朝の新幹線で越後湯沢から東京に戻る。 週末ということもあり、新幹線の指定席は満席という状況だ。 越後湯沢の次は東京というもっとも旅行時間が早いMAXで戻ったのだが、東京駅の自動改札は長蛇の列となっていた。 東京駅で降りたついでに、日本橋の靴屋に寄ってみる。 ここの店舗は製靴会社の直営ということで、サイズも豊富に在庫を揃えてるいるようで、とりあえず靴の手配については一安心できそうだ。
家に一旦もどり、配偶者と次男と合流して、山梨のNPOの施設に移動する。 途中、中央高速の笹子トンネルで火災事故があり渋滞にはまるが、電気製品を買ったり、駅で切符を買ったりしながらも、夕飯の支度に間に合う時間に到着する。 この施設には、今日はじめて泊まるのだが、全てが新しいので、電気製品や風呂、キッチンの使い方までいろいろと覚えることが多いが、それもまた楽しいものだ。 こちらで既に生活をはじめた長男も合流し、久し振りに家族全員で家で食事をする。 それにしても、ここは夜になるととても静かなのに驚く。 これといったものもなく、軽くワインを飲んで就寝することにする。 ここはエアーエッジが使えることが判ったので、早速エアーエッジでUpdateする。
朝から山梨の施設がある集落の堰さらいに参加する。 これは、農業用水路を清掃する共同作業で、おなじ水路を利用する近隣の複数の村落が同じ日に各々の分担地域の水路を清掃し、大きな石や土砂、枯葉などの堆積物を取りさらう。 農業用水路は、水利管理組合が管理運営をしていて、これを利用する農家や一部企業のなどから年間利用料を徴収している。 また、防火水も兼用していることもあり、農家以外も費用負担をしている。 長男と一緒に参加し、小一時間ほどで作業は終わり、アンパンと牛乳をもらう。 こういうことに、障害者も社会参加をすることで、その理解と共生の道が広まることが期待できる。
早朝の新幹線で京都にいく。 この4月から京都に新しく研究部門をおき、研究員を雇用した。 R&Dを研究開発として一くくりに言ってしまうことが多いが、実際に研究と開発では、求められる成果や内容が異なると考えている。 長期的なテーマに対する基礎要素研究などは、現代においては相当なコストと時間がかかり、これを民間企業で行うにはかなり体力が必要となる。 一方で、製造メーカーとしては、常に新製品を市場に提供し続けることが重要だが、この時に新しい研究成果技術を他に先駆けて取り組むことは、市場形成をしなくてはならないからリスクも伴う。 それでも、一定の比率でカッティングエッジな製品を持つことは必要だ。 そこで、民間企業としては、比較的短期的な応用技術研究に対して、ある程度の先行投資を行うことが望ましい。 日々の新製品の開発というのは、製造、生産を行い販売をするためには、ある程度実績のある技術による開発となる。 自動車でいうとマイナーチェンジやラインアップの拡張などの製品開発は、毎年、あるいは毎四半期くらいの頻度で発生する。 一方、新型エンジンや新らしい機構システムなどの研究成果の展開をするフルモデルチェンジは、数年に一度となる。 そこで、R(研究)とD(開発)のパイプラインをつくり、それを複数並行して持つことが出来ると、常に一定の比率で、新市場の創造と製品のリリースを持続的に行うことができる。 たとえば、R(研究)の期間を3年し、3つのテーマを1年づつずれて行なっているとすると、毎年一つの成果展開が期待できる。 実際には10割の研究がそのまま成果展開可能となるわけはないので、その展開率を5割とすると、6つのテーマについて、常に同時に研究が行われていることが必要となる。 さらには、安全をみるならば、研究期間のズレなどもあるので、6つのテーマを並行して進められる研究機関の規模がある場合、2年から3年に一つかくらいはなんらかの新しい成果展開が期待でき、製品開発へと引き渡すことが可能となる。 というわけで、なんとかこのR(研究)フェーズについて、6つのテーマをと並行して行えるぐらいの研究体制を整えたいと思っている。 従来は、福岡に研究所があり専任研究員が1名だったのだが、今回京都にも研究所を設置し専任研究員を招聘したので、主任研究員が2名となった。 この二箇所では、各々異なるテーマについて研究計画を進める。
研究員の評価につていは、僕の過去数年の研究や公募委託研究などの経験から、1)査読論文 1本/年,2)研究会発表 1本/四半期 3)公募研究費獲得 4)標準化などへの寄与 を基準としている。 特許については、特許のコスト/パフォーマンスを考慮した場合、かならずしも良い指標とは言えないので、あえて掲げていない。 マザースの創設時に上場した某IT系研究型企業にいた知人が、「わが社のR&Dというのは、実は Recruit & Deliveryなんですよ」と冗談を言っていたが、そうならないようにしないとなぁ....
