製品開発で関係する法令に関する社内打ち合わせに参加する。 製品を開発し、市場に提供するにあたっては、様々な遵守すべき法令があり、その数は膨大だ。 さらに、世界的に販売をする場合には、販売する国毎に微妙に異なる規格などに適応していくことになる。 法律というのは、生き物でありその内容は適時改定されている。 また、法令そのものは変わらなくても、市場の要求によりその解釈や適応範囲も変化していく。 このため、企業としては、製品開発段階で適法な製品を開発し、生産、販売したとしても、その後に適法ではなくなるものもある。 こういうことは、製品にかかわる法令に限ったことではなく、SOX法や会社法、労働基準法なども同じだ。 個々の法令に対しては、専門的な理解が必要だけれど、法令遵守という大枠での基本的な仕組みつくりや方針は、企業経営の重要な柱として、なんらかの意思決定機関を持つことが必要だろう。 とはいえ、企業規模にかかわらず同じ手法で実装することは非現実的なので、企業規模に応じた対応・導入手法が広く啓蒙されることが望ましいのだけれど、それには法令が社会に馴染むまでの時間が必要で、新しい法令への適応は、どうしても大企業からとなってしまう。
富士通がワンセグ携帯向けの配信システムを開発したというニュースが出た。 これは、電波法による免許を不要としない微弱な電波で、TV放送が行われていないチャンネル(ガードバンド)を使って配信するもので、コグニティブ通信の一種だろう。 今回は、免許不要の範囲で行っているが、こういうガードバンドを利用するのであれば、干渉しない範囲で大電力にしても共存できるわけで、まさにオーバーレイの第一歩だろう。 既存の周波数制度に凝り固まった人たちから、つまらない妨害や反対論が起こらないことを祈りたい。
日韓拠点大学交流事業に参加している韓国の忠南大学のワイヤスレ関係の研究者らが来社し、互いの研究テーマなどに対する意見交換を行った。 今回は、九州大学のO先生のアレンジで、もともとインターネット系のお付き合いなのだが、無線系のL1,2の話をしたいということで紹介された。 コーディングやモデムアルゴリズムなどの話題で議論するのは久しぶりなので、とても楽しかった。 ソフトウェアデザインラヂオやUWBなどの話しは、ここのところしばらくご無沙汰だったのだけれど、やはり興味が尽きない。 個人的には、オーバーレイ、アンダーレイとナローバンドにとても興味があるので、この辺りのネタで共同研究が出来るのではと期待しているが、ますは顔合わせで、今後に期待するところだ。
家族のリクエストで、ベーグルに挑戦してみた。 ベーグルは、成型して二次発酵をしたあと、お湯で軽くゆでるのが独特だ。 成型も手で輪をつくるので、なかなか均一には出来ない。 まぁ、それでもなんとか、それらしく焼けたのだけど、例によって石窯の温度が高いので、外側はかなり固めに仕上がったけれど、なかはベーグルのモッチリ感がまぁまぁでていた。
国産小麦の有名ブランド春ゆたかの小麦粉を家内が購入してくれたので、プレーンな食パンを焼いてみた。 ほのかに甘い香りがして、小麦粉のおいしさが実感できる。 さすがに、価格もそれなりなのだけれど、これほど小麦粉の違いが実感できるとは思わなかった。
自宅では、HPのPhotosmart3310というプリンタを使っているのだけれど、購入してすぐに紙送りが調子わるくなった。 それでも、だましだまし使っていたのだが、さすがに我慢できなくなって、家族がHPに電話をした。 回答は、ローラーにホコリが付着していると思うので、クリーニング用の用紙を送るからクリーニングしてみてくださいとのこと。 クリーニングしてみたら、確かに一瞬よくなったようだったけど、あっという間にまた不調です。 これって、どうみても、設計不良じゃないのか? と疑いたくなる。 しばらく使わない時のヘッドの擦れとかは、EPSONのほうがひどいけれど、紙送りのメカは、どうもHPはいまいちだ。 山梨の家でもHPのオフィス用を使っているのだけれど、あれも紙送りはいまひとつだ。
