今朝は、先週の世界経済フォーラムのGTGSを受けて、その参加者らとの会議からスタート。いろいろと、経済成長的な視点での議論をしてきたのだが、これからはもう少し具体的に入り込むことを期待している。
それにしても、さも物知り顔な人たちが、出来ない理由を百も二百もならべて、まずは出来ることからという思想で、逃げのための政策とかを打ち出す、日本の官僚の無謬主義は、なんとかならんのだろうか。
しかも、あげくのはてに、まともな設計も熟慮も感じられない、判りやすぎる=簡単な命題を選んで、そこに巨額な予算をつけて、安全のために複数企業による共同受注をさせ、結果として集団無責任な大失敗という死屍累々があるのは悲しい。
本田宗一郎さんの”やってみなはれ"というのは、有名だけど、ここで大事なのは単なる絵空事、大口を叩くことではなくて、すくなくもと基本的なコンセプトや設計指針が熟慮の結果として存在して、その上で"やってみなはれ”だ。こう言う時の基本コンセプトや設計指針は、シンプルではあっても、疑義を挟む余地がない強さがある。まさに、そこには、"明証的に真理であると認めるものでなければ、いかなる事柄でもこれを真なりとして認めない”強さがあるだろう。
だから、ここに疑義を挟む側が、いきなり粒度の違う疑義を挟むのは、もう本質をみていない輩なわけだ。データ流通とか取引市場の意義や最低限の機能要求やコンセプトの話しをしているのに、ブロックチェーンでとか電子署名でみたいな要素部品の名前を使う質問をするのはこの典型だ。こういう似非技術屋に限って、設計もないのにアジャイルでとかいって、いきなりコード書いて腐るのも多い。
思うに、ディスクリートから設計することの機会が減って、開発のターンアラウンドが短くなって、いきなりビルディングブロックスを並べ始めることが出来る環境が、設計者から頭を使う機会を奪ったのかしら。
電車の都合で、夕方は四谷駅のノマドボックスでテレカンしてから、山梨に戻った。