組(近隣数軒の単位)の寄り合いに出席する。 メインの議題は、葬儀のときの手伝いをどうするかということだ。 不幸があったときの最初の打ち合わせ、一日目(通夜)、二日目(葬儀)などの手伝いを、各戸何人だすかなどの取り決めを見直した。 基本的には、これらの習慣は、土葬時代の流れを汲んでいて、当時は墓堀や入棺などの男手が必要なことから、弔問客の接待、食事の世話までを、集落の組で取り仕切っていたわけだ。 近年は、火葬になったことや、自宅で葬儀をするのではなく、セレモニーホールなどで執り行うため、その関わり方も変わってきた。 都会では、そもそも信仰も違えば、お寺も違うので、隣家といえども、ほんとうに手伝うことは限られるけれど、この辺りでは、同じ集落であれば、信仰も同じだし、お寺も一緒なので、隣家の人々がそろってお題目(読経)を唱えにいくなどの習慣もある。 現代の多様化を考え、今回は初日の打ち合わせには二人(原則夫婦)で参加、あとは各戸一人(男女問わず)が手伝いに出るということだけを決め、詳細は都度決めるということになった。 引き続き、お椀講というものの打ち合わせになったのだが、これは、いわゆる無尽の一種で、組の人間が基金を出してお椀などの食器を共同購入し、利用したい人が使うときに利用料を払うという仕組みだ。 これも、昔のように自宅で葬儀などをする場合には、大量の食器類が必要となることから、その対策としてはじまったようだ。 こういう、草の根共同基金は、相互銀行や信用組合の元となっているようだし、ノーベル平和賞をとったバングラディッシュのグラミン基金のようなマイクロクレジットも同様なものだろう。 近年はもっぱら旅行にいくなどの目的で集まるお楽しみ無尽といって、ただ集まって一献というのが多いそうだが、村の先輩曰く"無尽に行ってくる"というと、家族などにも咎められる事が無くて便利なんだそうだ。(笑)