仕事の関係で、某一部上場企業の開発関係者の方々に、Wi−Maxなどの話しをさせていただいた。 この企業は、昨年経営Topが交代し、いまの社長さんは50歳手前の若手経営者だ。 今日の会議では、自らが参加されて、一番前で話しに耳を傾け、また発言をされていた。 感心したのは、他の参加者と社長との間に、大手企業の経営TOPとお取り巻きというような、微妙な空気がまったくなく、会議室に入ってきた時から、終止他の参加者との馴染んだ自然な空間があったことだ。 ベンチャ企業などでは、服装などもふくめて、経営Topがとてもフランクな感じをもっていることはあるけれど、ある程度の規模になるとそういうカリスマに限って、本人の意思とは別に周辺に独特な距離感が出来てしまう。 一方で、歴史のある大手の場合、歴史が長年にわたり築いてきた重い空間を感じるものだ。 こういう、自然体で経営Topが他の幹部と会議に参加する空気というのは、あまり経験が無くこの会社の成長の一因を垣間見た気がした。
2.5GHを使うBWA(広帯域移動無線アクセスシステム)の技術共用検討作業班の会合に参加。 いわゆるWi−Maxなどの利用条件を協議しているのだが、限られた期間に答申をとりまとめるため、実際にはアドホック会合という個別会合を連日行っていた。 移動体として既に一部答申が出されていたものをベースに、FWA(固定)的に利用するための検討をしており、移動体利用をしたい関係者、固定的利用を行いたい関係者、隣接する周波数を利用している衛星系サービスの事業者らや20人くらいの構成員で作業をしている。 こういう作業は、各構成員が献身的にシミュレーションや資料作りなどを行うとともに、総務省の担当官らが会合の取り仕切り、資料の準備などを行っていて、おそらく彼らはここ数日、ほとんど徹夜状態だってのではないだろうか。 そういう人達の努力の結果、FWA的利用との共用の道が示される答申案がまとまりつつある。 作業に参加している人達は、もちろん直接的な利害関係者(事業者や機器ベンダ)ではあるが、とても利害だけでこういう貢献ができるものではなく、公務の一旦を担うという責務をもって、作業されていることがよくわかる。
それにしても、いささか残念なのは、こういう作業が紙&会合ベースなので、とても非効率なことだ。 国際標準化会合などでは、プロジェクタで提案ドラフトを写しながら、その場で文言を訂正しリアルタイムで作業がされる。 今後、日本の役所もこういう電子的な手法を積極的に取り入れていくことを、ぜひ検討してもらいたいものだ。
社外取締役を務めている新設CATV事業会社で、第一回の番組審査委員会が開催された。 事業地域内の各集落、世代、職業のドメインをカバーできるように人選された委員に就任を委託している。 CATVの事業者は、規模の大小に関わらず自主番組なども一定の比率で提供しなくてはならなため、放送事業として強い公共性が求められる。 実際に、視聴者はコミュニティチャンネルではなく、全国放送の再送信を視聴している比率が圧倒的に高いのだから、再送信専門の事業許可にしてこういうハードルを下げることも可能だろう。 ただ、放送の恐ろしいところは、一方的に恣意的な番組を事業者が提供することが可能で、それを視聴者が容易に判別できない点だ。 そういう意味では、事業のハードルを高くし、それなりの義務を負わせることも、規制緩和と逆行するけれど、必要なのかもしれない。
昨夜は、会社の同僚と取引先の方々と、山梨の家で一献。 冬の間つかっていなかったジャグジーを、今年初めて使った。 ここ数日、寒いので、ちょっと早いかなと思ったのだけれど、入ってしまえば温まるだろうということで、お湯を張ったら、皆さんそれなりに楽しんでくれました。
これからは、ジャグジーも、中庭のバーベキューも、ちょうど良い季節になるので、いろいろと整備しておかないとならない。 ということで、先週に続き石窯の修理の続きをする。 取り合えず側面まで修理して、また一週間間をあけて、天井部分を左官して、さらに一週間乾燥させるのて、石窯パンはしばらくお休み。 また、ひとつ今日歳をとってしまった。orz
設立発起人であり理事を務める、モバイルブロードバンド協会の理事会に参加。 年度予算案などの理事会決議のあと、今後導入される公益法人制度にあわせて公益法人化する場合の課題などをフリーディスカッションした。 この中で、理事会の開催を電子メイルで可能かどうかが話題になった。 会社法などでも機関決議の会議開催に、電話会議などを利用することは認めているものの、メイリングリストのような時間的に離散したものは、想定していないようだ。 では、チャットはどうかというと、この辺りも曖昧のようだ。 会議の開催場所、時間などが明確となっている場合、それに通信を通じて参加することは良しで、メイリングリストのようなものはNGというのも、なんとなくわかるようなわからないようなという感じだ。 決議機関の設置、開催と決議のルールが明確になっていて、その記録がただしく議事録などに残せるのであれば、実装に踏み込まずに、広く適応できる制度となることが望ましいと思う。