午後からは大阪事業所に移動し、大阪のエンジニアと新製品の企画について協議する。 大阪のチームとは、まだ圧倒的に日々の情報交換量が少なかったのだが、これを機会に業務システムとしてもいくつか改善をしていくことにする。 夜は、このチームと、魚で一献、楽しい夜を過ごす。
昨日と反対に早朝の新幹線で品川にもどる。 品川に8:20には着くので、五反田のオフィスに8:45頃には出社できる。 早朝会議のあと、開発会社のキックオフ、新規プロジェクトの立ち上げ会議など、終日打合せにおわれる。
夕方からは、新入社員の歓迎会に参加、京都で採用した研究員と新規に参加したスタッフ、学生アルバイト君も参加しての焼肉宴会となった。 昔からの付き合いで、東工大の学生さんバイトが継続している。 就職が決まったら、かならず次の世代を紹介してくれと言っていて、幸いに彼で四代目になる。 情報系だったり電気系だったり、その時々で違うのだが、総じてモノ創りに興味があるようだ。 昔と違ってモノが複雑になったために、なかなか個人でモノ創りが手軽に出来ないので、バイト先などでそういうものに触れるのは良い事だろう。 僕は、高校生の頃のバイト先で初めてロジック回路の設計をやらしてもらったが、その時にいろいろと覚えたことは今でもとても役に立っている。 それまでは、もっぱらアナログ回路系のモノを設計したり作ったりしていたのだが、この時は要求としてはじめからロジックありだったので右も左もわからなかった。 幸い芝浦工大にロジックの神様といわれる人が先輩の知人にいて、自宅までいって論理回路の基礎を教えてもらったものだ。 その後、回路設計やソフト開発や、まったく畑の違うサービス産業のバイトなど本当にいろいろなアルバイトをしたが、どれも皆肥やしになっている。
夕方、某通信キャリア系でインターネット放送を手がけているYさんと面談。 インターネットによる放送配信について話しをする。 これは以前にも書いたが、VOD至上主義という人には、なかなかわからないのかも知れないが、かならずしもオンデマンドが垂流しよりも良いサービスというわけではない。 TVやラジオというのは、視聴者側の負担が極端に少ないのが、一つの魅力だ。 選択しなくても流れてくる情報によって製品の存在を知ったり、世の中のトレンドを知ったりすること事態は、とても楽なことだ。 インターネットやディジタル放送であっても、オンデマンド型、垂流し型、サーバー蓄積型の三つのサービス形態があってしかるべきである。 この時、垂流し型は広告収入&視聴者無料というビジネスモデルが一番認知されているので、マスなビジネスとしては圧倒的に強いだろう。 次が、サーバー蓄積型だが、まぁこれはビデオ/DVRの予約録画と変わりない。 オンデマンド型は、視聴者個々に特化したサービスであることから、視聴料を支払うP/V型が主だろうが、この時の価格形成は、コンテンツの価格が圧倒的で、配信者のコストは少ないのだから、とうぜん利益率の点でも配信者(通信事業者)の取り分は少ない。 ようするに、人の褌で相撲をとるモデルというのは、なかなか厳しいのだ。 垂流し型の場合には、配信者がコンテンツとは別に広告をサイトに掲載し、集客をするので、それ自体は人の褌ではなく、互いの裁量での利益シェア型モデルになるのだろう。
夜は、築地の居酒屋で、YさんとYさんを紹介してくれたT嬢と一献、日本酒でつくった梅酒を飲んだが、これが甘くなくて実に美味しかった。 その後、おなじ通信会社のF氏と合流しワインをご馳走になる。(Fさんご馳走さまでした)
電波産業界の高度無線通信研究委員会の第一回委員会に出席した。 これは、従来からある委員会を再編したものだが、話題の2.5GHzの国内標準化などをにらんで、WBS(Wireless Broadband Services)の部会が設置された。 電波に対する関心の強さから、なんと80名を越す委員が参加していたのには驚かされた。 2.5GHzについては、いよいよ技術検討が開始されたが、これがワイヤレスブロードバンド推進研究会の趣旨をどこまで汲み取ってくれるのかは、推移をとにかく見守りたいものだ。 このバンドの取り扱いは、今後50年の電波資源の有効化を進めるか、硬直化を進めるかの大きな岐路だとおもっている。
夜は、慶応のN先生の教授就任祝いのパーティに参加。 N先生は、日本のインターネットをM先生と一緒に作ってきた方で、IPv6の推進もふくめて、誰もが認めるインターネットの功労者だ。 会場には、産学官ありとあらゆる分野から実に多くの方があつまった。 祝辞のなかで、いまこの会場に事故がおこったら、日本のインターネットは壊滅するのではないかと冗談まじりに話しがでたが、本当にそう思った。 このことは、N先生の人望と活動の広さの賜物であるのだが、同時に日本のインターネット業界の問題を垣間見せるものでもある。 日本のインターネットは、主要な会議などで活躍している人たちが昔から変わらないし、皆1Hopで到達する距離にある。 これだけインターネットが社会基盤として欠かせないものとなったのだから、その持続性を真剣に考えていく時期にさしかかっているのではないだろうか。 そんなことを考えていたら、昔インーターネットマガジンついていたインターネットのネットワーク構成図みたいな、インターネット業界の人的相関図がほしくなった。
N先生は、昔IPv6の会議で、PPPoEについての質問が出た時に、「いまはインターネットの話しをしてるので、それはまた後で」とばっさり切り捨てたことがあったのだが、あれは実に痛快だったのを記憶している。 この会の賛同者全員から、N先生に記念品として木製のフルート(とても貴重なもの)が贈呈され、早速その音色を披露してくれたのだが、技術から芸術までの幅広い造詣には実に感心させられた。 (僕は、まったく♪も読めません....)
