで中和しようという深層心理が働くのかな。
いづれにしても、一杯やりながら、元気に話しが出来てるんだから、ある意味、健康なんだろう。
今日の午後は、某大手フィナンシャルグループ主催の婚活に参加。なんでいまさら婚活?と疑問を呈する人が多い。なかには、「独身じゃないじゃん」とか、SNSでバラす輩もいたけど、そこは「今だけフリー」ということで。
そもそも、主催者側さえ誘ってはみたものの、「あれ本当にこの人参加させていいのか?」的に思ったらしく、直前になって「無理しなくていいてので、若い人に代わってもらってもいいですよ」とか、「委員会とかじゃないから、来るならカジュアルな服装でね...」とか、年配者に対する配慮なのか逃げ道も用意してくれた。
でもさぁ、せっかくのチャンスは、しっかりと生かさないとと思うし、一度参加すると言った以上は、初志貫徹だぜ。実際の話、諸々の状況もあって、そろそろ真剣にこれからのパートナーに巡り会いたいと思っていたところなので、まさに渡りに船だった。
というわけで、午後2時から渋谷の道玄坂にある Hoops Link Tokyoなんていう、ネットバブル時代を彷彿とさせる金融系さん仕込みのオサレな会場に参入。
なかなかに、想定以上の参加者数で、おじさん的にはちょっとビビったのだけど、若い人達で溢れる会場で、なんともう一人そこそこの年齢の知り合いがいたので、「なーんだ、他にもおじさんいるじゃん」的な安心感で、すこし落ち着く。
会場は、五つのグループでテーブルが分かれていて、飲み物やお菓子も沢山用意されていて、運営側の盛り上げ努力を感じる。さらには、とりあえずボッチにならないように、最初は指定のテーブルにつくことになっていた。そのあと、全部の参加者の前で、5分とか3分のショートな自己紹介をして、次に同じテーブルの人達と、もう少し自己紹介。
なんとなく、話のキッカケが掴みにくいことがあったりしないようにという配慮から、各テーブルに一人ずつ運営な人がいて、流れをうまくリードしてくれた。
というわけで、まぁそれなりに打ち解けて、一緒に出来そうなことを考えて、みんなの前で発表したりして、前半終了。他のテーブルが気になるなとおもってたら、ちゃんと他のテーブルの人ともお話しできる時間があって、そのあと組み合わせを変えて、後半戦に突入。後半のテーブルには、前に他で会ったことのある人もいたりで、きっかけもつかみやすかったりした。
というわけで、なんとなくだけど、想いを共有できたかなというとこで、タイムアップ。このあと、テーブルから離れて、全員で写真撮影をして、キッチンカウンターなどのあるエリアで、ピザとビールでフリータイム。じつは、他のテーブルにいて、ちょっと気になっていた人がいたので、スーッと空いてるスペースにポジション取りして、しばしツーショットトークして、盛り上がってたら、そこにもう一人参加しくれて、こちらもちょっと気になっていた人だし、トークも面白かった。
初めて、婚活に参加したんだけど、圧倒的に男子の方の参加者が多いのは、どうよと思ったのは事実。それでも、残念ながら次のデートの約束まではできなかったけど、それなりに連絡先はゲットしたので、もう少しおじさんも頑張ってみようかなと思うわけだ。
そんなわけで、最後は会場で久しぶりにあった、もう一人のおじさんとツーショットで写真撮影。
以上、SMBC-FG主催の、API婚活というオープンイノベーションなイベントの顛末でした。
終了後、渋谷で前職の部下たちと一献して、帰宅。
上の"婚活" な記事は、嬉しいことにというか想定以上に、釣れてくれた人もいるみたいで、なんだか嬉しいやら恐ろしいやらなので、追記でネタバレ解説を書いておこう。
最後の行にもかいたけど、これはSMBC-FGが企画した"API 婚活"というオープンイノベーション推進の為のイベントのことですわ。内容は、SMBC FG下のグループ各社と、外部の企業で、APIによるサービス連携で、新しいビジネス創出を目指すワークショップで、名称に「婚活」なんて言葉を使ってるから、ややこしいのだ。
まぁ、そりゃ若い頃は、僕も"妻帯者に自由恋愛を!"を提唱する、一夫多妻制推進協会を設立しようなんてことを冗談交じりで言ったことがあるかもしれない。でもね、さすがに昨今のようにこの類の話題に対して厳しい時代に、炎上必至なゲスなことしませんぜ。
なので、くれぐれも「真野さん 婚活しているらしいよ...」なんてのを、拡散しないでね。でも、興味のある女の子からコンタクトは受け付けるけどね......