次男の中学校の卒業式に参列する。 式では、卒業生により旅立ちの日にが合唱された。 ここ数年、全国の中学校、高校などで、一番歌われているようで、長いこと卒業式=蛍の光、仰げば尊しという固定観念のある世代には、いまひとつピンと来ないかも。 なんとなく、歌詞が明るいのと、合唱だし、比較的アップテンポなので、涙を誘わないのか、子供たちも涙はみられなかった。 卒業式で歌われる歌は、世代世代で、いろいろと変遷してきて、そういう曲を集めたアルバムも出ていたくらいだけど、この曲の場合、追加で歌うというよりは、完全に仰げば尊しを置き換えてしまったようで、スタンダードとしての地位を確立したところに感心してしまう。
山梨の地区の新旧役員による引継ぎ会合があった。 冒頭、公民館にある文庫蔵というのを確認する。 この中には、この集落の会計帳簿などの古い書類が封印、保管されているそうで、以前は長となる人が持ち回りで管理していたそうだ。 たまに、町や市という上層の行政区からの依頼で、調査したりすることもあるそうで、一体どのくらいの時代からのものがあるのか、ちょっと興味がある。 人の歴史は、毎年、確実に蓄積情報量が増えていくし、その管理手法も変遷していくので、持続性のある記録、保管というのはとても重要だけど、とても難しい課題なんだうろ。 過去帳なんていうのも、最近の若い人は知らないんだろうな。
BWAの技術共用検討では、関係者による答申案のドラフティング会合が大詰めを迎えた。 会合では、文言の一字一句に対して、いろいろな立場による認識や期待の違いから、さまざまな意見が出される。 断定的な語句を取るべきなのか、曖昧さによる含みを持たせるのか、実装に踏み込むのか、概念に留めるのか、などなど実に日本語力による調整だ。 こういう影響力/責任のある文章の作成では、その表現、書き振りがとても重要なのだが、日ごろの職場では、文責が軽んじられていることが多い気がする。 僕の経験では、技術力のある技術屋というのは、国語力があり、語彙もあるし、他人との議論でも言葉の定義の共通化をきちんと確認するものだ。 知り合いの某大学のO先生は、メイリングリストでは、口語調で簡潔に単語だけを書いたりするのだけれど、それ以外の文章は、とても正確だし、綺麗だ。 実際に、彼の文章は、ワープロなどの文法チェックにかけても、まず引っかからない。
APPLICのインフラ委員会に出席する、18年度の活動が概ね終了し、ブロードバンド・ゼロ解消に向けた、各自治体のロードマップや導入マニュアル、事例集などが出来上がった。 これらは、今後理事会などの決議承認を得て、インターネットで公開される。 今日の委員会で、ブロードパンドインフラが整備されることにより、インターネットの特質である中抜きなどにより、地域の商店などには厳しいなる面もある(アマゾンでみんなが本を買うようになると地方の書店は存在感を失うみたいな話)が、そこに対してどのように対処したらよいか等の啓蒙も必要ではという指摘があった。 確かに、ブロードバンド推進の議論の中では、社会が良くなる方向の変化だけを啓蒙していて、その結果旧来の社会が受ける影響や、どうブロードバンド時代と付き合うかなどの啓蒙は少ないかもしれない。 本屋さんというのは、消費者よりも本の知識があるわけだし、地方の本屋さんがネットを使いこなして、地域に密着した対面販売や、主治医のようなお抱え書店的な付加価値を提供することも可能だろう。 パーソナルなコンショルジェが居てくれて、旅行や食事、書籍などなんでも適切に探して提案してくれるのなら、自分がPCでWeb検索したりEコマースしたりしないで良いし、電話や対面で抽象的なオーダ(相談)が出来て便利なのにと思うことが多々ある。
同じ村に住んでいるお年寄りが先月他界されたのだが、その四十九日の法事に招かれた。 この地区では、同じ組(集落のなかのさらに小さな単位)の人が葬祭等に参列するのがしきたりとなっているようだ。 今回の場合は、我が家を入れても10軒には満たないが、各戸から1名は参列する。 亡くなられた当人には、ここ数年来行っている味噌つくりを指導してもらったことがあり、多少なりとも直接にお付き合いがあったので、大きな違和感はない。 しかし、実際にこの習慣だと、あまり面識の無い方の催事にも互いが行き来することになる。 もっとも、これから月日がたてば、当人かどうかは別として、各戸との交流は増えていくのだから、まぁ当然かもしれない。 それにしても、未だ名前と顔と家の場所が一致しない人が大半だ....
