昼から某大学の先生が事務所に来てくれたので、新しい事業の説明。彼は黎明期からインターネットを作ってきた1人で、生粋のインターネット屋さん。この前、某社の若いエンジニアが、既に故人なのかと思っていましたと言った某先生と同じだ。
こういう人とは、原理原則というか基本的なアーキテクチャやカルチャーに対する価値観が根幹の部分で共有できるので、ディッスカションも建設的で楽しい。
新規事業では、産学官の連携によるプロジェクトを三つくらい仕掛けるつもりなんだけど、今日の彼との議論もふまえ、概ね骨格となるチームの組成が見えてきて、スッキリした。
午後からは来日したIEEE802やWi-Fi Allianceで共に活動している知人をつれて、監督官庁を訪問。双方にいま興味のある話題の意見交換なので、しっかりと会議室を用意してもらい、相互に有益なミーティングが出来た。
夕方に会議がおわって、一旦分かれたあと、夜再び合流して品川駅近くの鮨屋で会食。彼は、大学院で無線工学を教えてるので、その辺りの話しから、互いが過去に関係した無線技術の話しをしていたら、まぁ共通のプロジェクトとか知り合いとかの名前が飛び出してきて、なかなか楽しかった。やはり、根っからの無線屋は無線屋で、思うところは皆同じだなと痛感。
考えてみると、インターネットにしても、無線にしても、技術がコモディティになる前の、黎明期にそれに触れる機会があったことは、技術屋としてはとてもラッキーだったと感じる。
もちろん、もっと早く生まれていたら、もっとエキサイティングな変化に出会えただろうし、もっと遅く生まれていても、同様に新しい何かの勃興に巡り会えたかとは思う。
それでも、 インターネット革命とまで言われる、パラダイムシフトの時期に関わっていられたの、本当に幸運なんだろうな。
そして、無線通信も、アナログ通信からディジタルパケット通信への変化という、大きなパライダムシフトの時代を過ごせた事は、とても大きな宝だ。
というわけで、結局はインターネット屋&&無線屋というのは、やはりライフワークかもしれない。
しかし、今夜は23:00からテレカンだったので、ノンアルコールな鮨屋というのが、とても辛かった。