朝のテレカンのあと、午後は国分寺の某研究機関で打ち合わせ。久しぶりに出かけた国分寺は、北口の再開発の第一弾が終わったようで、駅に直結した新しいビルの商業施設がオープンしていて驚いた。まだ、もう一区画北側のエリアは工事中なので、はたしてこれからどうなるのだろう。
夕方からクライアントと待ち合わせで、西荻窪へ。西荻の南口は、徒歩で歩いたことがなかっのだが、かなり昭和で素敵だ。まずは、老舗の喫茶店( カフェではない) で、打ち合わせとメールチェック。
そのあと、南口のディープなエリアにある飲める蕎麦屋さんで、日本酒と蕎麦。肴もお酒も、お蕎麦もとても僕の好みにマッチしていて、なんだかかなり幸せ気分。カウンターでご一緒した方も、同い年で、いろいろと話も弾んだ。
しかし、西荻の南口って、こんなに素敵な場所だったのね、まったく知らなかったよ。再開発された国分寺の北口は、明るくて機能的だけど、飲食店もみんな型にはまった感じで、面白みがない。こういう古い街は、決して機能的じゃないけど、暗がりも裏路地もあって、なんかホッとする。
午後一で、某大学の研究室を訪問して打ち合わせ。打ち合わせの主題とは別に、研究室という単位の扱いについて少し確認。いま、事務局をしているデータ流通推進協議会では、会員として法人、個人、団体などがあるのだが、これに研究室という単位を適合することは、法律の専門家からみると厳しいらしい。
この協議会において会員は、団体として一つの議決権を有する。そこで、同じ団体に所属する者が複数いる場合には、そのうちの誰か一人が会議に参加し、その団体の利益代表として議決権を行使することができる。ところが、個人の単位の場合には、代理人を立てることを可能とする手順などが整備されていない。
仮に、企業などと同等に研究室という単位を団体として扱えば、簡単なのだが、なにしろ研究室という単位は、定款があるわけでもなく、その責任の所在が明確にしづらく、任意団体という扱いにもできない。まあ、企業の諸々の契約などでも、会社ではなく部門単位で契約を行い部門長が責任者というのも、たしかにあまり聞かない。だからと言って、研究室ではなく大学単位ということになると、まず手続きだけでもかなり煩雑になるだろう。
というわけで、実質的に会員の権利と義務の観点から、実質的に問題のない対応を説明させていただいた。
午後からデータ流通推進協議会で、某省の検討会に対する意見具申のとりまとめの会議。いわゆる議論百出な状態なんだけど、各論というよりはそもそも論のところは、参加者でのコンセンサスが得られた。
ちょうど、ブロッキングの問題がいま騒がれているけど、元になる検討会の出力も、一歩間違うと同様に様々なところから反論されてしまう可能性が高いなと感じる。
加えて、FaceBookの情報漏洩事件もあり、データ流通に対しては、利用者の安心・安全に対する対応において、一定の自主規制的な秩序を求める傾向があることも影響するかもしれない。
まぁ、なにごとも大まなか合意というかグランドデザインをすっ飛ばして、各論まで打ち出したら、そりゃうまくいかないよね。
兼ねてから一度行きたかった熊野古道への旅行を、家人が誕生日祝いにくれた。南紀白浜空港でレンタカーを借りて、まずはちょっとだけアドベンチャーワールドに寄り道して、熊猫を見る。たぶん、初めてみるわけじゃないんだけど、最後に見たのがいつで、どこなのか思い出せない。
昼は新宮まで移動して、今回の一つの目的でもあ東宝茶屋で、さんまの熟鮓。ここには、宮本輝の「にぎやかな天地」という小説で紹介されていて、いちどぜひ食べたいと思っていた、三十年ものの熟鮓がある。通常のさんまの熟鮓、うなぎの肝焼きと一緒に冷酒で一献。もう、完全にヨーグルト状態で、酸味はあるけど、まったく生臭ささはなくて、肴としては僕の大好きな類。
この後、熊野古道の大門坂駐車場から那智大社まで歩いて往復。あいにくと那智大社の社殿は修復中だったけど、那智の滝も見れたし、八咫烏にも会えた。