朝、山梨に移動する。 途中、甲府の倉庫により、保管してある自転車などを運び出して、昼食後に到着する。 TVのアンテナを正規の引き込み口に接続するように変更した。 これで、窓の隙間から同軸をいれなくてもTVが映る。
村でずっとお世話になっているMさんが畑の一部を貸してくれるということで、早速一緒に畑にいき、ジャガイモ、ネギ、ほうれん草、うぐいす豆などを植えつける。 元々ここの村で、2反ほど以前から借りている畑があるのだが、そちらには柿とブルーベリーが植えてあり、柿は去年辺りから実がつきはじめて、今年はそれなりに成ると期待している。 これからは、草との戦いの日々が始まる。
木曜日に東京から送った食器が、宅急便で届いたので、夕方に開梱し中を確かめる。 皿1枚とどんぶり三個が割れていたが、他は特に問題がないようで一安心。 とりあえず、各10客をグループホームように使うので、包装を解いた。
午前中は、甲府市内の貸し倉庫に一時保管してある刈払機やカマなどを取りに行った。 以前は、知人の施設を拠点としていたので、鎌や鍬などの農具はそこにあるものを借りていたのだが、今度は個別に用意する必要があるため、すこしずつ近くのホームセンターなどで揃えつつある。 しかし、鍬なんていうのは本当に家庭菜園用とうたった廉価なものから、名工の作品までピンキリで、どれを選んでよいのか皆目見当がつかない。 適当に、価格的に中間くらいのを選んだり、見た目でなんとなく選ぶしかないが、最初はそれでもいいかなと..妥協する。 施設にもどると、ちょうど村の人が来ていて、獣よけの電柵を家の周りをどう整備するかなどを打合せした。 これは、獣よけの高圧線で、集落で電柵委員会をつくって共同整備している。 今回、うちの施設の建設に一時的にはずした部分を回復するのとともに、入り口の道路の部分をアーチ場に持ち上げる必要があるので、その方法などを協議した。 春が過ぎると山からイノシシなどがでてくるので、今月中には整備して、通電を開始する予定だそうだ。
午前中に旧知の方の紹介で、あるベンチャー企業の社長さんがお見えになった。 この会社は、データー構造と処理を綺麗に分離するというアルゴリズムを徹底することで、システムレベルからチップレベルのあらゆるレイヤーでの資源の効率化をはかるということに取り組んでいる。 結果として消費電力が小さい端末が作られるなどが期待できる。 要件は、公募研究に応募したいのだがコメントをもらえないかということだったので、一通り聞いた後で、素直に意見をさせていただいた。
午後、自社の今年度の公募研究の研究テーマと計画について、東工大のO先生と打合せを行う。 ちょうど、サンノゼの開発センターから開発者が来ているので、ミーティングに参加してもらう。 技術者や研究者というのは、ある程度のレベルにあると、初対面でもすぐに課題認識などが同期するものだ。
それにしても、公募研究などでは、成果展開、事業性などの説明が求められるのたが、中には10年間の予測を要求するスキームもある。 いまの技術革新の早い時代に、10年後の事業性を予測することがいかに困難かということを、こういう公募スキームを作る人は理解していないのかもしれない。
長男の卒業した高校の保護者で組織される親の会の総会に出席するため、朝から秩父に移動する。 早朝に会議があったので、秩父駅の近くの駐車場で車の中から携帯でインターネット接続し、SKYPEでミーティングに参加する。 PHSはあまり接続状況がよくないので、FOMAに切り替えたがそれでも、セッションが切れる。 どうやら、近隣のWi-Fiに接続してしまうようで、その時にセッションが切れるようだ。 最近は、とにかくWi-Fiがどこにでもいるので、こういうことはよく起こる。 一般に無線LANのセキュリティについては、不正アクセスや盗聴に対する言及が多いが、ここまで普及してくると恐ろしいのは偽基地局によるフィッシングだろう。 かつて、夜間金庫の隣に偽の夜間金庫を設置して、まんまと夜間に預け入れされた現金が盗まれたという事件があったが、あれと同じことは簡単にできてしまう。 つまり、悪者が正規のホットスポットサービス(一般名)のAPと同じSSIDとWEPキーを設定したAPを用意した場合、利用者にはそのAPが正規のものかどうか判らない。 そこで、正規と同じ認証画面などを用意しておけば、利用者は、正しいアカウントとパスワードを入力してくるので、それを盗むことが簡単にできてしまう。 さらには、これを他の回線(例えば正規のAP経由でもいいし、携帯でもいい)で、インターネットに接続してあげれば利用者には何も気付かれずに、全ての通信を中継およびタッピングできてしまう。 この問題は、もうかれこれ6年くらい前から指摘しているが、大手の事業者などは、まったく対処していない。 こういうのは、どこかで事件がおきない限り改善されないのかもしれない。
我が家では家族のPCは、Wi−Fiで家庭内LANに接続させているのだが、最近近所の家がYxxxに加入したらしく、そこのWi−Fiがそこそこの信号強度で届いている。このAPは、事業者の初期設定がWEP無しのAnyのため、優先度の設定をきちんとしておかないと、そちらに我が家のPCが接続してしまう。 この時、なんら操作上に差がないので、配偶者や子供などはまったく知らない間にご近所さんの回線経由でインターネットを利用してしまう可能性がある。 最初に、僕が気付いて優先設定をしたのだが、もしかしたら気付かないうちに接続していた実績があるかもしれない...