知り合いの人材紹介会社が、新入社員の研修を、山梨のゲストハウスで行いたいということで、担当する取締役とスタッフが下見に来られた。 この会社は、5年くらい前に創業したハイクラスに特化したヘッドハンティング&人材紹介の企業で、いまは中小企業の事業継続のためのM&Aコンサルなども手がけて、大きな成長をしている。 新卒といえども、何度か研修などもしているそうで、既にそれなりに人材を掌握している様子が、会話のなかから伺える。 結構、ザバイバル系な厳しい研修をやるそうだが、下見に同行してきたスタッフ(一人は新入社員?)らも、それなりに覚悟をしているようだ。(笑) 新卒の新入社員というのは、社会生活のイロハを、初めて勤める会社ですべて習得するわけで、新卒社員の採用というのは、企業の責任がとても大きく、ある意味親代わりな部分がある。 こういうのは、日本の企業の独特な文化だと簡単に言い切ることもできるけれど、単に個々の企業文化というよりは、学生(学校)と企業との付き合い方にも根ざしているところもある。 たとえば、インターンシップのようなものが、もっと普及して、学部時代の夏休みなどに、企業で働くインターンシップなどが、制度的に普及していれば、かなり変わってくるのではと思う。
新卒の研修の計画を立てる人事担当から、製品製造に係る部分について相談を受けた。 結果的には、海外に工場があるため、現地見学などは難しく、ビデオを使用して説明することになった。 電子機器は、携帯電話からPC、ネットワーク機器、シロモノ家電と多々あるが、その構造、製造手法のプリミティブは一緒だ。 物を作るのは、切削、プレス、成型、印刷、溶融、塗装などの製造基礎技術の組み合わせであり、製品により採用される詳細な工法は異なるものの、基礎原理は一緒だ。 また、その構造も、電子機器の場合、ほとんどは、外装、回路基板、機構(メカニズム)という構成だ。 ネットワーク機器の場合、少なくとも1000点を超える要素部品が基板に搭載されているので、例えば月産1万台生産を、20日x8時間の稼動で行うとしたら、一秒あたり17個の部品を組み立てる必要がある。 こんな数字を示すと、製造をまったく知らない人でも、なんとなく手作業ではないことは理解できるだろう。 ところが、じゃ実際にどうやってるのかという事は、現場を見たことの無い人には、想像もつかない。 というわけで、製造メーカに勤める人には、ぜひ物が作られるまでというのを、見て、知って、理解してもらう機会が必要なのだ。
夕方から参加した某省の作業班で、下部の個別の検討Gから提出された検討結果資料に対して、検討G参加の企業から異議を訴える発言があった。 そもそも、検討Gでの合意として資料が提出されたものを、親会の場でその構成員から異議を唱えるは、とても迷惑な話だ。 こういう場合、当該の検討Gに差し戻しするとしても、当該検討Gの審議集約そのものに疑義が残る。 集団での意見集約では、その成果として提出する報告書などの文言について、異議があるものは、具体的に代案の文言を示したりしながら、一言一句きちんと合意をとるべきもので、短期間にこれを行うには、電子的なシステムの助けを請うのが良く、そういうコラボーションワークの仕組みが普及してほしいものだ。