夜は、南紀勝浦に移動して、ホテル浦島に投宿。ここは半島まるまるホテルな感じで、なんと船でわたって行く。館内には、いくつかの温泉があるのだけど、自然の洞窟のなかに湧き出る温泉は、なかなかに良いお湯だった。
しかし、この大きさのホテルで、会議室でも充実してたら国際会議を承知したら喜ばれるだろうな。
昨日からの熊野古道への旅は、帰りの遅い便が取れなかったので、昼便で帰京。そのため、朝食をとってすぐに出発して、どこにも寄る時間がないので、途中の道の駅と白浜の市場をのぞくだけ。
ところで、昨日は南紀白浜の空港で、ちょっとレンタカーの送迎待ちの時間があったので、ポケGoのジムを一つ攻略して一匹置いたら、すかさず同じチームの人がもう一匹置いてくれた。
そのあと、アドベンチャーワールドで、また適当なジムがあったので、攻略したら、再び誰かがすぐに一匹置いてきた。でも、そのアカウントは、空港の時と同じなのだ。
というわけで、まぁ僕の近くにいて、同じような事をしている輩は誰だよと思ったら、約1名一親等な男子を発見。あーあー、これで見事に親子でアカ割れしてしまったじゃん。
まったく、あんた達は二人ともいい歳こいて何をしてんだか...と、家人が呆れていた。
夕方というか夜は、打ち合わせで霞ヶ関ビルに行ったら、ビルの壁面にプロジェクションマッピングしていた。なんなんだろうと思ったら、霞ヶ関ビルが完成から50周年だそうだ。
オープンした1968年は、小学校の低学年だったけど、東京オリンピックの盛り上がりのあと、2年後の大阪万博に向けて、まさに高度経済成長期の興奮があったことは覚えている。
霞が関ビル何杯分という表現は、このあと京王プラザとか新宿の高層ビルができた後も、変わることなく不動のメタファーだった。思うに、なんとなくあの四角な形状が、やはり体積を表すには、ちょうど良いイメージだったからなのかと思う。
残念ながら、その座は、いまや東京ドーム何杯分に取って代わられたけど、升目的には霞ヶ関ビルだよね。
と書いたものの、僕の頭の量系は、1.2.沢山なので、あまり関係ないけどね。
今朝、旧知の先輩の訃報が届いた。昨年、癌が見つかっていろいろと厳しい見通しであることを、本人から直接お伺いしていた。彼とは、サーマルヘッドプリンターの開発案件で仕事をしたのが最初で、ミサイルのシーカーのテスト装置にサーマルヘッドを使うなんて話も一時あった。もともと、僕がサラリーマンをしていた、大手電機メーカーの子会社にいた時に、顧客であった親会社の紹介だった。ジャーナルプリンターという、ロールの感熱紙に、配信ニュースなどをストリーミング的に印刷をしていく装置のファームを開発して、セントロニクスとかPC98の文字コードとかと格闘していた。
その当時は、僕はもうアマチュア無線は、すっかり興味を失って、まったくやっていなかったのだが、彼の会社はアマチュア無線のパケット通信で使うTNC(Terminal Node Controller)とい装置を製造、販売していた。僕は、広帯域受信機とかトランシーバーのファームウェアなんかを受託仕事で開発していたこともあり、PC98のRS232Cに直接Bel202のモデムの石を接続する方式の製品開発を頼まれた。 この時に僕が行ったのはハード設計と、HDLCのフレームの再生までの下のレイヤーで、上位のAX.25というプロトコルは触れなかった。それでも、この下のレイヤで、ちょっと姑息な方法で、割り込みをさせたり、サンプリングをさせたりなんていう工夫は、我ながら良いアイデアを盛り込んだという自負はあった。結果的に、こういうレイヤーをきちんと分離した設計や仕事の仕方は、その後のTCP/IPへの移行をスムーズにしてくれた。
とはいえ、僕がアマチュア無線をやっていた時代には、パケット交換なんていうのは無かったから、アマチュアの人はこれで何をしてるんだろうと思って、完成品を借りてRBBSというのに、この時はじめて接続してみた。たしか、CQ誌のパケット通信のコラムは、昔ぼくがコンテストとかやっていた時代に有名だったDXerだったので、パケット通信というのは、なにやら新しいリニアでも使うのかと思ったくらいだ。