今年度からの研究にて、沖縄の大手企業、地域との共同プロジェクトを行う予定で、その打合せのために朝から那覇にいく。 到着後、那覇市内で打合せをし、午後から慶良間諸島の座間味島に船で移動する。 慶良間諸島には、2001年に阿嘉島と慶良間島を無線で接続したいという要請を受けて現地調査に来たことがある。 初等中等教育における次世代インターネット環境活用モデルの構築というプロジェクトで、東京と沖縄の小学校をインターネットで接続するものだった。 その時は、那覇から日帰りだったのだが、今回は座間味村で一泊する。 到着後村役場に挨拶をし、夕方から村の商工会、青年部の方々とブレストをし、研究テーマがもたらす成果展開などについて議論する。 ここは、座間味島、阿嘉島あわせて約1000人くらいの人口だそうで、世界有数のダイビングスポットがある。 サンゴの鬼ヒトデによる破壊問題は、相当深刻なそうで、その対策費用の負担も大きいとのことで美ら島募金なんていう活動もしている。 ミーティングに参加していた琉球サンゴくんことIさんは、こういう海洋資源の保全について研究している大学院生で、海ずかんというすばらしいサイトもある。
この島は、もともと5年前に海底ケーブルで沖縄本島と接続されていたのだが、今年の2月からADSLのサービスが始まったそうで、宿などには無線LANが使えるところも多くなっているそうだ。
今朝は、那覇にある事業所に行き、東京の会議にTV会議システムで参加する。 その後、那覇事業所に勤務するSEと日頃の業務内容などについて、インタビューをする。 当社の場合、SEというのはシステムエンジニアなのだが、拠点で営業とともに客先提案などを中心に行っている業務は、むしろセールスエンジニアというほうが正しいのかもしれない。 営業が技術知識を身につけるのと、技術者が営業センスを身につけるのは、どちらが良いかというのは、なかなか難しい命題だが、どちらもコミュニケーション能力が鍵であることには変わらない。 できれば、良い技術者と良い営業がコンビを組んでくれるといいのだが、両方が揃うことはあまりない。 地方の拠点などは、地域密着、地元出身者によってチームとしてまとまっているので、うまくかみ合ってるようにも見える。 機会がある毎に各拠点に顔をだすように心がけているが、なかなか全部にまわれていない事が歯がゆい。
午後は東京に戻り、主任を勤めさせていただいている次世代無線IP通信システムSIGの会合を行う。 このSIGは、ARIB(電波産業会)のMMAC(マルチメディア移動アクセスフォーラム)内に一昨年設立されたのだが、そのテーマが広義でありすぎるため、なかなか活動としてのミッションを明確しづらくなってしまった。 そこで、今日はほとんど1年ぶりに会合を行い、今後の方針などについて会員の意見を伺うことにした。 1年近くの休止状態と急な開催にあったにも関わらず、多くの委員が参加してくださったのは、やはりどこかに次世代無線とIPというものに対する興味が根強い証拠かもしれない。
会合の中で、日本のメーカーの弱体化という懸念が数名の会員から示された。 確かに、ここ十年の無線技術の多くは、イスラエルやアメリカで創造されたもので、日本のメーカーからの独創的なものはない。 また、日本の多くの委員会や審議会は、外国で成功したものを、いかに日本に持ち込むかというような作業に追われていて、新規的、独創的なものを世界に提案し、標準化などに取り組む元気さがない。 かつてのWCDMAなどは、日本からの提案であったが、残念かな世界に普及させるという点では、GSMなどと随分と差がついてしまった。 これを、独自技術にこだわったからいけないと批判する人もいるが、独自性にこだわらずに、迎合することが良いとは思わない。 せっかく二大勢力となりうるくらいの良いものであったのに、それを世界市場に普及させるという点の努力が足らなかったことが問題なはずだ。 つまり、グローバル市場をターゲットにすることと、グローバル市場を後追いすることは違うのだが、結果論的な評論をする人には、この差がわからないことがあるのかも知れない。
朝から、村の共同作業である春の道作りに長男と参加する。 これは、村内の農道などの側溝に溜まった泥や落ち葉をさらって、整備する作業だ。 村内の主要道路を、各班に分かれて約2時間くらいの作業を行う。 作業終了後は、公民館に集合し、山の神様にお供えしたお神酒で乾杯したあと、軽く懇親会が行われる。 村の方が煮た竹の子がとても柔らかくて、美味だった。
午後からは、発注してあった組み立て式ガーデンジャクジーを猿橋までとりにでかける。 当初、月末に納入してもらう予定だったのだが、工事の関係から早めに設置したいという棟梁のリクエストもあり、業者のKさんにメイルで連絡したら、早速に用意してくれたので、引き取りに行く。 三時過ぎに須玉にもどり、棟梁も駆けつけてくれたので、早速組み立ててみる。 組み立ては簡単で、一時間ちょっとで完成する。 まだ、水道や電気の配管をしていないので、とりあえず初入浴はお預け... 設置したウッドデッキからは、八ヶ岳と南アルプスが一望できる。
