BWAの技術共用検討では、関係者による答申案のドラフティング会合が大詰めを迎えた。 会合では、文言の一字一句に対して、いろいろな立場による認識や期待の違いから、さまざまな意見が出される。 断定的な語句を取るべきなのか、曖昧さによる含みを持たせるのか、実装に踏み込むのか、概念に留めるのか、などなど実に日本語力による調整だ。 こういう影響力/責任のある文章の作成では、その表現、書き振りがとても重要なのだが、日ごろの職場では、文責が軽んじられていることが多い気がする。 僕の経験では、技術力のある技術屋というのは、国語力があり、語彙もあるし、他人との議論でも言葉の定義の共通化をきちんと確認するものだ。 知り合いの某大学のO先生は、メイリングリストでは、口語調で簡潔に単語だけを書いたりするのだけれど、それ以外の文章は、とても正確だし、綺麗だ。 実際に、彼の文章は、ワープロなどの文法チェックにかけても、まず引っかからない。