たまたま、当時の会社が東京電機大学の近くで、ここにあるRBBSというのを見たりしたのだけど、当時パソコン通信をアナログ電話とモデムで使っていた僕は、その300bpsがとてつもなく遅く感じて、なんでこんなの楽しいの?と疑問に思ってしまった。そこで、せっかくなら、高速のディジタル通信をすれば良いのにと思ったのが、スペクトラム拡散に取り組むきっかけだった。
そんなわけで、1988年くらいに彼と知り合ってから、なんだかんだ30年にわたり、本当に長いお付き合いをしてきた先輩だった。
ちょうど、先週に具合が悪いという連絡があって、共通の大先輩とお見舞いに伺う予定を調整していたのに、残念な知らせが届いてしまった。明るくて、エネルギッシュで、いつもポジティブだったので、あまり湿っぽいことは書きたくないけど、まだまだ一緒になにか出来たのになと思う。 合掌
某省の検討会に対して、データ流通推進協議会の提出する意見のとりまとめをし、なんとかスライドにまとめた。テーマとして、なかなか難しい面もあり、議論百出なので全ての個別意見を、合意された統一意見にとりまとめることは、残念ながら簡単ではない。
それでも、最低限の共通部分をまとめて、文章にしたのだが、これがまた難しい。というのは、誰が読んでも自明なように曖昧さを排除した文言にすると、かなり厳しい文言になる。かといって、それを緩める表記にすると、読み手の解釈に幅がでてしまう。とくに、日本語は、どんな感じを使うかでも、いわゆるニュアンスが異なってしまうから、ややこしい。
それでも、なんとかまとめた文章を関係者にレビューしてもらったのだけど、結局のところ口頭で補う必要がある感じだ。
予定通り、朝方に担当医の回診(といっても、会話だけ)で、サクッと退院許可。まぁ、なにも事故がなければそうだよね的な話ではある。ということで、そそくさとシャワーを浴びて、髭を剃って着替えたら、ちょうど朝食タイム。 それにしても、見事に12月に一泊二日した時と、三食とも同じメニューだったのは、ちと悲しい。
午前中に某省での会議があるので、なるべく早くチェックアウトしたいと昨夜のうちから伝えていたら、ちゃんと申し送りされていて、9時にはチエックアウトして、会計もできていた。でも、なかなか快適な環境なので、本当はレイトチェックアウトしたいくらいなのに.... 。もっとも、チェックアウトという言い方がいいのか微妙だけどね。
おかげで、某省の会議には、当初は途中から参加予定だったのだけど、冒頭から無事に参加できた。それにしても、この会議は、まだまだ悩ましい点が多い。
昼食の後は、事務所でDTAの運用基準検討委員会のアドホック会合を挟んで、関連の打ち合わせを三連荘。
そのあと、18:00のスーパーあずさで、久しぶりに山梨に戻った。
たしかに、来てもいいよと言いました。というか、むしろかなり積極的に誘ったかもしれない。でもさ、こんなに早く来るなんて、ちょっとびっくりだよ。
僕は、それなりに長いつきあいのパートナーもいて、たしかに最初の頃は、喧嘩することも多かったけど、最近は心の奥は見えなくても、なんとなくそれなりには理解しあえてるつもりだし、決してまずい関係にはなっていないと思ってる。実際、ここ数週間は逢えない日が続いたけど、来月には二人で長旅もするつもりで準備してる。
だから、旅先でちょっと若い子を見かけたからといって、鼻の下を伸ばして、遊びにおいでなんて、簡単には言わないのが分別ある大人だ。でもね、どこぞの知事じゃないけど、ついつい普段あまり縁のない若い子なんかに見つめられたら、その気になっちゃうこともあるわけだ。
ましてや、会ったその日に、いきなりベッタリ張り付いたり、ダブルデートとはいえ、それなりの時間をベタベタしっぱなしで散歩なんてしたんだもん、そりゃぁね....