早朝会議から始まり、終日打合せ漬けだった。 午後は、若手のSE数人と面談となった。 皆、はっきりと自らの職務や希望を自分の言葉で話してくれるので、とても頼もしく感じる。 一昔前によくあった..「はぁ..別に」、「とりあえずxxです。」なんていう言葉を使う人がいなかったのは、とても嬉しい。 ただ、もうすこし新しいものにチャレンジしたいとかいう積極性みたいなものがあってもいいのになぁ? と感じる面もある。
エンジニアというのは、やったことの無い仕事にチャレンジすることで、自分の世界が広がるのに、新しいことに対してやった事がないからと尻込みしてしまうのは、とても残念に思う。 とにかく、いろいろな事を経験してもらいたいし、いろいろな立場になってほしい。 そうすれば、物事に対して視点だけでなく視座も変えて多角的に観察、解析する洞察力が身につき、結果としてよい提案ができるようになると思うのだ。
研究計画の資料をまとめたいので、今日は早めに帰宅し就寝し、明日早起きすることにする。
早朝から、公募研究の申請書書きを行った後、オフィスにいき終日、面談に追われる。 夕方、某独立行政法人の方に紹介してもらったソフトウェアハウスの営業の方が挨拶にこられた。 この会社は数千人のソフトエンジニアをプロパーで雇用し、客先での開発支援や受託でのシステム開発を行っているのだが、圧巻は電話帳のような厚さの事例集と提案集だ。 これには、金融から民生家電に至るまでありとあらゆる分野での開発事例や提案事例が一点一様のポンチ絵と解説にまとめられている。 しかも、英語と日本語の解説が併記されている。 この資料をみるだけでも、相当に勉強になるのではないかという気がする。
夜からは、再び公募研究の申請書書きをおこない、深夜にようやくひと段落し帰宅となった。
新規のプロジェクトのために、午後から上海に移動する。 上海に行くのは実に5年ぶりだ。 成田−上海線は、以前はあまり混んでいなかったのだが、ほぼ満席という盛況ぶりで、観光客も多い。 数年前まで、中国に入るにはビザが必要で、しかもそのビザが高かった。 マルチエントリーといって、有効期間中何度でも出入国できるものが、日本で取得すると3万円以上していたし、その有効期間も途中から6ヶ月、3ヶ月と短くなった。 その後、上海などでは、76時間くらいの短期滞在する日本人に対してビザなし入国が認められ、ついには全土で短期(3ヶ月or6ヶ月どっちかだと思う)滞在は、ビザ不要となったので、いまはパスポートだけもってくればいい。
上海の浦東空港で、現地のパートナーと合流して、市内に移動するが、高速道路の渋滞は日本と同じで、1時間半近くかかって、ようやくホテルにチェックインとなった。 その後現地のパートナーと顧客と一緒にディナーにでかける。 フランス租界のビラを改造したレストランで、蒋介石の情報特務機関が使っていたビラだそうだ。 ベトナムなどてもそうだが、フランスの統治したエリアの建物は、皆丈夫で長持ちというようで、改造してレストランなどに再利用されていることが多い。 上海料理は、とてもヘルシーで、味がさっぱりしている。 上海の顧客と紹興酒に付き合い、その後新天地というエリアのオープンカフェKABBでもう一杯となった。 この新天地というのは、最近できたスポットで、顧客のほとんどは外国人だ。 ちょうど香港のランカイフォンや北京の三里屯と同じだが、北京よりはかなり洗練されている感じがする。 この街の一角で、第一回全人代が開催されたそうで、その場所も観光スポットになっている。 こういう、古い街を再利用するというのは、日本でも最近多いのだが、東南アジアの場合には、開発と同時に行われている。 日本の場合には、高度経済成長期に急激に開発がされ、その当時には景観を残すという意識が弱かったため、今になってそういう取り組みをしているが、失ってしまったものが大きいのかもしれない。 これから開発される地域では、開発と景観保護が同時に進むのだろう。
プロジェクトの打合せのためビジネスパートナーとともに、エンドユーザーを交えた打合せわ行う。 中国やベトナムでは、ビジネスミーティングに参加する上級職の人には、必ず女性がいる。 女性が重責に就いてる比率は、日本と比較すると圧倒的な差があるのではないだろうか。 欧米と比較しても、いままでの経験からすると、中国の方が高い比率となっていると思う。 そもそも、男女雇用機会均等法などで後押しをしないとならないくらい、男女格差がある日本に対して、共産主義、社会主義時代に徹底してそのような差をなくした国とでは、実態が圧倒的に違うのだろう。 いづれの場合も、仕事の話しをしている限りにおいて、性差による違和感を感じることはまったくない。 (もっとも、キャラ的におばさんキャラとよく言われるタイプだからかもしれないけど...)