NPOの仕事で、今日は平日なんだけどお休みをいただき山梨にいたので、昼は買い物ついでに小淵沢まで出かける。 小渕沢駅前の井筒屋という鰻屋さんに行ってみた。 昼前にに入店した時には、先客が数組いただけなのだが、次から次へと客が来て、あっという間に満席になってしまった。 平日の昼にこれなのだから、週末や連休、夏休みなどは相当な混雑が予想される。 店は、木造の古民家で、裏庭に向いた縁側部分を仕切って、二人用の席が設けられていてそこに通された。 縁側かよとおもったけど、ちゃんと床暖房になっているのには、ちょっとびっくり。 通常、早くても20分はかかるとパンフレットなどに明記されていて、注文してから暫時待たされる。 待っているあいだ、漂う鰻の香りで、空腹感がそそられていく。 ”かめ塩のうなぎ”は、山椒塩で白焼きにした鰻の丼ぶりで、肝吸いとおひたし、香の物が付く。 鰻はとてもよく蒸されて柔らかく、口の中で溶けるような感じなのだが、山椒塩とレモン汁(好みで)で、脂のしつこさがない。 それにしても、山梨で鰻というのも、いまひとつピンと来ないのだけれど、提携先から直送される鰻と独自の蒸し方に、地元のおいしい水で、人気店になったのだろう。 ここは、Blogなどでたくさん紹介されていて、うなぎめし(ひつまぶし)とかが人気のようだし、基本のうな重もあるしということで、あと数回は来ないとならないな。
長男の卒業した光の村養護学校秩父自然学園高等部の生徒5人と、担任の先生が、月曜日から実習のために山梨の家で合宿をしていて、今日が最終日となった。 子供たちは、毎朝元気にマラソンをしたあと、同じ集落内にある社会福祉法人通所授産施設 友の丘にいき、作業実習をしていた。 彼らの障害は、本当に個々に千差万別なのだけれど、仕事によっては、彼らの能力とマッチするのもあり、健常者よりもはるかに優れた仕事をすることもある。 特に、中・高一貫の全寮教育で、指示理解や生活身辺自立ができているので、布団の上げ下げ、トイレや風呂の清掃などは、普通のお客さんには太刀打ちできないくらい、きちんとしている。
組(近隣数軒の単位)の寄り合いに出席する。 メインの議題は、葬儀のときの手伝いをどうするかということだ。 不幸があったときの最初の打ち合わせ、一日目(通夜)、二日目(葬儀)などの手伝いを、各戸何人だすかなどの取り決めを見直した。 基本的には、これらの習慣は、土葬時代の流れを汲んでいて、当時は墓堀や入棺などの男手が必要なことから、弔問客の接待、食事の世話までを、集落の組で取り仕切っていたわけだ。 近年は、火葬になったことや、自宅で葬儀をするのではなく、セレモニーホールなどで執り行うため、その関わり方も変わってきた。 都会では、そもそも信仰も違えば、お寺も違うので、隣家といえども、ほんとうに手伝うことは限られるけれど、この辺りでは、同じ集落であれば、信仰も同じだし、お寺も一緒なので、隣家の人々がそろってお題目(読経)を唱えにいくなどの習慣もある。 現代の多様化を考え、今回は初日の打ち合わせには二人(原則夫婦)で参加、あとは各戸一人(男女問わず)が手伝いに出るということだけを決め、詳細は都度決めるということになった。 引き続き、お椀講というものの打ち合わせになったのだが、これは、いわゆる無尽の一種で、組の人間が基金を出してお椀などの食器を共同購入し、利用したい人が使うときに利用料を払うという仕組みだ。 これも、昔のように自宅で葬儀などをする場合には、大量の食器類が必要となることから、その対策としてはじまったようだ。 こういう、草の根共同基金は、相互銀行や信用組合の元となっているようだし、ノーベル平和賞をとったバングラディッシュのグラミン基金のようなマイクロクレジットも同様なものだろう。 近年はもっぱら旅行にいくなどの目的で集まるお楽しみ無尽といって、ただ集まって一献というのが多いそうだが、村の先輩曰く"無尽に行ってくる"というと、家族などにも咎められる事が無くて便利なんだそうだ。(笑)