でもさ、いくらなんでも、まだまだ子供だし、僕との歳の差を考えたらさ、ちょっと無理があるかなとも思ってたわけだよ。それでも、心のどこかでは、本当に来てくれるかなと気を揉んでいたのは、事実だよね。
それにしても、いまの時代に、しかもそんなに都合の良いタイミング、集団就職で長野にいく子達がいて、そこに紛れ込んで来ちゃうなんていう裏技があるとは思ってもみなかった。だいたい、いくら若いといっても、集団就職に行く子達とは、年も違うし、着ているものも、背格好も違うのに、よく平気だったと、ちょっとびっくりだよ。
まぁ、なんだかんだ言っても、言い出したのは僕だし、それを信じて来ちゃったわけだから、男の甲斐性で、責任はとるつもりだけど、奧さんにはなんて説明しようかな.....
今日は、今シーズンの始まりを告げる、2018 山梨エンデュランス馬術大会が、小渕沢の馬術競技場で行われた。
もともと、僕も相方もこの大会は出場を予定していなかったのだけど、Sunnyのオーナーと出走予定だった仲間の馬にかわって、相方が出場。来月の八ヶ岳エンデュランスに出場するので、本当は今日の大会にも出ておきたかったのだが、僕の都合で出場予定を外していたのだが、相方がこの時期に、このコースを走れるのは、ありがたい巡り合わせ。しかも、今日はとても気温が高くて、いろんな意味でよいトレーニングになる。
チームSunny Fieldは、2人・馬が20kmのトレーニングライドに出場し、僕もクルーで参加。スタート前の獣医検査で、相方の体型が褒められたのは、冬のトレーニングの成果が第三者にも確認されたわけで、嬉しい知らせだった。
結果は、無事に二組みとも完走で、大会全体でも大きな事故もなかった。気温が高かったので、人・馬ともに熱中症や脱水の心配もあっけど、それもなく何よりだった。
最近は、ずっとライダーで出場していたので、クルーとしての参加は久しぶり、いつもお世話になっているみなさまに、たまには少しは恩返しできたかしらん。エンデュランスは、クルーでの参加も楽しい。
それにしても、エンデュランスに参加しているのは、男女問わずみんなそれなりにたくましい。若い女の子は、これからどういう体型になっていくのだろうか。まだ、長旅疲れと環境の変化で、食が細いのがちょっと気になる。
午前中は、洗濯機を回しながら、いくつかの事務仕事とメール処理など。昨日のエンデュランスは、流石にライダーではなかったので疲れはない。
仕事が一段落して外に出るのにドアをあけたら、何かが上から落ちてて、組み筋に当たった。触ってみたけど、なにもないので、水滴でも落ちたかとおもってそのまま放置。家の中で昼食の食材の準備をしていたら、なにか脇腹のあたりが冷んやりとする。なんだろうと思って、シャツの裾をゆすってみたら、なかからポトリとと12cmくらいの赤いのが出て来た。
いくら、僕が馬に乗る人で山梨在住だからといっても、山梨の唯一の心の拠り所の信玄公の旗指物を背中にいれるのは、反則だよね。 幸いに、刺さったりしなくて、なにもなかったけど、まったくびっくりだよ。
午後は、Sunnyにいって、昨日頑張った相方を綺麗に洗馬。その後、まだ環境の変化にとまどってる、新しい彼女としばし戯れてみる。りんごは口に合わないみたいだけど、人参はしっかり食べた。まぁ、ゆっくりとね...