昨日の夜、今日の昼に続けて、今夜も上海料理になった。 現地のパートナーと、和食にするか広東にするかと悩んでいたのだが、結局上海料理にしようということになった。 上海小南国の黄河路美食街店にでかける。 ここのレストランのオーナーは、1980年代に日本に出稼ぎにいって得た資金で、この黄河路の外れに店を出したのがスタートだそうで、いまや上海に20店舗近く店を出していて、さらに香港にも出店している。 中には日式(日本風)温泉なんていうのもやってるようだ。 黄河路美食街店は、小さな店構えで、決して高価ではないが、満席だった。 糸瓜の炒め物など味はしかりしているのに、あまりしつこくない。 蛇のから揚げなどもなかなか美味だった。
週末なので遅めに起きて、現地のパートナーのSさんと上海市内の散策にでかける。 まずは、旧市街の豫園に行き、定番の南翔饅頭店で小籠包を食べる。 ここは、あまりにも有名で、いつも長蛇の列だ。 以前にも何回か来た事があるが、一階の持ち帰りのカウンタや二階の池が見えるテーブル席くらいは長蛇の列でも、3階の部屋は並ばなくて入れたものだが、さすがに土曜日の昼前というせいか全てのフロアーに人の列が出来ていた。 以前にあった3階のさらに上というか奥にもうひとつ新しい部屋が出来ていたが、そこも人が並んでいる。(この店は、上の階にいくほど、価格が高くなり、具の材料や皮の質も変えているそうだ。) とりあえず、30分ほどで席につけて、蟹肉入りの小籠包とビールで一献。 台湾の鼎泰豊が東京では人気店になっているようだし、この店も六本木ヒルズに出店して、そちらも大盛況らしいが、いづれも東京の店には行ったことが無い。 鼎泰豊といえば、一昨日の夜にいった新天地に出店していたので、上海でも東京でもこの二つの有名店が競っているのも面白いものだ。 南翔小籠包というのは、上海からちょっと北に行ったところの南翔地区が発祥なわけで、以前に上海人の知人と南翔にある古猗園という庭園に出かけたことがあるが、そこの庭園の入り口にある茶楼で食べた小籠包もとても美味しかった。 一つの蒸篭に20個入っていたが、それをあっさりと食べてしまった記憶がある。
豫園は、以前に何回か来ているので庭園には入らず、周辺を散策する。 5年前に比べて、上海老街として、古い町並みを残しながら、道路などは格段に綺麗に整備されていたが、一歩裏道にはいると昔のままの家が並んでいて、この辺りに昔から住んでいる年寄りなどが、地方から出稼ぎに来て豫園で働いている人たちの子供を預かっているそうで、小さな子供が路地裏で遊んでいる姿は、映画などでみた昔の上海の風景だ。
次に車で外灘に移動して、浦東を見てびっくりした。 5年ぶりに見る浦東は、本当に高層ビルだらけだ。 かつては、TVタワーがぽつんとあったのに、いまや高層マンションだらけで、まぁよく短期間にこんなに建てたものだと関心する。 外灘にならぶ租界時代の重厚な建物郡の多くは銀行なのだが、これらもいまは建物はそのままにして、高級ブティックなどの店舗をテナントにした商城として再活用されているようだ。 浦東側の超近代建築と外灘側の歴史的建築物の対比が面白い。 東京も皇居の周辺あたりを外灘みたいに出来るんじゃないかとふと思った。
フェリーで黄河を浦東側に渡り、歩いてハイアットホテルに行き、85階にあるラウンジで休憩する。 (最近良く船にのるなぁ...) 観光客のほとんどは、TV塔やこのホテルの最上階88階に入場料を払って行くようだが、それだったら、ここのラウンジでワインでも飲みながら、ゆっくりと外灘を眺めるほうがいいというSさんの選択は、まったくもってそのとおりだ。 ここからは、眼下にTV塔の展望台が見えるのだ。 夜はライトアップされた外灘が見渡せるのだから、それはまさに絶景だろう。 ホテルに戻り、最近(というかここ数年)右肩上がりに増え続ける脂肪を何とかしないといけないので、プールで一泳ぎしてしばし休憩する。
夜は、Sさんと日本料理屋に行く、日本人が経営している小さな店だが、味はまったく東京で食べるのと変わらない。 日本人だけかと思ったら西洋人の客が結構きているのが面白い。 刺身と焼酎などでお腹を満たしてから、小紅楼というレストラン&BARに行く。 ここは、上海にあった最初のレコーディングスタジオの建物だそうで、李 香蘭(山口 淑子)などもここで録音したそうで、写真が飾ってある。 建物はフレンチビラで、2階はフレンチレストランで1階がバーになっている。 歴史的建物を保存するという大義名分の裏で、しっかりとビジネスを立ち上げているわけだが、ここもなかなか盛況だ。 BARの一角では、上海人とフィリピン人のバンドが生演奏をしているのだが、客がリクエストするとその曲を歌ってくれる。 SさんがBoys Ⅱ MenのEnd of The RoadとPhil Collins の Another day in paradise などをリクエストする。 (両方とも懐かしいなぁ...Baby Face って、相当稼いだんだろうなぁ) アジアの各地では、生バンドでフィリピン人の歌手を実に多く見かけるが、彼らはほんとうに歌がうまい。 ワインも空いたので、ホテルに戻り就寝。
