今朝、旧知の先輩の訃報が届いた。昨年、癌が見つかっていろいろと厳しい見通しであることを、本人から直接お伺いしていた。彼とは、サーマルヘッドプリンターの開発案件で仕事をしたのが最初で、ミサイルのシーカーのテスト装置にサーマルヘッドを使うなんて話も一時あった。もともと、僕がサラリーマンをしていた、大手電機メーカーの子会社にいた時に、顧客であった親会社の紹介だった。ジャーナルプリンターという、ロールの感熱紙に、配信ニュースなどをストリーミング的に印刷をしていく装置のファームを開発して、セントロニクスとかPC98の文字コードとかと格闘していた。
その当時は、僕はもうアマチュア無線は、すっかり興味を失って、まったくやっていなかったのだが、彼の会社はアマチュア無線のパケット通信で使うTNC(Terminal Node Controller)とい装置を製造、販売していた。僕は、広帯域受信機とかトランシーバーのファームウェアなんかを受託仕事で開発していたこともあり、PC98のRS232Cに直接Bel202のモデムの石を接続する方式の製品開発を頼まれた。 この時に僕が行ったのはハード設計と、HDLCのフレームの再生までの下のレイヤーで、上位のAX.25というプロトコルは触れなかった。それでも、この下のレイヤで、ちょっと姑息な方法で、割り込みをさせたり、サンプリングをさせたりなんていう工夫は、我ながら良いアイデアを盛り込んだという自負はあった。結果的に、こういうレイヤーをきちんと分離した設計や仕事の仕方は、その後のTCP/IPへの移行をスムーズにしてくれた。
とはいえ、僕がアマチュア無線をやっていた時代には、パケット交換なんていうのは無かったから、アマチュアの人はこれで何をしてるんだろうと思って、完成品を借りてRBBSというのに、この時はじめて接続してみた。たしか、CQ誌のパケット通信のコラムは、昔ぼくがコンテストとかやっていた時代に有名だったDXerだったので、パケット通信というのは、なにやら新しいリニアでも使うのかと思ったくらいだ。
たまたま、当時の会社が東京電機大学の近くで、ここにあるRBBSというのを見たりしたのだけど、当時パソコン通信をアナログ電話とモデムで使っていた僕は、その300bpsがとてつもなく遅く感じて、なんでこんなの楽しいの?と疑問に思ってしまった。そこで、せっかくなら、高速のディジタル通信をすれば良いのにと思ったのが、スペクトラム拡散に取り組むきっかけだった。
そんなわけで、1988年くらいに彼と知り合ってから、なんだかんだ30年にわたり、本当に長いお付き合いをしてきた先輩だった。
ちょうど、先週に具合が悪いという連絡があって、共通の大先輩とお見舞いに伺う予定を調整していたのに、残念な知らせが届いてしまった。明るくて、エネルギッシュで、いつもポジティブだったので、あまり湿っぽいことは書きたくないけど、まだまだ一緒になにか出来たのになと思う。 合掌