もう、あれよあれよという間にブロックキング対応らしい。確かに、名指しされている海賊版サイトは、法的に問題があるのは疑いの余地もないし、それで甚大な被害を受けていると訴えている業界もあるのだから、間違いなく放置ぜずになんらかの対策をする必要があるのはわかる。
では、その対策として、通信事業者によるブロッキングが本当に適切なのだろうかは、大いに疑義があって、週末の緊急シンポジウムでも議論百出だったようだ。
ブロッキングは、利用者の通信をISPが恣意的に制御するわけだから、通信の秘密や通信事業者の中立性という観点から、現行法に抵触する可能性は広く指摘されている。
一方で、残念ながら、現時点でブロッキング以外の実現可能で有効性が高い対策の提案というのも、僕の知る範囲では提案されているのを見ない。
だからなのか、とにもかくにも、元国営企業であるNTT系のISPは、この超法規的な対応に呼応するそうだが、これはある意味とても興味深い。
もし、報告されているような甚大な経済被害が発生しているとしたら、それだけ一定のユーザーがいることを示している。でっ、今回のブロッキングを受けて、これらのユーザーは、果たしてどう反応するのだろうか。
一つ目は、海賊サイトの利用を止めて、正規のコミックが沢山売れるようになる。
二つ目は。イタチごっこで、新しい海賊サイトにながれる。
三つ目は、ブロッキングしないISPにお引越しする。
が、さくっと考えられる。
申し訳ないけど、僕は三つ目のムーブメントが起るとしたら、不謹慎かもしれないけど、なんとなくワクワクしてしまう。商業インターネットが始まって、四半世紀近くになるが、この間に自律分散相互接続なインターネットなんていうのは、もう限りなく古の姿になってしまった。いまのインターネットは、結局のところインカンバントによるプロバイダーとクライアントという構造が圧倒的になってしまった。実際のところ、昔でいう二種プロバイダーは沢山いても、元請けは限られている。
こんななか、ブロッキングの有無は、民間の裁量によるのだから、そのまま差別化になる。こうなると、もうね「うちはスカスカでなでもありですぜ旦那!」的な、ISPが出てきちゃうかもしれない。しかも、かれらは堂々とうちは通信事業法にしたがってますとか開きなおることができる。
しかも、かつてRASをみずから設備投資をしたISPが乱立した時代と違うのは、広域イーサのような専用線接続の導入コストや運用が、圧倒的にハードルが下がってることだ。こんな背景を考えると、ちょっとチャンス到来と思う輩が出てきても良いかなと思うのだ。
まぁ、いきなりそこに行かないまでも、もしかしたら、まずは大学などによる、古き良き相互接続がまた楽しくなるかもしれない。いまでも、IRCとか運営してる大学のネットワークとかって、特定の分野では魅力的だしね。
昨年から取り組んでいたクライアントのネットワークセキュリティ強化は、第一段階から第二段階に入りつつある。今日、この仕事でインプリを行ってくれた前職の会社が事例として発表した。
企業のネットワークセキュテリィは、企業規模によりかなり差がある。今回の案件は、SMEでのセキュリティ強化としては、いたずらに高価な部分的機器の導入ではなく、ネットワークそのものの構成からしっかりと見直し、一定の運用が持続できる状況まで行った。
サイバーセキュリティが重大な課題となっている今、輸入品の難しい機器の導入を迫るのではなく、きんとクライアントの状況を把握し、その根本的な部分から段階的に強化を進めることが重要と考えての結果だった。
ちょうど、こんな発表のあった今夜は、その前職の時の同僚と、某研究者と今後の展開について語らいながらの一献だった。
今日の午後は、毎週開催しているデータ流通推進協議会のアドホック会合。この会合も回を重ねることで、実質的に具体的かつ建設的な意見を、ルールに沿って提出し、それを審議する人だけが残ってきた感がある。
これは、 IEEEなどでもそうだけど、結局のところしっかりと事前に過去の議事録や資料を読まず、いたずらに権利だけを主張するような人は、コミュニティのなかで、なかなか居場所がなくなる例に同じだ。
確かに小うるさい事を言わずにフランクにという事も重要だけど、フランク=ノールールではないし、それではものは決まらない。それだけならまだしも、そういうゆるさを正当化するのは、時に真剣に取り組む人のモチベーションも下げてしまう。ちょうど、いまの国会で審議拒否を正当化しているのも、似たようなもんだろう。
さて、こうやって、具体的な議論が流れに乗ってくると、週に一度、1時間というのが、ちょっと短くて困りつつある。ということで、会期延長を考えねば...
今日の午後は、電子情報通信学会のPN(フォトニックネットワーク)研究会で、招待講演。この研究会では、過去にも講演を引き受けたことがあるけど、いつもメインのフォトニックネットワークとは、離れたお話。 一応、去年まで参加していた共同研究のネタは、この研究会の範疇だし、共著の発表もここでしてるんだけど、今回は幹事団の皆様のリクエストに応じて、データ流通なお話しをさせていただいた。
実は、今回の依頼は旧知の研究仲間の先生からだったが、その依頼のやりとりの時に、こんなことがあった。
僕「日程的には、いまのところ空いてますが、場所は何処ですか?」
依頼元「東工大の田町キャンパスってつまらない場所です。」
僕「あのー.....そこ僕の母校だった場所なんだけど....」
なんて、会話がありました。
というわけで、なんと40年前に卒業した高校の敷地の一部が親の大学の施設になっていて、そこの建物が会場だった。しかも、その新しい建物の場所は、間違いなく僕らの教室があったあたりだ。まぁ、細かくいうと、僕らのクラスは、もう少し北の道路よりではあったけど。
しかし、会場の窓から見える反対側には、僕らが高校生の時にもあった鉄筋4階建の校舎が、多少耐震補強された形で、まだ現役に使われていた。この校舎の屋上にプールを作って、地上においた発電機と導水管で繋いで揚水発電のデモをするのが、電気科の伝統だったなんてことを思い出した。
当時、通学しながら学内の大学生協でバイトをしていたんだけど、その生協のあった古ーい建物は、もう跡形もない。
しかし、FaceBookでわかったのは、結構業界にはOBがいるんだよね。もっとも、僕の同級生の有名人は、脚本家だったり芸能プロダクションだったりで、電気な人はいないけど....