朝から、パートナーのSI事務所で打合せを行う。 彼らとは、香港地下鉄にワイヤレスシステムを導入するために、再三一緒に仕事をした。 空港快速の香港と九龍間のトンネルでトライアルを行ったのは2003年頃で、深夜に駅に集合して香港と九龍間のトンネルを何度も歩いて渡ったりした。 その後、ディズニーランドに行くための地下鉄にシステムが正式導入され順調に稼動している。 途中から香港事業所のSEも合流して、技術的な質疑と実機で操作などをレクチャする。
昼は、香港人のR氏と3年振りに昼食を一緒にする。 彼とは、1999年頃に中国のいろいろなところを仕事で回った。(成都、西安、景徳鎮、南京、広東、済南、北京、、上海、黄山、合肥...などなど) CATVサービス向けのSTBメーカーの香港支社に勤務していたのだが、いまは携帯電話などのメーカーに向け測定器などを輸入販売する会社を起したそうだ。 CATVのビジネス動向について、いろいろと教えもらった。 待ち合わせのタイムズスクエァ(時想空間)でちょっと時間があったのでショッピングセンタを覗いたら、JURLIQUEで安売りをしていたので切らしていたエッセンシャルオイルを購入。 昼は、久し振りに洋食をとる。
午後も引き続きSEを交えて打合せをし、夜は深浅在住のY氏と尖沙咀の日本寿司屋で一献。 彼とは学生時代からの知り合いで、もう15年ちかくも香港と深浅に駐在して、電子部品関係の工場を立ち上げたりしている。 彼の工場の情報システムは、日本本社に出入りしているSIが提案して構築を進めており、導入時に相談を受けて幾つかの指摘をしたのだが、案の定一年経ったいまでも、安定稼動には至っていないらしい。
東京の本社との早朝会議に参加するため、朝からホテルの部屋でWi-Fiによるインターネット接続をするが、パケットロスがやたら多くて使い物にならない。 夜などは安定していたのだが、時間帯によりかなり変動する。 廊下まででると良いので、単純に電波強度の問題なのだが、エレベーターホールでPCを広げて参加していると、さすがにちょっと恥ずかしいので、部屋の入り口付近に椅子を持って行きドアの直ぐ後ろで接続していた。 IETFとかIEEEなどの国際会議の場合、ホテルのありとあらゆるところの床に、ラップトップを広げた連中がいるので違和感はないが、さすがに普通の時にそれは出来ない。 会議の後、パートナーのSIさんの事務所に移動して、有線でネット接続しながらミーティングを行うが、ここでは快適。
インターネットの概観がわかるような統計をどのように取ったら良いかというテーマについて、SI会社のS氏の呼びかけで、業界で著名なS教授、E教授と面談がてら会食となった。 両教授とも、もともと民間企業に居た方なので、やはり実践的な技術を捉えた会話になる。 もちろん、学術的に深い洞察も重要だが、新しい技術や文化では俗的な実装というところにたいする知識や、産業界の趣向のようなものに対する感知能力も重要なスキルであり、民間出身の学術研究者というのはこういう点については、純粋培養な研究者より当然ながら高いスキルがあるので、民間人としては話がしやすい。 話題は、本題にとどまるところ無く広がっていき、レストランに他の客が居なくなるまで話し込んでいた。
最近は、インターネット系の研究者などと話していると、脱インターネットというか反インターネットな人達と戦っていたり、議論していたりする話を良く耳にする。 常に物事は、スパイラルに進むので、なんとなくそういう流れになるのはわかる気がする。 ここにきて、インターネットの帯域が足りないとか、ベストエフォートは限界で、QOSのある新しいネットワークが必要だとかいう意見もよく耳にする。 しかし、インターネットというものは、もともと特定の実装網というよりは、既存の網の上にバーチャルに成り立っているものだし、なによりも一種の文化であるので、これを技術論や実装論で批判したりしても何も変わらないだろう。 ルネッサンスみたいなもんだ。 NGNなんていうのが話題になっているが、このNGNがインターネットというブラックホールに結局のところ吸い込まれていくのかどうかは、じっくり観察したいものだ。
昨年行われた総務省のワイヤレスブロードバンド推進研究会の報告を受けて、2.5GHz帯の周波数利用についての委員会と作業班による技術的検討が進んでいる。 この背景には、Wi−Maxを日本で使いたい=使わせたいという事業者、ベンダーのリクエストがある。 電波資源(周波数資源ではない)の割り当てを、特定の技術に強くバインドすることは、あきらからに柔軟性を失うので、技術条件は限りなく限定的な範囲とすべきだと委員会でも指摘してきたが、残念ながらそういう意識の方は少ないようだ。
中山間離島地域などてば、無線によるP−MP通信が有効であるというのは、過去に全国150町村、1万箇所近くに2.4GHzの無線ルーターを導入した経験から言うと、間違いなかった。 しかし、ここまでブロードバンド化が進み、多様化、広帯域需要が増加した現在では、無線だけで何かをする事は決してメリットがない。 既に、総務省では、「全国均衡のあるブロードバンド基盤の整備に関する研究会 中間報告」において、FTTH(PON) 311千円/世帯、FTTH(SS) 304千円/世帯、ADSL 23千円/世帯、FWA 181千円/世帯というコスト比較を出している。
Wi−Maxの家庭用CPEは、300$くらいになると言われているので、本当にそれが実現するのであれば、そこそこに魅力的かもしれないが、結局のところ域内の通信は、長期的にみると光のほうが安くなると思うので、このあたりをハイブリッドでいかに使うかが重要なのだが、ベンダーなどは光より無線が安いというセールストークしか語らずに、本当に利用コストがどうなるかを決して比較、計算しない。
地上波ディジタル放送の導入に絡んで、V・UHF帯の新しい利用方法に関するシステムの提案を総務省がおこない、今日が締め切りだった。 今後は、この低い周波数の利用が相当に注目されるだろう。 しかし、ここでも結局、システム提案の公募、技術検討、割り当てという従来からのデマンド型裁量配分となる予感がする。 電波資源の有効利用、国際競争力の強化などをかっこよく提唱するわりには、利用者の声がという大儀名文により、本当に電波資源の有効利用するためにはどうするか、国際提案できる技術の創出などを考えている人は少ないのかもしれない。 システムの提案をしているのは、ベンダーやキャリアであり、消費者の声はどこにもないのだ。
昨夜の情報通信政策フォーラムの第9回セミナーは、満員の盛況だったそうだ。 残念なことに、ここ数ヶ月、ICPFに参加できていないが、ICPFの場合は、議事録も全て公開しているので、それを楽しみのにしている。 NTT問題への関心は、本当に強いようだ。 今回は、ソフトバンクのユニバーサル回線会社構想が話題だったようだ。 あたかも社会の為、世の中の為的な提案だが、とどのつまり民間企業の立場からの事業戦略で、利用者不在だろう。 以前にも書いたが、本当にユニバーサル回線会社が必要なのは、有線ではなく無線なのに、この構想の他方では電波資源の取り合い競争をしているのが不思議だ。 今回、携帯用の1.7GHzについては、新規事業者向け携帯電話免許を返上という報道がされた。 これは新規参入ではなくなったからと報道されているが、無理して保持していたら事業開始義務があり、それができなければ事業者免許が取り消されるのだから当然だろう。 こういう電波利権、既得権維持がまかり通るのは、電波資源に対する行政と通信事業、放送事業などの事業行政が分離していないからだろう。 夜は、週末なので山梨の家にかえる。 ここは、ユニバーサルサービスがほしい地域なのだ。
山梨の家兼NPO施設の周囲に、集落で設置してある獣よけの電気柵の修復を、村の担当の方々と行う。 これは、高圧のストロボ電気を夜間流し、猪などが畑に侵入するのを防ぐためのものだ。 我が家の建設に伴い、その一部を修復した。 通常、人が通る部分や道路の部分は、ポールで高い位置に架空で配線などする。 また、草木が接触すると漏電して効果が利かなくなるため、電柵の周辺の草刈なども定期的に共同で行って維持管理されている。 今回は、我が家の周辺については、隣接する家屋との境でもあり、獣よけの必要性がないことから被覆線を用いて、通電だけを確保する。 これにより、植木などが接触しても漏電しないわけだ。 また、入り口の道路部分については、ゴム管に通した上で埋設処理を行う。 農村地域では、春から田植えシーズンにむけて、いろいろとこのうよな維持管理の作業が続く。 周囲の水田にも一部水が張られつつ、田植えのシーズンが近づいてることを告げている。