というわけで、つまらない場所というのは、僕には想い出のつまった場所でした。
GWの前半は、六日町へ旅行。朝、自宅をでて、清里のパン屋さんで朝食とおもったら、なんと7時半のオープンから予約客で溢れてて断念、結局コンビニのサンドイッチになってしまい、出鼻をくじかれ感満載。
とりあえず、中軽井沢まで車で移動。それにしても、中軽井沢の駅舎がいつの間にか様変わりしていてびっくり。駅前の駐車場に車をいれて、ここからは電車。というわけで、朝食のガックリ感を払拭するつもりで、ちょっと早めだったけど、久しぶりにかぎもと屋の本店。蕎麦を待つ間に、熱燗を一本いただき、休暇のスタート。
軽井沢に移動して、少しだけアウトレットを一回りし、信越と上越の新幹線、在来線を乗り継いで六日町へ。大学生時代に、冬の生活拠点だった石打丸山や、越後湯沢から六日町までの沿線の景色は、とても懐かしいものがある。
六日町からは送迎の車で、今日の目的地である龍言へ。ここは、旧家を移築した広大な旅館で、竜王戦などの会場としても使われている温泉宿。まずは、館内にある半露天の風呂でお湯をいただき、新緑や水芭蕉、カタクリなんどが咲き誇る庭園を少し歩いて腹ごなし。
夕食は、滋味溢れる山菜や新潟ならではの鮭などで、久しぶりにかじか酒などをいただいた。そのあとマッサージで、リンパの流れを整えて、GWらしい日々がスタート。
朝風呂と朝食をしっかり楽しんで、ゆったりと過ごしてから昨日と逆ルートで六日町から中軽井沢まで移動。中軽井沢で車をピックアップして、今日の宿泊地の北軽井沢へ。
40年のお付き合いになる、石打丸山のスキーロッヂのオーナーが経営する北軽井沢の貸別荘村へ。ちょっと早く着きすぎたので、近くにある浅間牧場を一回り。 戦後初期の日本映画のポスターなどかあって、なんでかなと思ったら浅間牧場がカルメン故郷に帰るという映画のロケ地らしい。この映画は、日本初のフルカラーということだ。
夕方前に貸別荘へ到着。ご主人は仕事で今日は不在だけど、奥様と長男と久しぶりにのんびりと話ができた。それにしても、40年は長いなぁ。
朝、宿泊している施設のオーナーも戻ってきて、朝食を取りながら、久しぶりに近況報告。すっかり、病気やら薬やらが話題になるけど、笑って話せるのだから楽しい。
昼前に北軽井沢を出発して、軽井沢の発地にあるアトリエ・ド・フロマージュ でランチ。有名なチーズのお店なんだが、今日の発見はクリーム系のペンネに軽くローストした胡桃が和えてあるのが新鮮だった。
ペンネと春キャベツがベースなんだが、胡桃がはいることで、食感に楽しみが出るし、ほのかなロースト香もアクセントになる。胡桃は、まだまだしっかりあるので、今度はペンネにいれてみよう。
ここの市場で、野菜の袋詰め放題500円というのをやっていたので、連休でも頑張って働いてるSunnyの子達のために、人参だけを詰め込んだら13本入ったので、普通に売ってる人参よりお得だった。
一旦帰宅した後、届ける書類をもって、Sunnyへ。相方もすでに厩舎でのご飯待ち状態。それでも、まだ夕飼には時間があったので、少し場慣れして来たらしい娘とグランドワーク。まだまだ、わからないことだらけだわ。